第161話 『どこでも祭りができる能力』
side テーレ
楽しげな喧騒が耳を埋め尽くす。
無数の光源から溢れるオレンジの光が闇を照らし出し、終わらない夕暮れのような暖かさと幻想的な雰囲気を演出する。
屋台から漏れ出すソースや融けた砂糖の香りがごちゃ混ぜになって、嗅覚を擽る。
私の読み込んでいる知識からこの情景の表現として最も適切なものを選ぶなら……
「『田舎のお寺とかでやってそうな、縁日のお祭りみたいな雰囲気』……で、合ってる? 知識だけだけど」
「私もあまりそういった経験はありませんが、まあ間違ってはいないかと。外は昼間だったはずですが、内部は夜なのですかねえ……いえ、夜というよりも単純に光が遮断されていて暗いだけという方が適切そうです。星も見えませんし」
私たちは、山岳地帯の中に発生していた異常空間……外からは真っ黒な球体にしか見えない『永遠の停戦地』の拡大によって呑み込まれたはずだった。
いや、それは間違いでも勘違いでもないはずだ。地面の草や石、さっきまで肉を焼いていた焚き火もそのままだ。
ただ、私たちがいたこの位置が『永遠の停戦地』の内側に含まれるようになった、吸い込まれたのでも切り分けられたのでもなく、空間としての定義の境界線が私たちを跨いで移動した。それだけだ。
そして、内側に入って初めて何が行われているかを目にすることができるようになった。
「なるほどなるほど……『楽しそうだ』と感じていたのは、罠でも誘引のための偽装でもなく、単純にこの『空気』が漏れ出した結果でしたか」
お祭りだ。
山一つを覆い尽くす球体の中はそのまま、山一つをまるまる使ったお祭り騒ぎの会場になっている。中には人間もたくさんいて、けれど見渡す限り誰一人として恐怖や混乱の色を見せていない。
そこかしこに並ぶ屋台……ほとんどが、鉢巻きをして羽織を着た『日本』で言うところの『赤鬼』みたいなやつが店員をしている店で食べ物を受け取ったり、的当てやら輪投げやらといった簡単な遊びをしたりと、この『祭り』を楽しんでいる。
「これは……ほう、本当ですか? それはなかなかに驚きですね」
「どうしたの?」
「いえ、ライリーさんが『急に敵意の類をほぼ全く感じなくなった』と……いうような反応を」
多分、スライムボディーの方じゃなくてマスターの精神に間借りをしている『本体』からの言葉だろう。『研究施設』のせいだか何だかはわからないけど悪魔の能力を使えるライリーがそう言うのなら、この球体の内部は異界として外からは遮断されている。そして、ここにいる人間自体も『敵意』がないに等しいということだ。
「でも、『ほぼ』ってことは……」
「はい、あちらの方から……あれは、先程の方ですかね」
マスターの目線の先を見る。
雑踏に隠れてわかりにくかったけど、よく見れば一人だけ雰囲気の違う男がいる。全身で震えながら剣を構えて、視線をそこかしこに彷徨わせている冒険者……あの言い争いをしていたリーダー格の一人だ。
この楽しげな空気の中、一人だけ浮いている。
その表情に浮かぶのは、さっきまでここに入る優先権を争っていた男とは思えない恐怖と混乱の面相だ。
「な、何なんだよここは! てめえら! やつらに何しやがった! く、来るんじゃねえよ!」
今にもがむしゃらに剣を振り回しかねない男の周りからは、さすがに祭り気分の他の人間たちは寄りつかない。けど、必要以上にその様子に驚いたり怯えたりした様子はない。
それすらも祭りの中の見世物の一つみたいに、遠巻きに眺めている。
そして……
「あ、ぁぁあああ! く、来るな! こっちへ、俺の所へ、来るなあぁぁああ!」
民衆の足下の『影』から立ち上がる黒い人影。けれど、それは人間ではなく、もっと大きくて厳つい怪物じみたもの。
『黒い鬼』だ。影から現れた黒鬼の集団が、壁のように男を取り囲む。
そして……
「ぎゃぁぁあああ! あっ……」
黒鬼たちが一斉に躍りかかる。
男の振り回す剣なんて一切意に介さず、覆い被さるように齧り付く。その様はまるで、生け簀に餌を撒いたかのように容赦がない。
十秒……二十秒と時間が過ぎて、黒鬼の壁がふっと溶けるように影の中へ消えていくと……
「あ……あ? なんで、俺はこんなところに……」
身体にも装備にも傷一つなく、五体満足で呆けたように座り込む男がいた。辺りを見回しながら、首を傾げている。
鬼に食われたのは肉体じゃなくて、精神的な何かだったのか、そして周りの人間たちもそれをわかりきっていたのか、善意の笑顔で男の手を取り、食べ物や小銭を渡している。
「……敵意の反応が完全に消えた、みたいですね。テーレさん、ここではどうやら外とは違うルールが公然のものとして認められているようです。とりあえずは、迂闊に敵意を発しないように気を付けましょう」
屋台の方へと歩き出すマスター。
まずは情報収集、ルールの確認ということらしい。
ここでは『敵意』を持つことは許されない……だからこそ、人は皆親切で、警戒する必要がない。そういうことだろう。
「『永遠の停戦地』ね……言い得て妙ってやつかしら」
争いのない理想郷、敵意の駆逐された非戦領域。
私たちは、笑顔の影に誰もが鬼を潜ませる常夜の楽園に足を踏み入れた。
side 狂信者
いやはや、皆さんが親切だと情報収集がとても捗って助かりますね。
簡単な調査は終わったので、焼そば屋台の簡易な木製ベンチに腰掛けながらテーレさんとの報告確認会議のお時間です。
「まず第一に、『中に入った者が誰も出てこない』という謎についてでしたが、それはどうやら『快適すぎて外に帰りたくない』と感じさせる精神影響があるようですね。ヨモツヘグイの類を警戒していましたが、何も食べなくても満腹になるまで食べても変わりはないと……まあ、そこそこ美味しいのでよりここが魅力的に感じる程度の差ですかね」
「そうね。外から感じたあの感覚が内側ではずっと大きく跳ね上がってる感じ。外に出ようとしてみると、すごい後ろ髪を引かれる感じがするっていうか、抵抗感がすごい強くなるんだよね。あと、石を投げたら壁で動きが柔らかく止まる感じだったから、多少の物理的遮蔽もあるっぽいけど、『黒い光輪』を使ってみた感じだと精神影響がないなら強引に突破できないわけじゃなさそう。ただ、全部を出すと思念波が遮断されて戻せなくなりそうだったからやめておいた」
「やろうと思えば、石に手紙を巻くなり棒で突き出すなりして外との連絡を取ることは可能である、ということですね。しかし、そういった形で情報が外へ出て行かなかったのは……」
「ここにいる人間が、外への関心をほとんど失ってるから。外に戻る気もなければ、ここに不満を感じてもいない」
外の家族とかが気にならないかっていうのもそれとなく聞いてみたところ、結果は概して『家族がこちらに来てくれるのを待っている』という返事でした。
閉じ込められているわけでも強制されているわけでもなく、ここだけが彼らの世界になってしまっている。外に住んでいたことが今では信じられないというほどに。そして、中には実際に家族から送られてきた手紙なんかを見て不思議と恐怖や不信感を持たずにここに来てしまったという人間もいるとか。
「手紙を書いたとしても、『ここは良い場所だ』ということを説明して効果を伝播させることしかしないかもね。最初の方には調査隊が入ってるはずだし、調査隊が全員で一度に中に入ったとも思えないけど『誰も帰ってこない』なんて言われてるのは……」
「『中の様子を説明した手紙』に、特殊なミーム効果があったりするのかもしれませんねえ。『ここはいいとこ一度はおいで』という観光地の売り文句ではありませんが、『楽園』の概要というのはある意味それそのものが宣伝のようなもの。内側においてはここを詳しく知るほど出たくなくなるということはないようですが、外側ではむしろ情報を持ち帰る者がいればその先から町単位で人間が消える可能性も……いえ、最初はそうやって人間が増えていったのかもしれませんねえ。そして、精神影響が強まりすぎて内側から出ていく者が皆無となり、このサイズである程度の安定を見たと」
実を言えば、『脱出』自体は難しくありません。まあ、精神影響の度合いが違うとすれば脱出手段の考察すら億劫になってくるのかもしれませんが、どうしても足が止まってしまうというのなら火薬なり怪力なりで『他人を追い出す』というつもりで本人の抵抗不可能な形で空間の外に押し出せばいいだけの話です。まあ、『敵意』なしでやるのは少々器用な理論構築が必要かもしれませんが、それこそ私があの剣の少女を投げだしたように、慈愛と思い遣りの心で送り出せばいい。
しかし、それをやると外に危険な情報を放出することになります。宣伝チラシなどより友人知人の直接体験した感想の方が宣伝効果は遥かに強いですしね。
それに……
「『赤鬼』『青鬼』『黒鬼』。彼らに『不満』を感知されるのは少々危険です」
この空間には、こうして小一時間ほど探索した限りで観察できる『鬼』が三種類います。その働きを見るに、どうやらそれらは生物としての存在ではなくこの世界のルールの具現としてあるもののようです。
屋台を運営し、住人に飲食や娯楽を提供するのが『赤鬼』。
最も数が多く、移動もほとんどありません。彼らは客に商品を渡しますが、背後にかがんで商品を補充するような仕草はするもののよく見ればそこには在庫の箱らしきものは見当たらず、商品を自ら生成する能力を持っていると考えられます。
次に数が多く、この縁日の会場を巡回しているのが『青鬼』。
彼らは祭りを楽しむ人々を見て回りながら、遊び疲れて休憩している人に声をかけ、感謝の言葉を受け取ると同時に小銭を渡し、彼らを祭りの中へと送り返しています。その接触時に僅かに身体が発光しているように見えましたが、そのやり取りを行うことで疲労の回復効果を与える……というだけではないでしょう。
観察していると、射的の屋台で心ゆくまで遊んだばかりのお子さんがベンチに座り、青鬼さんとの接触を終えてからもう一度、先程と同じように楽しそうな顔をして射的屋台に戻っていく姿が見て取れました。
疲労の回復だけでは説明がつきません……おそらくは、疲労と同時に満足感や充足感までもが彼らに『回収』されています。屋台で使える小銭はその対価といったところでしょうか。
そして、最後の『黒鬼』はあの冒険者の男性が襲われた一度きり。
祭りに興じる方々から聞いた話からも、おそらくはああいった『非常事態』にしか発生せず、その事態の根治……先程の場合なら、『敵意を抱いた要因に関する記憶』を捕食し、解決したということでしょう。
おそらくは、これまでこの空間に踏み込んだ転生者の方々も……そう考えれば、ここでルールに背くのはあまり賢い選択とは言えませんね。
「『物質的不満』『精神的不満』『現実的不満』に対するトラブルシューターというところですかね。滅多に出てこないという『黒鬼』はともかく、記憶や感情に作用する『青鬼』に関してもあまり能力行使されたくはない相手です。『満足感』を奪われるということは『飢餓感』を与えられるということ。そして、それをすぐに『赤鬼』が満たしてくれて、また快楽効率が落ちれば『青鬼』がリセットというサイクルが成立するのなら……」
「間違いなく、依存症になるわね。しかも、行為自体が健全でもサイクルが速い上に際限がない。かといって、屋台に手を出さずに頑なに楽しむのを避けてたら、それはつまり『祭りを楽しむことには満足した』ってことになる」
「それこそ、青鬼さんが群がってきますね。それが続くと黒鬼さんまで出てくる可能性もあります。調査を続けるにしても、受ける影響はできるだけ少ない方がいいでしょう。調べてみた感じでは、赤鬼さんは本当に物理的に欲求を満たすための食品物品物資を生成してくれるというだけのようですしね」
「となれば、この先の探索は……」
テーレさんも、同じ結論に達したようです。
自分から誰それのものかもわからない策に乗りかかるのは少々リスキーなことはわかりますが、郷に入っては郷に従えとも言いますし、初めから喧嘩腰で行く必要はないでしょう。特にここでは、その姿勢こそが致命的になり得るのですし。
自分が読んでいない本を批判するには、それが実際にどんな内容かを多少なりとも読んでみなければならないのと同じことです。
「青鬼さんが寄ってこない程度に、ほどほどに楽しみながら先へ進みましょうか。祭りの会場は見る限り山全体、しかし、調べるべき場所は見当がつきます」
焼きそばを食べ終えたので立ち上がった私に続き、『やっぱりそうなるのね』といった顔で嘆息するテーレさんが腰を上げます。
「外から見た黒い球体の中心。この山の中腹ね」
「はい、我を忘れない程度に楽しみながら、このお祭りの主催者様の元へと赴きましょう。あちらもきっと、何も見ずに会いに行くよりも祭りを堪能して感想を言える状態で対面した方が友好的に接してくださるでしょうしね」




