第109話 【ただし、空気抵抗はないものとする】
side 狂信者
私がリザさんから教わった魔法は、神官系の魔法使い、それも後衛に徹するサポート役ではなく前線で戦士としても戦えるタイプが習得しておくべき基本的な魔法です。
まず、最も基本的な身体強化系魔法。
これはライリーさんのおかげで経験があったのですぐにできましたが、本質的には魔法による現実改変の媒体として自らの肉体を用いる魔法です。
簡単に言えば、防御するときには自分の肉体を結界として『害あるものを通さない』とイメージする、攻撃の際には肉体に触れた物にエネルギーを与えて改変する。
普通に触れる場合と同じ運動エネルギー、つまり物理攻撃が一番イメージしやすいものですが、修行次第では攻撃以外の用途にもなります……それこそ、『手当て』による【治癒】も原理は同じです。
私は一応【治癒】も教わりましたが……これは、今回はやめておきましょう。
自分一人を癒やすのなら私が常に発動している【再生】の出力を上げた方が効率的ですし、私の場合は暴走効果によるデメリットがありますから。この相手には不利です。
そして……最後に『精霊』の使役。
これは中央の魔法使いよりも森の民の得意分野なのだそうですが。
これは簡単に言えば、無生物や協力的な草木に人格を仮定して使役する魔法。
炎に人格を与えて『炎の精霊』に変えれば、ただ単に燃え広がるだけではなく対象を選択して燃える火を生み出すことも可能です。
そのために自身の髪や血を使うので、即席の法具を作るのにも似ますが、精霊の場合は『自分の身体を拡張する』のではなく、元々思考力がないか低い物体を媒体に『自分で考える分身』を作り出すということになります。
簡単に言えば、自身の意志と魂を分け与えて目的に必要なだけの思考力を持つ存在を作り出すのです。
術者自身が見えない場所を回り込んで感知する魔法的な人工知能とも言えるでしょう。
まあ、精霊に関してはかなり難しいのですが。
私一人での制作も使役もまだできませんし……私が精霊を作れば、どんなに作り込んでも必ず『暴走』するでしょう。勝手に自己進化して巨大化し続ける炎の巨人のようなものが生まれることもあるかもしれません。
それはそれで、新たな隣人の誕生ということで悪くないのですが……戦闘中にその隣人と和解交渉している暇はないでしょう。
というか……ルビアさんは中央の学院で知識を得ていたため知らなかったようですし、おそらく元がかなりの知性を持つ生物というのは特殊な例だったようなので厳密に精霊なのかはわかりませんが、既に私には『隣人』がいるのですよね。
「ゼットさん! 下です!」
地面が陥没し、踏みつけの圧力から逃れた瞬間に横へ転がって退避。
魔法で耐久力を上げていると言っても、石や枝だとの激突で多少の傷はできていますし出血しています……そして、その中にはゼットさんの一部が混入しています。
つまり、『人格』と『媒体』という条件が既に揃っている。
後は、私が失った血を【再生】により増血することを対価にゼットさんに真菌の一部に【自己保存】を停止してもらい、その分の魔力で物体を操作してもらうだけです。
当然、その一部は生存力を失って使い捨てになりますが、私が死ねばゼットさんも損をしますし、互いの利益を考えれば当然の成り行きでしょう。
ゼットさんは体外へ出て環境の悪化した血液の中では繁殖できませんから、精霊としての干渉力は私の流血量での限度がありますが。
私一人の力で勝とうと思っている内は、ゼットさんの力を借りるわけには行かなかったのですが、状況が状況です。
『貴様、魔法を!』
「【軽量化】! 突き上げてください!」
これも身体強化の一種。
以前は空高く浮かんでしまい危うく墜落死するところでしたが、私の魔法が暴走するとわかってからはこういう使い方を考えていました。
【軽量化】は肉体が受ける大地からの重力の干渉を軽減して自重を軽くする魔法。
しかし、私の場合は暴走によりそれが軽減で収まらなくなってしまうのですが。具体的には不便なほどの無重力に近くなってしまいます。これでは踏ん張りも効かず高速戦闘での使用に向きませんが、こういった緊急脱出には効果的です。
「ゼットさん、姿勢制御をお任せします」
そして、無重力に近い私なら僅かな干渉力でも十分に動かせます。
出血から空気中に飛散したゼットさんの操作する擬似的な『風の精霊』の力を借りれば、空を飛ぶことすらそれほど難しくはありません……空中のゼットさんの一部が生存するために新鮮な血液が必要なので、調子に乗ると失血多量で落ちますが。
『ふん! なるほど、貴様は最も弱いようだが……小細工ができるが故の弱さか』
こうして、相手が飛行能力を持たない場合はなかなかに有効です。息を整え、【再生】との差し引きでマイナスになる血液以外を回復するには。
「私が弱いのは単純に未熟なだけですよ。まあ、そのために小細工を考えてあるのは確かですが。むしろ、弱い内に小細工に慣れておけることは幸運だと思いますし」
この使い方も、リザさんと一度真剣に話し合い、知識を共有したが故に思いついたもの。
お師匠様なら、大抵のことは力業でなんとかできてしまうそうですが、私たちはそうでない局面を考える必要があったのですから。
単純に相手より自分が強いのなら、真正面から戦えばよし。
相手が真正面から戦えないものであれば、小細工を使うべし。『大軍に奇策はいらない』という軍略と同じです。
私やリザさんの強さは半端ですが、その分だけ状況を多く考えられる。それだけの話です。
『だが、いつまでもそうしているつもりか? 人間は飛べない、魔法を使っての飛行などたかが知れている。飛んで逃げないのも、浮かんでいるのが限界だからであろう?』
「はは、ご名答です。多少の移動はできても、鳥のように優雅には飛べません」
ゼットさんとの二人三脚のような状態ですしね。
私が急に動くだけで必要な風の方向が変わって不安定になります。かといってゼットさんの方で一気に出力を上げられると私が錐揉みになりますし。
いやあ、実験したときにはさながら絶叫マシンのようなスリルがありましたよ、本当に。
しかし、確かに指摘されたとおり困ったもの。
このままではジリ貧です。
だからこそあちらもわかっていて投擲などはしてこないようですが……無理にでも飛んで逃げようとすれば、あちらも本気で落としに来ますかね。
やはり、逃げてばかりではどうにもならなさそうです。
しかし反撃するというのなら、高度は十分でしょうが私がここから彼を倒すには……一手、足りませんかねえ。
次からはその一手分を稼ぐ投擲物などを用意しておくべきですか。
それがない今は……浮かんでいられる内に、どうにかしなければ。
『ふ、ふはは! 所詮は弱き者よ! 人間など、いずれ来たる死を前にして恐怖しながら短い時を生きるしかない! 我が分体と戦う小娘も同じこと! 故郷を追われ、人に怯え、やっと手にした居場所を護るために己より強大なことがわかっている敵に立ち向かう! 何と健気で、矮小で、無様なものだ!』
……呵々大笑。
私の集中を乱し、落とすための挑発ですか。
わざわざ聞く必要はありませんが……。
『貴様は美しいと言ったが、我からすれば貴様らの言う儚さや刹那の美など大した意味もない! 貴様らが鍛えてどうなる! 貴様らが力を得て何をする! 人間などいくら鍛えたところで老いて朽ちるのみ! 筋肉だろうが造形だろうが、最後には大地の肥やしになるだけだ!』
……筋の通った理論であれば、どうしても答えたくなるのも人情というもの。
それに、諸行無常というのも真理の一つだとは思いますが、そうやって決めつけるように語られるとこちらも意見したくなるものです。
「なるほど……『のみ』や『だけ』という部分以外は同意見です。私にも理解できますし、共感できます。あなたの理論は実に一貫していて論理的です。実に好ましい……しかし、一つだけ言わせてもらえるのなら、確かに儚さや刹那の存在に見出される美もありますが……それらは、その瞬間だけで消えてしまうものではありません。少なくとも、観測者がいれば必ず残ります」
まず、永続性永久性不滅性に対して美を感じるのは実によくわかります。それは私がディーレ様やテーレさんに少なからず懐いている感情でもありますし。
しかし……リザさんは不老でも不死でもなく、不安定で危なげですが……それもまた、美しい。
最初に彼女の裸体を見たとき、私はその肉体に、その鍛え上げられた筋肉に美を感じました。
しかし、長く一緒にいて、私はそれが単純な造形美や機能美に対する感情ではないことを知りました。
あの疵だらけの肉体は、彼女の歴史です。
肉体は精神の在り方を反映する。彼女がこれまで、己の内なる恐怖と戦い続けた末に磨かれた身体です。故郷を失い、寄る辺をなくし、いつ終わるともしれない旅路を彷徨い、やっと辿り着いたこの山でも忘れ去ることのできなかった恐怖と向き合い続け、己を少しでも高めようと努力した結果です。
ある日の修行終わり、まだリザさんの正体が露見し距離が少しばかり残っていた頃、彼女は水飲み場にいた私に、やや躊躇いがちではありましたが、彼女から話しかけてくださりました。
『岩塩舐める? 汗掻いた後だとおいしいよ?』
まだ、リザさんも私との距離感に悩んでいた時です。話題を探した結果だったのでしょうが……その結果、私はリザさんについて多くのことを知ることができました。
『へへ、師匠に教えてもらったんだよ。私が修行しすぎて倒れちゃった時にね、「修行で死んだら意味ないだろう馬鹿弟子が」ってね。岩塩の他にも、薬草のこととか、傷の手当てだとか……』
最初、恐怖から逃れようとして行っていた自分を痛めつけるような我武者羅な修行を諫めたお師匠様のお話。
故郷での楽しい思い出を忘れないようにと、無理を言って教えてもらった読み書きのお話。
外来種のモンスターとの戦いで負った名誉の負傷のお話。
楽しいことばかりではない生い立ちです。いつ折れて、自ら終わりを選んでいてもおかしくなかったはずです。
しかし、リザさんは戦い続けた。自らの中の恐怖を糧に自らをより強く、より善くしようと足掻き続け、それでも癒えないトラウマと戦い続けた。どうやったら治るかわからない深い疵を、どうにかしようと這ってでも前へ進んだ。
その這いずった結果として残った疵が、醜いわけはないでしょう。疵だらけの彼女の身体が、無様なわけないでしょう。
私が試験をクリアした条件としてリザさんの本当の姿を見たいと言ったのは、リザさんの恐怖症克服のためだけではありません。
私も、意味を知った上でもう一度その歴史が刻まれた肉体を見たいのです。
そして、たとえ見せられる相手が限られているとしても……その肉体を、誇ってほしいのです。
示してほしいのです……自分はこうやって、恐怖と戦い抜いたと。それだけ辛くても、のたうち回ったとしても……楽な終わりなど選ばず、生き抜こうとすることは決して恥ずべきことではないと。
故に、私はこの戦いに勝つのです。
相手が何であれ、勝たなければ約束を果たすことができません。
「……あなたは、自身を永遠だと、不壊の存在だと、そう思っているのですね?」
ならば……賭けましょう。
女神ディーレよ。どうか、私に幸運の加護を。
「ならば、それを試してみましょう……私の身体強化にはデメリットがあります。それは、使えば肉体に相応の負荷がかかること。普段は再生力の強化でそのデメリットを打ち消していますが……その釣り合いを無視し、最大威力の一撃を放てば、私は動けなくなるでしょう」
『…………ほう、如何にも人間らしい愚かしさだ。我を倒すため、一つしかない肉体を自ら砕こうというのか』
「次の一撃が効かなければ、おそらくは私の詰みでしょう。まあ、さすがに当てられなければ反動もないので次の一撃ではないかもしれませんが……そうなれば、私に残された手段は余力の全てをこの状況からの離脱に使うほかありません」
『……貴様、人間め。まさか、我にこう言っているのか? 「万が一にも、逃がしたくないのなら、次の一撃を自ら受けろ」と?』
「……宣言します。あなたの真上から、自由落下による加速も全て利用した私にできる最大の一撃を使うのです。避けられれば私は打つ手なしで逃走する他ありませんが、あなたがその不壊の身体で受け切れたのならば……私に脱出の暇などないでしょう」
『く……くく、クハハハハ! よりによって、強靭強固で知られる剛樹の魔王に、天を支える大柱と呼ばれた我に、真上から! 愚かさもここまで来れば面白い!いいだろう、その挑発、乗ってやる!』
樹の巨人が変形します。
その形は正に……大地に根を張り、どこまでも伸び行こうとする鈍い鋼色の大樹。そして、その真上には先程まで顔だった部分が巨大化し、牙を剥いています。
『ならば、我も貴様を迎え撃ってやろう。攻撃をするふりをして逃れようとするのも許さん……我に啖呵を切った褒美だ。痛めつけるのはやめて五体を四散させてやる』
空気が渦を巻き始め、鋼色の大樹の真上へと集まります。
宙に浮かんでいる私もまた、そちらに引き寄せられてゆきます。
空気圧縮による身体の一部の噴射攻撃……さながら生体対空兵器。
『さあ、その言葉がはったりか、それとも自信過剰な虚言だったか……示してみよ! ムシケラが!』
大樹の顔が、口を……開きました。対決の瞬間です。
「【神を試してはならない】【ただし、空気抵抗はないものとする】」
『ゴハァア!!』
私が【ただし、空気抵抗はないものとする】と命名した魔法は、お師匠様から習得を命じられた『空気抵抗を軽減する』という魔法を私がイメージしやすいように調節したものです。
私の場合は空気から受ける浮力まで失ってしまうので身体が多少重くなってしまうのが欠点ですが、代わりに単純な風圧や圧縮空気による攻撃はほぼ無効化できます。
お師匠様によれば、『音より速く動けるようになった時のために今の内に使えるようにしておけ』とのことでしたが、私はまだそこまでの速度は出ないので今回の用途は別です。
この魔法を使っている間の自由落下は、空気抵抗や風の影響によりぶれることなく真っ直ぐに真下へと落下します。
空気自体は脅威にならずとも、空気と共に放たれた木片の散弾は受けますが、それも計算内です。むしろ、都合がいい。
何故なら……
『ぬっ! どこへ……うぐおっ!?』
【神を試してはならない】は、他者から認識されなくなると同時に、『誰にも持ち上げられない石』となる魔法。私が受ける『持ち上げようとする力』に対して、絶対に動かない質量まで重くなる……いえ、『絶対に上方向へは動かないほど重かったことになる』のですから。
真上を取れた場合、相手が回避ではなく迎撃や防御を選んだ場合に限り、【神を試してはならない】は必ずその力を超える威力を生み出すことになります。
単に地面の上で発動したとしても、必ずほんの僅かずつですがその地面は凹んでいく。
それが高高度から落ちてきて、下の物体が落下物を押し返そうとすればどうなるかは言うまでもありません。
そして、狙うべき『弱点』も、最初の【万物鑑定】で特定済みです。
頭部、額の中央に埋まる一本の枝……この木人の思念の中心、命令を刻まれた核のようなもの。空気抵抗で逸れる心配がなければ、真上から落ちるだけです。
全体重をかけ、直立姿勢で。
『バ……バカ、な……』
急速に枯れてゆく鋼色の大樹。
いえ、それは既に鋼色ではなくただの枯れ木の色。鋼色なのは、真っ二つに折れて抜け去った核の枝だけです。
「屁理屈にはなりますがね。身体強化の話はしましたが、身体強化で攻撃するとは言っていません。そして、これを使ってる間はほぼ無敵ですが私は全く動けなくなってしまうので、受け止められたら詰みであるというのも噓ではありません。誤解させてしまったかもしれませんが……」
さてと……万一先程の話が『設定』ではなかった時のために、他の分体とやらが来る前に洞窟に帰りますか。
たくさん血を消費しましたからね。
リザさんのお肉料理がたくさん残っていますし美味しくいただきましょう……全く、幸運過ぎて怖いくらいです。




