第148話 プランB『武力行使』
side カサンドラ・ゾラック
悪魔や屍人が溢れ、陰鬱な空気の満ちる森の中。
馬を走らせながら思う。
『深紅の剣』とは、ここまでのことができる組織ではなかったはずだ。戦力的にも、理念的にも。
『深紅の剣』は軍からは『盗賊団』として認知されて討伐対象とされていたが、その内実は単純な強盗、恐喝行為を目的とする武装集団ではなく、革命思想の強い自警団のようなものから始まった組織だ。その発端も、ある街で行われていた恐喝紛いの徴税などに対する反発や抵抗のために武器を取った貧困層。
当初の目的は、横暴な徴税を行う領主達から独立して新たな土地を開拓し、そこに住まうことだけだったはずだ。
それが、周辺の街からも人員を集めていったことと、それに応じて一定数の荒っぽい者が加わったこと……そして、急な組織拡大によって不足した衣食を賄うための金策にその一部構成員が強引な『金策』を始めたことから、組織は貴族層から『盗賊団』に認定された。貴族からすれば、民を奪われるというだけでも面白くはない。盗賊認定には、その人気を落とすという目的もあった。
そして、その盗賊認定から本格的に貴族や政府との対立意識が高まり始め、組織の目標は『独立』から『革命』へと変化していった。
そのために招来されたのが、現リーダー……今の『深紅の剣』という組織名の由来となる剣の持ち主、元冒険者クライス・ノッカー。彼がリーダーとなってから、この組織は本格的な武装組織となった。
本来なら……彼が入る前ならば、きっとこれほど大規模な討伐作戦が組まれるまでもなく、数人の冒険者への依頼で事足りていただろう。元々、生き延びるための独立、弱者が身を護るための群れだ。まともに戦える者も少なく、死ぬまで戦う度胸のある者もいなかっただろう。
だが……リーダーに据えられたクライスのカリスマ性は、ただの『群れ』を本物の『組織』にしてしまった。
けれど、そのカリスマ性の根源は彼の強さというよりも、彼の人柄。弱者に優しく、強者を挫き、人々に優しい……そんな彼だったから、ただの暴徒に成り下がるはずだった彼らは軍がここまで警戒するほどの団結力と強い意志を持った『同志』になれた。
それなのに……
「まさか、土壇場でその『同志』を捨て駒に……いや、死兵にするなんて。予想できないぞ」
確かに、最近は少し変わったやり方をし始めていたというのは否定できない。だけど、それも彼自身が革命の気風が高まりすぎた組織を危惧したから、何かの刺激で暴発しそうな組織を抑えるために『新兵器』なんてものに手を出した……そう思っていた。
それが……
「キャシーさん……他のルートはありますか?」
狂信者から声がかかる。
気付けばもう太陽が茜色に染まり、ちぎれ雲を照らしている。
そして、目の前には森の切れ目が開けている。
「……ここまで来たら、もうどのルートに行っても同じだろう。思いの外、早かったな」
「そうですか……日が沈みきる前、逢魔が時ですね。これが吉と出るか凶と出るか……テーレさん、戦闘リソースはまだありますか?」
「……カートリッジ、ラスト一本。聖水は小瓶一つ。そっちは?」
「『ルーンダイス』が残り一個、ガリの実が何個かある程度です」
ここまで、早朝からずっと馬を走らせながら戦っていた。
後ろから見ていたが、消耗を抑えて進行を妨げる敵を排除し、ここまで無傷で辿り着いた。それだけでも、感嘆に値する戦果だ。
だが……それも、ここまでか。
手綱を引き、馬を止める。
目の前の状況は、とても勢いで突破できるものではない。
回り道をしようと、コソコソと気配を隠して進もうと、それでどうにかなるとは思えない。
「……とりあえず、あちらは待って下さるようです。対話の意思があると考えてもいいのでしょうかねえ?」
「さあ……単純に、包囲はできてるんだからこっちが攻めるのが遅い分には待ってた方が戦力が集まるからってだけじゃない? ここまでかなりのペースで来たし、一応これでも戦力集中は最小限に収まってるはずだけど」
「最小限でこれですか……」
森の開けた先、かつて都市クロヌスの建材を集めるための石切場として使われていた岩場。
そこは、今や屍人や異形の悪魔、そして鎧悪魔の群れが立ち並び反対側へと進ませまいとする死の軍勢の陣地となっていた。
「程度の低い悪霊が取り憑いた死体の形をそのまま残した『屍人』に、ある程度の力を持った霊体が肉体を戦闘向きに改変した中級悪魔、そして鎧悪魔……砦は思ったより耐えられなかったのか、それとも必要数の死者を確保できたからこっちへ移動させたのか……疲労も知らずに全力疾走を続けられる鎧悪魔なら、国道を通って先回りしてくることは不可能じゃないでしょうね」
頭が複数あったり身体の一部が明らかに繋がらないまま浮いていたりと個体数の数え方に悩む者もいるが……ざっと、四百体はいる。それも、視認可能な範囲でだ。物理的な器を持たず霊体のまま漂う悪霊などの類を含めれば敵戦力はもっと多い。
そして、その中央に構えるのは深紅に輝く剣を地面に突き立てて仁王立ちする男……クライス・ノッカー。
使役者である彼本人がここにいるということは、悪魔たちの動きの精度はこれまでの半自動的な攻撃とは桁違いだろう。
この数はさすがに、この二人が手練れだとしてもどうにもならない。
「……一応、少々の欠点はありますが、私の範囲浄化魔法ならかなりの数を一気に削れると思います。ただ、あの鎧悪魔の軍勢は鎧が健在である限り浄化に失敗する可能性が高い。発動中は動けないので殺されてしまうかもしれません……この軍勢がクロヌスに攻め込んだ際の被害を考えれば、捨て身で敵を可能な限り削るというのはありかもしれませんが」
「もちろんなしよ。突破口はある……あのリーダー。『死霊使い』としての能力をあの剣でブーストしてる。あれを奪うなり壊すなりすれば……」
「悪いが、それは不可能だろう……結局の所、この軍勢全てを敵に回すということに他ならない。リーダーは、狙撃や不意打ちで剣を奪えるほど弱くもない……狂信者、その範囲浄化を使えば、悪魔の数は大きく削れるんだな?」
ここまでだ。
二人は、よく頑張ってくれた。
そこまでの義理もないのに……ここまで、よく付き合ってくれた。よく、私なんかを守ってくれた。
「私が行く……見知らぬ相手ではない。交渉してきてやる……やつも、せっかくここまで増やした軍勢を無闇に削りたくはないさ」
今度は、私の番だ。
馬を下り、自分自身の足で石切場へ出る。
手を上げたまま、一切の武装をせず。暗器を隠せそうな余地のある服も脱ぎ捨てて、ほぼ下着だけだ。
「リーダー! 私だ、わかるか? 話をしたい……まだ、人の言葉が通じるか?」
声を張り上げ、問いを投げる。
これで問答無用で悪魔が襲いかかってきたら私はそれまでだ。二人には私が殺されている間に二頭の馬で逃げてくれることを祈るだけだ。
だが……クライスは、私の問いに答えた。
「ああ、アリアか……どうした、そんな格好で。それじゃあ、得意の暗器も隠せないじゃないか」
「……リーダー。私が生きていることに、私がここにいることには驚かないんだな」
「ああ……砦は落ちた。その時に一部は、敵味方の隔たりを超えて協力して逃げたらしい……だが、今ここにいられるということはそれより前に逃げていたか。要領のいいキミらしい」
「そうか……砦は、落ちたのか。ああ、そうだな。よく見れば見知った顔がそこらにある。彼らは……砦を任されていた私が逃げたことを恨んでいただろうな」
「……同じことだ。キミがいてもいなくても、砦の者も皆、死ぬ運命だった。怨みの対象が誰となろうが、変わりはしない」
「それは……リーダー、あなたが怨まれないことへの言い訳か? ほとんどの者は、あの鎧の存在すら知らず、何もわからぬまま死んだ。リーダー、あなたを信じたままな」
「何もわからないまま死んだ……それでいい。その方が、最期の想いはより強く世界に焼き付けられる。見ろ、この軍勢を……その想い、その無念がより強い無念を生み出し、ここまでに大きくなった。これならば……あの中央都市クロヌスを堕とせる。都市を堕とせば、もはや誰にも止められない力になる。世界を変えられる」
「リーダーが、そこまで熱心に革命を考えていたなんて思わなかったよ。リーダーは、熱気にはやる同志たちに手を焼きながらも皆を愛し、どうにか皆が平穏で飢えから遠い生活を得られればいいと思っている……そう、考えていると思っていたんだ。私なりに、あなたのことは尊敬していたんだ」
「そうか……『俺』は、そんな人間だったのか。そうか……はは、アリア。生きていてくれて、話をしてくれてよかった……どうにも最近、俺自身がどんなことを願っていたのか、何を大事にしていたのかが思い出せなくなっていたんだ……やっと、疑問の答えが出た」
自分自身の願いや価値観の喪失。
やはり……そういうことなのか。
「クライス……あなたは今、自分が何体の悪魔と契約しているかちゃんと数えているか? いや、そもそも自分がいつどこで生まれて、どうやって生きてきたか……思い出せるのか?」
「……あはは、わかってて訊くなよ。相変わらず意地悪だなぁ……いや、相変わらずじゃなかったっけか。悪いな、アリア。キミのことは少し印象が強かったから名前や戦いの姿は憶えてたんだ……何でだろうな、他のやつらは強かったか弱かったかくらいしか思い出せないのに」
「……それは、私が唯一あなたから『本当は革命なんてごめんだ。同志と畑仕事でもしたい』なんて愚痴を言われる関係だったからだ。私を最後まで憶えているのなら……本当は、最後までその気持ちを忘れたくなかったんだろうが。それを……」
無意識に握り込んでいた拳が震える。
リーダーに取り入ろうとしていただけのはずだった、士気の高すぎる組織の同志にウンザリしていたから、それにテンションを合わせていた。それだけのつもりだった。
だが……これは、存外辛いな。
「……アリア、悲しむな。みんな、まだここにいる……肉体も、魂も、少し歪んでしまったが、ここにいるんだ。だから……」
「それがあなたの言い分か! あなたは……生者と死者の区別すら、付かなくなったのか……そうか、そんな状態になるまで、一人で耐えていたのか……馬鹿者め」
「……何を、言っている……ああ、そうか。キミはまだ、そちら側だからわからないのか。みんな、『生きている』ということがそもそもの間違いなんだ。『死んでしまう』ということが怖いから、間違ってしまうんだ。大丈夫だ……すぐに、わかる。もうすぐみんな、こちら側に来るんだ」
既に、クライスにとっては彼自身ですら『死者』の存在だった。
彼は、『同志』を死兵にはしたが、捨て駒にしたわけではなかった。誰一人捨てるつもりはなく……ただ、『死者』として導き直そうとしている。
「そうか……リーダー、頼みがある。私は殺されても仕方がないかもしれん。リーダーは私を含めた『同志』の皆をそちらに引き込みたいのだろう。だが……私を運んできたやつらは、見逃してやってくれ。でなければ、こちらは全力でそちらの軍勢を浄化し、天に還してやる。せっかくクロヌスを攻め落とすために集めた悪魔をここで失うのは惜しいだろう?」
「……何故、そんなことを言うんだ、アリア。みんな、ここにいるんだ。それを天に還すなんて……」
「悪いな、だが私は……どうしても、死んでほしくないやつがいるんだ。死者になってその想いを腐らせることなく、活き活きと苦しみながら戦い続けてほしい男がいるんだ。そしてできることなら……あの二人には、私の遺言をそいつに伝えてほしいんだ。『私は死んでも味方だ』と知ってほしいんだ! ……今のリーダーにはわからないだろうな。私は死後の安寧なんかより、生きているそいつに、死ぬ瞬間まで、死んだ後まで尽くしたいんだ……はは、なんだよこれ。熱くなってやんの……ああ、そっか……」
途中までは演技のつもりだった。
少しでも残っているかもしれないクライスの情に訴えかけて、二人を見逃してもらえないかという演技だった。
けれど……途中から気付いた。
そうだ……この交渉が成功しても失敗しても、私は死ぬ。そう実感して……前とは違って、心を言葉としてまとめ上げられる余裕があって、ようやく気付いた。
ああ……くそ、昨日の夜、あんな話をしたせいだ。
あの狂信者め、せっかく覚悟を決めたはずなのに、『私が欲しい未来』なんて考えを吹き込まれたせいだ。無価値な人間が一人死ぬだけだと自分に言い聞かせてたのに、死ぬのは怖くないはずなのに……ふと、思い出してしまったじゃないか。
「私……好きな人、いたんだ。恩返しなんて抜きにして、死んでも味方でいたいと思える相手が……生き抜くだけの獣だった私を、人間にしてくれた人がいたんだ……あはは、ばっかじゃねえの。今更、こんなことに気付くなんて……こんな、色々と手遅れになって、もっと色々話しておけばよかったなんて……冗談みたいな言葉でもいいから、一度だけでも『好きだ』って言っておけばよかったなんて……」
もう、ほとんど独白だった。
私は死ぬ。私はここで無惨に死ぬ。悪霊や悪魔となってしまえば、きっとこの気持ちは消えてしまう。
あーあ、死ぬ覚悟なんてずっと前からできてたはずなのに……情けないなあ。死ぬ瞬間には悪態の一つでも遺してやろうかと思ってたのに、涙が出てきた。みっともない。
「はあ……やっぱり、もう一度、生きて……あの人に、会いたいなあ」
ごめん、変わり者の冒険者コンビ。
これで交渉が上手く行かなくて逃がしてやれなかったら。
だけど……もう、喉ガラガラで、まともに喋れる気がしないんだ。
「クロヌスが……街が、すぐそこにあるのに……あそこまで行けば、あの人にもう一度会えるはずなのに……死にたくないなぁ……」
きっと今、人生で一番みっともない顔してる。
だけど、許してくれ……これから死ぬんだ。人生で一番みっともない顔をしても仕方ないでしょ。人生で一度くらい……子供みたいに、我が儘言っていいでしょ?
私には、子供の頃なんて、わがままが言える力も、そんなことができる相手もいなかったんだから。
「助けて……」
誰にも届かない呟き。
足から力が抜け、地に膝をついて吐き出す、みっともなくて情けない世迷い言。
死にたいくらいみっともなく唇から溢れた、人生で初めてはっきり意識して言葉にした、任務のためでもなんでもない、私の身勝手な都合での『生きたい』という願望。
私自身の耳にだって届くかどうかの、あまりにもか細いかすれ声。
こんな状況で言ったって、神様だって困るだろうに。
なんて無意味な……
「了解しました。ゼットさんを通して、キャシーさんの心からの言葉はこちらにも届いていましたから。恐怖を限界まで我慢し、よく交渉を頑張ってくれました」
後ろから私の前へ出る足音が二つ。
地面に向かって俯いてしまった私の代わりに前方の悪魔軍団を直視しているような、堂々とした声。
「しかし、さすがは悪魔亡者の連合軍。泣き落としが効かない様子。武力行使ということで、構いませんか。テーレさん」
「はいはい、プランBってことね。最初からわかってたわよ。こうなることは」
私の前に立つ人影が二つ。
夕日に照らされ、私からは影しか見えないけれど間違えようもない、黒衣の男と金髪の少女の姿。
勝手に交渉を申し出て、勝手に怖じ気付いた私を責めるわけでもなく、むしろ守ろうとするように。悪魔の軍勢の前に立ち塞がる。
「さあ、皆さん。空に流星は見えますか?」
紫に染まり始めている澄んだ空には、流星なんて一つたりとも見受けられなかった。




