番外編:夢想したので再会します②
彼はその日、『好き』とは『今は好き』という意味であると知った。
side 狂信者
第二車輌は、どこかの一般的な住宅のような趣でした。
窓のない暗い廊下に、白の塗装がされたドアの下の隙間から洩れる部屋の照明。
夜遅くにトイレに行こうと夜中に起きたら家族がまだ居間にいた、そんな感じの雰囲気ですね。この妙な静けさも含めて、変な懐かしさがあります。
鉄道会社さんのセンスを悪く言うつもりはありませんが、あまり私にとって好ましいデザインではありません。
「おいおい、なんだよこれ……てめえの仕業か、ライリーさんよ?」
「……違う。小柳、さん? そっちのせいじゃないの?」
何やら息を潜めてヒソヒソと相談事をしているらしい小柳くんとライリーさん。仲直りができたというのならそれに越したことはありませんが、それはともかく。
「ふむ、まだ前の車輌があるようですし、先に進みますか。さあ、サクサク行きましょう」
「ま、待って! 何があるかわからないし、あんまり急いで進むのは危ない、かも……」
ライリーさんに手を引かれてしまえば、止まるほかありません。
小柳くんも何やら周囲を注意深く見回しながら進んでいるようですし、仕方在りませんか。こんなところ、よく見ていても面白いことなんてないんですがねえ。
何歩か進むと……廊下に面したドアの向こうから、人の言い争うような声が。内容はハッキリと聞き取れませんし、ちゃんと聞き取りたいとは思いませんが……聞くまでもなくわかります。くだらない話題です。
「おわっ!? なんだこりゃ! この向こう、誰かいるのか?」
「気を付けて、敵かも……」
警戒を示すお二人を引っ張り、うるさいドアの前をさっさと通過します。
通過した側から、廊下の先に同じように騒がしいドアが現れますが、気にする必要はありません。サクサク行きましょう。
「え、ちょ、アルジサマ? そんな無警戒に……」
「警戒なんていりませんよ……どうせ、あのドアは開きませんから。言い争っていることも、今の私たちとは極めて無関係ですし」
「おい、なんでわかるんだよそんなこと。てめえはここのこと知ってんのか?」
「ええ、まあ知っていますが……あまり、話したいことではありませんねえ」
進めども進めども、なかなか次の車輌への扉に到達しません。
やけに長いですね、第二車輌は。こんな場所、早く通り過ぎてしまいたいのに。
「……おい、自覚がないならないでいいが、こっちは巻き込まれてるんだ。ここについて何かわかるんなら、教えろよ。何が起きてるんだ、あのドアの向こうで」
巻き込まれている、ですか。
まあ、少なくとも小柳くんにはこんな不快なものをわけもわからずに聞かされる謂われはありませんか。知りたいというのなら、知って面白いものではないとしても説明はあって然るべきですかね。といっても、本当に面白いものなんて何もありませんがね。
「くだらない夫婦喧嘩ですよ……私の父親が髪を伸ばしているのを、私の母が咎めているのです。何度言っても切らないといって」
「……なんだよそれ、チャラい父親だったのか?」
「いいえ、真面目で何でもできて頭もいい、立派な方ですよ。私など、将棋で勝てたことも一度しかない。尊敬すべき実父であり、私を養ってくれた方です。タバコや酒の癖もなく、髪を伸ばしているといっても肩まで届くか否かという程度で染色も白髪染め程度……そんなもの、欠点に数えるようなことではないでしょう?」
「そりゃ……まあ、そうだな。髪の長さなんてそいつの勝手だ」
「……ええ、そうです。そんなことで言い争うなんてくだらないでしょう。赤の他人ならともかく、ちゃんと愛し合って、結婚して、子供を作って育てるまでに至った二人が、そんな些末ごとでムキになるなど……そんなことがきっかけで、離婚がどうだのと言い始めるなど」
まったく、鉄道会社はもっとバランスというものを考えて欲しいものです。進んでも進んでも第二車輌が全然終わりません。
こんなところ、いても不快なだけだというのに。
「……くだらない、くだらない、くだらない、くだらない。長いというのなら切ればいい話じゃないですか。切れないというのなら目を瞑ればいい話じゃないですか。そんなもの、少し寛容になればどうにでもなるじゃないですか。誰が死ぬわけでもないじゃないですか、もう伸びないわけじゃないじゃないですか、格好悪くなんてないじゃないですか、心が男だろうが女だろうが立派な人は立派でいいじゃないですか、その程度のことで何年もギスギスし続けないでくださいよ、その程度のことで別れるとかどうとかという話になるくらいなら最初から結婚なんてしないでくださいよ、子供なんて作らないでくださいよ、無責任な」
ああもう、煩わしい。
なんでこんなもの、よりにもよって友人たちがいるときに出くわさなきゃならないんですか。どうして私が起きたタイミングで居間にいたんですか。
「子供はあなた方の愛の結晶でしょうに、まだ何もできない子供の存在価値などそこにしか見出せないでしょうに、それが子供が己に価値を見出すために一番必要な要素であることなど誰でもわかるでしょうに、なんでそれを、そんなくだらない理由で否定するんですか。そんなことをされたら……」
『自分を産んだのはその程度の愛だった』としか、思えなくなってしまうじゃないですか。
そんな証明をされたら、嫌いになってしまうじゃないですか。
「子供が『自分の普通ではないかもしれない部分』を相談できなくなってしまうではないですか。実の親が『皆と同じでない』というだけで愛することをやめてしまう人間だなんてわかったら、無理にでも普通に振る舞おうとするしかないじゃないですか。どんなに悩んでいて、苦しくて、孤独でも助けを求めることすらできなくなってしまうじゃないですか。家族に絶対に知られてはならないことなんて他人にも相談できないじゃないですか。どうしてそんな少し考えたら誰でもわかることがわかんないんですか、どうして父親がそうなら子供もどこか普通と違うかもしれないと思い当たらないんですか」
それが『子供だけは普通であってほしい』なんて願望から来る先入観だったとしたら、余計に言えないじゃないですか。
悲しませたくないのに、愛されたいのに、受け入れてほしいのに、打ち明けられるわけがないじゃないですか。
「愛さなければならないのに、家族は当たり前に愛し合うべきなのに、嫌いになってしまったらどうするんですか……嫌いだとしても、愛さなければならないのに……辛いじゃないですか。切っても切れない関係なのに、毎日話す隣人なのに、嫌いになってしまったら辛いじゃないですか。何故、もっと寛容に人を愛せないのですか」
もうすぐです。
もうすぐ、次の車輌です。
「小柳さん、ライリーさん、私はあなたたちを嫌いになりなくないので言っておきます。私は、不寛容な人が嫌いです。そして、人の不寛容な部分を愛せない私自身の不寛容な部分が何より大嫌いです。私の好みを押しつけるようで申し訳ありませんが……どうか、理解できない相手でも、許して愛せる人でいてください。私は、愛しいあなたたちをいつまでも、好ましい人として愛したいのです」
目の前のドアに手をかけ、横に引こうとしましたが……思ったより重く、なかなか動きませんね。力を込めているのに、痛いくらいに握りしめているのに、ビクともしない。
早く次へ行きたいというのに。早く、早く、扉の向こうへ……
「アルジサマ……大丈夫。アルジサマは、自分で思ってるよりも、優しい人だよ」
……私の手に、ライリーさんの手が被せられました。
小さく、温かい……嘘なんてつけない、小さな子供のような手です。
「アルジサマがわたしを理解しようとしてくれたから、わたしは今、ここにいる。アルジサマは理解できない人を愛せないかもしれないけど、それ以上に理解しようと頑張ってる。それで救われたわたしがいるんだから……アルジサマは、こんな記憶を怖がらなくていい。逃げなくても、負けたりしないから。アルジサマはあっちではもう死んじゃってるから、扉の向こうの人たちとは会えないし、仲直りもできないかもしれないけど……それでも、きっと先に進めるから」
気のせいか、扉が急に軽くなった気がします。
今力を入れれば、簡単に開くかもしれません。
けれど、優しく添えられているだけのはずのライリーさんの手が、何故だかそれに抵抗を与えているように思えて。
「……ほら、よく聞いて。もう、誰も言い争ったりしてない」
振り返れば、そこはただの薄暗い廊下でした。
住宅の内装などとは似ても似つかない、ただの列車の車輌でした。
「……ええ、そうでしたね。行きましょうか、次の車輌へ」
第三車輌は、またもどこかの一般家庭。
しかし、それは小綺麗で先程よりも少し上級のお金持ちの家に見えます。
そして、最も目に付くのは中央の廊下を両側から見下ろし、怒りの形相でこちらを睨む男女ペアの巨人の群れ。そのどれもが、男の巨人は濃紺のスーツ、女の巨人がスカートにエプロンという服装で統一されています。
「これは……」
「ひっ!」
ドテンと、背後で大きな音がしたのでそちらを見やると、小柳くんが尻餅をついています。
確かに巨人の群れは驚いてもおかしくないものだとは思いますが、そこまででしょうかね。巨人といってもせいぜい三メートルから四メートルですし。
「小柳さん、大丈夫ですか? お手をお貸ししましょうか?」
「ち、ちくしょう……てめえの記憶だけじゃねえのかよ……」
「落ち着いてください……小柳さんは、彼らに見覚えが?」
小柳くんを助け起こし、とりあえず一歩進んでみると、一番手前の巨人が甲高い声を上げました。
「キィイイイ! モウ、トモダチトアソブナンテユルシマセン!」
「モウニドトコンナテンヲトルナ!」
その声に怯えるように小柳くんの顔が青ざめ、身体がビクつきます。ヘタをすればショックで死んでしまいそうに見えるほどに深刻な反応です。
小柳くんは、私の手を振り払い、先程入ってきたばかりの扉に縋り付くように後ずさり、座り込みます。
「小柳さん……大丈夫そう、ではありませんね」
「……僕は、この先に進めない……置いていけ……」
「……お断りします。少なくとも、どうしてそうなってしまうのかを聞かなければ心配で前に進めません」
私は巨人の声を耳障りだとは思いましたが、小柳くん程には影響を受けませんでした。ライリーさんも同じようです。とすると、彼らは小柳くんにとって重要な意味を持つ何かなのでしょう。
しばらくの沈黙。
そして、どうしても先に行く様子のない私たちを見て、小柳くんはポツリと口にしました。
「あの日は……風邪を引いてた、だけなんだ」
その目からは悔しさなのか恐怖なのかわからない、堪えきれない涙が溢れる、頬を僅かに伝います。
グスグスと鼻を啜りながら、しゃくり上げるように、途切れ途切れの言葉を口にします。
「前の日、友達と遊んでた時から、少し寒かった……けど、テスト前で少し学校が早く終わったからって、誘われて……ちゃんと、範囲の復習は終わってたから、息抜きがしたかった、だけなんだ」
あの巨人の群れは……きっと、彼の御両親なのでしょうね。
鬼のような形相や人間離れした巨躯は、当時の彼の主観から再現されたものなのでしょう。
「テストの日、頭がぼーとしてて、何度も解答がずれたりして、直してたら時間がなくなって……計算とかも間違ってて、勉強したはずのなのに全然思い出せなくて」
「それで……悪い点を取ってしまい、怒られたのですね。風邪を引いていたのは、言わなかったのですか?」
「……言えなかった。言ったって、前の日に、遊びに行ったのが、悪いって怒られるから。テストが、返ってきたとき、もうほとんど治ってて、言い訳するなって言われると思って……」
「……『両親に、自分で風邪のことを気付いてほしかった』、そうですね。本当は、風邪を引いていたのを察して、慰めてほしかった。しょうがないと言ってほしかった、違いますか?」
「………………僕が悪いから、点が悪かったから。カゼでも、ちゃんといい点を取ってたら、怒られなかった」
「……怒られて、どうなりました?」
「塾にいれられた……友達と遊べなくなった……テスト前は、外に行けなくなった……いい点とっても、褒めてもらえなくなった」
「そうですか……塾に入れたんだから、いい点を取るのは当たり前だと、そういう態度をされたのですか。いい点を取れるようになったのは、自分たちの『教育方針』が正しいからだと、甘やかすのではなく厳しくする方が正しいのだと、そう決定付けられたのですかね。そうですか……そうですか……」
なんとも、ありふれた話なのでしょう。
学校のテストでいい点が取れていれば、『親としてちゃんとした教育ができている』と思い込む、典型的な御両親だったのでしょう。
この車輌の内装、上流階級意識のようなものがあったのでしょう。
本当に、よくある話です。子供が風邪でコンディションを崩しても無理をして普段通りにしようとするのも、忙しい親がそれに気付かないのも。
しかしですね……ありふれた境遇だからといって、それが当たり前だと受け入れろというのは違うでしょう。
「小柳さん、客観的に判断して、あなたは何も悪くない。風邪を引いたことも、そんなコンディションでテストを受けたことも、御両親に何も言い返せなかったことも。そんなのは、子供の異変を心配する前に責め立てた大人たちが悪い。少なくとも親であれば、あなたがちゃんと勉強をしていたことは認識しているべきです。第三者である私が見知らぬご両親を勝手に評価することは侮辱になるかもしれませんが、あなたは悪くない。それだけは確かです」
座り込んだ彼を、押し潰してしまわないように抱擁します。
これで少しでも、あの巨人の群れから圧迫感が減ってくれればいいのですが。
小柳さんは私の接触にビクリとしながらも、逆らうことなく受け入れてくださいました。
「辛かったでしょう、怖かったでしょう、悔しかったでしょう。いいんですよ、あなたは理不尽に怒られたのですから、我慢せず泣きましょうよ。テストの点が取れなかったのは、あなた自身も悔しかったでしょうに。怒られるのがわかっていてテストを見せるのは怖かったでしょうに。本当の理由を理解されず、コンディションが悪くても必死に頑張った成果を貶されて悔しかったでしょうに。よく、耐え抜きました。言い訳をせず、結果に向き合いました。もう同じことをする必要はありませんが、あなたのしたことは立派です。小柳宗太さん、私はあなたを尊敬します」
「グスッ……でも、僕は……僕が、悪いって、ずっと……」
「誰がそう言おうと、あなた自身がそう思おうと、私があなたを弁護します。ラタ市の時も、あなたはあなたのベストを尽くした。他の人に迷惑をかけたかもしれませんが、あなたはそれだけ本気でよりよい結果を求めたのです。ターレさんや美の女神の意図があったにしろ、運が味方しなかったにしろ、あなたは手段を選ばず、手を抜かなかった。正直に言えば、あなたがあなた自身に『命令』を行ったあの時が、未だにこの世界に来てから一番の危機感を抱いた瞬間です。あの時、私は覚悟の違いを見せつけられ、負けを覚悟しました」
本当に、あの瞬間に私は『詰み』を覚悟したのです。
彼がもし……『自分が傷付けられたら自殺しろ』というような命令をあの場の方々に出されていたら、詰んでいたのです。それをさせないために、彼が優位である内に声を封じるという策に出るしかなかったのです。
私が最終的に立っていられたのは、幸運だったから……いえ、小柳さんがそんなことを思いつかない優しさを持っている方だったから、自ら暴走を引き起こしても最後の一線を越えない意志を持っていたから、それだけのことなのです。
「……ごめん、もう……大丈夫……たぶん」
「そうですか……では、背負います。目と耳をしっかり塞いでいてください」
「……いいの?」
「ええ、あんなきかん坊の不当な怒りなど受け止めてやる必要はありません。ライリーさん、付いてきてくださいね」
「……うん!」
目を瞑り、些事と忘れてしまうこと。
それもまた、トラウマとの向き合い方の一つでしょう。
「さあ、先へ進みますよ」




