第138話 初従軍
side 狂信者
この世界において、街々を繋ぐ『経路』、その陸路に類する『道』と呼ばれるものには種類があります。
そも、道とはいくらでもある移動経路の選択肢から最も合理的なものが共有されたものですから。道そのものにも、その役割にも意味があるのは当然です。
ラタ市やコインズの街のように政府から見て重要性の低い街を繋ぐのは、最低限のモンスター除けと除草が成されただけの道。
獣道の延長のようなもので、土は剥き出し、雨が降れば泥だらけ。モンスター除けも完全ではなく何かのきっかけで事故が起こることも珍しくはないやや危険な道。
一般的には自身の戦闘能力か運に自信がなければ護衛を雇うか襲われても逃げられる手段を用意しておくべきです。アーク嬢などは馬のジルさんとライルさんが護衛代わりとなっていたようですが。
そして、今回私とテーレさんが利用したのはそれよりも舗装された石畳の道、いわゆる『国道』です。
観光都市レグザルや中央都市クロヌスのような人の出入りの多い重要都市を結ぶ道であり、道の周辺に魔物除けだけでなく侵入感知の結界が張られているので仮にモンスターに侵入されても実害が出る前に討伐されます。
故に、こちらの道は馬車での移動が凹みや倒木などで妨げられることもなく、モンスターへの警戒で周囲の安全確認に割く時間も削減できるので前者の道と比べて移動速度はかなり上がります。
その国道を経て、あの町から移動すること二日間。観光都市レグザルから一週間、やってきたのはこのクロヌス地方の大名ならぬ大領主の住まう街、つまり県庁所在地に当たる中央都市クロヌス。
一応、私も事前に話は聞いていましたが……
「おお……確かに、立派な城下町ですね。街は活気付いていますが、レグザルと違い落ち着きのある活気です。一時的な祭りのためというわけでなく、純粋に発展している都市なのですね」
石造りで程よく使い込まれた感のある建物の数々、賑わう商店街、広場で遊ぶ子供達。
これまで見てきた街々の多くがモンスターの群生地に近く、どこか危機感の抜けない『オアシス』に近かったイメージであるのに対して、ここはこの世界に満ちる命の危険を忘れさせてしまいそうな、本当の『都市』という感じがします。
「まあ、大領主の直轄地だからね。そうじゃないと困るわ」
大領主……道中、テーレさんからその言葉の意味については詳しく聞いています。
彼らはかつて、『ガロム中央会議連盟』という繋がりが確立されるまでは互いに覇を競い、それぞれの領地を国として治めていた君主……つまりは『国王』であったと。
その統治者の直轄地……その活気を見れば、領主のカリスマ性なども見えてきます。
「うむ、平和はいいことです。コインズのようにスラム化した低層民の方々の住居から臭気が放たれているということもありませんし」
「この都市はそこら辺、割りとキッチリしてる方ね。奴隷解放の法改革が発表されてすぐに、都市で働く意思のある人間とそうでない人間を分けて、この都市の経済に組み込めない人間は別の集落や町に割り振った……よく言えば、自立を促すために旅に出した。悪く言えば、まず中央都市の地盤を固めるために、厄介なお荷物を部下の地方領主に押し付けた」
「その結果、鉱山労働者の集落が発展したのがラタ市、それに順応できなかったのがコインズのような街というわけですか」
「……先代だけど、クロヌス領主の判断はそれほど悪くなかったわ。結果を見ればだけど。この世界では奴隷制度が普通だったし、解放奴隷がちゃんと生活できるかどうかもわからなかった。だから、試験的に『市民』に組み込める数だけを残して抱えきれない分は取り除いた。結果として、今のここには元は低層民が元は奴隷だとかって区別はない。成功した同化政策を普及させれば他の街でも、もしかしたらこの国全土でも、人間の価値に上下はなくなるかも……いつになるかは、わからないけどね」
テーレさんの言葉は、どこか弁明のようにも聞こえました。
まあ、わかりますよ。
転生者の中には奴隷制や低層民という概念が『なくて当たり前』という意識を持つ方が多いのでしょう。
そして、そのための改革で一部を切り捨てるようなやり方を『悪』だと考える転生者もいたのかもしれませんねえ。
私個人の意見としては、こちらの歴史においてはそもそも奴隷という階級なしに社会が成立するかもわからないものを手探りで前に進んだだけでも、紛れもない大偉業だと思いますが。
「テーレさん、私は博愛的であることは素晴らしいことだと思います。ですが、その結果として皆が共倒れしてしまうよりは一部を切り捨ててでも先に繋ぐことが必要なときもあるのはわかっています。未来へ続けば、それだけ幸福を生み出す人々が増えるかもしれないのですから。心配なさらずとも……ラタ市やコインズの街で見たスラムの方々の苦しみをこの街の責任だと考えるつもりはありません」
「……ありがとね」
「何がですが?」
「『必要悪』を認めてくれて」
「……私は、善くありたいとは思っていますが、短絡的に悪を排除すれば善人になれると思うほど単純な世界観では生きていませんので。悪を撲滅するためには自身も悪でなければならないというほど達観もしていませんが」
しかし、そういう転生者もいるのですかねえ……きっと、いるのでしょうねえ。
昨日まで平凡な一般人だったのにも関わらず、突然とんでもない力を与えられ、価値観も生存難易度も全く違う異世界に送り込まれた人の中には、力を得て救える範囲が拡がったことで、却って『見殺しにしてしまう』範囲が増えることに耐えられない方もいるのでしょうねえ。
一人と十人の天秤が、百人と千人の天秤に変わるわけですから。最善を選んでも見捨てた数は百倍、『救うのが当たり前』と考えているような人であれば救った数が百倍になったことなど慰めにもならないのでしょう。
「マスター……一応、言っておく。これから私たちが受ける依頼は……」
「『大規模な盗賊団の討伐作戦』……わかっています。本物の戦場、そう言いたいのでしょう?」
ライリーさんからの一報によれば、このクロヌス周辺の盗賊団に対して『研究施設』が戦力を提供したとのこと。
そして、ここに至るまでに調べてみればクロヌス周辺の盗賊団は小規模なものが合併したので、一纏めになったものを大きな悪さをする前にまとめて討伐してしまおうという話になっていました。ライリーさんの手紙にあった盗賊団というのは、この依頼の対象で間違いないでしょう。
しかし、『討伐』などと言えば一方的に悪人を誅するようにも聞こえますが、あちらも好んで殺されたいわけではないでしょう。戦力比がどうであれ、間違いなく『戦闘』になるでしょう。
決闘のように秩序立ったものでも、モンスター狩りのように野性的なものでもない、怨嗟と憎悪、そして血や内臓の飛び散る人間と人間の争う戦場に。
万が一、あちらが戦力差を理解して潔く降服してくださるという可能性もあるにはあるのかもしれませんが、それは期待しない方がいいでしょう。
「……私たちは基本後方担当。神官系と医療技術持ちだから、負傷者の治療とか捕虜の管理が中心になると思う。でも、血生臭いものを見るのは避けられない」
「血生臭いというのなら、モンスターの解体なども相当血生臭いと思いますがねえ」
「……はあ、あんたは本当に顔色変えずに人間の死体も片付けられるのかもね。今回はあくまで見学みたいなものだと思って、それを確かめる意味合いもあるんだけど……」
「ライリーさんからのメッセージによれば、『鎧の悪魔』が出てくる可能性もあると」
「もしそうなったら、本格的に出番かもね。あれの攻略法は原理的には改良されててもあんまり変わらないはずだから」
『鎧の悪魔』……コインズの街でテーレさんが交戦した、ライリーさんとの繋がりの強い『研究施設』の非人道兵器。
何らかの方法で自我を奪った人間を契約者として間接的に悪魔を使役し、代償なしに戦力として使い潰す冒涜的技術の産物。
知恵や技術はないものの、単純な身体能力であればテーレさんを凌ぐ身体強化に特化した悪魔兵器。
人間的な弱点や苦痛を喪失しているため、単純に倒そうとすればそこらの冒険者でも手こずる相手だとか。
「物理で装甲を割ってから浄化魔法を叩き込む。それが最善。だけど……」
「前もってそれを申告すると、一体どこからの情報だという話になりますからね。戦闘になってから、弱点を発見したという形にしておきたい。そうですね……まあ、そもそもの情報源がライリーさんからの手紙一通しかありませんし、変に先入観を与えてしまっても逆に危険でしょう。ごく普通に……相手が『人間』であった場合を考えれば、なおのこと」
「うん……場合によっては、身を護るために本気で敵を殺さなきゃいけないかもしれない。そうなったら……」
「ええ、わかっています。極力避けたいことですがね」
何を心配しているのかは言われずともわかります。
テーレさんはきっと、その状況が許すのなら自分の手で処理するつもりでしょう。それに関しては、ラタ市で既に結論が出ていること。私はテーレさんが人間を殺害しても、それが不要な殺戮でなければ許容する。既にその答えは出ているのです。
しかし、世界に絶対はないと考えるべき。ましてや、戦場とはそういったものでしょう。
私も生存や防御のための手段は優先的に修得しています。
しかし、それでもどうしてもままならないことがあれば……
「戦場に立つ以上、そういった覚悟はできています。しかし……もしも、私がうまくできなかったら」
「……はいはい、止めくらいはやってやるわよ。変なところで常識的なんだから」
「助かります、テーレさん」
テーレさんに負担をかけてしまうのは申し訳ないのですが。
何分、私は安楽死についての技術や知識を持たないもので。
一応、斬首や失血よりも一瞬で脳を直接破壊した方が痛覚の伝達などもないので苦痛は少ないというようなことは聞いたことがありますが、魂単位で意識が残る可能性のあるこの世界では一概にそうとも限りませんし……怨念を遺さず浄化するだけならば、得意分野と言えなくもないのですがねえ。
さて、冒険者ギルドというものは荒くれ者の溜まり場という面もあり、多少の不潔さや騒がしさはしょうがないもの……そう思っていましたが、それも場所によるものだったようです。
これだけ大きな都市ともなれば清掃も行き届き、ギルド内での問題を起こせば市街地での居心地も……いえ、それよりももっと大きな要因がありますね。
「テーレさん。私はコインズの衛兵さん達以来、初めてちゃんと見るのですが……」
「悪いけど、あんな見回りだけの連中と一緒にしちゃダメ。ここにいるのは、いわゆるエリート集団……この地方での選りすぐりの、れっきとした『軍隊』なんだから」
『軍隊』……冒険者とは全く違う役割を持つ、この過酷な世界で戦闘を生業とする人々の集団。
冒険者は死亡率が高い代わりに現場での叩き上げが前提でベテランともなれば並みの軍人よりも強いとは言われますが、それは逆に言えば『それだけ死線を潜ってようやく並み以上』ということ。加えて、その比較は基本的に個人単位での評価に過ぎません。
冒険者の活動は基本的に五人か六人程度、かなり多くても十人程度までのパーティーでの探索が中心。
探索というのは人数が多くスキルが揃っていればそれだけ効率的にもなりますが、純粋に人数過多の弊害、分け前の問題や移動力の低下を防ぐために適正人数を超えないように考えて戦力を抑えてでも規模を丁度良く保つものです。それが、移動や滞在期間にかかるコストを個人単位で捻出する必要のある冒険者の持つ制限。
それを考えれば、危険を冒してリスクの高い探索を繰り返すのですから、強くなるのは当然というもの。
しかし、『軍隊』はそもそもの理念が違います。
求められるのは『個』の強さではなく『軍』全体での強さ。そのために装備や訓練の練度を敢えて均一にして指揮を執りやすくするもの。訓練も個人での立ち回りより多人数での連携を念頭としてものです。
ちゃんとした指揮系統が機能していれば、パーティー単位まではわかりませんが百人や千人という単位であれば冒険者に遅れを取ることはないでしょう。
まあ、真っ当に経験を積んだ冒険者はそんな状況になれば真正面から戦うよりも逃げることを選ぶでしょうし、そもそもそんな不利な戦いを強要されるような事態を避けるでしょう。
つまり、そういうことです。
これまでの街で冒険者が大手を振って、わりと好き勝手に生きていられたのはそこでの最高戦力が『冒険者』であったというだけのこと。この都市ではその最高戦力が『軍隊』であるために、彼らに目を付けられるような振る舞いをすることはできない。それ故に、ギルドも物静かであると。
……まあ、平時はもっと活気があるのかもしれませんが。
ギルド内にざっと百人以上の鎧装備(と言っても、さすがに臨戦態勢でもないので防具は胸当てや手甲と言った最低限のもの)の軍人さんがいては、息苦しくもなるでしょう。
私とテーレさんはかなりギリギリで作戦の集合に間に合った口ですが、何時間か前からこうだったのなら空気が重苦しいのも仕方ないでしょう。
「思ったよりも少ないわね。とりあえず、依頼への参加は申請してきたけど……問題起こさないでよ。冒険者と軍人は仲が悪いことで有名なんだから」
テーレさんの囁くような念押し。
あまり大声で言いたいことではないのはわかりますが、まあ言われなくても空気でなんとなく察しますよ。より息苦しそうにしているのは、本来ここをホームとしているはずの冒険者の方々のようですから。
「私は、特に軍人さんを嫌おうとは思いませんが。職務に従い市民を護る、大事な仕事です」
「あんたが気にしなくてもあっちが気にするって言ってんの。言いたいことはわかるけど……規律第一を教え込まれる軍の人から見たら冒険者っていうのは命令を守るかどうかもわからない無法者みたいなイメージが強いのよ。実際、それほど間違ってないけど。こういう合同作戦では大なり小なりそういう部分でトラブルが起きるし、本来はそんな相手の力を借りたくなんてないってくらい相性悪いのよ。それが今回の作戦ではどうしても必要になったってことで気が立ってる。それは理解して」
「わかりました。つまりは、下手に刺激せず、作戦のための命令にはできれば従うようにと」
「そういうこと。いいわね?」
「できる限り努力しましょう」
見た所、軍人さん百人に対して、冒険者は私たち含め三十人ほど。
確かに、テーレさんの言っていた通り、思ったよりも軍人さんの数が少ない。作戦全体の規模が小さいというわけではなく、冒険者の数に対して軍人さんが少ないように見えます。
テーレさんの話を聞いた上で考えると、もしも『冒険者』と『軍』という纏まりで何らかの衝突が起きた場合、この戦力比では軍が主導権を握ることは難しくなります。
それに……
「ただし、あくまでも一番大事なのは『生き残ること』。捨て駒にされそうな気配だったら全力で逃げてもいい。初陣で戦場ストレスに耐えられずに逃げるやつくらいいくらでもいるし、多少の不名誉は後でいくらでも挽回できる」
「そういった注意をするとなると……やはり、この依頼はどこかきな臭いということですか?」
テーレさんから依頼書に載っている盗賊団やそのアジトについてわかっている情報を聞いていますが、どうにも情報が足りていないというか、歪な部分があるように感じられるのですねよえ。
『嘘はついていないけれど本当のことを全て開示したわけでもない』というか、ここに来て雰囲気から察するに、もう直に明らかになりそうな気配ではありますが、おそらく軍人さんは知らされていて冒険者側には秘匿されている情報がある。そのために、容疑でしかないが故の不信と全貌の見えない作戦への不安がこの空気の悪さに繋がっていると。
性質的に悪意に敏感なテーレさんもそれを察していた様子。
まあ、それでも無理にでもこの依頼を受けようといったのは私の方です。
「さっき受付で確かめてみたけど、この作戦は直前になって急に戦力を増強してる……それも、冒険者の、神官系を中心に。大規模に参加者を募ればそれだけあっちに情報が届きやすくなるのに……それに、ライリーの情報を含めると……」
『あっち』というのは討伐対象の盗賊団のことでしょう。
これだけ堂々と冒険者から協力者を募れば、討伐対象である盗賊団にも情報が洩れてしまう。下手をすれば、攻め込もうとしたときにはもぬけの殻ということもあるかもしれません。しかし、そんなリスクを冒してでも戦力を増やした。特に、浄化魔法を使えるであろう神官系を中心に募集したとあれば……
「討伐対象として見据えているのは、盗賊団のメンバーというよりも急には動かせないであろう物資……そして、その中身はもしかするとライリーさんの手紙にあった『鎧の悪魔』のことかもしれないと。しかも、この人数から察するに……」
「一体や二体じゃない……かもしれない」
私たちがひそひそ話を終えるとほどなくして、軍の指揮官さんからの声が響きます。
どうやら、冒険者の募集は私たちを最後に締め切りのようです。
「注目! 集まったか! 諸君にはこれより、大規模かつ重要な作戦に就いてもらう! 軍と冒険者、互いに噛み合わない部分もあるかもしれんが、この作戦は多くの人命に関わる可能性のあるものである! それを肝に銘じて、勝手な行動は慎むように!」
従軍します(命令にまで従うとは言っていない)。
感想の方で要望があったので、前章の最後に現在の狂信者が使える魔法のリストを載せておきました。
今後のネタバレ対策で一部が隠してあったりしますが、良ければご利用ください。




