第133話 右頬カウンター
side 狂信者
『冒険者』というのは性質上定住せず、護衛や探索の仕事をこなしながら拠点を転々としていることの多い職業です。
そのため、互いに連絡を取り合うために冒険者ギルドという組織を利用します。
ギルドには、長距離通信が可能な高価で大型のマジックアイテムのネットワークが作られており、コストの問題で直接の音声通信などは難しいものの、転写用のマジックアイテムを用いて手紙のやり取りをすることは可能です。
といっても、それも離れた街では即時というわけにはいかず、連絡を求める冒険者はまず街に滞在する旨をギルドの支部に伝えます。
それが本部ギルドに情報として統括され、それから預けられている手紙などの宛先となっている冒険者がどこかの街に留まっているかを照合し、そこの支部へ手紙の内容を伝える方式です。
しかも、長距離通信はコストと釣り合いが取れるように緊急以外は一日に数回まとめて情報を送信しています。
このように段階を踏むため、冒険者が情報を受け取るには数日間は同じ拠点に留まってギルドに顔を出し、自分への連絡がないかを確かめることになります。
冒険者と冒険者の間での連絡を望むのなら、往復のためにさらに時間を要することになる。冒険者の多くはこれを前の冒険での負傷の回復や装備の点検、補充などの『休日』に当てるそうです。
本来は私たちも観光都市レグザルにもう少し滞在してアーリンさんへの連絡の返事などを待つ予定でした。結局は三日と経たずに逃げるように街を出てしまいましたが。
観光都市レグザルから馬車で数日、馬車が補給のため立ち寄った少し小さめの町で下車して滞在することとなりました。広大な耕地から取れる麦以外の特産品はありませんが一応、ちゃんと冒険者ギルドがあり、通信ができる程度の規模の町です。
私たちが今いるのは、その町の冒険者ギルドにある酒場。
私たちのように自分への連絡がないかの確認待ちをしたり、パーティーの待ち合わせをしたりするのに使われる軽食屋のようなものです。
「レグザルでは一応、行き先とかを攪乱する情報は流しておいたし、『黒い祭壇』を手放したように見せるために意味深な小包とかも方々に送った。それに、ここでのギルドへの滞在登録は私の別の身分証で作った冒険者登録でやっておいたから、あの馬車を追ってるやつがいても大きな街を先に探ると思う」
「そして、アーリンさんには手紙の内容に私からだと分かるようにメッセージを入れておき、返事を待っていると」
「『かつてあなたに土下座して教えを請うた弟子より』って最初に書き添えて、ね……普通は冗談だと思うわ。ていうか、転生者の書くべき手紙の内容じゃない気がする」
「第三者にばれないようにするためのメッセージなのでその方が合理的では?」
「その手紙を仮にも自分名義で出す私の気持ちにもなってほしいもんだわ」
まあ、確かにその通りではありますが。
アーリンさんは私の本名を知らないわけですし、名前だけなら私のものかもしれないと認識してくださるかもしれません。テーレさんの出した手紙の名義もアーリンさんの知る『テーレ』ではないわけですし。
しかし、確かにテーレさんの言うことも一理ありますか。天使というのはイメージも大事な仕事でしょうし。
「では、お詫びとして一杯おごりましょうか。ミルクでいいですか?」
「……砂糖入り。できるだけたっぷり」
「やっぱりいつも思いますが、甘いものお好きですねテーレさん」
「別に……スキル使うとカロリー消費するし」
ちなみに、この町への滞在は今日で二日目ですが、今はテーレさんの別名義へ手紙があるとかでそれを受け取るために役員さんからの呼び出しを待っています。
普段ならすぐにもらえるそうですが、今は少々ギルドに大きな仕事があるとのことで人手が足りず時間が足りないのだとか。
待合番号の札を渡され、手紙が出力されるのを待っていることろです。
「すみません、ミルクの砂糖入り、おかわりをお願いします。あと、干し肉入りのスープも一皿追加で」
「はい、席にお持ちします。少々お待ちください」
「助かります」
代金を払い、注文票をもらって席へ戻ります。冒険者ギルドでは基本的に代金は先払いです。
でないと、酔った冒険者の間でトラブルが発生したりしたとき、気兼ねなくつまみ出すことができませんから。
料理を受け取った受け取っていないというトラブルを避けるために注文票を受付で受け取り、料理をもらった時に交換で返す。
まあ、食券のようなシステムと考えればわかりやすいですかね。
「そういうマスターは、よく肉を食べるようになったんじゃない? まあ、ガリの実ばっかりよりはいいけど」
「リザさんに食生活を合わせていたせいもありますが、肉体が欲しているというのもありますね。街での決闘からの感覚ですが、私は身体強化の類を行うと肉体に負担がかかり筋肉組織が破壊されます。そして、【常時再生】で超回復を行って筋肉を発達させる過程でタンパク質を消費しているようです。肉類の方が、【恩師の加護】を発動した後の回復度合いが大きいように感じます」
「筋肉を発達させてるってことは、あれを使うほど魔法なしでの身体能力も上がっていくってこと?」
「どうでしょうね。いくら【常時再生】があるといってもあの状態はさすがに負担が大きすぎます。頻度は考えなければむしろダメージが残って逆効果でしょう。オーバーワークは禁物というものです」
「ふーん……馬車の中で聞いたけど、その『リザ』って姉弟子と結構親密になったみたいじゃない。いい相手を見つけられてよかったわね」
おや、そういう割にはツンと背けられたテーレさんの表情はどちらかというと不機嫌なように見えますが。
思えば、修行の話をした時もそうでしたねえ……リザさんの種族についてはデリケートな問題なので話していませんが、隠し事をしているのを察したのですかねえ。
「テーレさん、私は訊かれれば基本的に答えますよ。しかし、話の本筋に必要がないか、話さない方が都合のいい部分は省略することもあります。嘘は言いたくありませんが、隠すべきだと思うことはありますので」
「……別に。あんたが『頻度を考えよう』みたいな言い方をするのが意外だっただけ」
「そうですか? 私は自身の強化について合理的な指針を示しただけのつもりですが」
「……私が自分を大事にしろって言ってもあんまり聞かないくせに」
「申し訳ありません、声が小さくてうまく聞き取れなかったのですが……」
「別に、大したことじゃないし。ええ、あんたが強くなるのは助かるわ。これからは危険な依頼も受けることになるし!」
危険な依頼……主にモンスターの生息地の変化や遺跡の大規模探索といった『中央政府』からの公的依頼のことですね。
テーレさんの調べによれば、私がお師匠様から預かった品は非常に政治的に価値のあるものだとか。
アーリンさんや『森の民』だけでなく、中央の貴族だろうと手に入れようと必死になるもの。
今回のように連絡を待つだけならテーレさんの別名義でいいのですが、ちゃんと私の名義で依頼を受けなければいけない、偉業達成に向けた名声稼ぎではどうしても私たちの現在位置が知られてしまう。
そこで、必要な依頼そのものの数を減らすため、そして仕事中の安全を確保するために敢えて公的な依頼を受けるというのがテーレさんの考えた方針です。
私たちを狙う可能性がある中央貴族が関わる依頼を受けるというのは一見危険にも見えますが、そもそも私の名義で依頼を受ける以上は狙われるのは避けられないわけですし、依頼の途中の事故死を装って例の品を奪い取ろうとしてきた場合には小規模な依頼で人目につかない僻地にいく方が危険です。
それならむしろ、大規模な軍などに紛れてその戦力の一部として活動していた方がいい。
何せ、大規模作戦の戦力ならば暗殺しようとするだけでもその戦力全体を敵に回すということになりますし、成功したとしても人の目がある。大規模作戦は詳細まできちんと報告、調査されるので刺客を送り込もうと特定されやすい。
貴族社会は騙し合いや蹴落とし合いが盛んらしく、そういった分かりやすい暗殺などを行えば黒幕を特定され他の貴族に弱みを握られる可能性が高くなるそうです。
公的依頼に関しては『戦力を削る』という行為は『人類存続のための作戦を妨害する』ということにも繋がるため、露見した時のリスクが大きい。
結果として、安全を確保しやすくなるというわけです。
「本当なら、それをさっさと届け先に渡しちゃうのが一番だけど……」
「こればかりは本当に小包として送ってしまうわけにはいきませんし、そもそもアーリンさんがどこにいるかもわかりませんからねえ。実力から考えてそう簡単に死んでしまうとは思いませんが、逆に元気すぎて何か月もギルドに関わらず森で生活していても違和感がありません」
「確かにね、『森の民』じゃなかったら普通にランキング入りしててもおかしくない強さだし。ていうか、あんたにもそれくらいわかるようになったのね」
「はい、お師匠様の弟子だとわかったのもありますが、強くなって初めてわかる強さというのもあるものですね。前は『勝ち目がない』ということしかわかりませんでしたが、今なら『どれくらい勝つのが難しいか』くらいはわかりますよ。というか、あの人は本当に勝てない相手に会ったら逃げに移れるのでまず死なないでしょう。『生き延びた者こそ勝者』、保護色の魔法にあれだけ熟達していたのも、もしもの時の撤退のためかもしれませんね」
「あんたも見習ってよ。無理にでも勝てるような手を掴めるのも一つの強さなのは確かだけど」
「ふーむ、難しいですねえ。『絶対に勝てない相手』を減らすために手札を増やす方向で行きたいです」
「おいこら、そこは素直に『了解しました』っていうところでしょうが、そう思ってなくても」
「逃げる選択をしたらテーレさんが殿を務めるつもりでしょう? できれば御免こうむりますよ、そんな展開は」
「……じゃあ、最初から無茶な状況に陥らないことね。もう結構手遅れな気もするけど」
運ばれてきた砂糖たっぷりのミルクをお盆から受け取り、テーブルにも置かずぐいっと呷るテーレさん。
テーレさんが本当に不機嫌な時にはグチグチと呟きながらチビチビとカップを傾けるので、多少の機嫌は直ったようです。言葉から角は取れていませんが。
不機嫌なのやらなんなのやら、テーレさんの御心というのはなかなかに難解なものです。
さて、私の干し肉の方はまだですかね……おや?
「ぷはぁ……いい? あんたは別に、この世界を救うために召喚された勇者でも、世界で唯一の希望の星でもないんだから、余計なトラブルは避けて通ればいいの。この世界には何人もそういうのに向いた転生者がいて、あんたがそういうのをやらなくても、そういうやつらが勝手にやってくれる。あんたは私の……ディーレ様にとっての唯一なんだから、そのことを忘れないように……ねえ、聞いてる?」
「……忘れてはいませんがね。ええ、そのことについては重々承知なのですが……」
私の視線の先に、テーレさんも目を向けました。
その先では、干し肉の皿をお盆に乗せた女性のギルド役員さんが、法衣に似た服装の男性に絡まれています。
「こ、困ります! 仕事中に……」
「こんなしけた仕事やめちまえよ。前から言ってんだろ? 俺のところに来ればこんなところで稼ぐ必要なんてねえんだって」
……周りの人は、誰も止めようとはしていませんか。
そうですか、そうなんですか。
「テーレさん、どう思います? 私の誤認識だといけないので意見を求めたいのですが、もしやあの役員さんは心底嫌がっているのでは?」
「そんな心配しなくても、明らかに嫌がってるわよ。しかも、抵抗が弱いのは何か弱みでも握られてるんじゃないのかしら。口ぶりからしても前から言い寄られてるらしいし」
「……誰も、止めに入りませんね」
「明らかに面倒事だからね。正直、私もあんまり関わってほしくないんだけど」
「……あの干し肉スープは、私の注文品では?」
「……はいはい、無理して理由を付けなくていいから好きにやんなさいっての。勘違いだったりしたら私が何とかフォローするから」
「ありがとうございます、では行ってまいります」
席を立ち、店員さんと男性の方へと歩を進めます。
ここで王道的な転生者なら男性の肩でも掴んで『やめろよ、彼女が嫌がってるだろ』というようなことを言って格好良く決められるのかもしれませんが、私はそういうのは苦手ですしねえ。
とりあえず……
「あの、申し訳ありませんがよろしいですかな? それは私の注文した干し肉だと思うのですが……注文品の横取りはいかがなものかと……」
「え、あ、いえ、これは……」
「ああ、これは失礼を。勘違いをしてしまいましたかね。これはあなたの注文品でしたか、ではどうぞ」
「……違う、俺はスープなんて頼んでない。俺が用があるのは……」
「そうでしたか、ではとりあえず店員さんに返却を。さて、ではあなたは何故その店員さんを引き留めているのですか? 注文はあちらの受付からですよ」
「だから、違うって言ってんだろ! 俺はこいつと個人的な話があるって言ってんだ!」
「それは勤務中の今、しなければならないお話ですかな。私はお腹が空きました、はやく私の干し肉スープが来ないと困るのです」
「なら取ってけよ! これが欲しいんだろ!」
「いえいえ、私のものかどうかは確定していないのに勝手にとっていくわけにはいきません。それに、私は受付で注文した時に『席まで持っていく』と言われたのです。ですので持ってきてもらわないと困るのです」
「面倒くせえなこいつ! 見りゃわかんだろ! こいつは今忙しいんだ! 干し肉が欲しいなら他の役員に頼めや!」
「見てもわからないのですが。いえ、単純に見るとあなたが飲食店の客としてふさわしくない迷惑行為を働いていることになってしまうので、それを基準に判断するとあなたから彼女を助けなければならないことになります」
「……なんだと? 俺がやってることが犯罪だとでも言いたいのか?」
「法律はあまり詳しくないのですが、少なくともマナー違反でしょう。そうでないというのなら、詳しい事情をお聞かせ願いたい」
「てめえ……部外者は引っ込んでろ!」
何故だか急に殴り掛かってきたので、ガードしようかとも思いましたが、この程度なら避けるまでもありませんね。
発言権への対価だというのなら、もらっておきましょう。しかし、フォームが半端ですね。皮膚を狙ったビンタか骨を狙った重い打撃かがハッキリしていないと言いますか。そんな力み方だとむしろ痛いのは……
「っ、てぇぇえ! てめえ何しやがんだ!」
何もしていませんが。
衝撃を受け流すことすらしていません。しっかりと甘んじて顔を固定して全身全霊全体重で受けましたよ。なんなら左の頬も差し出す構えですし。
「何と言われましても、詳しい事情をお聞きしただけなのですが。むしろあなたこそ、一人で何をやっているんですか?」
「て、めえ……」
「今度は左の頬も差し出しましょうか? 私は肉体言語より口頭の方がわかりやすいのですが」
「うぐっ……そんなに聞きたいなら教えてやるよ! 俺はこの前、こいつの兄貴を治癒してやったんだ! それも死にそうな大怪我を、無料でな! だが、こいつはその恩義も感じず、俺の誘いを断りやがって……」
「あ、兄の治療費は何年かかっても働いて返すと言ってるじゃないですか! それなのに治した後から……」
やれやれ、ようやく事情が聞けました。
法衣の男性、冒険者ギルドにいることと『治癒した』という口ぶりから、おそらく神官系の魔法使いなのでしょう。魔法による治癒、それも死にそうなほどの大怪我ともなれば治療費は一般的な相場で見ればかなりの額になります。
それを、金銭での支払いを求めない代わりに患者の妹さんであるこのギルド役員さんに交際なり求婚なりを求めて、彼女は働いてお金を返すのでそれは御免こうむると。
「いえ、両者の言葉に嘘がないのなら普通に彼女に非はないのでは? 治療費を払う意思はあるわけですし、そのためにこうやって真面目に働いているわけですし。返済の催促ではないということは急にお金が入り用になったわけでもないのでしょう?」
「チィ! 普通は治癒魔法をかけてやる費用は先払いなんだよ! だが、こいつの家はそれを払えなかった! だから金は取らずにこいつを……」
「その際に契約や約束を交わしたのですか? 『兄を治す対価として妹さんをお嫁にください』というような」
「け、契約は……してねえよ。そんな悠長なことしてられる容態じゃなかったんだよ!」
「口約束も?」
「してません! 必ず少しずつでも返すとは……」
なるほど……まあ、していないでしょうねえ。
だって、それはつまり『治療費』の分の代金で『妹さん』を買い取るという契約、つまり人身売買に近い行為になります。証拠が残っていたら違法になります。
「うっせえ! 神殿公認の神官に金も払わずに治療をさせたのを俺が申請すればてめえの兄も家族も犯罪者に……」
……ん?
あれ、おかしいですね。
確か、講習でのノーツ女史の話では……
「ストップです。私も神官系職業で、一応は治癒魔法の類も習得しているので教わったのですが……それをやったら、犯罪を咎められるのは『お金を受け取らず治療を施した』あなたの方では? たしか、治療費は神殿の収入であり、冒険者同士の依頼中や戦闘後の戦力維持を除いてはそういうことをやってはいけないと習いましたよ。特に神殿公認の神官さんは」
「……え?」
「なっ!?」
おやおや、これはこれは……
雲行きが怪しくなってきましたねえ。役員さんはそれを知らなかったのか……まあ、お金を返すために最近ここで働き始めたばかりなら知らずとも無理はありませんか。
「失礼ながら、彼はどこの神殿の公認神官を名乗ってお兄さんの治癒を引き受けていたのですか?」
「ほ、豊穣の女神……アルファ様の神殿です。この町の北にある神殿に治療を頼みに行って……」
「なるほど、ではその神殿に確認を取って合法的に許可を得ているのかを確認してみましょう。私は法律には詳しくありませんし、この町の神殿のローカルルールもあるかもしれません。もしもローカルルールで合法だったとしても、中央の法律と照らし合わせてそのローカルルールが合法かどうかを確認すればあるいは……」
「てめえ! 余計なことを!」
おっと、また殴り掛かりかけて、今度は思い直して胸倉への掴みかかりにシフトしましたね。
しかし、足運びがそれほど速くない……元から神殿での治癒が専門か、実戦から離れて久しいのか。いえ、そもそも彼女に会いに来ているだけで冒険者ですらないのかもしれませんねえ。
「これは何のおつもりですか? 私はただ、『二人での話し合いで解決できないのであれば専門家の話を聞こう』という提案をしただけです。なんなら、ここにいる誰か法律に詳しい方に聞いてみてもいいのでは? ギルドの役員の方にも治癒魔法行使の報酬について知っている方はいるでしょうし、いなくても法律の専門書くらいはあるでしょう」
少なくとも、テーレさんの『万能従者』を使えば合法か非合法かはわかると思います……まあ、彼の顔を見るに非合法の線が濃厚ですかね。そして、それを自覚しているが故に神殿を通さず個人的に彼女の兄を治癒し、こうして本人に直接迫っていると。
「いいか! 俺はこいつの家族を治してやった! なら、報酬を受け取るのは当然だ!」
「合意のない報酬請求はただの恐喝です。第一、あなたは最初に『報酬を受け取らない』と言って、前払いのお金を受け取らずに患者を治療したのでしょう。それならば、それは無償での活動ということです。感謝は受け取っても報酬は受け取らない、相手の嫌がるものを要求するなどもってのほかです」
「やかましい! 第一、第一な……この町がやっていけてるのは、うちの神殿のおかげだぞ! 稼ぎが畑しかないこの町は、俺たちが豊穣神への祈りを続けて、怪我人もみんな治してやって! 感謝なんてされて当たり前なんだよ! こいつが俺を拒絶するのがおかしいんだよ!」
ふむ、なるほど。
確かに、この町の主産業は広大な耕地を見る限り農産物。
そして、その供給を安定させるために豊穣神の神殿が重要視され、そこの神官の皆さんはある種の特権階級のような振る舞いをしているわけですか。
あながち、ローカルルールでは合法というのも的外れではなかったかもしれませんね。ただ、それがこの町で神殿の神官にストライキでも起こされたら困るという手の妥協から生まれた不文律、暗黙の了解というものだったとしたら厳密に法に当てはめたら違法な部分が多々あるのでしょうが。
しかし……彼の理屈は、それを加味してもおかしい。
「つまり、あなたの言い分としては『自分の信仰への対価として、彼女に愛されたい』。そういうことですか?」
「愛されたいだあ? そんなもの、俺の嫁になれば当たり前のことだろうが! 俺はこいつを……」
「それは浅慮というものです! 彼女が誰を愛するかは彼女の勝手です! たとえあなたが無理やり彼女を『嫁』にしたところで、彼女にあなたを愛する義務はない!」
「ぬぅ!」
私の胸倉を離して耳を押さえて下がってしまいました。
ふむ、大声を出しすぎましたかね。まあ、鼓膜まで破れたわけではなさそうですし、いいでしょう。たとえ破れていても自分で治癒できるでしょうし。
「てめえ……俺が誰だかわかってんのか! 俺は三大女神の一柱、豊穣の女神アルファの神殿公認の……こいつらのような一般の信者とは違う、特別な信徒だ! 俺に刃向うようなら今に神罰が……」
「あなたが真に『豊穣の女神アルファ』を信仰しているのならば、あなたは彼女の仕事を邪魔してはならないはずです!」
「なにぃ!」
「『豊穣の女神』の司る『工業』や『量産』の概念は革新的な発展ではなく努力の積み重ねと学習の蓄積を意味するものです。それはつまり『日々をコツコツ地道に頑張る人間こそが成果を出せるように』という祈りそのもの。まさに今、兄の治療費を返そうとここで働いている彼女の努力を『しけた仕事』などといって侮辱し、妨害するというのは本当に豊穣の女神を信仰している信徒のすべきことではありません」
何故、端くれとはいえディーレ教徒の私がこんなことを、他ならぬ豊穣神の神殿の方に言わなければならないのか甚だ疑問ですがね。
仕事に貴賤はなし、自分のしている仕事に誇りを持つことは悪いことではありませんが、それは他人の仕事を貶していいということにはなりません。
ただし、その仕事に取り組む態度が明らかに間違っているなら、助言はしてもいいでしょう。
仮にも、神官系の職業としては神に仕える同業者ですしね。
「あなたの信仰は、豊穣の女神に対するものではありません。あなたのそれはただ、神を信仰している団体に属していることによって得られる利益を信仰しているに過ぎません。『神殿』という己の居場所を拝むのは自由ですが、そこを見守られている神が悲しむような行動は、信仰者として謹んでください」
……ふむ、彼は何も言い返せなくなったのか、膝をついて動かなくなってしまいました。
とっくの昔に拘束から解放されていた店員さんも目を白黒させながら立ち尽くしています。
ああ……やってしまいましたねえ。
「お食事中の皆さん、大変お騒がせしました。お詫びとしてなんですが……すみません、ここに銀貨十枚あります。ご迷惑をかけたお詫びに、皆さんにこれで好きなものを一杯奢ります。お一人様一杯まで、金額一杯まで、先着順でお願いします」
受付に銀貨を置き、席に戻ります。
そして、はっと我に返ったらしき女性役員さんは一度キッチンの方に戻ると、すぐに新しく湯気の出ている干し肉入りのスープと、作り置きしてあったらしきスポンジにたっぷりとクリームが乗ったケーキの乗ったお盆を持って私とテーレさんの席に来て、丁寧にそれを置きました。
よくみれば、スープも先ほどの量より多く、干し肉も増えているように見えます。
「おや、ケーキは頼んでいなかったはずなのですが……」
私がそう言うと、役員さんは少し困ったような表情をした後に、にっこりと笑顔を作って言いました。
いかにもテーレさんの好みそうなケーキに、二人分のナイフとフォークを添えながら。
「私の感謝の気持ちです。こんなものしか出せなくて、申し訳ありませんが」
本来、料金は先払い。ですが他人に奢るのは構わないはずですし、店が注文をしていないお客に料理を出してしまっても、お客の方が文句を言わないのであればトラブルは発生しません。
つまりは……この『感謝の気持ち』は、合法ということです。
「では、ありがたくいただきましょう。見返りを期待せず行った善行で得られる『感謝の気持ち』というのは、常にも増して格別なものですから」
うむ、信仰する神は違うとしても、諦めずにコツコツと働いた彼女が結果としてこの偶然な遭遇で少しでも幸福に近づけたというのなら、私も善意に従うことができ、彼女も努力の成果が得られた。言うことなしですね。
「まったく……言うことなし、じゃないわよ。食べたら受付で法律の確認をやってもらって正式に神殿に注意してもらうわよ。じゃないと、逆恨みや揉み消しのために襲われでもしたらたまんないんだから。私たちも、彼女もね」
「はい、テーレさんがそういったフォローをしてくださるとわかっていたから強く言えたのです。ありがとうございます、テーレさん」
「……わかってるならよろしい」
ちなみに、事件を大勢が目撃しながら「他の誰かが何とかするだろう」というもたれ合いにより誰一人動かない現象を『傍観者効果』というそうです。
キャサリン・ジェノヴィーズ事件ではこれのせいで暴行されている女性を前にして誰一人通報すらしなかったとか……今の社会、インスタに載せたりする前に通報してくれる人はどれくらいいるのでしょうね。
……たくさんいると思いたいものですね。




