山脈の竜
「それじゃ、任せたぞ」
「きゅぅん」
首にリボンを巻き付けた赤狼達の内の一匹の頭をぽんと撫でると、可愛らしい鳴き声が返って来た。一日で懐き過ぎだろ、と思ったが、怪我を治療してあげた事を考えると普通なのかもしれない。
その赤狼達だが、これからグランテーサ王国の王都へ向かってもらう事になっている。イラーナさんに魔物対策の手紙を送ると同時に、その対策に協力してもらう為だ。ついでに友人やエルへの手紙も持たせている。
住処や縄張りを捨てる事になるが、彼らもこの場所を維持するのは大変だと感じていたのか、提案をすると即座に旅立ちの用意を始めてくれた。現群れのリーダーであるわんこ――もといココの一吠えも大きかったかもしれない。
間違って狩られるかもという懸念はあるが、あの身体能力を見る限りAランク以上の冒険者に絡まれでもしない限り大丈夫だろう。リボンも付けているし、人を襲わないよう言い含めているから狩る対象になる事もない。
……大丈夫だよな? な?
「チコ殿、そろそろ出発するであります」
「あ、はい。よし、行って来い」
「きゅるる」
俺を呼びに来たアメリアさんに返事をし、赤狼の尻を軽く叩いて送り出す。軽やかな足取りで走り出した赤狼達は、途中の木の枝の上で一度振り返って高らかな遠吠えを上げ、森の中へ消えて行った。お別れの挨拶かな?
「中々面白い狼達でありましたな。もう戦うのは懲り懲りでありますが」
「確かに」
移動を主目的としているときに、簡単に金になる魔獣なら兎も角強くて厄介な魔獣と戦いたくなんてないわな、普通は。俺は喜んで向かっていくけど。
さて、それは後にしてそろそろ出発しなければ。例の山にある迷宮の突破にどれだけの時間が掛かるか分からないのだから、早く進むに越したことはない。
「よし、じゃあ出発しましょう」
「は~い」
何時ものようにセナイダを背負い、俺達は赤狼達とは反対の方向へと走り出した。
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「遠目から見てた時から思ってたけど、やっぱりデカいな……」
「凄いです~……」
「壮観ですね……」
「寒そうであります……」
「クゥ~ン……」
赤狼達の巣を出て八日後、王都から数えれば十二日が経ったその日の昼頃、俺達は竜の山脈の中心にある高い山と思しき山の麓近くにまで辿り着いていた。標高の高いこの辺りは既に真っ白な雪に覆われ、身を切るような風がぴぅぴぅ吹き荒れている。
そしてその中で威風堂々たる姿を晒しているその山は、途中で雲で隠れているものの、周りの山と比べても一段と背が高く、美しい形をしていた。火山のような滑らかな美しさではなく、長年の隆起と風化を経て荒々しく削れた野生の美しさ……そう、地球で言うならエベレスト。モンブラン。マウント・キタ。そんな感じ。
しかしこの山、雲に隠れている部分の太さを見る限り、標高八千メートルじゃ収まらないな。あのまま順調に絞られていくとすれば、標高一万は優に超えているんじゃないだろうか。専用の器具も何もないから調べられないけど。
「あの、あれが目的地ですよね?」
「アベルさんの話を聞く限りはそうです。エルは明言こそしてなかったけど、この山を目指す事を前提にしているとは思います。満月とか言ってたし、目立つし」
「なるほど……」
エルの件については完全に予想でしかないが、まず間違いはないだろう。今まで何度か別の山の山頂にまで登って竜の山脈を見渡して来たが、あの山ほど目立つ物はなかった。ファンタジーでも鉄板だし、それに至るまでの俺の思考をエルが予測していない筈もない。
……なんか俺、ちょっと盲目的になってる……? まぁ良いか。嘘なら分かるし。多分。恐らく。喜んで。決してエルになら騙されても良いとか思ってないから。それはショックだから。
「チコさん? 大丈夫ですか~?」
「ハッ! 大丈夫大丈夫」
暗黒面に堕ちかけていた意識を何とか引き揚げ、次の目的について頭を巡らせる。とりあえず、あの山の頂に登るのが最終目的。それに至るには、アベルさんの言っていた迷宮の突破が必要。その為には、迷宮の入り口を発見しなければならない。
「……よし、ひとまずあの山の麓にまで行きましょう。風を凌げる所で一晩を明かして、それから探す物を探します」
「了解であります!」
方針を決めた所で、俺達は移動を開始する。森の中のように駆けるのではなく、慎重に滑らない足場を選んでの跳躍移動だ。足を滑らせても何とでもなる俺が先行し、その後をセナイダonココ、ディオニシオさん、アメリアさんが追いかける形となる。
当然ながら、道中には魔獣が出た。雪の中に潜み、獲物が通った瞬間に飛び出して来る芋虫のような魔獣や、白い狐、熊、鳥などなど様々な魔獣が行く手を遮って来る……が、一々相手をしている暇はない為、邪魔な奴だけ蹴り飛ばして後はスルーしている。
魔獣達も一度逃げた相手を追う事はせず、赤狼達の時のように足止めをされる事はなかった。強さ的には赤狼も及ばぬほどの物があるのだが、この厳しい環境では下手にエネルギーを消費したくないのだろうか。
そう思っていたが、すぐにそんな事を考える余裕はないと気付いた。ふと目に入った山の頂から、尾を引くように雲が現れ始めている。他の山々も同じで、その雲は瞬く間に空に占める割合を増やしていった。
山の天気は非常に変わりやすく、悪天候は長続きする。後一時間もしない内にこの辺りは雲に覆われ、吹雪になるだろう。急いで風を凌げる場所を見つけないと、冗談抜きで死ぬ。凍え死ぬ。
「ちょっと急ぎますよ!」
後方へ向けて叫び、移動の速度を上げる。空気が薄い為、負荷を掛ける事にはなるが、そんな事は言ってられない。あの山の麓まではあと少し、天気が崩れるまでに何とかして辿り着かなければ……。
そう思った瞬間、突然目の前の白い斜面が隆起した。
「ぬおッ!?」
慌てて足を止め、後方から飛んで来るココの体を掴んで止める。その間も決して目の前の斜面から現れる何かから目は離さない。――目を離してしまえば、今にも呑み込まれてしまいそうだから。
呆然とした俺達が見上げる中、それは雪を払い落として段々と全容を明らかにして行く。金属のように輝く青銀の鱗。それに覆われた巨体。バサリと広げられる屋根のような翼。しなやかにうねる尾。それだけで巨大な駅ほどはあろうかという頭。
増殖し続ける雲の切れ目から覗く太陽の光を反射しながら、全長百を優に超えているであろう巨竜がずんぐりとした首を持ち上げる。巨大な四肢と翼を併せ持つその竜はそれだけで巨大な威圧感を放ち、その存在を天の下に示していた。
一目見ただけで確信出来た。この竜は春先に俺とエルが戦ったあの黒い竜よりも遥かに上位の存在――上級魔王の、その更に上を行く存在だと。例え俺一人であっても、全力でなければ一瞬で雪上の染みと化すであろうと。
これが竜の背鰭のようだと揶揄される山脈の奥地を住処とする竜――平地に住む魔獣とは強さの格が違う魔獣達が住まう魔境の、最頂点に立っているであろう存在。天使や化物を除けば、世界の頂点に近い場所に立っていた桁違いの強者――
その竜の巨大な双眸が俺達を捉え、ゆっくりと顔が此方に近づいて来る。地響きのような音が耳を穿ち、圧倒的な圧力に心臓がバクバクと脈動して緊張している事を大げさに示す。
「ひぅ……ぁ……」
後ろからセナイダの怯えた声が聞こえた。当然だ。この迫力の顔が目の前にまで迫って来て、怯えずにいられる人間が何処にいようか。怪獣に薬を注射ではなく直接飲ませた某勇敢な人ほど肝が据わっている人間など、現実には存在しないんだよ。
そんな事を考えている内に、竜の顔が手を伸ばせば届くんじゃないかと思える距離にまで近付いて止まった。縦に割れた金色の目が目視出来るほどに近付いた迫力満点の顔に、どんな反応をすれば良いのか分からなくなる。
「……ど、どうも」
最終的に口を突いて出たのは、そんな間抜けな言葉だった。幾ら竜が人語を介するからと言っても酷過ぎる。それを自覚すると同時に、引き攣っていた顔が更に引き攣るのが分かった。
そして、それに対する竜の反応はない。
「…………」
「…………」
互いに無言無動の相対。竜は微かに体を揺らす以外の行動を起こさず、俺達は緊張で動く事が出来ない。いや、厳密に言えば動く事は出来るが、その先に何が待つのかが分からずに動きを封じられている。故に、竜が動かなければ俺達も動く事は出来ない。
やがて日の光が雲に遮られ、風が冷たさを増し、谷からもくもくと白い霧が這い上がって来て――その時になって、漸く竜は行動を起こした。
畳んでいた翼を猛々しく広げ、首を上に持ち上げるようにして大きく空気を吸い込む。俺は竜種固有の攻撃方法でもある竜の息吹が来るかと即座に身構えたが、それよりも早く竜は空気を吸い込むのを止め、頭が爆発したと錯覚してしまうほどの大音量を喉から吐き出した。
巨大な竜の咆哮が山から山へと伝わって何重にも反響し、増幅する。あまりの大音量に耳を塞ぐが、それでも音の暴力は脳髄をガクガクと揺さぶって離さない。三半規管がイカれたのか、若干頭がクラクラする。
だが、竜が俺達から視線を外したこのチャンス――逃がす訳にはいかない。
「逃げるぞ!」
聞こえるとは思わないが、後方へ振り返って叫ぶ。すっかりおびえ切ったココとココにしがみつくセナイダ、そしてその後方で硬直していたらしいディオニシオさんとアメリアさんが確かに俺を見た事を確認して、今出せる最高速度での離脱を開始する。
「――お邪魔しましたーッ!!」
一応、その言葉も忘れずに置いて行く。日本人足る者、常に礼儀正しく。挨拶大事。
幸いにも、咆哮を止めた後もあの竜は俺達を追って来る事はなかった――代わりに長い時間睨めっこをしていた所為で、見事に吹雪の中の強行軍をする羽目になってしまった。
視界が完全に塞がれている為、既に移動方法は歩きへと移行している。互いの体をロープで結び、寒さに耐えながら一列に目的の山があるであろう方向へ歩き続ける。今までの旅の中で、まず間違いなく一番体力を使う行動だ。
特に、体力に劣るセナイダの消耗が激しい。体が小さい分雪を掻き分けるのにも一苦労する上に、凍える風が更に体力を奪って行く。ココがサポートをしているが、限界も近い。
早めに休める岩陰や洞窟を探したい所だが、この視界ではそれも難しい。水蒸気と雪で物理的に視界が塞がれている為、明かりを付けた所で特に役には立たない。結界を広げて無理矢理視界を確保する荒業もあるが、人であるセナイダにそれが出来る筈もない。
魔道具という便利グッズの中にも、この状況を打開出来る物はない。一応冷暖房完備のホテルテントなる物はあるが、この吹雪の中では設営も難しいし、下手したら埋まって動けなくなる。あったかいとはいえ、生き埋めは勘弁願いたい。
「そうなると、雪洞を掘るしかないか」
雪洞。その言葉が示すのは言わずもがな、雪の洞窟だ。雪山で遭難した時にまず拵えるべき砦である。雪でもって雪を防ぎ、風を凌ぎ、嵐が過ぎ去るのを待つのだ。
掘るのに手間は掛かるが、身体強化が使える為時間はそれほど掛からない。雪もそれなりに締まっているし、穴が掘れないという事もないだろう。寒いなら火を熾せばいいし、魔道具もある。よし、決定。
「全員、いったん止まって!!」
吹雪に掻き消されないよう目一杯叫ぶと、後ろの三人と一匹が何事かと近づいて来る。俺はセナイダに懐炉っぽい魔道具を追加で渡してやりながら、ディオニシオさんとアメリアさんに雪洞を掘る手伝いを頼んだ。
「お安いご用です!!」
「さっさと掘ってあったまるであります!!」
「おし、じゃあ目標は二十秒!!」
吹雪に辟易としていた為か、ホッとした表情を見せた二人と一緒に雪を掘り進めて行く。手掘りではあったが、身体強化のお蔭ですぐに全員が座れる程度の広さが掘れた。
そうしたらセナイダを中に入れ、後は明かりを確保して拡張作業だ。相変わらず雪と空気は冷たかったが、風がない分雪洞の中はとても暖かく感じる。そのお蔭か体もすぐに温まり、作業も順調に進んだ。
――進め過ぎた。
「あの、チコさん。これって洞窟じゃないですか?」
「……見たいですね。それも人工的な」
額に薄らと汗を浮かべるくらい熱心に拡張をしていたディオニシオさんが発見した物。それは岩肌にぽっかりと空いていた、人一人が通れるくらいの長方形の洞窟――通路だった。現在地から考えて、まず間違いなく迷宮の入り口と捉えても良いだろう。
「目的地は雪の下……こんなの分かる訳ないじゃん……」
雪洞を掘った所に入り口があった幸運を喜びつつ、俺はあまりにも理不尽な場所にある入り口の情報を教えなかった天使を後で〆ようと決心した。アベルさん、迷宮よりもこれが一番重要じゃないか、と。




