来訪者
二週間と言ったな。あれは嘘だ。
流石に間が長いと思うのでストック投下します。
あらすじ
新たな熾天使が現れた
今にも涙が溢れて来そうな様子のクルスを宥めながら、私は二人を部屋の中に招き入れました。隣国が攻めて来るかもしれないという情報を無闇にばら撒く訳には行きませんからね。下手したら大混乱です。
「どうぞ」
「申し訳ありません、エルネスタ様」
「構いません。それよりも、早く落ち着かせてあげなさい」
「は……」
とりあえず、半分錯乱しながら泣き出したクルスを落ち着かせる為にお茶を淹れ、ルフィノさんに手渡します。まだこの二人は仲直りしていないようですからね。ささやかな私の気遣いです。
それにしても、インバジオ帝国がマール王国との国境にほぼ全軍を向かわせるとは、一体どういう了見でしょうか? 幾らチコやレグロのような存在を生み出し、精強な軍を揃えているとはいえ、マール王国と比べれば基礎国力で大きく下回ります。正面からぶつかれば負ける事は無いでしょうが、少なくとも大損害を被る事は確実です。
加えて、マール王国は同じく大国であるグランテーサ王国、ボスケー王国と同盟関係にあります。国王同士の仲が良い両王国がマール王国を見捨てるとは思いませんし、まず間違い無く援軍か報復の軍を送り出すでしょう。
流石のインバジオ帝国とはいえ、三大国全てを相手に出来るほどの力は持っていない筈です。その事は帝国の人間も分かっているでしょう。それを理解した上で、彼らはほぼ全軍を国境に向かわせているというのです。
つまりそれは、大軍勢と戦いになっても勝てる自信があるか、或いは戦わなくても済むという確信があるという事です。帝王が馬鹿だという可能性もありますが、それは大穴ですね。
本当なら主に帝国の真意を問い合わせたい所ですが、何故かインバジオ帝国の上層部の事は分からないらしいんですよね。戦闘以外では私よりも仕事が出来るのに、何ででしょう。
「エルネスタ様」
思考の渦に沈み掛けた所で、何とか落ち着いた様子のクルスが話し掛けて来ました。顔を上げると、少しばかり腫れた目で頬を膨らませているクルスの顔が見えます。全く、本当は嬉しいくせに素直じゃない子ですね。
「落ち着きましたか?」
「はい、取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「別に良いんですけどね。それで、わざわざ私の所まで帝国軍の情報を持って来たのは何故なんです?」
「それは……」
私がそう聞くと、クルスは痛い所を突かれたような表情になって目を逸らします。まるで聞かせたくない隠し事をしているかのような仕草に、私は内心で苦笑しました。何の為に変装してまで私の所に来たんでしょうか……。
「私達は教皇様の命により、エルネスタ様に協力の要請に参りました」
「ルフィノ!」
「クルス様、隠し立ては無用であると進言いたします」
なるほど。確かに私が介入すれば国家間の争いは大体防げますし、防衛を行えば簡単に撃退する事が出来ますからね。あの教皇の事ですし、駄目元で頼んでもし介入してもらえれば御の字、と言った所でしょうか。そしてクルスはそれを拒んでいた、と。
「事情は理解しました」
「エルネスタ様……」
「あなた方に協力はしません」
「「 …………! 」」
私がそう断言すると、クルスとルフィノさんは目を見開いて驚愕を顕わにしました。創神教に対して友好的に接していた私なら、絶対に断らないだろうと信じていたのでしょう。だからクルスも私に伝える事を躊躇っていたのでしょうが、私にも断る理由があるのです。
これが普段なら喜んで介入していたでしょうけど、今は少し状況が違います。チコを無防備な状態で此処に置いていく訳には行きません。チコが幾ら強くても、何の反応も出来ない状態で襲われれば手の打ち様が無いのです。
一応この宿の警備体制はそれなりに整っていますが、一流の人間相手には無意味でしょう。私やチコの事を疎ましく思っている人は沢山いますし、その人の手駒は虎視眈々と私達の首を狙っています。チコを守る為にも、私が離れるわけにはいかないのです。
……ですが、暗い表情になってしまった敬虔な信徒二人を放置するのは不本意ですね。どうせ教皇の考えは伝わっていないでしょうし、少しばかり希望を持たせるとしましょう。
「何人か裂けないか、主に問い合わせてはみます。それ以上は期待しないで下さい」
「――! あ、ありがとうございますッ!」
先ほどまでの悲壮感溢れる表情は何処へやら、満面の笑みを浮かべたクルスがバッと頭を下げて来ます。ルフィノさんも表情から影が無くなりましたし、元気になって何よりです。
では心配する事は無くなったので、情報収集と行きましょうか。もしかしたら途中でチコが目覚めて突撃するかもしれませんし。
「それではあなた方の要望は聞き終わりましたから、今度は私の要望に答えてもらいましょうか」
「はい、何なりと!」
それから私は、二人が知っている限りのインバジオ帝国軍の動きによって生じた影響の情報を聞き出しました。とは言っても、大半は国境近くに領地を持つ貴族達が兵を集めているとか、神殿騎士団全員に待機命令が下ったとか、その程度の価値の無い情報ばかりです。
その中で有用だと思われる情報は三つ。一つ目は帝国領土に残る軍勢はおよそ一万程度という事。二つ目は、進軍中のインバジオ帝国軍の装備は明らかに長期戦を見越しているという事。三つ目は、帝国の街は平常通りという事です。
国の守りをガラ空きにし、他国に攻め入られる危険を抱えながらも長期遠征を強行する。施政者として、これほど愚かな事が他にあるでしょうか。もしも分かって実行しているとしたら、最早帝王が正気であるとは思えません。
しかし、街が平常通りという事は、大多数の帝国民はそれを当然の事として捉えているという事です。情報統制が敷かれているという事も無く、彼らは極自然に帝国をスカスカにする事を受け入れています。これもまた尋常な事ではありません。
情報を手に入れれば手に入れるほど、帝国の真意が読めなくなります。こういう時は前提を代えて考えてみろと三千年ほど前に主が言っていました。
この場合の前提は、インバジオ帝国がマール王国を侵攻しようとしているという物です。ですが此処で、侵攻しようとしていないという事を前提にしてみれば、それなりに説明は出来ます。しかし、軍を動かす理由はちんぷんかんぷんです。
はぁ、こういう時にチコがいれば何か意見をくれるんですけどね……。
「エルネスタ様、何か分かる事はありますか?」
「いえ、サッパリです。帝国に侵攻の意思があるかどうかが分からなくなったくらいですね」
「そうですか……」
「ふむ。目の付け所は間違っておらんな」
「まぁ、分からないのなら何があっても対応出来るように備えるしかないですね。創神教は大きな組織ですから、すぐに王城から連絡が来るでしょう」
私がそう言うと、二人は安心しきった表情で頷きました。これなら悲壮感に浸る事無く、前向きな対応策を練る事が出来るでしょう。私の役目は此処まで。後は彼らが自分達で何とかする筈です。
「ではそろそろ戻りなさい。教皇に報告を入れなければならないでしょう?」
「は、はい! ありがとうございました、エルネスタ様!」
明るい声で頭を下げながら去って行ったクルスと無言で頭を下げてそれに続いたルフィノさんを見送り、私は小さく溜息を吐いて振り返ります。無断で部屋に入って来たお馬鹿を叱らなければなりませんからね。
「相変わらずお人好しよの、姉上」
「……百年前に勝手に行方を眩ませておいて、今更何の用ですか? オリヴィア」
「許せ。余にも事情があるのだ」
私の言葉に笑顔で返して見せた侵入者――黒い髪の熾天使、オリヴィア。百年前に何人かの天使と共に行方を眩ませてから、私達の前に姿を見せる事が無かった職務放棄者です。彼女の所為でどれだけ私達が苦労したのでしょう……あまり考えたくは無いですね。
しかし、憤る以上に心配したのもまた事実です。半眼になっている表情とは裏腹に、心からは安堵の気持ちが溢れて来ます。失踪回数は三桁にも上っているのでいい加減慣れた方が良いのかもしれませんが、ちっとも慣れそうにありません。全く、心配させないで欲しい――
――もしかして、失踪して戻って来る時は真っ先に私の所に来る理由は、私が甘いからでしょうか……ありえますね。こういう事に関しては、天使の中で一番賢く狡猾で察しの良いオリヴィアです。絶対分かっているに違いありません。
……何だか無性に腹が立って来ました。なので気配を全て消す事にします。優しさの滲む叱りなど、この子には甘過ぎます。
「……あ、姉上?」
「…………」
「……お、怒っておるのか?」
「…………」
「あ、姉上~?」
「…………」
「う……」
「…………」
……………………。
「ご、ごめんなさい……」
「分かればよろしい」
シュンと項垂れて謝って来たオリヴィアに苦笑しつつ気配を隠すのを止めると、私がそこまで怒っていない事が分かったのか安堵の笑みを浮かべました。これだけで許してしまうなんて、やはり私は甘いのでしょうか。
そんな事を考えながら椅子を勧め、お茶の用意をします。話題が百年間分積もりに積もっているので大分長くなるでしょうし、茶菓子も幾らか用意してから私も椅子に座りました。
「それで何の用ですか? 私の前に来たという事は、やりたい事が終わったのでしょう?」
「あぁ、うむ。その事だがな、姉上。先にひとつ言っておかなければならん事がある」
「何です?」
「実はだな……」
若干言い難そうに目を逸らしたオリヴィアは、懐からバッジのような物を取り出して机に置きました。黒地に斜めに交差した銀の剣があしらわれたそれは、私も何度か見た事のある紋章――インバジオ帝国の国章。通常の国であれば、由緒ある者しか持つ事が許されない物です。
……なるほど。主ですら情報が手に入れられない国の国章。軍が動いた直後という都合が良すぎるタイミング。戦奴隷に強制した循環系魔法の濃縮。最強と目されていた剣聖が戦奴隷に堕ちた理由――
「余は現在、ファルソ=インバジオと名乗っておる」
「そうですか、あなたが……」
「うむ。インバジオ帝国の帝王の座に就いておる。建国当時からの、な」
――その全ては、オリヴィアが裏で手を引いていたのですね。熾天使としての実力と、何度も主の助けとなった権謀術数で。
「何故ですか?」
「何故とは?」
「惚けないで下さい。あなたが帝王なら、何故主の意思に反し、散々に世を乱したのですか。何故大軍勢を国境に差し向けているのです」
幾つもの小国を滅ぼし、破壊の精霊の権能復活の土台を作り、大軍勢を大国の国境へ差し向けて緊張状態を作る。その他も含めて、インバジオ帝国の所業は到底看過出来る物ではありません。
ですが、オリヴィアは賢い熾天使です。特に脱走を何度も繰り返した所為か、保身に関しては右に出る者はいません。故に私を完全に敵に回すような一線は絶対に踏み越えてはいない筈です。何処かに必ず、主の意に反するような事をしなければならなかった理由がある筈なのです。
「ふむ。何故かと問われても、主の為という実に簡単な理由でしかないぞ」
しかし私の問いに対するオリヴィアの態度は、そんな事をのたまいながら腕と足を組み、暗い笑みを浮かべるという物でした。あまりの態度に、私の中で沸々と怒りが湧き上がって来ます。
「主の意に逆らっておいて、その理由が主の為ですか。もっと細かく、正確にそう答えた理由を知りたい所ですね」
「おぉう、姉上の主への忠誠心は全く変わっておらんな。視野狭窄になる所も相変わらずだ。少しは余……とは言わずとも、リディア姉やフェリシアを見習ったらどうだ?」
「茶化さないで下さい」
感情の昂ぶりを抑えながら睨み付けると、オリヴィアは小さく肩を竦めて腕と足を解きました。その態度が私のみならず主を愚弄しているようで、益々癪に障ります。
「もっと細かく、正確に、か……そうだな、主の言う事を聞いているだけでは、主の益にならぬと考えた。これで満足か?」
頭の何処かで、何かが切れる音がしました。
「あまり私を怒らせないで下さい……幾ら妹とはいえ、限度という物があります」
「なッ!?」
顕現させた炎の槍の切先をオリヴィアの首元に添え、耳元で囁きます。予想外――いえ、予想の範疇ではあったのでしょうが、チコの戦闘を見て鍛えられた私の転移の発動速度には付いて来られなかったようです。
一瞬、このまま一息に槍を突き出してしまおうかとも考えましたが、ただの脅しに回復まで労力を裂く必要はありません。首筋に伝っている汗を蒸発させるだけで勘弁してあげましょう。
「……流石は姉上よの。やはり余では手も足も出ぬわ」
「私を誰だと思っているんですか? 実力差が分かったのなら態度を弁えなさ――あいたっ!」
オリヴィアに釘を刺した瞬間、パンッという小気味良い音が響き、後頭部に軽い衝撃が奔りました。続いて聞こえて来たのは、此処数日聞いていなかった、早く聞きたくて堪らなかった、私を天使として扱わない声。
「やれやれ、病人がいる部屋で物騒な事をするな、エル」
「チコ……っ!?」
振り向いた先に居たのは、何時の間にか目を覚ましていたチコ。そのチコは、漸く目を覚ました事に安堵している私を引き寄せ、抱き締めて来ました。
次回予告
「予想通りの展開になってるわね」




