第41話 「『研究施設』?」
side グラード・ローリー
一週間前から新しく来た娘の家庭教師は、なかなか優秀らしい。
「ねえ、お父様! 次の算術の授業はいつかしら! 先生に見て欲しい問題があってね」
「確か、明後日だったはずだろう。それまで待つしかないな」
「じゃあ、算術の授業を増やせない?」
「彼から休日をなくしてしまうつもりか?」
この入れ込みようだ。
最初は娘がませてきたのかと思ったが、どうやら本当に授業に魅力を感じているらしい。
なんでも、他の家庭教師とは全く違うやり方で授業をしているとか。
あまりに楽しげに話すので、本当は授業とは関係ない遊びでもしているのではないかと思ったが……
『失礼ながら、お嬢様には勉強を苦痛に感じないようにまず遊びに近い問題で苦手意識を忘れてもらおうと考えています。また、最近は数式の間違い探しゲームに没頭しており、これは後々計算後の検算の癖を付けると共に、帳簿の間違いを見つける練習にもなりますので……』
と、長々と説明されたのを要約すると、楽しみながらでも学習はちゃんとしているらしい。
実際、前は毛嫌いしていた本を勝手に読むようになったし、他の家庭教師に抜き打ちで問題を出させてみたがしっかりと解いた。
先任の家庭教師が帰ってくるまで一ヶ月かかると言っていたが、ことによればその後にも今の家庭教師を継続させてもいいかもしれん。
「またぞろ屋敷に入り込んで何か企んでいるかと思ったが、あっけないほど何もせん。あれは正真正銘、ただの代理家庭教師だ」
そのはずだ。
やることと言えば、門から娘の部屋までの往復だけ。
娘から受けがいいからと特別に駄賃をやろうとしても、信仰上の都合だからと受け取ろうともせず、他の場所には見向きもせん。
むしろ、不気味なくらいだ。
あれは、この屋敷に、そして娘に対して好意的に過ぎる。この街にいれば、多少なりとも妙な話を聞くはずであるのに。
悪事を働こうとする気配もなく、しかし取り入ろうとしているわけでもなく、淡々と仕事として屋敷に出入りする男。
なまじ娘に気に入られているため理由なく追い出すわけにはいかんし、そもそも追い出すべき口実もない。
確かに給料は多く払っているがそのために忠実に仕事をしているというのも違和感がある。
もっと、この屋敷に出入りして街の者から白い目で見られても構わないと言えるような、何らかの欲を見せている方がまだ扱いやすい。
いや、悪事を働こうとしているかはどうでもいい。
それ以前に、これは感情論の話だ。
「くそっ、愛娘が家庭教師を気に入って嫉妬するなど、私も所詮人の親か」
娘はいつかどこかの貴族と結婚する。
できるだけ大きな家に嫁がせて、名家の血を次ぐ子を産ませる。それが貴族の娘の幸せというものだ。
しかし、それまでに色恋の一つも許さないというわけではない。
何も知らずに嫁いで騙され、捨てられるなどよくあること。恋に夢を見たままの生娘など相手からも面倒がられる。
叶わぬ恋の辛さを経験させるのも、恋愛と関係のない結婚をする貴族の教育としては大切だ。
そのことを考えれば、期間限定で屋敷に通い娘の好感度を稼いでいる奴は最適な相手と言えるが……もしも、奴の無欲の理由が、娘と会うことだけを求めていることだったりしたら……
「……なんとしてでも、後悔させてやる」
酒で本音を吐かせて、その瞬間に追い出してやる。
娘はまだ十一歳だ。色恋の練習などやはりまだ早い!
「御当主様、一体何を後悔させていただけるのですかな?」
「うおぃっ!?」
こ、こいつ! いつから私の背後に! いや、それ以前に私の書斎に!
というか今日は休みだろうが! あ、まずいっ、心臓が……
「うっ、ぐっ、ふぅぅ……ふぅぅ……貴様、私をショック死させる気か?」
「これは失礼。教材の一部を忘れてしまったので警備の方に許可を得て取りに来たのです。あれがないと次の問題が作れないので。しかし勝手にお嬢様の部屋に入るわけにはいかないのでまず御当主様に許可を取りに来た次第です」
「そんなもの、そこらの使用人にでも取りに行かせろ! 今日は算術は休みだ! 私的に娘に会うことは許さん!」
「了解しました。では、そちらの真面目そうな眼鏡の方、お願いできますか? 青い表紙の本で、その表紙を開くと授業日程のメモが挟んであるので、すぐにわかるかと思います……おっと、申し訳ない。雇い主でもない私が偉そうに指示を出すのはよくありませんね。御当主様、彼女に取りに行っていただいても……」
「そのような些末なこと一々問わんでもいい! というか何かを忘れたくらいで書斎まで来るな! 門の前で言えば取ってくるようにしておくから次からは予定外の時間に勝手に入ってくるな!」
「ご配慮、感謝します。しかし、何やらお悩みのご様子ですが、私でよろしければ気軽にご相談ください。関係のない赤の他人であるからこそ相談できることもあるでしょう」
「断る!」
貴様にだけは心配されたくないわ。悩みの元凶め。
しかし、赤の他人ではないが本人だからこそということもあるか……幸い、今ここには私とこいつの二人しかいない。
いつもは授業が終わるとそのまま帰ってしまうが、これはある意味好機かもしれん。
「そんなに悩みを知りたければ聞いてやろう。貴様は……娘に取り入って、何がしたい? それともまさか、この屋敷の噂を何も知らずに仕事に来たとでも言うか?」
何も特別な狙いがないなら、わざわざこの屋敷に出入りする仕事などする必要はない。
むしろ、仕事の報酬だろうと私から金を受け取っているというだけで街では煙たがられることもあるはずだ。
それなのに、裏の意図が何もないなど信じられるものか。
「この屋敷の、というより市長の噂なら聞き及んでおります。事実かどうかは知りませんが……いえ、見た様子だとそれほど事実と遠くはないかもしれませんがね」
「ふん、衛兵にでも触れ込んでみるか?」
「いえいえ、市長の力は四方に深く根を張っていると聞きますので、そんな無駄な行動は致しません。それにまあ、ひどい体罰を受けているようにも見えませんし……本当にただの使用人として、道具として扱っている程度のものですね。その忠誠がどういった形で得られたものかは推測しかできませんが」
やはりか……こいつも、その手の連中か。
まあ、この屋敷に潜り込もうという連中ではわかりやすい部類か。
「使用人の中に惚れた女でもいたか? どうにかして連れ去ろうと、入り込んできたのか」
「その様子だと、そういった前例があるようですね。そして、失敗に終わったと」
「愚かな男だったよ。この街で私を敵に回すことの意味も知らずに。一晩も逃げられなかったな……貴様は、どれだけ逃げられるかな?」
「クックッ、勘違いをなさらぬよう。私は別に誰かを取り戻しに来たというわけではありません。知人に、この屋敷に雇われたとある女性が無事かどうかを確かめて欲しいとは頼まれましたがね」
表情を見る限り、本当に使用人の誰かに執着があるわけではないらしい。
むしろ……この屋敷の様子を、街で好き勝手噂されるこの屋敷の実情を観察して楽しんでいるのか? 悪趣味な。
「ふん、そいつには庶民よりよっぽどいい生活をしていたと言ってやれ」
「確かに、その通りです。道具としての話でではありますが、彼女たちの健康状態は極めて良好、身形もいい。お嬢様へ向ける愛情とは全く違う、コレクションへ向ける愛ですが」
「娘と同じ訳がないだろう。やつら、あるいはその親は皆低層民の出身だ。つまり、奴隷の血族だ」
街の奴らは私が容姿のいい娘を見つけた端から集めているようなことを言っているが、そんなことはしていない。
私は、世間の堕落に流されずに貴族としての義務を果たしている。
「貴重な『容姿の優れた奴隷』を手元に置き、管理する。それが優れた貴族の常識だ。そうしなければ、その内あれらは食うにも困り、身持ちを崩し、痩せこけ、肌は荒れ、幸運にも与えられた美しさという『価値』を失っていく。それなら、本当に『価値』が理解できる者が手入れし、身の回りに置き、そしてその美しさを受け継がせた子供を産ませる。当然の話だろう?」
今は低層民などと呼ばれ、民衆の端くれとして扱われているが、結局あれらは満足に自分を養うこともできない。
ならば、失われていく美貌を野晒しにせず磨いてやることの何が悪い。
どうせ世俗の凡庸な平民にあれらの本当の価値など理解できまいに。
「……なるほど。そういった思想ですか。つまり御当主様は、『奴隷解放』を未だに認めていないと」
「呼び名は変わっても本質は変わらん。事実、やつらは飼い主を失い、食うに困ってスラムで腐臭を振りまいている者がほとんどだ。今の法など、表向きのものに過ぎん。神の使いへのご機嫌取りとしてのな。こんな気紛れなど、その内すぐに終わる」
「そうですか……失礼。予想外の回答に言葉を失ってしまいました。なるほど、なるほど。これは手強い」
むむむ、と笑顔のまま唸る算術教師。表情があまり変わらないのが仮面のようで少々不気味だなこいつ。
しかし、こちらとしても意外だ。『奴隷解放を認めて彼女たちを解放しろ』などと言ってくるかと思ったが。もしもそんな馬鹿なことを言ってきたら最近仕入れたあれの試運転にでも使ってやろうと思ったのに。
「人間の一部を純粋に資産として見た場合の『価値』の増大化。その考え方は盲点でした。しかし数世代前では奴隷の存在が常識であったこの世界においては実在した計算法であることは否定しがたい。いや、それどころか確かに今後現れる転生者の傾向によっては制度回帰もあり得るわけですし……」
……どうやら、変わり者だというのは娘の気を引くための演技ではないのかもしれない。
敵意を感じない。それどころか、本当に納得すらしているようにすら見える。
「……ふむ、決めました。あなたが私欲に飲まれ思考を放棄した差別主義者なら最悪強硬手段も考えていましたが、その手は捨てましょう。私はあなたの主義論理思想とその合理性を尊重します。残念ながら賛同まではできませんが、暴力に訴えかけることはないとお約束します」
「ふん、野蛮人め。暴力なら勝てる自信があるとでも言いたいのか。そもそも貴様はただの一家庭教師だ! 私の言葉一つで二度とこの屋敷に入れなくなるんだぞ!」
「おお、それは困ります。しかし、解雇通知を受ける前にこれは返しておきます。先日の日払いに混ざっていたもので」
差し出されるのは一枚の銀貨。
銅貨は奴隷の貨幣、銀貨は庶民の貨幣、そして金貨は貴族の貨幣。何の変哲もない、庶民の金だ。
「これは何だ?」
「おそらく、銀貨一枚分の価値がない物体です」
それはつまり……偽金、だと?
こいつまさか……
「ところで、『冒険者』にとって鑑定の魔法はダンジョンにおける生命線になり得るとご存じですか? 中には癖で他人から受け取る物品全てを反射的に鑑定してまう方もいるとか。次に冒険者へ給金を渡すことがあればご留意ください」
「……あっ……むっ、ぐ!」
ありえん!
こいつの給金に紛れ込むかどうか以前の問題だ。偽金は『金貨』しかない。銀貨に偽物が紛れ込んでいたところで、私に関係はないのだ。
だが、『ありえない』という言葉を呑み込んだところで、反応は既に顔に表れてしまっている。
「貴様……鎌をかけたな?」
「さあ、私は傷物の銀貨があったので資産の保存について御忠告をと思っただけです」
銀貨を裏返すと、確かに深く刃物で切ったかのような傷があった。
だが、そんなものはただこの会話を矛盾なく進めるためだけのものに過ぎない。
こいつは知っている。
そして、もしも私が解雇という手段に出れば、秘密を公開すると脅している。
並みの鑑定魔法では気付くことの叶わないはずの偽金を見分けられる高い技術を持った冒険者……触れ込みでは冒険者としては新米だと聞いていたが、こうなってはそれは信用ならない。
こいつのバックにベテランがいるのか……あるいは、何か冒険者になる以前から裏の仕事に関わっていたのか。
いずれにせよ、こいつを処分すればこちらにとって致命的な情報が流出する可能性は高い。
「わ……私を敵に回すつもりか?」
「いえいえ、そんな恐ろしいことはしませんよ……転生者の後援を受けているかもしれない方に楯突くなど。いえ、御当主様こそ転生者を後援している一人なのでしょうか。どちらにしろ、互いに報復で共倒れという結末は好ましくありません。幸福の総量が減るだけです。平和が一番です」
こうして堂々と『転生者』との関係にまで言及するとなると、確実に身を守るための予防策を講じている。
であれば、こいつを消して秘密を守るという手はない。そもそも、こいつが秘密を知ったのは今さっきではないだろうし、秘密を知る者はこいつだけではないだろう。むしろ今日は、これを教える前提でここに来たはずだ。
つまり、こいつがこの屋敷に家庭教師という立場で潜り込んだのは交渉が目的。
そして、こいつは偽金に関係しているのがこの屋敷だけではないこと……もっと大きなものに繋がっているのを知っている。
その上で、この関係の維持を求めている。
娘の家庭教師という立場を……
「……他の家へ嫁ぐとしても、カーリーとの関係を強く持っていれば、我が家との関係を持てる……本当の狙いは『研究施設』との接触か?」
この屋敷に入り込んでから偽金のことを知ったのではない。偽金のことを知り、この屋敷に入り込んできた。商会すら騙せる高い技術で作られた偽金を作る組織に対し、偽金を見破れる技術を持って自分を売り込もうとしている?
この国でもごく一部の者しか恩恵を受けることのできない、本当に能力を持つ者しかその存在を知ることすら許されない『研究施設』への足掛かりとして。
「さあ、どうでしょうね。『研究施設』とはなんのことだかわかりかねますが、私はお嬢様の家庭教師という立場を好ましく思っています。彼女は優れた才能の持ち主ですし、好奇心も強く真実を見極める目を持っています。そうですね、お嬢様が私の邪念を見抜き解雇を求めた場合には大人しく身を引き、波風も立てないと確約します」
こいつの目的が『研究施設』ならば、その過程で娘に取り入ることは必須条件。娘に妙なことをすることもない。
娘に教えるのは、色恋ではなく策略の方だったか……
「ふん、妙なことをしてみろ。解雇などと言わず、確実に消してやる」
「ご安心を。私は私情なしに仕事を真面目にこなすことには自信がありますので」
信用ならない笑みを浮かべながら恭しく頭を下げる。
娘は何故こんな男を気に入っているのやら……
「あ、あの……青い表紙の本、見つかりました。お待たせして申し訳ありません」
「おや、いえいえ。ご苦労をおかけしてしまいましたかね。もっと特徴を詳しく説明するべきだったかもしれません。一応確認を……うむ、問題ありません。これです。ありがとうございます」
……そういえば、こいつは忘れた教材を取りに来ていたのだったか。
本当に忘れたわけではないだろうが。
「では、用事も済みましたので、私はそろそろお暇します。この後、友人と会う予定がありますので。では、さようなら」
そそくさと帰って行く算術教師。
なるほど、算術教師か……策略家に向いている。
だが、『研究施設』に関わるだけの力があるか、あの若造に。
「お父様! 聞いたわ! 先生が来てたんでしょ! なんで呼んでくれなかったの!?」
おっと……いかんな。カーリーの前で、こんな顔を見せるのは。
「先生はこの後、用事があるそうで急いでいたんだよ。ほらおいで。相手の都合も考えて気遣いするのも、貴族の嗜みだぞ?」
軽い娘の身体を抱き上げ、頬ずりする。
重くなったなあ……この屋敷で、ここまで無事に育ってくれた。娘は私の一番の宝だ。
「いやー。お父様、髭ゴワゴワー」
「カーリー、色々なことをいっぱい学んで、立派な貴族になるんだぞー」
華々しく人の上に立つ、立派な貴族に。
嘘は言っていない(受け取るコインを自分で破損していないとは言っていない)。




