魔物との遭遇
遅くなってすみませんでした―――ッ!!
「こんなもんか」
「クゥン……」
怪我をした赤狼の治療に区切りを付け、俺は一つ息を吐きながら甘えた声を出す赤狼を撫でた。向こうでは、既に治療を施した赤狼にセナイダ達が餌付けをしている頃だろう。
本当は魔獣に対してこういう事をするのは誉められる事ではないが、セナイダのペットに対する情けと、一宿の礼という奴だ。決して俺がツンデレな訳ではない。衛生環境的にも治療すべきだと判断しただけだ。
「しかし、結構酷い怪我してたな」
「きゅぅん……」
この洞窟にいた赤狼の内、怪我をしていたのは三匹。その全てに食い千切られたり引き裂かれたような痕があり、酷い傷では腐り掛けている所もあった。恐らく他の魔獣との縄張り争いで付いた物だろうが、傷を見る限り余程熾烈な争いだったのだろう。
それにしても、既に実力だけならCランク冒険者に匹敵しているディオニシオさんと、魔力操作と度胸は一丁前なセナイダの二人を相手に一歩も引かない実力を持つ赤狼が此処まで傷付く相手がいるとは、やはり竜の山脈は恐ろしい場所だ。あまり積極的に来たいとは思わないな。
「あの、チコさん。その狼は元気になりましたか?」
「ん? あ、はい。もう元気ビンビンの筈ですよ。なっ」
「キュゥ」
赤狼の背中をポンと叩くと、気の抜けるような鳴き声が返って来る。それに対してディオニシオさんと二人で苦笑しつつ肉を置いてやると、一心不乱にガジガジと齧り始めた。怪我をして動けなかったからか、大分腹が減っているようだ。
……滅茶苦茶美味そうに生肉を齧っている赤狼を見ていると、何だか俺まで腹が減って来た。時間も丁度良いし、簡単に食事を採ってから早めに休むとしよう。
「よし、ディオニシオさん。パパッと食事の準備をしましょうか」
「あ、はい。セナイダちゃーん」
食事の用意とは言っても洞窟内で火を焚く事は出来ない為、事前にある程度の調理をしてバッグに突っ込んでおいた物を食べるだけだ。竜の山脈の幸は味わえないが、それはまた今度楽しめば良い。
今日の献立は、牛型魔獣の肉を塩と香辛料に漬けてから乾燥させた干し肉を出し汁に突っ込んで作ったスープに野菜と芋を突っ込んだ手抜き料理です。結構手抜きに思えるが、これでも冒険者の中では贅沢な方だ。酷い時にはそこらへんの野草で済ませたりするからな。
「そういえばセナイダちゃん。わんこの名前はもう決めたのでありますか?」
赤狼に囲まれながらの食事の最中、ふとアメリアさんがセナイダにそんな事を問うた。問われたセナイダはハッと目を見開くと、野性を捨てて転がっている赤狼に目を向ける。
「さっぱり決めてませんでした~」
「それなら早めに決めた方が良いのであります。魔獣は名前を付けられると、大概喜んで従うようになるのであります」
アメリアさんの説明に同意するように、赤狼がくすんと鼻を鳴らす。その目はキラキラと輝いていて、名前を付けてもらうのを心待ちにしている事が丸分かりだ。お前、さっきまで食い殺そうとしてたろ。
「う~ん……すぐには思い付かないです。明日の朝までには決めておきます~」
「それが良いのであります」
今すぐ名前をもらえなかった赤狼は、拗ねたように頭を腕の上に落とす。しかしすぐに頭を上げると、空気中の匂いを嗅いで唸り声を上げた。
各々でのんびりと寛いでいた赤狼達に緊張が奔る。怪我が治って動けるようになった赤狼は即座に洞窟の入り口へと駆けて行き、母狼は子赤狼を洞窟の奥へと追いやる。俺達も空気の変化を感じ取り、即座に戦闘態勢に移行した。
「……チコさん?」
「セナイダは待っててな。ディオニシオさん、アメリアさん」
「はい」
夜間戦闘には慣れていないであろうセナイダを待機させ、三人で洞窟の外へと向かう。恐らく、これはあの赤狼達に傷を付けた敵の襲来だ。セナイダには少々荷が重すぎる。
赤狼達は子供がいる洞窟の中への敵の進入を阻止しようとするだろうから、今の所は洞窟の中が一番安全だ。セナイダにも和を乱す事の愚は何度も説いている為、飛び出して来る事もない筈……ない筈だ。
……念の為、気は張っておく事にしよう。
「グルルルル……」
洞窟の入り口に辿り着くと、戦える赤狼が毛を逆立て、牙を剥き出しにしながら外へ向けて唸っていた。周囲が崖で囲まれている部分は月明かりに照らされているが、そこに赤狼達の目は向いてはいない。赤狼達の意識は、月明かりも届かぬ森の中に向けられている。
俺達も目を凝らして森の中を探すが、生憎と人間の目は闇夜に適応してはいない。幾ら睨み付けても漆黒の闇が返って来るばかりで、赤狼達が睨む敵の姿は映らなかった。
だが、この洞窟を襲撃しようと思うなら必ず月明かりの下に現れる筈――そう思った瞬間、森の暗闇の一角が光った気がした。
「伏せろッ!」
「うわっ!?」
咄嗟に隣のディオニシオさんを引き倒しながら倒れ込むと、俺達の頭上を白い光線が奔り抜けた。振り向いて確認すれば、光線が命中したと思しき岩肌が赤熱してジュウジュウと音を立てている。
一瞬の照射だったにも拘わらず、岩をも溶かしてしまうほどのエネルギー。もし直撃していたら、俺達の体には綺麗な風穴が開いていただろう。発射から命中までのタイムラグも殆ど無い。何処のレーザー兵器だ。
赤狼達も光線に危ない物を感じたのか、森の中からは死角になる場所に身を隠しながら外を警戒している。俺達もそれに倣い、洞窟の厚い岩陰に身を隠しながら外の様子を窺う。
恐らくだが、あれは魔獣ではなく魔物だ。放出系魔法に似たような効果を発揮する物はあるが、あれほどの威力の魔法は天使でなければ扱う事は出来ない。そして天使が無意味に魔獣を狩ったりする事は有り得ないし、何よりも俺が察知出来ない筈がない。
それなのに、森の中にいる奴の気配に俺は気付けなかった。いや、今も何処にいるか全く分からない。魔物とは初めて遭遇したが、これほど厄介な奴だとは思ってなかったな。
「……アメリアさん、避けられそうです?」
「……厳しいでありますな」
「それならディオニシオさんと一緒に入口を守っていて下さい」
アメリアさん達と一緒に待つように赤狼達を見た後、俺は壁を蹴って一気に洞窟から跳び出す。即座に森の中から光線が発射されるが、崖の岩を蹴って軌道を修正し、それを躱しながら着地する。
地に足が着いてしまえば此方の物だ。ジグザグに回避しながら森の中へと突進し、光線の出所へ向かう。そのまま限界まで体を前に倒し、剣を抜きながら地を蹴った。
光線が頭上を照らすと同時に、背中から前方へと放たれた剣が光の根元を斬り割く。確かな手応えと共に生温かいネバネバした液体が散り、湿っぽい音が地面から響いた。
剣にへばり付いた液体を振り払いながら振り向くと、森の暗闇の中で地面に横たわる気味の悪い魔物の残骸が見えた。暗い色合いのそれは、巨大な目玉の周りがテカテカとした触手で覆われているというグロテスクな見た目をしている。
……クトゥルフ神話のシアエガの表面に粘液を塗りたくった物とでも言えば分かりやすいだろうか。
しかもただでさえグロいそれが両断された事で……いや、止めておこう。とりあえず、成人向けになっているとだけ言っておく。めっちゃグロい。吐きそう。
ひとまずこの死骸は回収してサンプルにするか、嫌だけど――そう考えた瞬間、腹部に唐突な違和感を感じた。
「――ッ!」
咄嗟に後ろへ跳ぶと、さっきまで俺の頭があった場所を光線が駆け抜けて行った。もう一匹、同種の魔物が潜んでいたらしい。そんな事にも思い至らないとか、リハビリ中に鈍ってしまったかもしれない。
腹部に目をやると、表面を抉るように焼けた痕があった。光線のエネルギーがあまりにも高すぎて、痛みすらも感じなかったか。というか――
「――運が悪かったら死んでたな……」
額に冷や汗が滲むのを感じながら、光線が放たれた方向へ向けて走る。傷は活性をしておけば勝手に治るし、今の所は問題ない。脅威を殲滅するのが先だ。
木々の間を走り抜け、目標が間合いに入った瞬間に回転、横一文字に斬撃を放つ。再びの手応えと共に体液が飛び散り、今度は木に降り掛かってベチャベチャと生々しい音を立てた。
「……もういないか」
暫く周りを探ってみたが、魔物は殺した二匹だけで打ち止めのようだった。とりあえずぐちゃぐちゃになった魔物を革の袋の中に密閉してバッグに突っ込み、洞窟の方へ戻る事にする。
……どっかに水場ないかな……セナイダに頼むか……。
時間的にはちょっとしか離れていなかった筈なのだが、そのちょっとの間に別の魔物に回り込まれていたらしい。洞窟の入り口周りが、あの光線と同じ物で穿たれた痕に囲まれている。
「無事か!?」
慌てて飛び込むと、俺と同じタイプの魔物二匹がぐちゃぐちゃになって転がっていた。片方は鋭利な刃物で滅多切りにされていて、もう片方は最早原形を留めておらず、べたべたとしたなにかのかたまり状態になっている。そしてその傍らには、刀を抜いたディオニシオ・アメリア夫妻と、口元を白くネバネバした臭い液体のような何かで汚した赤狼達が立っていた。
「あ、チコさん。無事でしたか」
「……うん、普通に無事ですよ」
格好良く刀を収めたディオニシオさんに脱力しながら、赤狼達に怪我が無いかを見る。幸いにも奇襲で一気に押し潰した為か、怪我らしい怪我は全くしていなかった。ただ、近付いた俺に白い物を吹き掛けるのはやめろ。
「チコ殿、他に奴らはいたでありますか」
「いや、もういないっぽいです。ただ、絶対とは言えませんけど……」
「ふむ。赤狼達も今は落ち着いているようでありますし、問題ないと思うであります」
冒険者歴では俺よりも結構上のアメリアさんがそう言うなら、多分問題ないだろう。実際に俺達よりも早く魔物の接近に気付いた赤狼達も洞窟の奥へと戻り始めているし、俺達も早めに戻ってセナイダに洗ってもらうとしようか。
……それにしてもあの魔物、結構どころかかなり厄介だな。気配が無い上に攻撃が一瞬で行われるとなると、魔獣と比べて動物的な感覚に劣る人間は素人・達人の境なく一撃で殺される可能性が高い。俺も一歩間違えれば、頭を打ち抜かれて死んでいた。
それを避ける為には周辺警戒を怠らない事は勿論、視界の通らない場所を極限避ける等の必要が出て来る。しかしそんな事をしていては、冒険者稼業は当然として、一般の経済活動や移動にも問題が出てしまう。
魔法で保存が効く分物資や食料を街毎に集中生産する傾向があるこの世界では、各街の間を寸断されるだけで死者が出てしまう。食料を運べなくなってしまうからだ。食糧を生産する術を持たない街が孤立すれば、待つのは死だけになる。
今はまだ目立った被害が出ていない上に、冒険者の数も揃っているから問題は出ていない。しかしこれが長期化すれば腕の立つ冒険者の数は確実に減り、やがて人々は街毎に孤立して互いに争う事になってしまうかもしれない。
そうならない為にも、何らかの魔物対策が早急に必要なんだが……魔導具の開発を進めるか、恒久的に維持する事が出来る探知系の魔法の開発を待つ以外の方法が思い付かないんだよなぁ……。
「チコさん? 汚れ落としますよ~?」
「あ、うん。よろしく」
何時の間にか隣に来ていたセナイダに水を掛けてもらいながら、他に手立てがないかを考える。まぁ考え付いた所で、王都に帰るか天使に会うかしなければ伝えられないんだけどな。
「怪我は大丈夫ですか~? 染みます~?」
「大丈夫大丈夫、もう治ってるから」
「それなら問題ないですね~。はい、じゃあ後は着替えてくださ~い」
そう言って、セナイダは赤狼達の口をすすぎに洞窟の奥へと走って行く。それから暫くして、ジャバジャバという音と共に逃げようとする赤狼の悲鳴と追い駆けるセナイダの楽しそうな笑い声が聞こえて来た。
「グルっ」
「うおっ、最初にすすがれたのか」
「グルル」
喧しい一人と数匹から逃れるように跳んで来たわんこの撒き散らした水を躱し、布で簡単に拭いてやる。わんこはそれに逆らわず、気持ち良さそうに拭かれている。お前、俺じゃなくてセナイダに屈したんじゃないの?
全く、狼の癖に強かで狡い奴だ。夕方に遭遇した時にはちょっと焦ったのに、それが馬鹿らしく思えて来る。まぁ良い、降ったんだからその力も感覚も全部俺達の為に役立てて――
「――それだ」
「ぐる」
「でかしたぞわんこ!」
「キャインッ!?」
比較的容易な魔物対策を思い付いた俺は、隣で伏せていたわんこの頭をわしゃわしゃした。




