第42話 また、無事でなくとも元気で
side ジャネット・アーク
澄み渡る晴天、心地よい風。
馬小屋に繋がれたジルとライルもそろそろ馬車を引きたいと言うように軽く嘶きながらこちらを見る。
旅立ちには丁度いい日だ。
「一週間か、思ったより長くかかっちゃったな。結構無理してきたし、しょうがないか」
馬車は森で直したけど、それはあくまで応急処置だった。
街が近かったから、馬車を捨てるのは勿体ないと思って自力で街まで来られるように直しはしたけど、私は専門の職人じゃないから長旅には耐えられない。
商会口座の貯金を結構使うことになっちゃったけど、旅を続けるにはちゃんとした修繕が必要だったし、必要経費と考えるしかない。
それに……
「アーク嬢、お待たせしました。お見送りします」
「うん、ありがとう。すごく助かったよ。テーレ様にも手伝ってもらえたし」
この一週間、本当に有意義な時間だった。
まず馬車はただ走れるように修理しただけじゃなくて、テーレ様の手によって前より丈夫で快適なものになっている。元々壊れかけのを安く引き取って修理で騙し騙しやってたけど、これでもう貧乏馬車なんて呼ばれることはないと思う。
それに、修理の合間にテーレ様に色々なことを教えてもらった。今もしてるけど、火傷メイクのやり方とか、旅に役立つ簡単な魔法とか。それもこれも、彼の頼みの結果。
自分はいつでもテーレ様から教えを受けられるから、今は私が無事に旅を続けられるように。
そう言ってくれた。
「商人としては、ただで何かしてもらうっていうのはよくないんだけどね。しかも、天使様から」
「商談の手伝いをしてもらいましたし、乗馬も教えて貰いました。ただで、ではないと思いますが、釣り合わないと感じる分はまたの機会まで取っておきましょう。顔と恩は売れるときに売っておくものです」
彼はこの一週間、例の偽金について調べる傍ら乗馬を習得していた。
まだまだ一流騎手とは呼べないけど、落ち着いた馬を軽く走らせる程度なら振り落とされることなくできるくらいにはなった。
これからの旅で、ないよりはあった方がいいスキルだというのと、馬車がなくて暇をしていた二頭の運動不足解消に丁度よかった。
テーレ様が馬車を直す間に練習していたけれど、その間に彼とは色々と話をした。
食べ物の話、旅の話、魔法の話、神様の話。
彼は転生者。元は違う世界の人間だからということもあって、知らないことはたくさんあったけど、私の知らないことをたくさん知っていた。
一時期、私が探し回って聞き回って、誰も聞き取れなくて不気味がられた『□□□□』を探す方法も、いろいろと考えてくれた。
聞いていた転生者のイメージと違う……けれど、彼はきっと転生者の中でも特殊なのだろう。
『他の転生者と会っても、可能ならば私たちと関わったこと、あるいは関わった相手が私たちだと正しく認識していたことは話さないことをお勧めします。状況によりけりですが』
そう、言われたから。
幸運を司るディーレという名の女神様のことは知っているけれど、彼女の遣わした転生者のことは聞いたことがない。
『幸運』という加護の不安定さも相まって、一部では存在自体が怪しまれてさえいる神様でもある。
彼の話によると、女神ディーレ様の遣わした転生者は今のところ彼一人らしい。
女神ディーレ様は天界で力が弱くて、この世界でも彼は他の女神に嫌われるかもしれないそうだ。実際、もう一度攻撃を受けている。
だから、他の転生者のように大々的に神殿から援助を受けたりできない。正体を隠して目立たないように旅をするしかない。
よりにもよって、この世界でも魔王と並んで力を持つ転生者のほとんどを敵に回して、地上では人の範囲を出ない力しか発揮できないテーレ様と二人きりで。
その受難の旅を、彼は本気でやりぬくつもりでいる。
そして、そのための方策の一つとして、私を商会での口座の管理人として指名した。
「狂信者さん……狂信者さんは、まだこの街に残るんだよね。市長さんを懲らしめるために」
「ええまあ、他の転生者の方々が主に利用する冒険者ギルドは活動の基点としてあまり信用できないので、この機に商会との繋がりを強くして情報や物資を手に入れやすくしておこうと思います。そして、先日のお話の通り、アーク嬢には私とテーレさんの口座の管理をお願いします」
「口座の管理って……普通、こんな経験の浅い行商人に頼むものじゃないけどね」
しかも、かなりの大金だ。
やろうと思えばそれなりにいい暮らしが何年もできる程度には大金だ。
それを彼は、ポンと私に預けてしまった。
「重い責任を負わせてしまい申し訳ありませんが、まず第一に誰か商会の動きを頻繁に監視できる方に管理人をお願いしなければ、もしも他の転生者が商会に圧力をかけてきた場合に対応できません。そして、他の女神の息がかかっておらず、影響を受けにくいアーク嬢以上の適任は他にいません。それに、主神様に直接見守られているアーク嬢は、大金を前にしてもやましいことなどしないと信じております」
確かに、私の行いは全て主神様から見えている。
しかも、女神ディーレという神様は、下界での旅人時代の主神様の最初で最大の恩人。
つまり、彼とテーレ様の資産を盗むということは主神様の恩人の財産を盗むことに等しい。そんなこと、できるわけがない。
「もしも私たちの口座が外部干渉を受けた商会の手によって凍結されそうになった場合、その前に別名義の口座にほぼ全てを移し換えていただければ商会の顔も潰れず、資金も守られます。その対策の報酬は書面にしたとおりに定期的に口座から引き落としということで。最悪、私たちが敵から身を隠すために潜伏して消息を絶ってもアーク嬢が無事なら資産は消滅しません。場合によっては次のディーレ様の使者の活動資金になるかもしれないので、その場合の判断もお任せします」
「うん、あなたが私よりずっと先まで色々考えてるのはわかってたけど、ここまで来るとちょっと怖い。というか、私の方が長生きするイメージがあんまり湧かない」
幸運の加護を持ってるはずなのに最悪の場合をここまで想定しきるのは、彼の性分なのか。
割りと主神様の加護に任せて行き当たりばったりの突撃ばっかりで旅をしている私よりよっぽど生存力が高そうだ。
……けど、その反面で彼はあっさり死んでしまいそうな気もする。
というか、避けられる道があろうと彼は『その方が合理的だ』って思ったら、そのまま突き進んでしまいそうだ。
だから、むしろ自分の死後のことまで考えた準備は彼の迷いを奪ってしまいそうで不安になる。
「……でも、生きなきゃね。バーベキュー、約束だもんね」
「そうでしたね。言い出しっぺの私が欠席してはひどい嘘つきになってしまいます」
これは直感だけど……彼は今、笑顔で命を賭けている。
命を懸けているのではなく、賭けている。他ならぬ私への信頼に、自分の行く末に関わるくらいに大きなチップを賭けている。
たった一週間、出会ってその程度の私を信じられるという直感か……あるいは信じられる相手と出会えたという幸運への信仰心に従って。
酷く危うい彼だけど、だからこそ普通に安定の道を取った選択をしていては成しえないことを成し遂げるのかもしれない……そんな気もする。直感だけど。
「……市長さんとの話は、上手く行ってる?」
「……さすがの慧眼です。実は少々問題が発生しまして、方針に修正の必要が出てきました。まあ、想定内の修正の一つではあるので心配をかけるほどではありませんがね。市長が予想外に芯のある方で一方的に誅伐するわけにはいかなくなったというだけで」
テーレさんは勝ちの決まった出来レースだからって他のことに気を回しているけどおそらく彼は、それ以上の結果を出すために、必要以上のリスクを払っている。
その先に……より、大きな幸福が生まれると信じて。
「……『狂信者であれど盲信者にはあらず』ってことかな。すごいよ狂信者さんは、どんな相手でも理解しようと思えるんだから」
私はまだ、そこまで至れてはいない。
旅の中でたくさんのものを見て、いろんな理不尽を知って、無理解に苦しんだ。
それを彼はとっくに乗り越えている。『価値観が違うのが当たり前』だと、理解し合えないのを承知で理解しようとしている。
「……実は、それに関してアーク嬢に謝らなければならないことがあります。意図しないことではありましたが、市長さんとの会話の中でアーク嬢の個人情報を一部知ってしまいました。その……アーク嬢に、低層民の血が流れていると。私は差別意識を持たないように心掛けていますが、知られること自体に対する苦痛もあるかと思います。申し訳ありません」
「その上で正直すぎるのが玉に瑕だけどね。わざわざ言わなくてもいいのに」
「私が知っているということをアーク嬢が知らないというのは怖いので。意図せぬ認識の食い違いや誤解から生まれる不幸は誰も幸福にしません」
ま、確かにね。
ここで彼自身が言わずに、人伝にでも彼が知っていることを聞かされたら、多少なりとも心の中で見下されているかもしれないと思うかもしれない。
知っているのに言わない、時にはそれだけでも疑念が湧くものだ。
それに、こうやって真正面から言ってきたということは、つまり詳細を聞きたいということだろうし。質問にしないのは答えたくなければそのまま流していいって意味だろうけど。
別に、隠すようなことはないしね。
「低層民の血……なんて言っても、別に迫害されて苦労してたわけじゃないよ。本当に苦しんでる人たちと比べれば、幸せすぎて申し訳ないくらいだったし」
低層民というのは元々、奴隷解放令で解放されたけど社会に居場所がない元奴隷がほとんど、後は元から社会の中で困窮していた貧乏人や犯罪者なんかもいる。
けど、中にはただ単にそれまで社会に認知されていなかった田舎の人間もいる。
モンスターの群棲地や険しい山岳のど真ん中なんかに住んでて、ろくに国や政府とも交流がなくて、戸籍のない村人。
戸籍がないから身元の照合もできなくて、狙いやすい獲物として奴隷狩りに遭う村もあったけど、そうならなかった村もあった。
「私のいた村は、ただただ平和だったよ。地理的に外の人はほとんど入れなくて、狭い安全地帯にできた村で住人も百人もいなくて、綺麗な花畑くらいしか自慢するものもないようなところ。小さい頃は、村の外にこんなに人間がたくさん住んでる広い場所があるなんて知らなかったくらいだもん。外から見たら文明の遅れた貧しい低層民だっていうのは間違いないだろうけど……あの村には、あの村なりの価値あるものがたくさんあった。私は、あそこで生まれたことを恥とは思わない」
田舎娘と笑うなら好きにすればいい。
私は主神様の言葉に従って村を出たけど、村の暮らしに不満があって出てきたわけじゃない。悩んだし、別れは辛かったし、外の世界は怖かった。
あそこは一つの理想郷だったと、外を知った今でこそ前より強く思う。
使命を果たすまでは帰らないと決めている……けど、いつか帰りたいと思っている。
出てきたときと変わらないままでいて欲しいと思っている。私はかなり外に染まってきてはいるけど、今でもあの村の人間のつもりだ。
「ふむ……これは、余計なことをしてしまいましたかね。アーク嬢なら、たとえ市長宅へ連れて行かれても毅然とした態度でお断り申し上げられたでしょう。助けなど必要なしに」
「そ、そんなことないよ! さすがに、力尽くで何かされたらどうしようもないし……私自身は、ただのか弱い田舎娘だし」
「ジルさんとライルさんを乗り回せばそこらの衛兵や冒険者くらい軽く踏み潰せる名騎手だと思いますがね。アーク嬢が手綱を握ったときの彼らからはいつかのバリアンさんと似たものを感じましたし」
ジルとライルが強いのは確かだけど、買いかぶり過ぎだと思う。確かに、そこらのモンスターくらいならよく蹴り殺してるけど、それは私の強さってわけじゃないし。
「しかし……アーク嬢の主張する『か弱さ』は、少なくとも意志の弱さではないはずです。市長のように低層民と呼ばれる人々を純粋に『物』として扱う人間に対しては、やはり憤りを感じますか? 自由のため、旗を手に取り戦おうと思うようなことは?」
無力だから何もできない、何もしない……確かに、自分をか弱いなんて言うのは、そういう逃げ口上の部分もあるかもしれない。
何も思わない、なんてことはない。
「私も旅をしていろんなものを見てきたし……そういうのだって、何度も見てきたよ。商人としてやっちゃいけないことだけど、積荷を全部投げだしてでもひっくり返したい現実もあった……でも、それじゃダメなんだって思ってる。本気でその現実を変えようとしてない人にそういうことをしても、結局は何も変わらないから。主神様も、そういうときには何も言わない」
『低層民』の多くは元は奴隷。
そして、奴隷といっても扱いは千差万別だし、ひどい扱いを受けていたとしても、それで生きていられた人もいる。
彼らは自分の意思で革命を起こして自由を手に入れたわけじゃないから、いきなり言い渡された自由にどうしたらいいかわからない。
大きなくくりでは同じ『低層民』の村からの出身者の私だって、あの村で満足できていたのにいきなり都市の人みたいな生活をさせてやるなんて言われても困惑して、順応できなかったと思う。
私には、見てきたものやその時感じたものを全部正確に伝えられるだけの表現力はなかったと思うけど、彼は何かを感じてくれたみたいで、何かを考えながら軽く唸る。
「なるほど……結果だけを先取りした奴隷解放は自由を求める意志力を育てず、血を流さずに膿を流す結果に終わったわけですか。時代の変換に血が流れるのは、後戻りしないための契約書への署名に近い意味もあるということでしょうね。代償を払うからこその『価値』のある現実……となるとやはり、彼女の未来のためにはある程度の血は必要になりますか……」
どうやら彼なりに、私との会話の中で何か方針を決められたらしい。
テーレ様が馬車を直しながら愚痴ってた理由がよくわかる。彼は言うことを聞かないんじゃなくて、言うことは聞こえていても見えている景色が違う。
その中で、彼が探しているのは……やっぱり、『幸福』なんだろうな。
「じゃあ、私は商会に顔出したら街を出るね。あんまり同じ所に長居すると旅がしにくくなるから」
「おっと、そうでしたね。では、アーク嬢。また何処かで、五体満足で会えることを祈りましょう」
「うん……また、元気でね」
無事で、なんてことは約束できない。
私は『□□□□』を探す当て所ない旅を、そして彼は神々と転生者を敵に回して偉業を成すという危険極まりない旅を続けるのだから。
私は、おそらく彼も心の中で互いを祝福して背を向ける。
私に幸運の女神の加護があることを、同時に彼にこの世界を見守る主神様の加護があることを願って。




