山脈の赤狼
季節の流れとは早い物で、気付けば出発の日がやって来た。すっかり冬の気配を身近に感じるようになった王都の空は、どんよりとした灰色。守衛も寒さの為か何時もより辛辣で、俺達の門出を祝福してくれたのは見送りに来たエルだけだった。
「気を付けて下さいね」
「おう。また一ヶ月後な」
心配そうな表情をしたエルの頭をポンと叩き、門の向こう側へと進む。その後ろに、セナイダ、ディオニシオさん、アメリアさんの三人が続いた。
「エルお姉ちゃん、行って来ます~」
「あの、行って来ます」
「子供の監督は任せるであります!」
「……はい、行ってらっしゃい」
漸く普段の無表情になったエルに見送られ、竜の山脈に向けて歩き出したのが四日前。身体強化を付加しつつ三人を抱えて爆走すると言う超力技で竜の山脈の麓に到着したのが三日前。そして現在は二つ目の尾根を越えている最中なのだが……。
「ディオニシオさんッ! 背後ッ!!」
「うわっ!? このッ!」
未知の狼型魔獣三匹の襲撃を受けた俺達は、人間の反応を超えた速度で動く魔獣に防戦一方となっていた。俺やアメリアさんは何とか対応出来ているのだが、経験が足りないディオニシオさんとセナイダは殆ど対応出来ていない。
早く目の前の赤い狼を斬り捨てて援護に入りたいのだが、一匹では俺に勝てない事を察して回避に専念して来る所為で中々刃が当たらない。身体強化を使う俺と同等の速度で回避に専念するとか、頭が良すぎるんじゃないの。
濃縮付加を使えばすぐにでも斬り捨てられるのだが、生憎と今は封印中。勿論本気でヤバくなったら使うが、何時破壊の精霊が顔を出すか分からない以上、本当に危なくなる寸前まで使えない。故に自力で何とかするしか無い訳だが、さて……。
「ふぅ……」
より深く感覚を研ぎ澄ませ、赤狼が何処へ意識を向けているか探る。野生の生物とはいえ、多少は考えて動いている筈。確定とは行かずとも、何箇所かに絞り込む事が出来れば――
「……捉えたッ!」
魔獣の跳ぶ方向に剣先を突き出し、一気に振り抜く。一瞬何かに引っ掛かるような感覚と共に赤毛が飛び散り、甲高い悲鳴が上がる。振り向けば、体勢を崩した狼が木に顔面を叩き付けていた。
流石の狼も衝撃への耐性は無かったのか、舌を出してバタリと倒れ込んだまま動かなくなる。その狼の首を掻き切って息の根を止めた俺は、即座に反転してディオニシオさんの背後に陣取った。
「チコさん!」
「一気に決めるぞ」
「ハイっ!」
呼吸を合わせて飛び出し、ディオニシオさんと背後のセナイダを狙う赤狼を追い立てる。俺が加わった瞬間即座に反転して逃げ出した赤狼だが、上手く誘導して逃げ場を塞ぎ、地獄の窯の口へと追い込む。
「セナイダ!」
「任せて下さい!!」
頼もしい返事と共に、荒々しい橙色の魔力の霧が迸る。直後、離れた場所でも痛いほどの熱を感じる灼熱の炎の嵐が吹き荒れ、赤狼の着地点の周囲を完全に覆った。
逃げ場を完全に塞がれた赤狼は唸りながら上空へ跳ぼうとするが、そこは既に俺とディオニシオさんの間合いの範囲内。木々の上から睨まれた赤狼は、身動き一つ取れずに唸るだけとなった。
此処まで追い込めば、後は俺とセナイダだけで封殺出来るだろう。残る脅威は、アメリアさんと戦っている赤狼だけだ。
「ディオニシオさん、アメリアさんの所をお願いします」
「分かりました」
俺の指示に頷いたディオニシオさんは、赤色の魔力の燐光を残してアメリアさんの所へ駆けて行った。俺とエル並みに息の合うあの二人なら、強力な赤狼でも倒す事が出来るだろう。
夫婦が赤狼一匹を相手にしている間に、セナイダの放った紅蓮の炎の蜷局に巻かれている赤狼を観察する。外観は赤い事を除けばEランク魔獣の噛付狼――所轄デカいだけの狼と大差ない。爪も牙も、際立っている部位などもない。
それなのに、身体スペックは実に数倍から数十倍は上。正に狼に滅茶苦茶な力を持たせてみたような魔獣だ。人間に滅茶苦茶な力を持たせてみた俺とそっくりだ。
そんな赤狼も、今や炎に巻かれて死ぬのを待つばかり――と思っていると、赤狼は徐に地面に寝転がり、仰向けになって腹を見せた。狼型魔獣を含めた犬系の魔獣がする降伏のポーズだ。
あぁやって降伏の意を示した狼型魔獣は、もう襲って来る事はない。場合によっては恭順の意を示し、従魔となる事もあるらしい。となると、もう魔法を解いても安全だろう。
「セナイダ、もう魔法解いても良いぞ」
「は~い」
セナイダが手を一振りすると、魔力によって生み出され維持されていた炎はあっという間に霧散した。未だに肌を焦がすような熱の渦の中心で腹を見せていた赤狼は、舌を出して喘ぎながら上空へと跳び、セナイダの目の前に着地して再び腹を出した。
「……この狼は何をしているんですか?」
「負けを認めるので許して下さい、何でもしますからっていう意味のポーズをしてる」
一瞬で俺の背後に移動したセナイダに教えてやると、赤狼は恨めしげに俺を見上げて来た。犬は三歳児並みの知能を持つと言うが、普段は絶対に触れる事が無いであろう人語のニュアンスを理解するか……知り合いに竜種でもいるのだろうか。
「へぇ……何でもするんですか~」
ニッコリと笑みを浮かべたセナイダは、そろそろと俺の後ろから前に出て赤狼に接近する。一瞬体を強張らせた赤狼だが、威圧で無理矢理黙らせた為、逃げたりセナイダに手を出したりはしないだろう。出したら殺す。
逃げる事も反抗する事も出来ない哀れな赤狼は、プルプル震えながら怯えた目でセナイダを見上げる。そこに圧倒的な速度でディオニシオさんを甚振っていた時の威厳は無い。あるのは、自分の動きを封じたあの圧倒的な魔法の使い手に対する恐怖だけだ。
「それならもふらせてもらいますっ!」
「キャインっ!?」
「硬いっ!? 意外と硬いっ!」
哀れワン公。お前は今日からセナイダのペットだ。
「チコさんッ! 無事です……か……」
「おぉ、何だか面白い事になってるであります」
完全にセナイダのペットと化してもふられているワン公を眺めていると、ドロドロのボロボロになったディオニシオさんとアメリアさんが戻って来た。特にディオニシオさんは色々と危ない所が見えたりしているが、大きな怪我はしていないようだ。
その二人の目線は、ワン公と戯れるセナイダに釘付けになっている。そりゃあさっきまで命のやり取りをしていて、何とか勝利を収めた相手がペットに成り下がっていたら目が点にもなるか。
「あの……何があったんですか……?」
「あー……この赤い奴、セナイダに降りまして」
「なるほど、懐いたのでありますか
冒険者歴が長いだけあって、アメリアさんは即座に状況を把握する。ディオニシオさんはまだ分からないようだったが、師匠であるアメリアさんが会心のドヤ顔を披露しながら説明した。
「要するに、何でもするから助けて下さいって事であります」
「な、なるほど」
説明が適当すぎる気もするが、一応合ってはいる為何も口を挟まないでおいた。赤狼からの抗議の目線の圧力が増した。だが、それに付き合っている暇は無いんだ。
「狼と戯れる前に、今日の野営地を探しに行きますよ。後二時間もすれば日が暮れてしまいます」
「む、もうそんな時間でありますか。急がなければならないでありますな」
この赤狼もそうだが、尾根を越えた先の竜の山脈の魔獣は恐ろしいほどに強い。可愛らしい兎の魔獣が、Cランク魔獣に劣らぬほどの力を持っている魔の地。油断してしまえば、あっという間にミンチにされる。
高い山々に囲まれた竜の山脈の夜は早い。まだ太陽が顔を出している今の内に野営する場所を見つけなければ、あっという間に森の夜に包まれて何も見えない中で強力な魔獣にミンチにされてしまう。
「近くに洞窟か何かがあれば、占領して野営地にするんだけどなぁ……」
「あの、探すのは難しいと思います」
「ですよねぇ……仕方ない、その辺りにある崖か岩を探しましょう」
周囲が完全に囲まれていない分洞窟よりも危険だが、それでも背後と頭上がカバーされているのは大きい。気配を配らなければならない範囲が減るし、背後に回り込まれて挟撃される事も無い。いざとなれば、登って逃げてしまえば良い。全冒険者にとって、岩と崖は頼れるセーフティーハウスなのだ。
「グルッ」
「ん~? どうしたのですか~?」
一先ず二人一組で野営地を探そうと話していると、セナイダに弄ばれていた赤狼が低く喉を鳴らした。目を向けてみると、体を起こした赤狼が俺達の方を見て尻尾を振り回している。
「もしかして、良い場所があるんですか~?」
「グルっ」
セナイダが問い掛けると、赤狼は高めに喉を鳴らして頷く。そして尻尾を大きく一振りすると、数歩分駆けてからまた振り返った。
「お、案内してくれるでありかすか」
「確かに現地住民だからな。知っててもおかしくないか」
正確には住んでいる訳ではないが、群れでこの辺りを縄張りにしていたのだから周辺の地形位は把握しているだろう。狼型魔獣が従魔になった時の一番のメリットは、こういう時に率先して役に立ってくれる事だと思う。
「よし、それじゃ、この赤狼に任せよう。セナイダ、おいで」
「は~い」
「ッ!? ……グル」
騙したら殺すという意味を乗せた殺気を赤狼にぶつけてから、魔力が濃い為循環系魔法を使えないセナイダを抱き抱える。そしてディオニシオさんとアメリアさんに目配せをして、走り出した赤狼を追い駆けた。
魔獣が踏み固めたであろう獣道や大きな木の枝の上等、赤狼は俺達が走りやすい所を選んで進んで行く。それを追い駆けて行く内に周りの森は段々と様相を変え、針葉樹が主体になった暗い森から広葉樹が生い茂る明るい森へと変化して行った。
方向的には竜の山脈の中央部へと向かっているが、少し標高が下がり過ぎている気がする。竜の山脈は方位磁針が上手く働かない事が多い為、あまり尾根を見失いたくは無いのだが、赤狼はそんな事お構いなしにずんずん進んで行く。
……まぁ困ったら赤狼にまた案内させれば良いか。
そう思い直し、空中を跳びながらセナイダを抱え直す。最初はピャーピャー騒いでいたセナイダも、今はすっかり落ち着いた様子で抱えられている。こんな幼い内から非日常の中を連れ回して、お兄ちゃん、セナイダの将来が心配です。
「グルっ」
そんな事を考えている内に目的地に到着したらしく、地面にシュタっと降り立った赤狼が動きを止めて振り返る。俺達もそこで止まりながら辺りを見渡すと、なるほど、さっき俺が挙げた通りの条件が揃った良い場所だった。
辺りはU字型の絶壁に囲まれていて、その所々に丁度良い洞窟が開いている。更にそこへ続く足場等は殆ど無く、ただ突き出ている岩や地形を利用して跳んで行かなければならないという、俺達に易く他に難い最高の洞窟になっていた。
その洞窟の一つからは、恐々と俺達を窺う影が幾つか。この赤狼、自分達の巣へと俺達を招待したらしい。
「何と言うか、忠義に溢れていると言うか……」
「あの、これ大丈夫なんでしょうか……?」
「ディオニシオ、安心するのであります。チコが脅せば誰も手出しはして来ない筈であります」
俺達が顔面を突き合わせて囁き合っている間に、俺達を案内して来た赤狼は軽やかに崖を駆け上がって洞窟へ入り、俺達の方へ一吠えした。どうやら入って来いと言っているらしい。群れの仲間はどうするんだ。
「よ~し、チコさん、行きましょう!」
「はいはい……」
一先ずうちのお姫様の意向を優先して、赤狼達の洞窟へと跳ぶ。獣特有のツンとした臭いが鼻を突くが、意外にもそこまでキツくは無かった。キツくても慣れているから問題は無いが、臭いが弱いに越した事はない。
そしてその中では、子供を抱えた母狼や怪我をした狼といった動けない赤狼が何匹も寝そべっていた。暗闇の中で目だけを光らせ、警戒するように俺達をジッと見つめている。その狼達を、俺達を連れて来た赤狼が軽く唸る事で宥めていた。
「うわぁ、小さいのから大きいのまで一杯います……」
「あの、怪我してるのも多いです……」
セナイダとディオニシオさんは無邪気に感想を述べていたが、赤狼の意図を察した俺とアメリアさんは、顔を見合わせて深い溜め息を吐いた。
「まさか、と思うでありますが……」
「コイツ、一夜の寝床と引き換えに俺達を見張りに使う気じゃないだろうな」
睨み付けると、赤狼はそっぽを向いて尻尾を振った。
新しい生活が始まる季節です
私も新しい生活が始まります
という訳で、ちょっと更新が遅れるかもしれません
一応次話まではちゃんと書き上がってるので、許して下さいお願いしますなんでもしますから




