開戦
あらすじ
フラグは立てる物
味方が陣形を整えているのを横目で確認しながら、空間の裂け目から次々と現れる異形を観察する。見れば見るほど気持ちの悪い敵だ。形だけは人の物をしているが、紫色の皮膚がドロドロに腐って滴り落ちている。
「全く、何処の公害怪獣だよ……」
俺が小さく呟いた間に、また耳障りな音を立てて広がった裂け目からボタボタと腐った人型の敵が産み落とされる。その度にベチャベチャと湿っぽい音が鳴り、液体化した肉が散った。
瞬く間に平原の一角を埋め尽くしたそいつらは、ゆっくりと俺達が陣を敷く方向へ向かって来ている。その様子は宛ら、名状し難い冒涜的な何かが這いよって来ているようだ。
さて、その神話生物達の正体だが、恐らくはゾンビや死人と称されるアンデッドの類だろう。生物であれば持っている筈の意思や自我という物を感じないし、あそこまで体が腐って中身が見えているのに脳が生きているとは思えない。誰かが何らかの手法で操っていると考えるのが自然だ。
最も、そういった技術や知識を持たないこの世界でその正体に気づける者は極少数だろう。俺は前世の知識があったから気付けたのであって、それがなければ他の人と同様に、化け物や異形、魔物と判断していたと思う。
それは兎も角として、このゾンビ共はどうやって倒すべきか。ゲームよろしく頭を叩き潰すのか、四肢を壊して動けなくすれば良いのか、それとも骨と骨の間を分けてしまえば良いのか。
……放出系魔法が使えないのを此処まで恨んだ事はない。何が悔しくて腐肉に触らなきゃいけないんだ。
出来ない事を悔やんでも仕方がない。俺は溜め息をひとつ吐き、意識を切り替える為に深呼吸を――
「くッさッ!?」
オエッ、ゲボッ、腐敗臭が此処まで……ッ! は、鼻が?げる……ッ!
……ふぅ。
意識から嗅覚を切り離し、周囲の状況を確認する。ゾンビ共は着々と武器を構える兵達の元へ迫っており、一部では既に放出系魔法によって攻撃が開始されていた。基本的には前線を濃縮付加を扱える戦奴で堅め、後方から放出系魔法で叩く戦法を採るらしい。
最終目標は、敵が現れる空間の裂け目への到達。そこまで行けば後はオリヴィアさんが何とかしてくれるらしい。その為、前線部隊は放出系魔法で敵を排除した隙に前進する事になる。
となれば、俺の役割は戦奴達と同じ、前線で敵を足止めしながら前進する事か。濃縮付加が使えないとはいえ、一般の兵よりは役に立てる。
――俺は剣聖だからな。
何時の間にか十歩の距離まで迫って来ていたゾンビの脇に潜り込む。狙いは一箇所、体と頭蓋を繋げる首。
湿っぽい音と同時に、剣を握る手に負荷が掛かる。普通の人間よりも相当硬い。強化されているのか、はたまた世界の差か。
だが、ゾンビの首は確かに墜ちた。醜い腐汁を撒き散らしながら、ゴロゴロと転がって動かなくなる。体も活動を停止し、その場に崩れ落ちた。
どうやらこのゾンビの司令塔は頭にあるらしい。それが腐った脳なのか寄生虫なのか魔法なのかは知らないが、実に分かりやすくて結構だ。
それを確認すれば後は簡単だ。波のように押し寄せるゾンビ共の首を、片っ端から斬り落とすだけ。素早く動けない分幾らかは後ろへ逃してしまうが、そのくらい兵が何とかするだろう。
ただひたすらに、無心になって剣を振るう。時折飛んで来る炎の玉やら何やらの邪魔になる敵を斬り倒し、より効率的に敵を排除する。
それを繰り返しても、敵の数はどんどん増すばかり。既に後方の兵と合わせて数百は倒した筈だが、この波は一向に途絶えない。屍を乗り越え、肉の津波が押し寄せて来る。
「クッ……走り難い」
足元が腐肉と腐汁で滑る。バランスを崩すほどではないが、これでは最大のパフォーマンスを発揮出来ない。あぁもう、放出系魔法が欲しい。戦線下げたい。
ちらりと後方を確認すると、冒険者と神殿騎士数十名がゾンビ数体を袋叩きにしている。辺りに散らばる首のない体を見る限り、ちゃんと俺を見て学んでいるようだ。
そして、その袋叩きにしている集団の更に後方。そこに集まった凄まじい量の魔力が、一気に解き放たれて――俺を巻き込む位置に投げ込まれた。
即座に反転、離脱。直後に炎の海が空から降り注ぎ、俺のいた場所を含めて一帯を焼き尽くした。大量のゾンビがそれに巻き込まれ、炭と化しながらその機能を停止させる。
こんな大規模な放出系魔法を使うのは、俺の知る限り三人だけだ。その内、俺が察知能力や逃げられる距離を熟知していて、その通りに容赦なく撃ち込んで来るのは一人だけ。
「……後で説教だな」
死ぬかと思ったぞ畜生。
それはさておき、何処ぞの熾天使のお蔭で相当数のゾンビ共を排除出来た。少なくとも、前線部隊が排除したゾンビより数桁は多い量をだ。この間に前線を押し上げる。
……視線を感じる。何か期待するような視線を感じる。
振り向くと、冒険者や神殿騎士や兵達が皆一様にキラキラした良い笑顔で俺を見つめていらっしゃった。どうも、名高き剣聖である俺に鼓舞して欲しいらしい。
「…………」
「…………」
「……チッ」
……馬鹿馬鹿しいが、士気の向上による戦意の向上効果は意外と侮れない。此処はひとつ、剣を掲げてからまた突撃しよう。後方から耳が痛くなるほどの歓声が上がった気がしたが、気にしない事にする。
そして再び、ゾンビ共を抑える仕事が始まった。暫く押し留めてゾンビが溜まって来ると、後方から脂肪を蒸発させるほどの火炎が放たれる。その度に俺の精神は擦り切れ、熱を感じてはヒヤリとする。それを三度ほど繰り返せば、前線は裂け目のすぐ傍まで押し上げられていた。
旗色は良好だ。この辺りの戦線では所々で突破を許して数百人が犠牲になったものの、全体の損害としては極めて軽微。今の状況が続くなら、寧ろ数十万も動員したのは過剰戦力だろう。
だが、エルが認めるオリヴィアさんが率いる精鋭の帝国軍だけでは対処出来ないと判断していたのだ。この程度で終わる筈がない。恐らくこのゾンビ共の上位版や、ゾンビを制御している親玉辺りが出て来る筈だ。
あの裂け目にはもう二度ほど前進すれば攻撃出来るだろう。となると、危機感を感じた敵が出て来てもおかしくはない――そう考えた直後、裂け目から零れ落ちるゾンビの色が変わった。
先に現れていたゾンビの腐った肉の色は、毒々しい紫色だった。対して新しく現れたゾンビの肉の色は、何処までも気持ちの悪いピンク色……滴り落ちる液体はジュウジュウと地面を穢し、草を一瞬で黒く染め上げている。
恐らく、あの液体は強酸だろう。なんで腐った肉から強酸が分泌されてるんだよとツッコミを入れたいが、残念な事に元凶は向こうの世界にいて手出しが出来ない。分かる事は、あれが途轍もなく厄介なゾンビであるという事だけだ。
強酸は武具を溶かす。数太刀で名刀はただのなまくらとなり、鎧は防御力を失う。俺の剣の素材は何故か酸に反応しない黒鉄竜の体だから問題は無いが、一般の兵や騎士、冒険者達はそうはいかないだろう。
とりあえず一言で表すと、厄介。
幸いにも、酸ゾンビの数はそこまで多くない。戦奴は剣が使えなくても最悪拳で何とか出来るだろうし、優先的に排除して行けば背後への被害も少なくなるだろう。
そして再び降り注ぐ炎の海。紫もピンクも平等に焼き尽くし、ついでとばかりに俺の服を焦がすそれの大元の天使に憤りを禁じ得ない。
「あと少しだ!」
「全員気張れ! 勝利の女神がお前達に微笑みかけてくれているぞ!」
「うぉぉぉッ! エルネスタちゃぁぁぁんッ!!」
残り数十メートルまで迫った裂け目に、兵達の士気がどんどん上がる。気勢を上げて醜悪な見た目のゾンビ共を打ち払い、ただ伝えられた作戦目標の遂行の為に前進している。最早ゾンビ共に、天使による援護が付いた彼らは止められない。
でもエルの名前を叫んだ奴は後で〆る。
だが、油断は禁物だ。敵の奥の手が、あのピンクゾンビ一種類な訳がない。もっと強大な何かが、今にも現れる筈だ。
その予想は正しかったのか、押し上げられた前線がゾンビ達の先鋒に接触した瞬間、裂け目から悍ましい気配が漂い始める。四つの発生源を持つそれはどんどんこの世界に接近し、やがて他のゾンビと同様にぼとりと産み落とされた。
その四つの気配は裂け目の下に留まっていたが、暫くするとかなりの速度で移動を開始した。一つはオリヴィアさんの方へ、一つはリディアさんの方へ、そして二つがエルの方――つまりこの方向へ。
なるほど、あの四つの気配はゾンビを虐殺出来るエル達の足止め要員か。確かにエル達の支援が無くなれば、あの数のゾンビ津波を被害なしで抑え込むのは不可能だろう。エル達が復帰出来るまで、泥沼の消耗戦に陥ってしまう。オリヴィアさんが見越していたのはこれか。
いやいやいや、洒落にならんぞ、それ。というか、エルの所へ向かっている二つの気配が兵の中に突っ込むだけでも大混乱が起きる。集団戦で隊列を乱すとか、一番やりたくない事の一つですよあなた。
……二つの気配は凄まじい速さで移動しているが、濃縮付加が使えない俺でも十分対応出来る速度だ。対天使を想定した戦力だが、勝利するまでは行かなくても、片方を足止めする程度なら十分に出来るだろう。止めはエルに刺してもらえばいい。
仕方ない。一肌脱ぐか。
大分縮小された前線を他の兵に任せ、二つの気配の真正面に移動する。軽く深呼吸をして精神を鎮め、意識を集中し――鍾馗で二つの気配の足元を斬り裂いた。手応えは無い。
「おぉっと、危ない危ない」
「おやおや兄上、この程度の攻撃すらも察知出来ないので?」
「そういう弟だって魔法の発動遅れてたよね?」
「……まぁ、予想以上だった事は認めましょう」
此処が戦場とは思えないほどの呑気な声で、俺の背後に立つ二つが互いに言葉を交わす。片方は楽しげな、片方は陰鬱な印象を受ける声でくつくつと嗤う。
「まぁさか、ただの人間に此処までの強さの奴がいたなんてね」
「……兄上、遊んで行くので?」
「うん。足止めは任せたよ。すぐに行くから」
楽しそうに体を揺らす兄に溜め息を吐いた弟は、そのまま再びエルの方へ向かおうとする。当初描いた作戦に限りなく近い形だ。
だが、自分の技を『この程度の攻撃』と嗤った相手を逃がすほど、俺は賢い人間では無い。
音を立てずに回り込み、首を狙って一閃。お伽話の悪魔のような容貌の弟は、目を見開きながら上体を逸らす。その首元から、空中に紅い血の飛沫が飛んだ。
「……訂正しましょう。この攻撃速度に精度、あなた、何者です?」
「僕も気になるかな。この僕にも気付かせずに攻撃するだなんて、尋常じゃない」
赤色の肌をした二人の悪魔が、警戒の色を浮かべながら俺に相対する。溢れ出る殺気は威圧の為か、それとも強者の証か。
恐らく、それはどちらも正しい。強いからこそ普通の人間が青褪めるほどの殺気を放てるのだろうし、威圧する為にそれを開放しているのだろう。
だからこそ、彼らはまだ知らないと断言出来る。凄まじい殺気や敵意を浴びせられる事でより殺る気が出る種類の人間がいる事を。そして、俺がその種類の人間である事を。
「知りたいか?」
少しばかりの愉悦を含んだ声に、悪魔二人の表情が厳しくなる。あぁ、この二人は自分の方が強いと信じて全く疑っていない。この世界の人間が自分達より勝る筈がないと、心の底から思い込んでいる。
その純粋無垢で子供のような想いを――グチャグチャのバラバラに壊して、紅い血の色で染め上げてやりたい。
俺は剣の切っ先を悪魔共に向け、口角を吊り上げた。
「チコ。剣聖だ」
次回予告
「生憎と、俺はマゾじゃないんでね」




