番外編:狂信者が狂信者になる前の神様とは関係のない極めてくだらない悩みの話
あるいは、ココア・ショコラティエの垣間見た心の欠片。
あるいは、治療院へ来る少し前の道中の些細な出来事。
あるいは、改めてモノローグで語るまでもないありふれた悩み。
有意義な結果が出るわけではありませんが、一つ思考実験のようなものをしてみましょう。
あなたは、とある事情から明日死ぬことになりました。
確実で惨たらしく見返りがあるわけでもない、理不尽な死です。そうですね、絶対に中から開かない箱に閉じ込められて生きたまま火葬される、辺りを想像してもらえばよろしいかと。
しかしご安心を。生き残る抜け道が一つ、ちゃんと用意されています。
それは、魔法の棺桶を使うこと。
この棺桶は極めて高度で完璧な魔法の棺桶。まあ、魔法が嫌ならクローン合成装置や物質複製機でも構いません。隣に並べておくのでお好きにどうぞ。
要するに、『あなた』が一人、生け贄になれば問題はないというお話なので、コピーを作って差し出すだけです。非常に単純な話ですね。
しかし、そこには問題が一つ……いえ、生け贄にする分には特に問題ではないのですがね。
そのコピーは完璧です。
その生成の瞬間までのあなたの記憶も人格も思考も全てコピーしています。
要するに、そのコピーの主観としては『コピーの生成をスタートさせたらいつの間にか自分が棺桶の中にいた』となるわけです。
何を言っているかわからないかもしれませんが、そういうものだと思ってください。
そして、そこまで完璧なコピーでなければ生け贄にならないのです。
さて、あなたはコピーを差し出して生き延びるでしょう。
そのために作ったのです。どちらが生き延びても同じなのです。コピーに逃げられないように棺桶を固く閉じ、そのまま差し出すでしょう。
さて、問題です。
死にたくないと願った『あなた』がその棺桶の中にいる確率はどの程度でしょう?
……………はい、五秒待ちました。タイムアップです。
答えは50%。
まさか、間違えた人はいませんよね。ちゃんと問題を聞いていればわかりますよね?
だって、記憶も人格も思考もそのままなのですから。スタートボタンを押した次の瞬間、『あなた』が棺桶の中で目覚めるか外にいるかの確率は完全に等価です。『あなた』は二人になり、その内一人が棺桶の中にいるのだから確率は半分。簡単ですね。
おや?
『コピーは所詮コピーだろ?』……なるほど。つまり、あなたは生物学的な父母から『お前は所詮俺の出したものの一部がでかくなっただけなんだから俺の代わりに死んでくれるよな?』と言われれば迷わず命を捧げると。それは素晴らしい! あなたにこのような愚問を出題した私の未熟をお赦しください。あなたにとっては私の疑問など見当違いなものなのでしょう。
そういう方にはあちらのミキサー付きコピー製造機でセルフスムージーをお楽しみしていただいておくとして、それ以外の方には本題です。
私が問いたいのは、偶然にも棺桶の外側だった方のあなたが、差し出した方のあなたをどの程度悼むべきかという話です。
これには正答はありませんが、一応参考として解答例を。
①そもそも自分がコピーしなければ存在自体しないのだから悼む必要なんてない
②自分と同一かどうかなど関係なく他人一人分の死を悼むべきだ。
③理不尽に迫られた形であれ間接的にでも自分が殺してしまったのだからその分深く悼むべきだ。
ちなみに、私の答えは『わからない』です。
申し訳ありません。馬鹿にしたわけではないのです。
ただ、どれだけ考えてもどうしたらいいのかわからないから意見を聞きたかっただけなのです。
悼むべきかどうかはともかく、胸が痛むのはわかります。
死にゆく彼の苦しみや絶望はそれこそ自分のことのようにわかります。
目覚めた瞬間に目の前が暗闇だったときの、自身が外れを引いたという理解、考え直してほしいと訴える慟哭、無駄とわかっていながらも棺桶の中を必死に叩く様、狭い空間の中で逃れようのない苦しみに転げ回ろうとする醜い足掻き。
火の熱さこそ直接体験しない限り本当の苦痛の程はわかりませんが、少なくとも自分がその状況に陥ったという状況そのものへの感想はわかります。
決して納得できることではないでしょう。
ただの、残酷なほど平等な50%の賭けに負けただけでそんな仕打ちを受けるなど、どう繕っても許せないでしょう。
ならば、即時ではなく一年ほどの猶予があればどうでしょう。
最後の時を最大限幸福に過ごすこともできるでしょう。あるいは逆に、どうせ死ぬならと多くの不幸を押しつけられることもありましょう。それだけの時間があれば、全く別の人間と言えるかもしれません……しかし、それで納得できるとは思えません。
では、十年あればどうでしょう。
本気でやれば大抵の夢は叶います。夢が叶わなくとも、残せるものもあるでしょう。
ですが、それなら納得できるのでしょうか。
棺桶の外にいたあなたは、その十年前に分岐したあなたの悲劇を『他人事』として済ませられるのでしょうか。済ませてよいのでしょうか。
では、十年よりもっと前なら?
例えば、生まれた瞬間から死を肩代わりする予備として用意してあった半身ならば?
あるいは、さらに前の段階からならば?
世界に個としての存在を確立する前、生まれる場所も時間も決定していない段階であったなら?
子は親を選べぬもの。
親どころか、生まれる時間も場所も選べません。全ての個になる確率は、少なくとも現世の知性の視点では完全に平等です。
であるのならば……それは、棺桶の内と外に在ったというだけの違いしかない『自分』と何が違うのでしょうか?
ならば……私は、どこまでを悼み、痛めばいいのでしょうか。
皆さんはどうして……ただ、その位置に在ったというだけで得た幸福や不幸を、誇ったり嘆いたりできるのでしょうか。
『私』はテレビのニュースというものが苦手でした。
いつも疑問に思うのは、こんなものを好き好んで見ている人間がいるのかということでした。
特に、朝食時にこんなものを見るなど……
『昨日、午前7時半。□□町で登校中の小学生児童数名が突然歩道に飛び出した乗用車に……』
『鳥インフルエンザの感染防止のために○○市の鶏は一斉処分の決定が……』
『不倫疑惑で話題のタレント××さんは依然として「彼女とはただの友人である」とコメントしており……』
『Aさんは銀行帰りに背後から後頭部を鈍器のようなもので殴打されており通行人が通報、救急車で搬送された病院で死亡が……』
突然心構えもしないままに飛び込んできた車のタイヤに巻き込まれて皮膚が破けていく苦痛が、内臓が飛び出すような強い衝撃を受ける苦痛が、息を吸おうとしても折れた骨が肺をひっかくばかりで全身の酸素が足りなくなっていく苦痛が、一瞬の油断で多くの命を奪ってしまい自身の社会での未来すら失ってしまった苦痛が、精魂込めて育てていた家畜たちが食べられもせず処分されていく苦痛が、何のために生まれたかも何故死ぬのかも理解できないまま仲間たちと一緒に白い防護服を着た人間たちに殺されていく苦痛が、愛する人への想いを何も知らぬ数多の部外者に面白半分に嘘だと叫ばれる苦痛が、意図せず大切な友人に疑惑を与えてしまった苦痛が、自分を愛してくれているはずの配偶者に疑念を抱いてしまったことに対する罪悪感の苦痛が、夜道で背後から殴りつけられる痛みが、処置もむなしく患者を救えなかった苦痛が、テレビ画面から与えられる情報を通して想起させられます。
全く……朝食で味わう苦痛など、テーブルに並んだ命の分だけで十分だと思うのですが。
リモコンを手に取り、ニュースの映るテレビの電源を消そうとすると、母が私を呼び止めます。
「朝くらい、ちゃんとニュース見なさいよ。もうちょっと他人に興味持たなきゃダメよ」
……テレビの音だけを小さくし、電源の操作は断念します。
そうですね、私はもっとニュースを見るべきなのでしょう。見ていれば慣れていくものなのでしょう。
何せ、『普通の人』は皆、毎朝これを見ながら平然と朝食を食べ、一日を始めるわけなのですから。
ただ、私の心が弱い。それだけのことなんでしょう。
「はあ……他人に興味を持とうと頑張っているつもりなんだけどなぁ……」
「ん? なんか言った?」
「別に。なんでもないよ、なんでも」
毎日、こんな苦痛をなんでもないように平気で受け止めて、食べ物が喉を通る『普通の人』は本当にすごい、そう思いますよ。
私には一生、そんなふうになれる気がしませんよ、何年生きていても。
というのを、何の脈絡もなくふと思い出しました。
何故でしょうねえ。
「わざわざ馬車を止めてもらったと思ったら……行き倒れ?」
「いいえ……無縁仏、というやつでしょうね。もう、大分前にお亡くなりになっています。道中足を怪我して、杖を突きながら必死に前へと進もうとしていたのでしょうね……」
この世界では文化として、宗教的にも大きな意味合いがある『旅』が盛んだと言っても、それが全て安全にできるというわけではありません。
中にはこのように、運悪く怪我をしてしまい、さらに運の悪いことに馬車にも出会うことができずそのまま道半ばで倒れてしまう方もいます。
近くの街などで報告すれば、遺品の回収などをしてもらえるはずですが……
「テーレさん、申し訳ありませんが、簡易なものでも構いません。弔いをしてもらえませんか? 街での報告もしますが、その前に」
「……別にいいけど、わざわざ私たちがやらなくても誰かがやるでしょ。もっと暇な旅人がね」
「はい、わかっています」
「じゃあ、なんで? 言っておくけど、『自分たちがあと半日早くここを通ってたら』みたいなこと言わないでよ? そんなこと言ったら、余計な死まで背負い込むことになる。この先やっていけないわよ?」
「私だって、彼の死の責任なんて背負い込むつもりはありませんよ。彼も旅人ならば、彼の死は彼の自己責任。それくらいは理解しています。ただ……」
彼の無念そうな表情を見て、思ってしまったのですよ。
私の個人的な感傷ではありますが。
「誰にも出遭わなかったせいで死んでしまって、死後にやっと自分を見つけてくれた人にすら素通りされるなんて、寂しいじゃないですか。私が彼なら、『ちゃんと気付いてくれた』という証が欲しいでしょう。彼の魂がここにないとしても……私の中の彼は、そうして欲しいと感じるのですよ」
「……『心に棘が残る』ってことね。それならいいわ、私だって天使なんだし、死者の弔いくらい慣れっこよ。でもね……別に、それだってあんたが気にすることじゃないのよ」
そう言って、テーレさんは屈みこんで遺体の瞼を下ろし、小さく祈りの言葉のようなものを呟きました。
本当に簡易な弔いではありますが、本質的に天使であるテーレさんがその手で行ったということに大きな意味があるのでしょう。あるいは、弔おうという意思そのものに意味があるのかもしれません。
「この人間は、恨みや無念を残して死んだわけじゃない。確かに道半ばで不幸に見舞われて死んだけど、きっとその時その時を後悔のないように生きて来て、それなりに納得して死んだ。怨念の気配とかを感じないから、間違いない」
テーレさんは私を慰めるのではなく、目の前の人物がそうやって自身の人生を生き抜いたことを誇るように少しだけ微笑んで、立ち上がりました。
「こういうさっぱりとした死に方をした人は天界でもちゃんと丁重に扱われて、飢えて死んだならその分の満足を、痛みで死んだならその分の癒しを受けて、魂を綺麗にして転生するの。この人が最後に寂しがっていたなら……きっと、天界では手厚く歓迎されて死に際の寂しさなんて忘れるくらいにもてなされてるわ。だから、あんたがわざわざ救おうとしなくても、この人はちゃんと救われてる」
テーレさんは振り返ることもなく、馬車へと戻っていきます。
私に早く乗るように促しながら。それは、テーレさんにとって『彼が既に救われている』というのが、ことさら強調するほどでもない当たり前のことだったから、でしょうか。
「そうですか……そう、でしたね。この世界には神々が……神様が、ちゃんといるんですよね。ちゃんと……苦しいばかりではない世界に、転生したんですから」
「そうよ。だから、さっさと乗りなさいっての。あんたはこういうところで一々足を止めなくていいって言ってんの。毎度毎度、道端で見かけた死体の痛みなんて拾わなくていい。他人の死体なんかより、自分のことを考えなさいっての。自分の指を火傷しても無視してるのに他人の痛みばっかり気にして……あんたは今の私にとって大事な同行者なんだから、自分を大切にしなさいよ」
「はい……善処します」
馬車に乗り込み、もう一度だけ遺体を見てみました。
テーレさんは瞼を下しただけでしたが……その死に顔は、どこか満足げで安らかなものに見えました。
「さようなら、どうか来世もよき一生を」
もしかしたら、あそこに倒れているのも出会ったことのない『私』だったかもしれません。
けれど……満足して最期を迎えられたのならば、悼むのではなく祝福するべきかもしれません。
私もいつか、屍をさらす者として……私を弔う誰かが安心できるような死に顔を残せるように、後悔なく生きたいものですねえ。
『愛は万能薬ではないが、万病の苦痛を癒やす』
医者や癒し手なんかに診せるまでもなく、何気ない言葉が誰かを救うこともあるというお話。




