第132話 内通者ルビア
side ???
『森の民』と『中央政府』、この二つの勢力の対立は遡れば『王朝』と呼ばれる巨大国家がこの大陸西岸一帯を支配し始めた千四百年前頃まで遡る。
いくつもの小国が乱立し、野蛮な争いを繰り返した末に互いに疲弊し、人類そのものの生存すら危うくなって手を取り合おうという動きが始まった時代。
主神の手によって選ばれた『最も人の王に相応しき者』が中心となり、人類が対立をやめて協力して森を開拓し、人類域を拡大しようという流れに反抗したのが、現在『旧都』と呼ばれている遺跡の周辺を中心に独自の信仰と文化を持って生活していた十二氏族……開拓に反対し、森と共に生きることを是としていたことから後に『森の民』と呼ばれるようになる少数民族。
対立の根本は信仰と思想の相違だった。
『森の民』には『森の民』の神があり、主神の認めた人の支配者、つまり『王朝』の権威に従う道理はないと断固として同化を拒んだ。
結果として、当時は強力なモンスターが多く危険度の高い北西部よりも開拓しやすい南西部が未開拓であったため、『王朝』はそちらへの開拓を優先し、『森の民』との衝突を避けて互いに過干渉を避けて発展する道を選んだ。一説には、その危険地帯を故郷として生きる『森の民』が当時の『王朝』の戦力から見て手に余るものであったからとも言われている。
そうして、結果として約千二百年の間、多少の交流はありながらも独自の文化を守り続けた『森の民』は、独自の文化や技術の発展を遂げた。
不幸だったのは、その技術の発展は人間同士の争いが少なかったが故に軍事力という形では大きな進歩を遂げることがなかったということだろう。
その平和のツケは、二百年前から何十年と続いた『戦乱』で強制的に支払わされることとなった。
『王朝』の崩壊によって乱立した、各々が『正当な支配権』を主張する独立国家。『王朝』という国家の遺産争いに、相続権を主張しなかった『森の民』までもが巻き込まれ、多くのものを失うこととなった。
神体を失った。
『旧都』を失った。
集落を失った。
家族を、友を、彼らの持っていた知識や技術と同時に失った。
そして……指導者を、『大長』を、その継承の儀に必要な祭壇ごと失い、『森の民』は散り散りになった。
今も、十二氏族は血筋こそ残っているが、それも先細りだ。
『森の民』にはもはや自分たちだけで生きていけるだけの土地も住処も人員もなく、何より『大長』という道を示す者がいない。各々の氏族は族長が治めているが、その族長をまとめ上げるべき『大長』がいなければ、方針を一つにまとめることはできない。
しかし、『大長』は勝手に名乗ることのできるものではない。『大長』の称号は儀式で神に認められることで、一つの世代にたった一人だけが名乗りを許されることとなるものだ。だからこそ、十二氏族は『王朝』のように分裂せず、長い時を平穏に生きてこられた。
そして、その『大長』を継承するための儀式に必要な祭具、特にその要である『黒い祭壇』の製法、構造は完全に失伝してしまった。元々、複製されるべきものではなかったが故に、最重要の秘伝として一部の者しか知らなかったのだから当然と言えば当然だ。そして、その祭壇の現物は奪い去られた……『転生者』という者共によって。
その『黒い祭壇』が……長らく行方不明になっていたそれが、ようやく見つかった。
「長かった……ようやく、『森の民』が一つになることができる」
今のままでは『森の民』は時代の波に飲まれて消滅するだろう。既に、差別を受けながらも森を出て開拓された地域で暮らす者も多い。
血筋だけは続くかもしれない。だが、中央政府側の人間と完全に同化し、文化も思想も失ったそれはもはや『森の民』とは呼べない。
「『黒い祭壇』についての情報はかなり少なく、ダミーと思われる情報も錯綜しているからまだ現在位置は掴めていないが……それが、本物であることはほぼ間違いない。一般に知られていない、あんたから聞いた特徴とも合致する。少なくとも、レグザルには留まっていないことは確実だろうがな」
協力者の言葉に、意識を現実へと帰還する。
そうだ、私はまだ、『祭壇』を手に入れてはいない。
気を抜くべきではない、『祭壇』が間違った者の手に渡ってはならないのだから。
「何者かが運んでいるのなら、行き先は……中央政府や貴族にでも売り渡すつもりか?」
「いや、観光都市で下位ランカーが接触して買い取り……いや、強奪を図ったらしい。現地にいた転生者まで雇い入れてな」
一言で『下位ランカー』と呼ばれる立場の者。それは冒険者ギルドの上位ランキングの下位、つまり『そこそこ』の実力者であることは間違いない。
それが転生者まで戦力として利用し、その結果が、『強奪失敗の後、行方不明』。
つまり、現在の所有者は『祭壇』を死守し、その上で大きな騒ぎを起こすのを避けて都市から移動したということに他ならない。もしも『運び屋』がその下位ランカーと転生者のコンビよりも弱ければ『祭壇』は奪われているだろうし、かといって敵対者を潰すだけの暴力主義者ならダミー情報などばらまかないだろう。
「明確にどこかへ『祭壇』を運ぼうとしている……『祭壇』の価値を知る者か」
「ああ、少なくとも単なる運のいいトレジャーハンターなら、そのお宝目当てに襲われる危険を知れば自分の命と天秤にかけて手放すさ。丁度、目の前にはそれなりに金を払える下位ランカーもいたんだ」
「……その下位ランカーは、生きているのか」
「ああ、生かされたらしい。人を動かす方が得意なやつだったんだ。部下がやられて心が折れたんだと」
「『転生者』もか?」
「そっちは死んでる。情報によれば、その冒険者に決闘を挑んで返り討ち。瀕死で放置されてる所を恨みを買ってた女共に止め刺されたんだと……酷い死に顔だったらしい。女の恨みは怖いってやつだ」
協力者の手前、口には出さないが胸がスッとする。
『転生者』がまた一人減った。しかも恨みを買っていた相手に惨殺されたそうだ。自業自得、清々する。
だが、問題は『祭壇』の行方。
『転生者』を瀕死に追い込むだけの実力者か運搬を引き継いだそれ以上の何者かがそれを持って、どこかへ届けようとしている。わざわざ危険を冒さずとも、適当に手放せば一生遊んで食べていけるだけの見返りが手に入る秘宝を死守しながら。
「……ガロムの王室特務部隊、『私掠怪盗』とかいうやつの手の者か」
「可能性は……なくはない。が、低いだろうな。ガロム王家の直轄部隊なら、観光都市で『黒い祭壇』を持っているなんてそれこそ死んでも洩らさないだろう。それに、やつらは今はこっちに目を付けてる。そっちにまで割く余力はそうないはずだ。だが、好戦派の貴族側ならわざわざ自分の手で『祭壇』を運ぶなんてリスクを冒す必要はない。多数派へのルートはいくらでもあるからな」
「だとすれば……」
「案外、あんたの同類かもしれねえぜ」
協力者が、意地悪く笑う。
何故そんな表情でそんなことを言うのか……問いかけるだけ無駄なことだろう。
こいつは、頭が良すぎてよくわからないやつだ。私もそこらの凡夫よりは優れている自覚はあるが、頭の回転の速さではこいつには敵わない。
「よかったな。馬鹿ばっかりだって嘆いてたが、ちゃんと同じように同族の未来を考えてるやつもいるかもしれないんだ。そいつも計画に加えたいって言うんならこっちは歓迎するが?」
同族の未来を考えている同士。
『森の民』を自ら導くために『祭壇』を取り戻そうとする者。
それが、私以外にもいるというのなら……確かに、それは素晴らしいことかもしれない。
だが……
「……計画は変わらない。『祭壇』が見つかった以上、すべきことは決まっている」
「……そうか。約束通り、戦力は貸す……だが、役に立たなくても文句は言うなよ? 相手は十二氏族の族長の血を引く『森の民』、この世界の法則として『信仰の中心』に近い人間はその他の人間よりも強くなる。神々から見ても、死なれると困る人間だからな。信仰が弱まっていると言っても……」
「わかっている……そんなことは、昔からよく見て、知っている」
壁に貼られた『写真』を見る。
これが、私が犯すべき罪。
私が殺すべき同族。
間違った者に『黒い祭壇』を使わせないため、先に淘汰しておくべき、族長の血縁。『大長』の候補者達。
「アイリン・クロクヌギ……いや、アーリン。決着をつけよう……今度は、私が勝つ。絶対に」
side ルビア
どうしよう……
「どうしたのルビア、またお昼一人?」
「う、うん。ちょっと……食堂だと、食欲わかなくて。ごめん、他の子と行って」
「ふーん……変なの」
長期の休みが明けて学院寮での生活が始まったけど、未だにガリの実以外の固形物が食べられない。それどころか、不意に『食べ物』を見ただけで吐きそうになる。
食堂なんてとても足を踏み入れられない……前は美味しそうな匂いだと思えたものが、死臭と同じくらいに吐き気を誘うものにしか感じられなくなってる。
「うっ、いきなり吐くのは我慢できるようになったけど……」
『食べ物』だけじゃない。
落ち葉も、踏まれた花も、死んで転がる虫も、前は気にもとめなかったものがやたらと目に留まる。それこそ、まるで道端に人の死体が散乱してるみたいに感じる……そう見えるわけじゃなくて感じるだけだけど。
「『慣れるまでは辛いかもしれない』って……慣れないよ、これ」
ガリの実が大丈夫じゃなかったら私は餓死していたと思う。
木の実も野菜も、動物の肉と大差がない。というか、この前まで平気で食べていたのが自分でも信じられない。気を抜くと木製の机や椅子すらバラバラ死体みたいに見えてくるし。
「誰にも相談できないし……うぅ……」
前に、どうしても辛くなって寮の保険医さんに少しだけ相談してみたことがあった。理解されるとは思わなかったし、信じてもらえないだろうと思っていた。
けれど……結果は、想像の範囲外。
『そ、そんな……うっ、うぇぇええ!』
私に見える世界、私の感じていることを聞いた……あるいは、認識した。それだけで、彼女はあの時の私と同じように嘔吐し始めて、魔法で眠らせるまで止まらなかった。
結局、私が話した内容を記憶から消したら吐き気も消えて、無自覚な体調不良だったってことになったけど。
実家では気まずくてお母さんにもティアにも詳しく話せなかったのが幸いしたかもしれないけど……誰にも相談できないのは精神的に辛い。
いっそ、日記にでも書き留めておこうか。
誰にも見せず厳重に封印して、せめて気持ちだけでも楽になれるなら……そう思って、学院の校舎と隣接した寮の部屋に入り、紙とペンを入れてある机の引き出しを開ける。
どうせ昼食はガリの実だけだし、食べるのに時間はかからない。余った昼休みを潰すのに丁度いい。
今なら、ルームメイトに見られる心配もないし……
「……あれ? これ……」
引き出しを開けると、封筒が一番上にあった。
何かが入れてあるわけじゃない。私が実家との連絡用にいくつかまとめて買った封筒が入れてある紙袋が一番上にあったというだけだ。
けれど、私は学院に戻ってきてから、一度も封筒を使った憶えがない。
憶えている限りでは、休み前に最後に使ったのは実家に『これから帰る』という手紙を書いた時で、戻ってきてから筆記用具を戻したから一番上にはないはず……
「……昨日開けたときにひっくり返した? ……昨日?」
そういえば、昨日の私は何をしてたっけ。
昨日も講義に出てたような……いや、それはないはずだ。昨日は『聖ホワイトの日』で祝日、講義は休みだった。
だとすると……
「……あれ? 昨日の記憶、なくない?」
まさか、いや、だとしたら……私の知らない、無自覚な私が昨日一日、勝手に動いて、勝手に封筒を使った?
勝手に封筒を使ったってことは……どこかに手紙か何かを送った?
「そんなのまるで……何かに取り憑かれてるみたいな……」
私、どうなっちゃったの?
それぞれの思惑で、物語が動き出す。




