第43話 毒と薬の技術
side テーレ
暗い宿部屋、蝋燭の火に照らされた獲物はあまりに美味しそうで、自制心を容易く溶かし尽くす。
ズブリとそれを切り裂き、手にしたナイフにべったりとついた付着物を、一欠片も逃さないように丁寧に舐め取る。
ああ……なんて甘美な、背徳の味……
「こんな深夜に、こんな暗い部屋で、ああ、やっぱりテーレは悪い子です……」
だけど止められない。
逃げることもできない獲物をさらに切り刻むために、ナイフをまたゆっくりと突き刺して……
「ただ今帰りました。テーレさん……美味しそうなロールケーキですが、こんな夜中に食べたら太りませんか?」
「うひゃわっ!?」
驚いて綺麗に切ろうとしていたロールケーキが潰れ気味になって横からクリームが溢れる。
ああ、せっかく楽しんでた深夜の高カロリーという背徳タイムが台無しに……
「前も言ったけど! この身体は人形みたいなものだから太っても私自身は問題ないし! それにこのくらいスキルを使うカロリー消費ですぐに相殺できるし! むしろ非常時のために多少の貯蓄はあった方がいいくらいだし!」
「まあ確かに、太りやすい食べ方というのは言い換えればエネルギーを蓄える効率がいいということですから、合理的かもしれませんが……ケーキナイフを舌で舐めるのは行儀が悪いですし危険ですのでやめた方がいいと提案します」
「あんたは母親か!」
「テーレさんが母性的な接し方を望むのなら、そういった振る舞いもやぶさかではありません。とりあえず、眠る前に子守唄でも歌いましょうか?」
「わりと本気でやめて」
全力否定しないと普通にやってきそうだから怖い。
思考力が落ちた寝入りで、誤作動でも歌詞で命令権が発動したらとんでもないことになるし。前みたいに命令で起こされるまで目覚められない可能性もあるし。
「ていうか、そもそもマスターがこんな夜中まで帰ってこないから起きて待ってたんだからね。どこ行ってたわけ?」
どこに行っていたか知らないとは言っていない。
商会でこっそり買っておいた発信器として機能するマジックアイテムをマスターが寝てる間にスータンのボタンに縫い込んでおいたから大体の場所はわかってる。対処できないほど遠くに離れそうになったら連れ戻しに行くつもりだったけど、マスターはそれほど離れなかった。
「少々酒場と娼館で散財してしまいました。やはり財布にお金を入れすぎてはいけませんね。すぐ使ってしまいます」
……嘘は言っていない。
予定より帰りが遅いから座標はチェックしていたけど、一応先に調べておいた危ない店ではなかったから、放置しておいた。あんまり束縛して煙たがられると困るし、騒ぎになればすぐに駆けつけられる近場だったし。
それに、商会で材料も仕入れられるようになったから、私にも一人でやりたいことがいろいろあったし。
でも、マスターからは他の女と触れあったような移り香も、酒を飲んだ人間の放つ体臭もしない。少しだけ酒場や娼館の臭いはするけど、本当に入って出てきただけだ。
「……何をしにいったの? マスター、正直に答えてくれる?」
「酒場でお酒を注文し、娼館では女性と話を……」
「マスター。詳細に」
「……お酒を奢ったりお金を渡したりして市長の評判や、この街での低層民に関する認識、それから定期的に屋敷に出入りする人間の特徴や目的を聞き出していました。丁度、酒場ではいつも屋敷で警備をしている兵士さんも強かに酔っていらしたので。これもディーレ様の加護かと思いまして。思いのほか情報が多く取れてしまったので時間がかかりましたが。娼館には市長がよく『出張サービス』を頼む女性がいるとのことでその方に会ってきました」
こいつ私を宿に置いて何してんの?
普通はそれ従者にやらせる雑用だし。
「市長についてそんなに調べ回ってどうするつもり? 何もしなくても、近いうちに商会がこの前の偽金の袋のことを調べ上げて告発するんだから。むしろ、深く調べようとして警戒させたら本末転倒でしょ」
「それもまあそうなのですが……どうせなら、勝ち方にも拘りたいと思いまして」
何を考えているんだか、こいつは本当によくわからない。
市長の屋敷に潜入したのだって、リスクがないわけじゃないし。
私たちの立場としては、この大捕物に一枚かんでいるという事実さえあればいい。
具体的には、鑑定の魔法で偽金を見つけられるこいつが屋敷に出入りして、『偽金が大量にあるのを確かに見かけた』と証言するだけでも十分。裏帳簿の一つでも見つけ出せば文句なしだ。
裏帳簿を盗み出すための準備は順調に進んでいるし、こいつが何かしなくても、問題なく勝てる。
わざわざリスクを侵す必要がないのにマスターが直接屋敷に進入しているのは、他でもないマスター自身の意向だ。
命令権の存在を知られている以上、勝手に方針に逆らって完全に干渉を禁じられるより、裏方に回って陰からマスターの身を守った方がまだ安全だから。
今は『提案』で済んでるけど、妙に頑固なところのあるマスターだ。
私の干渉が想定ラインを超えた途端にいきなり『命令』に切り替えてくるかもしれない。
万が一、市長が私を気に入って囲おうとしたら面倒だっていうのもわかるし。
ラタ市で男女ペアとして名前が知られている以上別個に動く方が同一視されにくいって理屈もわかるけど、そうじゃなきゃさすがにこいつを一人でこんな好き勝手に動かさせない。
もちろん、市長とのイザコザにしたって、こちらが決定的な弱みを握っているからこそ自由に動くのを許している。
ついでに、マスターが自己判断を許されたらどんな動きをするかの実験の意味もあるけど。
さすがにマスターでも、ここまで勝ちの決まった展開をわざわざ無理矢理負ける方へ動かしたりもしないだろう……きっと、たぶん。
「……次からは勝手にそういう調査に行くのやめて。私がやるから」
「酒場も娼館も、テーレさんのような可愛らしい方が入れば逆に目立ちます。私一人の方が自然に情報を聞き出せると思いまして」
「それでも事前に報告はして。マスターはまだ戦闘に使える魔法も技術もほとんどないんだから」
確かに、今のところはこの街の中を出歩く分には大きな危険はない。
主立った転生者の動向は商会で買った情報で掴んでるし、服は地味な黒服にも見えるようにデザインして口伝では特徴が伝わりにくいようにしてある。
それに、情報屋に頼んで冒険者ギルドには偽情報を出している。
冒険者としての私たちを探そうとすれば、私たちは今頃とある山中で鉱石集めや遺跡探索をして資金を蓄えていることになっているはずだ。商会で口座を作ったことは守秘義務があるから簡単には調べられない。
だけど、それでも完全に安全とは言えない。
もしも、転生者が偶然にでもこの街に来ていたら、奇妙な行動を取るマスターに注目して、正体を見破ってくる可能性は十分にあるのだから。
「……心配をおかけしてしまったようですね。申し訳ありません」
……別に、無事だったらいいし。
むしろ、ちょっとくらい痛い目にあって大人しくなった方が扱いやすいし。
ただ、仮にも転生特典なんだから私を頼れって話だし。サクッと命令しろってだけだし。
普通に自力で探偵みたいな調査されたらスキル頼りでやってる私の立場がないってだけだし。
「反省したならそれでいいよ。危険なことはなかったみたいだし……で、何かわかったの?」
「市井での市長の支持率、女性遍歴、それから『低層民』という存在に対する差別意識の偏り、差別への反対者に対する市長の警戒の強さ、それから屋敷へ出入りする目的が不明瞭な人間、違法性の疑われる物品の搬入……まあ、そんな所です。必要な情報、不安要素の推測材料も大方揃いましたかね。結末の大まかな方針を決めるためのものですがね」
何かどころか、ほぼ何もかもわかったらしい。
というか、優秀な情報屋でもそんな簡単にそれだけのことを調べられない気がするんだけど、それはディーレ様の幸運の加護のおかげなんだろうか。
それなら、私がいなくて正解だったかもしれない。
私の場合、呪いの影響をディーレ様の加護と特殊な術式で防いでるといっても術式は不幸を打ち消すわけじゃなくて散らすだけだから。
個々人に対してそれほど大した影響はないにしても、確実に運気を下げることになる。
一緒にいるマスターの運気もほんの少しだけど下がるはずだ。
経験的には少し意識して危険な選択を避ければ不幸は十分に回避できるし、少しだけよく考えて行動すれば物事の好機も逃さない程度の些細な運気の低下。
僅かな違いだったかもしれないけど、幸運というのはその僅かな違いが結果を変えるものだし。
ラタ市でも私と離れてた時に操られた盗賊や冒険者から逃げきれるほどの効果を見せたという幸運の加護を確認できたのも、敢えてマスターを放置したからこそわかったことかな。
……それが、私が足手まといになるって結論にならないように、私も手を尽くさないと。ディーレ様に合わせる顔がない。
「それで、その結末の方針ってなに? まさか、最後まで一人でやるつもりじゃないよね?」
「確かに、少々準備してほしいものはありますが、テーレさんはお忙しいのでは? 私の法具の作成以外にも、何やら道具や材料を買い集めているようですが」
「いいよ。こっちは手間のかかる部分は済んで後は片手間でもできるし。マスターがどっかで探して買ってくるより安くて早く作れるならそうするし」
「それは確かに合理的です。では、お言葉に甘えまして」
マスターはいつもと同じヘラヘラとした顔で、もう既に決めていたかのような滑らかさで問いかけた。
「テーレさんは毒物や薬品に関して、どの程度の技術をお持ちでしょうか? 仮に検死されても見つからない程度のものが作れると助かるのですが」
side カーリー・ローリー
最近、勉強が楽しい。
「ふむ、なるほど。この世界でも古代においては神々と人の王が同一視された時代があったのですか。そういった『神話』と『歴史』が食い違う可能性の高い部分はなかなか敬虔な知人からは聞けないのでためになります。ところで、その頃はどのような神様がいたとされているのですか? 今も名前が残っている神様がいたとして、司る概念は変わっているのでしょうか?」
「えっと、調べるからちょっと待ってね。今も有名なのは、えっと古代は最初の方のページで……」
こんな先生は初めてだった。
面白いくらいに面白いことをたくさん知ってるのに、面白いくらいに何も知らない。
特に、歴史とか地図とか、そういう当たり前のことを全然知らない。
だからこうして、勉強の合間にこっそり算術をサボって、先生に授業してあげているけど、先生はたくさん質問してくるから、私も調べながらだったりする。
前の先生は問題を解けってばかっり言ってきて嫌いだったけど、この先生は嫌いじゃない。それに、先生との勉強も嫌じゃない。
なんとなく、最近では勉強が嫌いだったんじゃなくて、偉そうにしてて大きな身体で押しつぶしてくるような怖い先生たちが嫌いだったのかもしれないと思い始めている。
これも、先生が『自分が何を、何故、どのように認識することでその感情を得ているのかを分析することで解決策が見つかることもあります』って教えてくれたからだけどね。
先生はすごく先生らしくなくて、本当に興味津々で私の教えることを聞いてくれる。
普段も、押しつぶしたりはしないで、偉そうにしない。私が先生の言ったことを違うって言ったら、本当に時間をかけてそれが本当に違うかを一緒に確かめてくれる。
他の先生だと、自分が単純に言い間違えたのを指摘されただけでも『揚げ足を取るんじゃない』なんて言って怒ったりするのに。
本当に迷惑してるのは必死に憶えようとしてる時に、間違ったことを言われて混乱するこっちなのに。
先生は、よく私と一緒にお勉強をしてくれたり、考え事をしてくれたりする。
私が算術なんて勉強しなきゃいけなくなる『お金』なんてどうしてあるんだろうって言ったら、『ではまずは貨幣制度のない世界を仮定して、現在の世界と比べてみましょう』なんて言ってそれまでやってた問題とは全然関係ない授業を始めちゃったりする。
勉強に関わりないことでも、先生は真面目に聞いてくれる……お父様はちゃんと聞いてくれない『お母様』の話も、先生はちゃんと聞いてくれる。
ほとんど何も言わないけど、話していて思わず涙が溢れた時にはすぐに拭いてくれたし、お父様みたいに二度とその話をするななんて言わなかった。
話したくなったら、いつでも、何度でも、全く同じ話でも、好きにしてほしいと言ってくれた。
先生はすごく優しい人なんだと思う。先生が厳しいのは、私が嘘をついた時だけだから。
「お嬢様は色々なことを知っていますね。しかし、当たり前のことを知らないことがよくあります」
先生が勉強する方の授業が終わると、先生はそんなことを言った。
それは先生の方だと思うけど、先生から見たら私の方が珍しいのだとか。
「お嬢様は本に書いてあることを沢山知っているのに、銅貨や銀貨を使った買い物の問題で悩んでいましたし、海や畑のこともよく知りませんでした……もしや、お嬢様は屋敷の外へ出たことがないのでは?」
「屋敷の……外? それってお庭の壁の外?」
「はい、正確にはお庭の壁の内側以外の世界全てです。お嬢様の知識から推測する限りですが、お嬢様は少なくとも物心ついた時期から外へ出ていないのでは? 少なくとも、街の方々はお嬢様を見たことがないと聞きましたが」
「お父様は、子供は外へ出ちゃいけないって言ってたよ? お外には、悪い人がいっぱいいて、見つかったら連れて行かれちゃうんだって」
「なるほど。まあ否定はしませんが、一般的には子供が外を出歩いていても不思議ではありません。親なり護衛なりがいれば、基本的には悪い人も手を出してきません。それよりも、楽で確実な相手を選びますから」
「でも、お外に出たらお父様が怒るし……」
「そうですか。しかし、そのお父様はよく立派な貴族になるようにと口にしているそうですが、その貴族が治めるものこそ屋敷の外の人々です。私としては、その暮らしを知らずに立派な貴族になるのはなかなかに難題だと思いますがねえ」
「でも……」
外に出てみたいと思ったことがない……とは言えない。それは嘘になっちゃう。
でも、出たことはない。出してもらえたことはない。
使用人の人たちも、家庭教師の先生たちも、兵士さんも、そんなことをしたらお父様に怒られると言っていて、私一人で外に出るには、あの壁は大きすぎて……
「無理に外に出るべきだとは言いません。しかし……もしも外を見てみたければ、ご協力します」
「……え?」
「都合よく屋敷をこっそり抜け出す技術を持った知人がいます。それに、他の方は御当主様を怒らせてしまえば解雇されてしまうので大いに困るかもしれませんが、私は元から期間限定なのでそれほど困りません。お嬢様にその意志があれば手引きしましょう」
「先生……」
先生が家庭教師なのは期間限定。そんなの、最初から聞いていた。
でも、すごく頼み込めばずっといてくれるんじゃないかと思ってた……けど、先生自身は最初からの約束通りの日に出て行くつもりなんだ。
「今すぐに決めて欲しいとは言いません。まだ三週間ほど時間があります。もしもその間に外を見たいという決心が固まったら……どうぞ、素直に言ってください。その時には、せめて最後の贈り物として社会見学の授業をさせていただきます。最後ばかりは、私にしかできないことをするべきだと思うので」
先生にしかできないこと……この先生がいなくなってしまったら、もう、私が屋敷の外へ出る機会なんてないかもしれない。
そうなったら、私はずっとこの屋敷の中……何年も何年も、ずっと。
「さあ、授業を再開しましょう。先程の話は、御当主様には内密に。バレたら、きっとそのまま解雇されてしまいますので」




