四人で話し合い
待たせたな!
あらすじ
エル、怒る
ギュッ
「チコ……? どうしました?」
ギュギュギュッ
「ちょっ……チコ?」
ギチギチギチギチ
「いたッ……チコ、痛いです……!」
メキメキメキメキ
「ギブッ! ギブですチコッ! 折れます! 骨折れますッ!」
バンバンと背中を叩くエルに、俺は腕に込めていた力を緩める。久し振りに感じるエルの熱が心地良かったのと、興奮して冷静さを失い掛けているエルを正気に戻す為についつい力を入れてしまった。反省はしていない。
「ケホッケホッ……チコ、記憶は……?」
軽く咳き込みながら、エルは期待したような眼差しを向けてくる。俺の呼び方や口調から、記憶が戻っている事は既に分かっているだろう。つまり、この問いは念の為の確認作業であるという事だ。
俺はそのまま頷こうとして、ふと頭を過ぎった考えに首の動きを止めた。ちょっとした意地悪に過ぎない事ではあるが、俺はエルによって多大なる精神へのダメージを受けたのだ。このくらいは許してもらわなければ平等ではない。
という訳で、俺は少しだけ気配を発しながら首を横に振った。
「そ、そんな……!」
エルの表情が、みるみる内に絶望へと染まって行く。やはり俺が寝ている間に相当腑抜けてしまったらしい。この程度の気配を読み取れないとか、ディオニシオさん以下だぞ。
これは少しお仕置きが必要だ。という事で手刀を脳天に一撃。
「あいたっ!」
「お馬鹿。少し気配を探れば分かるでしょうが」
「気配……あっ!」
俺に指摘されて気配を探った事で漸く真意を悟ったのか、エルの表情がパッと明るくなる。しかしそれもすぐに憤りの表情へと変わり、次の瞬間には痛みに堪える表情へ変わった。
「さっきそこの方と話している時も探ってなかったよね? 俺、人の真意を知りたい時は気配探れって言ったよね?」
「ご、ごめんなさい~!」
一頻りこめかみをグリグリした後、頭を抱えて恨めしげに俺を見るエルを無視して客人の方に向き直る。聞こえていた話が本当の事だとしたら、このオリヴィアという熾天使こそがインバジオ帝国の盟主。
――即ち、俺を化物にした元凶。
別に恨んだり憎んだりしている訳ではない。死ぬ運命だった赤子の俺を間接的に救い、力という生き抜く術を、強制的にではあるが身に付けさせてくれたのはこの女性だ。気が狂い掛けるほどに辛い地獄の日々ではあったが、代わりに手に入れた物もある。
例えばSSランク冒険者という立場。剣聖という前世の異世界物小説では勇者に続いて憧れる称号。エルという、普通に暮らしていては決して出会う事のなかった天使との出会い。地獄と引き換えに手に入れる価値があるそれをもたらしてくれたのは、他でもない黒い熾天使の彼女なのだ。
だから、恨んだり憎んだりはしていない。寧ろ感謝の念すらも覚えているが、流石にそれを表に出すのはレグロのような存在を肯定しているような気がして酷く憚られた。
感謝はしている。だが、精神を破壊する危険性を孕んだ兵を生み出すのは許容出来ない。付け加えれば、あの魔王竜やブラスの件もあって不信感が大きい。複雑に絡み合った感情が、俺からどのように話しかけるのかという選択肢を狭めていた。
「……貴様」
必死に頭を絞っていると、向こうの方から話し掛けて来てくれた。だが、その声音は友好的な物とは程遠い。俺を指すたったひとつの単語に、針山のような刺々しさと山のような威圧感が篭っている。
はてさて、このオリヴィアさんは一体何に対して警戒をしているのか。別に敵意は見せていないし、武器を持っている訳でもない。実に平和的で友好的な対応をしているのだが……もしかして、戦奴時代の恨みを持たれていると勘違いされているのか?
「何か?」
気付かれないようにこっそりと警戒を強めながらオリヴィアさんに問うと、彼女は背後に陽炎を幻視させるような激しい怒気を発しながらゆらりと立ち上がる。そして巨獣すらも射殺すような視線で俺を睨みつけ、周囲に白い魔力の霧を立ち昇らせた。
「姉上に気安く触れるなッ!!」
「お前もシスコンかッ!!」
俺は寝起きの頭が痛むのも気にせず全力で怒鳴りつけながら、突っ込んできたオリヴィアさんを大外刈りで地面に叩き落した。
---
「反省しましたか?」
「ごめんなさい」
「エル、そろそろ良いんじゃ……」
「駄目です」
「あっはい」
その後、オリヴィアさんは俺の力とエルの結界で無事捕縛・制圧され、正座及びエルの説教の刑に処された。その刑が開始されてから既に一時間近く経っているのだが、エルは未だに満足していない。
加えて、エルの説教は聞いているだけで精神をゴリゴリと削られるような物で……端的に言うと、止めさせたい。でもエルは止めてくれない。どうしましょう。
俺が耳を塞ぎながら頭を抱えていると、救いは思わぬところからもたらされた。
「予想通りの展開になってるわね」
「おぉう?」
いきなり発生した渦巻く白い魔力の霧の中から現れたのは、輝く青銀のツインテールを揺らす釣り目巨乳の超絶美少女。俺達がグランテーサ王国王都を出発する際、別れた筈の熾天使。
「リディアさん?」
「久し振り。言うほど時間は経ってないけど」
別れた時と殆ど変わっていない様子のリディアさんは、俺に向けてピシッと片手を挙げて見せた。オリヴィアさんのシスコン振りも相俟って、始めて出会った時とは大分変わったと実感する。あの時はいきなり魔法撃たれたっけな。
それにしても、予想通りの展開という事はオリヴィアさんの行動を予測出来ていたという事なのか、もしくはオリヴィアさんがシスコンだから俺と接触するとこうなる事を予測していたのか、どっちだろう。
「全く、オリヴィアのお姉ちゃん大好き病も変わってないわね」
「それ、リディアさんには絶対に言われたくないと思うぞ」
「一理あるわ」
自覚してるのかよ。
後者の予想が正しかった事を証明したリディアさんは、説教に夢中になっているエルと項垂れて周りを見ていないオリヴィアさんの間に入り込み、両方の脳天に軽い手刀を喰らわせた。それによって漸く二人がリディアさんの存在に気付き、目を丸くする。
「リディア!? 何故此処に……」
「姉上!? 何時の間に……」
「話が進まないからとりあえず落ち着いてくれる?」
エルはまだ納得していないようだったが、リディアさんの真剣な雰囲気とオリヴィアさんのゴリ押しに負けて渋々と説教を中断した。正直、リディアさんと再開した事よりもこっちの方が千倍嬉しい。というかオリヴィアさん、姉は全部それで通すのか。
落ち着いた所で、俺達は円状に並べた椅子に座って向かい合う。四人中三人が女性、それも熾天使という訳が分からない状態だが、多分大丈夫だ……座っている面々が緊張した表情で押し黙り、重い空気が漂っていなければ。
「……それじゃ、まず私が何故此処に来たのか話しますか」
痛過ぎる沈黙が続く中、最初にそれを破ったのはリディアさんだった。
「私が此処に来た理由は、オリヴィアがお姉ちゃんと接触したから。色々と厄介事を避ける為にね」
「つまり、リディアさんはオリヴィアさんの行動を知っていたと?」
「そういう事になるわ」
「そんな……」
リディアさんの言葉に明らかな落胆の声を滲ませたのは、ついさっきまでオリヴィアさんの事を糾弾していたエルだった。しかも行方不明だったならいざ知らず、神の補佐役の後任である妹が背反していたのだから、衝撃も相当の物だろう。
だが、それが神にとっての害になるかはまだ未知数だ。彼女達の神に対する忠誠は本物で、疑う隙すらもありはしない。今はただ、神の方針を優先するか神の身を優先するかで意見がぶつかっているだけだ。エルもそれが理解出来ているのか、言及する事はない。
「オリヴィアの行動を見逃し、更には影でコッソリ支援なんかもしていたわ。全ては主様の為にね……怒らないで聞いて頂戴、チコ」
「分かった」
何時になく真剣な表情でそう言うリディアさんに頷きを返し、俺は背筋を伸ばす。それを確認したリディアさんは、一度深呼吸をしてから視線を俺の目へと真っ直ぐに向けた。
「私がオリヴィアに協力したのは、帝国の建国、剣聖セルソの隷属、魔術の構築……他にも色々あるけど、その中には――」
「特別隷属……活性魔法の濃縮付加を使いこなす、強力な戦奴を生み出す手助けもした……そんな所?」
「その通り。ブラスの件、裏で糸を引いていたのも私。黒鉄竜にそれを使う術を教えたのも私よ」
なるほど。つまり、リディアさんこそが俺を化物に変え、剣聖の名を汚して王都を滅ぼしかけた元凶であり、恨んでも構わないと、そう言っている訳だ。オリヴィアさんではなく、自分を恨めと。素晴らしきかな、姉妹愛。
「そうか」
「……怒らないの?」
「別に」
もしもこれが自己中心的な理由によって引き起こされた事だとしたら、俺は間違い無く怒っていただろう。声を荒げ、力の全てを振り絞って殴り付ける程度の事はしたかもしれない。
だが、リディアさんの目的から考えれば犠牲が少なく、且つ最も勝利を引き寄せる事が出来る合理的な手段だ。俺が同じ立場だったなら、迷わず同じ選択をしたと思えるほどに。
それに、今の生活に満足しているのは事実だし。
「そう……ありがと」
そう言うと、リディアさんは顔を背けて俺から表情を隠してしまった。顔が見えているエルが生暖かい雰囲気を漂わせているし、照れているのだろう。物凄くからかいたいが、ツンツンしているリディアさんの事だし、物騒な目に遭いそうだから止めておこう。
「気にする事じゃない。それで、オリヴィアさんの目的は?」
ツンデレから目を離し、隣の方へ目を向ける。リディアさんを見てニヤニヤと笑っていたオリヴィアさんは、慌てたように表情を取り繕って軽く咳をした。
「余は姉上に協力を要請しに来た」
「なるほど」
確かに、天使の中でも随一の実力を持つエルが戦線に加われば、軍レベルの敵に対する凶悪な戦力になるだろう。今回の戦が大軍と大軍のぶつかり合いになる可能性が高い以上、オリヴィアさんがエルに協力を求めに来るのは極自然な事だ。
「待ってください。何でチコはそこで納得しているんですか」
「すぐに話すよ。で、何の協力を要請しに?」
途惑った様子のエルを押し留め、続きを話すように促す。ひとつ頷いたオリヴィアさんは、ちらりとエルに目をやってから口を開いた。
「簒奪者の軍勢が三週間後、この街の北西五十キロの地点に現れる。数は不明だが、少なくとも帝国軍で対応出来る量ではない」
「活性魔法……濃縮付加が可能な戦奴の数は?」
「およそ百二十。能力としては先代剣聖、セルソと同等以上」
「そうか……」
……結構な量を生み出しているんだな。あの痛みに耐える事が出来る人間が何人に一人なのかは分からないが、相当な量の人が狂う、或いはブラスと同じようになった事は間違いないだろう。
だが、今はその戦力も遊ばせている暇はない。一般兵を万単位で斬り伏せる師匠と同等の兵を百二十も有し、更に精強な兵を二十万も擁する帝国軍が対応出来ないという事は、敵はそれこそ巨獣もビックリな質か量、或いはその両方を有しているのだろう。
「まぁ、戦力も集まったし、それは何とでもなるだろう。しかし犠牲を少なくする為だ。姉上、頼めるか」
「……簒奪者……奴が来るのですね?」
オリヴィアさんの言葉に、表情を歪ませたエルが深い怒りを滲ませた低い声で尋ねる。それにリディアさんとオリヴィアさんが頷きで答え、同時に生じた凄まじい威圧感が空間を包み込んだ。
エルが此処まで怒るのを見るのは初めてだ。しかしそれも無理のない事。彼女が信奉する主を過去に害した者の配下が侵略してくるのだ。俺で言えば、エルを過去に傷付けた者の配下が再び襲って来るようなものだ。俺はキレるぞ、全力で。
そんな激しい怒りを静かに内に納めたエルは、再び無表情の仮面を被り直した。
「……協力しますよ、勿論。あなた達が動いていた理由も分かりましたし」
「ありがたい」
「……後で怒りますからね」
「う、うん。それで、あんたは協力してくれる?」
しっかりと釘を刺したエルの言葉に若干頬を引き攣らせたリディアさんが、俺の方へ顔を向ける。エルが参戦する以上、俺も参戦すると疑っていない表情だ。実際、同じような話が来たら間違い無く参戦していた。
だが――
「――協力するのは良いが、今回の俺は戦力にならない。期待はしないでくれ」
俺の言葉に、三人の表情が驚きに染まった。
「何故ですか? チコの力は十分な戦力になると思いますけど……」
「そうよ! 一人で一軍以上の価値があるあんたが何で戦力にならないの!?」
「えぇい、説明するから離れろ!」
俺の実力を知っているが故に詰め寄って来るエルとリディアさんを座らせる。参加しないとは言っていないのに、何故こんなに必死になるのか……。とりあえず、説明しなければならないだろう。
「……貴様、何故簒奪者の事を聞かない?」
何処から話すか迷っていた所で、一人黙っていたオリヴィアさんがそう口にした。それを聞いたエルとリディアさんが、ハッとした表情で俺を見る。察しのいい二人にしては珍しく、今まで気付いていなかったらしい。
彼女達の言う簒奪者。その存在は神話にも記されておらず、創造神に近しい者以外に知る者はいない。しかし俺はそれを知っていて、さっきまでの話し合いも理解出来ていた。知る筈がない情報を持っているのだから、オリヴィアさんが警戒するのも当然だろう。
オリヴィアさんの疑いの目と、エルとリディアさんの困惑の目。二つの種類の六つの目に囲まれた俺は、軽く肩を竦めながら口を開いた。
「創造神に天使を創るように助言したその存在を俺が知っているのは、単純に知る者に聞いたからですよ」
「天使……ではないですよね? 私の目を潜り抜けて接触するのは不可能でしょうし……」
「天使じゃない。精霊だ」
精霊という言葉に、三人は揃って表情を訝しげな物に変える。しかしリディアさんは言葉の裏に隠された真意に気付き、目を大きく見開いた。
「あんた、まさか中の奴と……!?」
「そのまさかだよ、リディアさん」
俺は一度深呼吸をしてから、ハッキリとそれを口にした。
「俺は破壊の精霊……の前身、調和の精霊エルシエラとコンタクトを取った」
次回予告
「逃げても良いんですよ、チコ」




