第38話 『みんなで楽しくバーベキュー』
side ジャネット・アーク
商会の宿部屋でベッドに寝転がり、思いっきり身体を伸ばす。
お金持ちの利用を想定した商会の宿だけあって、柔らかくて快適。馬車や空き家で毛布にくるまって寝るのとは天と地ほどの差がある。
でも、もしかしたら本当は今、私はこんな所にいなかったかもしれない。本当はこの街の市長のところに連れて行かれて、形だけ整った待遇をされて、檻にでも捕らわれていたかもしれない。
「火傷痕……よく思いつくもんだよね」
聞いてみたら、本で読んだことがあるって言われたけど、それにしたって市長の噂を聞いてすぐにそれをやろうと思えるのはすごいと思う。そのおかげで、私はあの兵士さん達と事を荒立てることなく乗り切れた。
転生者のことは噂でよく聞く。
けど、それは戦場での華々しい活躍だったり、盗賊や悪党を退治したという勧善懲悪の話だったり、異性を侍らせて好き放題しているというような悪評だったりする。
そんな彼らは、強力な能力を持つ反面、複雑な問題に関わるのを嫌うとよく言われている。
どちらも悪いなら、どちらも懲らしめればいい。
でも、どちらも仕方なく悪事をしたり、それから身を守らなければならないという時には、能力で無理矢理解決できなければ手を引くか、どちらかを悪党だと割り切ってしまう。
『悪に従って悪事をするなら事情があっても悪だ』なんて言って。
まあ、確かにその通りな部分もあるかもしれないけど、先に会ったから、仲良くなった人がこちら側にいるから、そんな気紛れみたいな理由で結果が決まってしまうのはとても怖いことだ。
もちろん、転生者の中にはちゃんとその力を世のため人のために使う人もいるし、きっと目立たずひっそりと生きている転生者もいるだろう。
私たちが恩恵を受けている発明品や食べ物、あるいは病気の治療法の中にも転生者が考えたものは多いし、彼らがいたからこそ今のこの世界があるのは否定しようもない。
けれど、最初は常識的で善人な転生者も、力を振るい慣れてから自分の判断を絶対視するようになることは多い。
それが善行だとしても、圧倒的な力を持って振るうそれはどこかに歪みを生む。
あの時、私が心配したのは市長の屋敷へ連れて行かれることじゃなく、狂信者さんが転生者として、力尽くで問題を解決してしまうことだった。
それくらいなら、そのまま連れて行かれた方がまだいいかもしれないとすら思っていた。それならまだ、私が市長と交渉すれば平和的に解決できるかもしれないから。
だけど、彼は私が思いもよらない解決法を取った。
想定していた最終手段が力業だったとしても、安易にそうしなかった。
顔を軽く撫でてみる。
化粧で作った火傷痕。肌に悪いらしいから寝る直前には落とすけど、人に見られた時のためにまだ残してある偽装の顔。
商人たるもの、見た目の印象の大事さは知っているし、そのために旅の疲労や汚れを隠す程度の化粧は心得ているけど、元々はただの村娘だった私にはこんな本物と見違うようなメイクアップはできない。
明日の朝には、またテーレ様にお願いすることになっているけれど、自分でもできるようになっていれば、同じようなことがあったときには助かるかもしれない。
私には、主神様からの加護というものがそれなりに備わっているらしい。
でも、それは決して人生の安泰を保証するようなものじゃなくて、窮地に陥ったときに命からがら生き延びる道がいつもどこかに残っていたり、どうしようもなく危険なものや場所が直感的にわかって避けられるという程度のもの。
きっと、旅の中で苦難を乗り越えるということ自体に意味があるから、それを邪魔しない程度の加護を与えられているのだと思う。
だから、自力で助かる手段は多い方がいい。その方が、大事なものを失わずに済む。
主神様は、私に他人を救えとは言わなかった。
だから、旅の中で出会った人々を助けるとしたら、それは私自身の勝手。たとえば、テーレ様から化粧の仕方を教わって、それを他の人に使って助けたりできるかは、私自身の努力次第。
私は神様じゃないから、全てを救えるとは思っていないし、そうしようとも思わない。
けれど、人並みにできることなら、誰かを助けたりするために何かをしたい。
主神様と話ができるといっても救済を願うことなんてせず、私はただの人間として、人として対等な立場で人を助けたい。
転生者の彼が、あくまで人並みの方法で私を助けてくれたのも、きっと同じようなことだと思う。
彼自身が深く考えて行動してくれたからこそ、私の中の何かの価値が守られた。そんな気がする。
「……寝る前に、星でも見ようかな」
一応、旅をする商人にとって方角を知るために星を読む知識は必須だけど、街の中にいる今、わざわざ星を見て方角を探す必要はない。
ただ、なんとなく、手の届かない星々の世界を見たくなった。
とてつもなく遠い場所にあるという星空の見え方は、地上での場所が多少変わってもほとんど変わらない。
きっと、この世界のたくさんの人たちが、同じ星空を一緒に見ていると思うと、妙な感慨を覚える。私もちっぽけな人間だと、他のみんなと何も変わらないと改めて認識できる。
宿の部屋に備え付けられた簡素なテラスに出て、柵に身体を預けて空を見る。
雲一つない空。
暗いのにキラキラと輝く星の夜。
「おや、アーク嬢。アーク嬢もお月見ですかな?」
隣の部屋のテラスから声がした。
驚いてそちらを見ると、固いガリの実を犬歯で少しずつ削るように齧る狂信者さんがいた。
「ガリの実はお月見団子の代用にはならないようです。削る際に骨に響く震動が風流を邪魔してしまいます」
私は星を見に来たけど、彼はどうやら最も明るく大きく見える星、つまり月だけを見ているらしい。
神話では、太陽と月は天界でも特に偉い天使様……まあ、実を言えば私がよく夢で話をする主神様の側近の大天使様の持ち物で、私たちが星の形をはっきり見ることができるほど近くにあるのは、私たちをしっかり見守るためだと言われている。
もしかしたら、狂信者さんもそれを意識して月を特別に見ているのかもしれない。
「まあ、構いませんがね。実を言えばお月見というのはついでです。テーレさんが試作法具を作ってくださるそうですが私がいては邪魔だということで。先に寝ていていいと言われましたがテーレさんを一人夜なべさせておいて熟睡するのは気が進まなかったのでここで時間を潰していました」
訂正。
月が見たかったためにテラスに出ていたわけではなくて、単に手持ち無沙汰と気紛れの結果だったらしい。
まあ、いくら『狂信者』の称号を持っているからって行動の全てに神話的意図とかをこじつけるのは偏見だったかな。確かに、テーレ様を自分のために働かせて一人で眠るのは気が引けるのもわかるし。
それにしても……
「その、会ってからずっと思ってたけどアーク嬢っていうのはなんなの? いや、私のことなのはわかるけど。テーレ様みたいにさん付けでもいいでしょ?」
「深い意味はありませんよ。強いて言うのなら、もしもあなたが将来人の上に立つ立場になった時、今から呼び名をこれで固定しておけば連動して私も大物っぽく振る舞えます」
「はは、転生者様が何言ってんだか……いや、信じてくれたからこそ、なんだよね」
『主神様の声が聞こえた』なんて、誰も信じてくれない。
信じたとして、私は特別扱いをしてほしいとは思ってない。
私自身は神様でも御使いでもない、ただの人間なんだから。けれど、大抵の人間は私の話を本当に信じてしまったら、それまで通りに私に接してくれないだろう。嫌われるとかじゃなくて、よそよそしくなるはずだ。
だからこそ、この人は敢えて私にこういう少し軽めの受け答えができるような配慮をしてくれているんだろう。
……うん、『アーク嬢』っていうのも、私自身がお嬢様なんて柄じゃないからからかってるみたいで……逆に友達みたいで、悪くない。
「アーク嬢、そういえば伺いたいことがあります。主神様からの神託についてですが」
「なにが聞きたいの?」
私は『旅をしているのも主神様に言われたから』ということしか話していない。
信じてくれているのなら、より正確に何を言われたかを知りたくなるのは当然だ。
むしろ、こうやって宿で落ち着くまで、詳しいことを聞かずにいてくれたのは、それなりに我慢してくれた結果なのかもしれない。
けれど……狂信者さんの問いかけは、『正確には主神様はどんなことを言ったのか』という私の予想とは、少しずれたものだった。
「アーク嬢は、主神様のお言葉に従い旅をしているのですよね」
「そうだよ。二、三年くらい前からかな」
「あなたのゴールはどこにあるのですか? どこかを目指しているのですか? 何かを探しているのですか? それとも、道程そのものが修行のようなものなのですか?」
私の旅の終点の有無。
私の受けた信託の話が虚言か真実かに関係なく、私がいつか旅を終えて、役目を果たして満足できるかという心配。そして、協力できるなら協力したいという善意。
……ホント、主神様のことでこんなに話しやすい人は初めてかも。
それで、協力が期待できるかどうかはまた別の話なんだけど。
「『何かを探してる』、が一番近いかな……『□□□□』って知ってる?」
「……申し訳ありません。うまく聞き取れませんでした。もう一度、いえ、念のため三度ほどお願いできますか?」
あー、やっぱりかー。
まあ、今までもあったことだから残念とは思わないけど。
「『□□□□』、『□□□□』、『□□□□』」
夢の中で主神様に教えられた私にはわかるのに、口で言っても文字にしても、今まで誰にもわからなかったんだから。
転生者の彼ならもしかしてと思ったんだけど、狂信者さんは首をひねって疑問符を浮かべている。
「ふーむ、駄目ですね。翻訳を切っても聞き取れない、というより大まかな音の響きやリズムすら記憶できない。となると、聞いた瞬間に認識か記憶が阻害されているような……それは反ミーム的性質を持つ物体か事象なのですか」
「反ミーム?」
私が聞いたことのない言葉に首を傾げると、狂信者さんは少しだけ考えてから、私に食べかけのガリの実を見せた。何の変哲もない、どこでも買えるしなんなら森の中でも簡単に拾えるガリの実だ。
「そうですね。翻訳機能もそこまで万能な意味伝達能力ではないということでしょう。では、まずは『反ミーム』の説明をするために『ミーム』の説明をしてみましょうか。物質的には形のない『ミーム』という概念があります。ミームというのは簡単に言えば、人から人へ伝達する情報のことです。たとえば、この『ガリの実』ですが、私はその呼び方を知る前に初めてこれを見て『丸くて硬い木の実』というような呼び方をしました。しかし、テーレさんからこれが『ガリの実』だと教えられて、私もこの種の木の実を『ガリの実』と呼ぶようになりました。このように『名前』というのもミームの一つです。存在や事象を、それに対応する単語で定義して呼称を統一することでコミュニケーションを円滑にするという役割を果たしています」
それは『ガリの実』って名前を教えられて憶えたからってだけじゃ……いや、違う。
狂信者さんは転生者、つまり元は別の世界の人だ。それで『ガリの実』を『丸くて硬い木の実』なんて呼び方をしたってことは、狂信者さんの元の世界には『ガリの実』って言葉がなかったということだ。
つまり、狂信者さんがこの木の実の名前をテーレさんから教えられなかったら、彼は言いにくい『丸くて硬い木の実』に勝手に別の名前、たとえば『ゴリゴリの実』とかって名前を付けてしまっていた可能性があるということ。
そして、その上で『ガリの実』という名前を知っている別の人と話をしていたら、どこかで『ガリの実とよく似た特徴を持ったゴリゴリの実という木の実がある』みたいな誤解が生まれたりした可能性もある。
彼が言っているのは、『互いに同じものを想像するために名前というものを使うことがある』……その名前がちゃんと別の人と一致するようにするのが『ミーム』だ……みたいなことだと思う。
「それじゃあ……私が『ジャネット・アーク』って名前なのも、ミームのおかげ?」
「はい。たとえば、これは例ですが私が誰かに『ジャネット・アークという方は世界最強の魔法使いです』と言ったとします。これを聞いた人が『ジャネット・アーク』という名前を知らない人ならば、ただ遠い世界の話のように『へー、そうなんだー』で終わるでしょうが、アーク嬢と知り合いで名前を知っている人ならば『まさかあんな美少女が世界最強の魔法使いだったなんて!』『取り引きで偽物売りつけたら殺される!』と大変驚くことでしょう。この違いをもたらすものがアーク嬢の名前というミームを受け取ったことがあるかどうかの有無です」
この人の中で私は何者なんだろうか。たとえ話だとしても、なんでわざわざそんな壮大な……まあ、わかりやすくはなるけども。
私が他人に伝えられない『□□□□』という『名前』も、何かの意味を持つミームであるはずだけど、他人が絶対に聞き取れないから、『□□□□』を直接見て知ってる人が聞いても驚くことがない。
つまり、ミームがないから、私の言ってるものと自分の知っているものが同じものであるということが理解できない。
こうして話していて、狂信者さんには『□□□□』という単語が伝わらなかったけど、もしかしたら彼は『□□□□』を知っているけれど、単語が伝わらないせいで知っていることなのに私に教えられないだけかもしれない。
下手をしたら、この世界の私以外の全部の人が『□□□□』を知っているのに、私の言葉がミームを持たないからそれが何か教えてもらえないだけということもあるのかもしれない。
そうやって、私が自分なりに理解を進めているのを見た狂信者さんはどこか嬉しそうに、今度は懐から財布らしき袋を取り出して……中を覗き込んで、おもむろに懐に戻した。どうやら例えに使おうとして中身が空だったらしい。
この人、こういうところがちょっと抜けてて面白いよね。
狂信者さんは何事もなかったかのように肩をすくめ、話を進める。
「また、私の元居た世界とこの世界では貨幣が違います。この世界での銀貨の扱いを知らなかった場合の私は銀貨を見てもそれが『決まった形をした金属片』としか認識できませんが、『銀貨の価値』というミームを受け取ることで『銀貨一枚に銅貨百枚分の価値がある』という認識が生まれます。取り引きで『銀貨一枚と銅貨十枚のどちらが欲しい?』と聞かれた時、銀貨一枚を選んだ方が得だと判断できるのです」
「それって……銀貨を使う機会がない僻地の村とかだと、銅貨とか物々交換以外で取り引きできないことがあるけど、それと同じこと?」
「概ね正解です。アーク嬢は呑み込みが早くて助かります。大きな街では大きな『価値』を持つ金貨や銀貨も、それを使う文化がなければ、ただ模様が彫られた小さな金属以上の価値を持ちません。誰かが知識として知っていても、銀貨を交換に使うような高額取引が行われないために、村では銀貨が貨幣としての実用性を持たず、村人はその価値を知らなくても不便なく生きていける。つまり、金貨や銀貨に関する『価値』や『意味』のミームが広まっていないために『無価値』『無意味』なものとして認識されるのです。話を聞こうとする気がない人にとって、他人の言葉が『無意味』な雑音と変わりないように。読めない文字で書かれていれば商会で金貨数十枚に換金できる偉人の手記も『無価値』な悪戯書きと区別がつかないように」
私が『□□□□』って言った時、他の人がどんなに集中しても、それははっきり聞き取れない音……つまり雑音みたいにしか聞こえないらしい。
私ははっきり口に出しているはずなのに、しっかりわかりやすく文字にしたはずなのに、それを聞いたり見たりした人からはそれが聞き取れないし読み取れない。
それは、急に耳が悪くなったり目が悪くなったりしたわけじゃなくて、『意味』を持つ言葉として理解できないから……って、ことかな。
「つまり、ミームっていうのは、『それを知った人がどう思うか』っていうのを決めるものでもあるんだね」
「さすがアーク嬢、聡明ですね。そのとおり、そして反ミームとはその『意味』の伝達を妨げるような性質、秘密そのものが自らの情報を削除隠蔽抹消する性質のことです。たとえばの話、極端な例ではありますが、『他人から全く見向きもされず忘れ去られてしまうようになる呪い』や『自分が呪われていると他人に伝えようとすると必ず失敗する呪い』というものがあったとすれば、被害者はその呪いをかけられていることを伝えることもできず、他人に助けを求めることもできないでしょう?」
もしも、私が何かに呪いをかけられて、でもそれを他人に伝えようとしたら『□□□□』って言った時みたいに理解してもらえなかったら……私自身が解呪の魔法を使えるようになるか、せめて他人と話ができるのなら、私が本当に呪われているかとかどんなふうに呪われてるかどうかとかがわからなくても解呪してくれるような奇特な人を探すしかない……この人は『何も聞かず解呪魔法かけて』って言われても普通にかけてくれそうだけど。他の人はまずやらない。呪いの種類がわからなければ、解呪しようとした人にまでしっぺ返しが来ることもあるから。
「もしそうなったら……怖いね」
「そのような呪いが実在するかどうかは実際わかりません。実在するとしたら非常に悪質ですが、おそらく呪う側以外はその存在を認識することすらできません。理論上は存在しうるものの、存在したとしてその情報が共有伝達拡散されないので存在しないものと扱われるもの、それが反ミームです。アーク嬢の探し物はそういった『他人に伝えられない情報』の一種だと私は考えます。この場合は直接的に『認識すると即座に記憶から消去される単語』といったところでしょうがね」
今まで聞いた人はわけがわからなくて呪いの言葉だとか言ってたのに、狂信者さんは『わからない』って事実を否定しないままに受け入れる。
信仰のスキルが高いらしいのに天使のテーレ様を直視できる理由がわかった気がする。
この人は、きっと不気味なものだろうと怖いものだろうと眩しいものだろうと、そこにあるものをそのままの形で真っ直ぐに見つめられる人間なんだろう。
「反ミームか……いいね、それ。これからは怖がらせないためにそういう名前のある言葉だって言うことにするよ。結局、よくわからないままだけどね。狂信者さんも心当たりがないみたいだけど、私は旅をしながら、それを探してる。私も、『□□□□』がどんなものなのか知らないし、教えてもらってないけどさ。大陸中を旅して、どこかで偶然見つけられたらそれが私のゴールかもしれない。もしかしたら、見つけるのは前提でその後に何かしなきゃいけないかもしれないけどね」
「ふーむ……難儀なものですね。単純ではありますが、筆談や発音単位での分解すら許さないとなるとかなり強力な性質と見えますし、情報を伝達して広範囲に調査してもらうこともできません。いえ、あるいは加護の厚いアーク嬢以外は『知ることすら危険』であるために敢えて反ミーム処理がなされているのかもしれません。ですが……アーク嬢が自身の中で『探し物』という『意味』を伴ってその名を口にできているのなら、アーク嬢には反ミーム性が働いていないということになります。それなら、見ればわかるかもしれませんね。他の人間が認識せず、あなただけが認識できるものを見つければいいのですから」
「見つけやすいものならいいんだけどねー」
雲を掴むような話、いや、雲を掴む方が簡単だ。今日の狂信者さんみたいに空を飛べば届くかもしれないんだから。
『□□□□』は人の名前かもしれない、場所かもしれない、物体かもしれないし、天気みたいな現象かもしれない。
主神様のお告げを受けて、何かわからないものを探すために大陸中を旅するなんて、物好きと言われても仕方がない。
ま、それをあっさりと信じるこの人も物好きなんだろうけど。
「……狂信者さんはどうなの? ゴール、あるの?」
「テーレさんとの約束で、女神ディーレ様の『聖地』を創建することを目標としています」
「そういうことじゃなくて、もっと個人的なゴール。転生者の人たちって、元々は別の世界から来たんでしょ? この世界に来てまで、何がしたいの? みんな、転生者の考えてることはよくわからないってよく言ってるよ」
まだ話ができる分、魔王って呼ばれる存在よりはマシだから表立って敵視する人はいないけど、転生者の存在に不安を持つ人は多い。彼らの気分次第で、私たち無力な人間なんてどうにでもなってしまうから。
「ふむ……そうですね。転生者が望みそうなもの……多いのは、ハーレム、スローライフ、それから権威ですかね。異性を大勢侍らせたり、他者からの干渉を嫌って僻地に住んだり、異世界の知識をばらまいて尊敬や財貨を集めたり」
「そうだね。確かにそういう転生者もよく聞く。でも、世界を変えるような力を持ってて慎ましく暮らしたいとか、簡単に奪い取れるものをわざわざ手間をかけて手に入れたりとか、結構不気味だよ?」
「『愛情が欲しい』『安心が欲しい』『承認が欲しい』。そう言い換えれば、理解しやすいかもしれませんね。人間の欲なんて、突き詰めればそんなものですよ」
「あなた自身は?」
少し食い気味になってしまった。
話が逸らされそうになった気がしたから問いかけてみたけど、狂信者さんは一度深く息を吸い、溜息のように吐き出してから答える。
「『より幸福に満ちた世界』。それだけです。ディーレ様への信仰と恩義を別にすれば、他には特に拘りもありません」
『幸福』……人が求めるものを突き詰めたら、誰の願いもきっとそれになると思う。答えになってない気もするけど……いや、自分の幸福じゃなくて世界の幸福なら、少し違うのかな。
彼の場合は、『何かをしている自分』じゃなくて『どこかにいる自分』を見ている気がする。
彼の目の焦点が向けられているのは、彼自身の手許ではなくて彼の周囲の世界そのもの。
「それ、具体的にはどんな世界にしたいの? はぐらかしてるわけじゃないのはわかってるけど……どんな景色を見たいの?」
私は旅をした。
いろんな土地には、いろんな人がいて、いろんな世界があった。
それは客観的に『景色』として認識されるもの。絵のように隔絶してなくて、手を伸ばせば届きそうで、でも自分自身のいる場所とどこか違う。心に思い浮かべる情景。
「あなたの理想の景色は、どんな世界なの?」
狂信者さんは少し月を見て沈黙する。
改めて言われると何も思い浮かばないのか……いや、そうじゃない。
彼は、届かない何かを見てる。実現の難しい未来か、それとも、転生者という存在が必ず持つという『帰れない場所』の何かか……
しばらく静寂が続いて答えたくないのかなと思ったあたりで、口を開いた。
「『みんなで楽しくバーベキュー』、なんてどうですかね?」
その答えは、想像もしなかったもので……よくわからなかったけど、壮大でもなんでもなく、きっとどこかの世界にあった『当たり前』の一つなのだと感じた。
「バーベキュー? なにそれ?」
「小さなお祭りのようなものです。数人から数十人で、火を囲って、少し質のいい肉や野菜、飲み物を持ち寄って、ワイワイと歓談しながら食事をする。それがバーベキューです」
「収穫祭のお祝いみたいな?」
「おそらくその認識で構いません……気の置けない友人たちが他愛のない話をして、肉が焦げてしまったりしても争いになどならず笑い話になってしまって、小さな子供が食べるのに満足してボール遊びを始めてしまって、大人もそれに付き合っている内にいつしか大人げなく楽しんでしまって……私は、皆さんが楽しんでいる幸福を感じながら、その片隅で食器やゴミを片付けている。それが、私の思い浮かべる『景色』です。下らないでしょう?」
主役になりたいわけでも、幸福を与えたいわけでもない。
ただ、みんなが幸福であることに安心しながら、その世界の片隅で、その幸福にちょっとだけ触れながら、みんなの笑顔を眺めていたい。
ああ、なるほど。他の転生者とどこか違うわけだ。
さらに月を見つめて数秒、我に返ったようにガリの実を齧った狂信者さんは、私の方を見て困ったように笑って見せる。
「これは失礼。私の以前いた世界では月は人を狂わせると言われていましたが、この世界の月もなかなかに油断なりませんねえ。まあ、今のは至極個人的な願望ですがね。ただ……テーレさんの目指す『聖地』という目標は、あくまで信仰を集めるためのものです。そこに私が注文をつけられるのなら……せっかくなら、信仰するものが異なっていても過度な排斥などはせず、互いの善意を信じ、妬まれたり蹴落とされたりという心配もせずに気軽に誰もが幸福を共有できる、そんな場所にしたいものです」
「……まるで、隠居したおじいちゃんみたい。子供たちが遊んでるのを軒先で眺めて楽しみたいってちょっと達観した感じとか。でも、いいね。その景色。私もその時は一緒にそのバーベキュー? やっていい?」
「はい、もちろんです。むしろ、お肉や木炭の買い入れをお願いしたいところです」
「半分仕事じゃん……ま、いいけどね。楽しそうだし」
そんな簡単なこと、『聖地』なんてなくても、やりたければ明日にでも……なんて言えるほど、簡単ではなさそうだけどね。
彼の言う『みんな』は本当に分け隔てない区切りでの『みんな』だから。この世界、身分や信仰や人種、些細なことから争いになるような違いがいくらでもある。
それは、みんな不安だからだ。
知らないものが怖くて、余所者が不気味で、知ってる世界だけを世界の全てにしたい。だから、境界線で自分たちの周りを囲って、中と外のものを区別する。
商人をしながら旅をしてれば、そんな『狭い世界』はいくつも見る。
境界線の外側から来たってだけで嫌いになって、境界線の内側の人だからってだけで嘘つきの言葉でも信じてしまう。
境界線を壊されそうな、境界線を跨ぐものはそれだけで世界を壊すんじゃないかって切られたり捨てられたり燃やされたりする。
そして、その境界で区切られた世界には、どこの境界からも『余所者』って言われるような……私みたいな変わり者がいる。
内側と外側、白と黒、味方と敵、そうやって世界を切り分けたい人たちにとって、あってはいけない『どっちでもない存在』『変わり者』『灰色』……あるいは『異端者』。
私は私、他の何者でもない……少なくとも、私はそう思ってる。
主神様の加護や神託があっても、私はただの人間だ。必要以上の力は与えられてないし、主神様に近い人間として権威を振るいたいとも思わない。
だけど、主神様を信仰して世界の秩序を保つ中央教会は私のことを知れば、きっと無理矢理にでも自分達を囲う境界線の中へ私を引っ張り込む。
『中央教会の敵』を『私の敵』にしてしまう。
そうすれば、中央教会は常に主神様の加護を受けた私に力を貸していることにできるから……大天使様は、そう言っていた。私も実際、旅をしてみて無闇に神託の話をしてたらそうなっていただろうと思った。
私は見たこともない誰かを『敵』にして恨むより、見たこともない誰かを一人でも多く会ったことのある『人』にして理解したい。
神託のこともあるけど、半分は私の夢のために旅をしている。
だから、行く先々でマイナーな『中央教会にも属さないただの主神様の信仰者』として奇異な目で見られたとしても、中央教会に入る気もないし、もちろん他の神々の信徒を名乗るなんてこともできない。変わり者と見られても仕方がない。
でも、狂信者さんの夢見る『景色』の中には、きっと主神様の関係者でも同じディーレ教徒でもない、ただ他の何者でもない私自身がいる。
彼の理想の世界はきっと、そういう背景なんて関係なく、ただ一緒に楽しみたいからってだけで、『余所者』なんて作らずに『変わり者』が追い出されずに一緒に食べたり笑ったりできる世界なんだろうな。
「では……話に区切りもついたところで、そろそろお暇しましょうか。テーレさんの方も丁度一段落ついたようですし」
ストレートに夢を語ったのが恥ずかしかったのか、こちらからは顔を背けるようにして部屋を見る狂信者さん。
月は人を狂わせる、ね……むしろ、いつもよりも少し話しやすかった気がするけど。
明日になったらまたどこか大仰な話し方をする彼に戻ってるんだろうか。
テーレ様、さっきみたいな彼をちゃんと見たら評価も変わりそうな気がするんだけどなー。でも狂信者さんも恥ずかしそうだし、友達としては言わない方がいいのかな。
「そうだね。私もそろそろ寝るとするよ。明日は、お宝の鑑定結果で値段交渉だしね。しっかり寝て、頭をスッキリさせておかないと」
テーレ様は今、転生者の能力の代わりとして彼に付き添っているらしい。つまり、明日の売値は今後の活動資金になる。
ゆくゆくはバーベキューの買い出しのために私が任される経費にもなるかもしれないわけだ。手を抜くわけにはいかない。
「アーク嬢……お休みの前に、一つだけ」
「どうしたの?」
「……先程の話は、『許可』ではなく『約束』です。街を出れば進む道は違いますが、必ず生きてその日を迎えられるようにしましょう」
旅の出会いは一期一会。
この世界、この御時世。一度会った人ともう一度会える保証なんてどこにもない。ましてや、無力なまま旅をする行商人と、危険な仕事をする冒険者の再会なんて、そうある話じゃない。
それでも、生きろと言うのか。
何があっても生き延びて、何もかも笑い合える日まで折れるなと。
全く……優しいけど、厳しい人だね。
この世界、生きるのを諦めちゃった方が楽な日なんていくらでもあるのに。そんな約束をさせられたら、覚悟を決めるべき時にも生きなきゃって思っちゃうかもしれないのに。
「わかったよ。その代わり、狂信者さんもちゃんと頑張りなよ。転生者は意外と敵が多いからね」
夢に見ることがあった。
たぶん、主神様の言葉に従って『□□□□』を見つけて、それから後の景色。
私は中央教会か、あるいはどこかの神殿から、人の世を乱す元だからと追い立てられて、身に覚えのない罪を着せられて、柱に縛り付けられて火炙りにされる。
私はたまに、夢の中で主神様や天使様に会うだけじゃなくて、まだ起こっていないことを見ることがある。それは近くて確実な事柄ほどハッキリしていて、遠くて不確実な事柄ほどぼやけているけど、火炙りにされる夢は、夢とは思えないほど脳裏に色濃く残っている。
でも……
「ご安心を。私、嘘は大嫌いなので。今夜は少々月に狂わされていたとしても……約束をしてしまった以上は、たとえ運命を敵に回したとしても逃げ切って約束を果たしてみせる所存です」
この火傷痕の化粧と同じだ。
潔く諦めて結局は傷物にされるなら、傷物になる過程を自分で決めてしまえばいい。どうせ空から落ちるなら、固い地面じゃなくて水の中に落ちればいい。
火炙りで煙に巻かれる運命なら、バーベキューで炙った肉の煙にでも巻かれればいい。
彼ならきっと、私と同じ夢を見ても物怖じすることなく運命を変える。なら私も、易々と運命に流されるわけには行かない。
「約束、だよ」
この狂おしいほど綺麗な月明かりに誓って。




