侵入者
あらすじ
中と外で登場人物が増えた
いや、遅くてすみません、最近寒くて指の震えが酷いんです許して下さい。
その日、マール王国の政治の中心たる王城の議場は混乱の最中にあった。インバジオ帝国がほぼ全軍を動員し、大規模な侵攻が予想されるとの情報が北部より齎されたのだ。
「ど、どうするのだ? インバジオ帝国の軍は精強と聞くが……」
「それに動員数も凄まじいと聞く。以前他国に攻め入った際には十万もの兵を動員したとか……」
「今回はその時を上回る規模なのだろう? 我々の軍で対抗出来るのか?」
ヒソヒソと言葉を交わすのは、狭い領地しか持たぬが故に軍備が貧弱で、己の将来を悲観している弱小貴族達だ。マール王国にとっては、何時インバジオ帝国側に寝返ってもおかしくない不穏分子でもある。
しかし妾――マール王国に君臨する女王であるカタリーナ・ガラナドス・マールには、悲観する彼らの気持ちも十分に理解出来る。多数の小国を滅ぼして大国に成り上がったインバジオ帝国軍は百戦錬磨。その軍勢に対抗出来なければ、治めて来た領地が壊滅するかもしれないのだからな。
実際の所、弱小貴族どころか国すらも怪しいが……。
「陛下、敵の動員人数は……?」
「密偵からの報告によれば、ほぼ全軍を繰り出して来るらしい。その数およそ十九万」
「ほう、凄まじい量ですな」
妾の隣に座るバーモンデ公は、その程度の軍勢など蹴散らせると思っているのだろう。確かに我が王国がその気になれば、全土から六十万の軍勢を動員する事が出来る。帝国軍のおよそ三倍の数を揃えれば、撃退など容易……書類上でしか戦を見れない奴はこれだから困る。
インバジオ帝国軍は、帝王ファルソの元に統一された指揮系統を持つ常備軍だ。維持費の問題から軍の規模は小さく見えるかもしれないが、その代わりに全軍に統制が行き渡っており、各指揮権が分散している王国軍と比べて素早く連動した行動が可能になっている。
更に言えば、帝国軍は何度も戦を勝ち抜いて来た精強な職業軍人と鍛え抜かれた戦奴隷が主戦力だ。それに比べ、王国軍は魔獣を追い払う事があるだけで対人戦や軍勢同士の戦の経験はほぼ皆無。しかも兵の大多数は農耕民に武器を持たせただけの素人。互角に戦えるのは精々が十数万といった所か。
統一された意思の元に動く二十万の精鋭と、個人の思惑や私欲が大きく絡んで動き難い集団六十万。正面からぶつかるのなら負けは無いだろう。優れた放出形魔法の使い手は多い。それらに軍勢を守らせながら、人海戦術で押し潰せば確実に勝てる。
だが、私利私欲に塗れ、隙あらば妾を蹴落とそうとしている貴族共が連携して事に当たれるか?
答えは否。間違い無く何かの思惑が動き、大きな隙が生まれるであろう。そこを帝国軍に突かれてしまえば、後は各個撃破されて終了だ。マール王国は滅ぼされた小国同様、インバジオ帝国に取り込まれる事になる。
いや、マール王国よりも富んだ国土を持ち、百万以上の兵を動員出来るグランテーサ王国と、義理堅い山間の戦士達を多数擁するボスケー王国が妾達を見捨てる事は無いだろう。国“は”守られる筈だ。例えどれだけ領土を削られ民が死のうとも、マール王国という国は滅びずに存続するであろう。
しかし力無き国に価値は無い。見捨てられ、過去の栄光に縋りながら凋落する姿がありありと目に浮かぶ。この場にいる貴族の誰一人も歓迎しないであろう未来が待ち受けているのが、妾には見えるのだ。
それなのに此奴らと来たら……。
「其方の領ならば幾らか要衝もあった筈であろう。そこで帝国軍を待ち受けるのが最善であろう」
「何を言うか。即座に兵を動員し、国境線で迎え撃つのが道理。侵入されれば我等が軟弱だと侮られる事になるぞ」
一見まともな事を言っているように見えるが、実際は自分が被害を出したくないだけの侯爵と、領に被害を受けたくない辺境伯。一番目立つこの二人の他にも、如何に被害を抑えつつ出し抜いて功績を挙げようとする者が殆ど。寧ろこの二人が一番マシだ。誰もこれが国難である事に気付いていない。
本当に笑いが出る。これが大国に数えられ、畏怖されるマール王国の権力者か。
「いい加減にしないかッ!!」
机を殴った所為で拳が痛いが、少なくとも馬鹿どもの注目を妾へと向ける事は出来た。奴等が受けた衝撃の余韻が消えない内に、此奴らの脳裏に国難である事を刻み付けねばならん。
「貴様等は本当にこの状況を性格に把握しておるのかッ!? 敵はインバジオ帝国、百戦錬磨の兵どもを抱え、禁忌を犯す事すらも厭わぬ軍事大国だッ!! 団結せずに事に当たれば多大なる犠牲を出す事になるのだぞッ!!?」
「しかし陛下、敵はたった二十万。対して我が方はその二倍以上の兵力を即座に動員出来ます。守りに徹すれば野蛮な帝国など恐るるに足りませんぞ」
妾の言葉に口を挟んだのはあろう事か、兵力の中心であり、守りの要である騎士を束ねる立場にある騎士団長だった。国を守るべき者が、守る為に必要な戦力の計算をマトモにこなせていないという事実に沸々と怒りが込み上げて来る。
「ふざけるなッ!!! 意見も纏まらぬようでは真の意味で二倍の兵力を集める事など出来んッ!!! 現に今も全く纏まっておらんではないかッ!! これではマールという大国があるのではなく、ただ幾つかの小国が乱立しているに過ぎんわッ!!!」
妾の怒声に、どの場所で迎え撃つかを議論していた侯爵と辺境伯を含めた幾人かの貴族共が目を伏せた。だが、他大多数の貴族共は王たる妾の訴えを聞いても全く表情を変えていない。
妾の訴えが、届いていない。
「陛下はお疲れのようだ。近衛兵、部屋までお連れしろ」
「バーモンデ公ッ! 貴様ァッ!!」
バーモンデ公が命令を下すと同時に、本来は妾の命令しか受け付けぬ筈の近衛兵が妾の両脇を抱えて身動きを取れないようにして来た。此奴、帝国の侵攻に乗じて妾に無能の烙印を押し、自分が実権を握るつもりか……!
「帝国の侵攻への対策は我々の方で処理しておきますのでご安心を、陛下」
「えぇい、離せッ! 離さぬかッ!!」
力の強い近衛兵に逆らえる訳がない妾に出来るのは、ただ喚きながら睨み付ける事のみ。内心では高笑いしているであろう、すまし顔の売国奴を糾弾する事すら出来ない。ましてやこの国を守る事など……ッ!
妾が己の力不足に奥歯を噛み締めた瞬間、場違いな拍手の音がパチ、パチ、パチと議場に響き渡った。
「いやぁ、国を守ろうとする者と私利私欲を満たそうとする者……良い見世物であったぞ」
この会議に出席している貴族でも、壁際に控える兵や侍女でもない女の声。この場に存在してはいけない筈の侵入者の声。その声がした方向へ全員が目を向ければ、そこには黒の長髪を揺らした、まだ少女と言って良い年齢の女が底冷えのする笑みを浮かべていた。
女の存在を認識した兵達が即座に武器を構え、侍女達が狼狽える貴族共の盾になる位置へ移動する。自分へ明確な敵意が向けられるその様子すらも、女は楽しげに眺めているだけだった。
「侵入者を捕らえよ」
突然の女の登場にも冷静さを保っていたバーモンデ公の命令を受け、女を囲んでいた兵達が一斉に飛び掛かる。この場の警備に就いているのは、我が王国の誇る精鋭達。帝国軍の兵とも互角に戦えるであろう者達だ。瞬きひとつの内に女の一人や二人は縛り上げる事は容易いだろう。
ただし、それが普通の女ならば。
考えてみるが良い。王国内で最も……いや、今は二番目か、に守りが堅い王城の、更に守りが堅い議場に誰にも気付かれずに侵入出来る女が普通の女か? そのまま黙っていれば気付かれなかったのにわざわざ気付かせた挙句、戦闘態勢の兵達を見て薄ら笑いを浮かべられるほど肝が据わった女が普通の女か?
「ほうほう、余の近衛には劣るが、中々に鍛えられているようだな」
そんな訳が無かろう。とは言っても、妾もチコ殿やエルネスタ様に出会っていなければ気付けなかっただろうがな。
「なぁっ!?」
「い、一瞬で……?」
何時の間にか制圧されて地に伏せていた兵達を目の当たりにした貴族共が騒ぎ出し、冷静さを保っていたバーモンデ公や侍女達も驚愕に目を見開いた。驚いていない者は……妾だけか。妾を拘束していた近衛兵に至っては腕を離している。
全く、貴族共も兵も侍女も、妾から実権を奪おうとしていたバーモンデ公も皆弛んでいる。この程度の事で動揺しているようではまだまだ未熟。チコ殿やエルネスタ様の相手など到底務まるまい。やはり此処は、妾が国主としての威厳を見せる時であろう。
呆然としている兵を突き放して足音高らかに前へ踏み出し、女の注目を妾の方へ向ける。今の妾は囚われかけていた無能な王では無い。水と海の国、マール王国の頂点に君臨する女王、カタリーナ・ガラナドス・マールだ。
「して、妾の国に何用だ、女?」
「うむ。帝国軍の目的について知らせておこう思ってな」
「帝国軍だと? 貴様、何者だ」
「おっと、自己紹介を忘れておったか」
帝国軍の目的という言葉と、たった今思い出したと言わんばかりの態度に妾の中で着々と怒りが溜まって行く。しかしその怒りも次の瞬間には霧散し、代わりに真っ白な霧が妾の思考を覆う事になった。
「余の名はファルソ。インバジオ帝国を束ねる帝王である。カタリーナ女王陛下におかれましては御機嫌麗しゅう」
…………なん……だと…………。
何度頭の中で言葉を反芻しても、この女がインバジオ帝国の帝王だと言った事実を覆す事は出来なかった。機嫌が悪いのに御機嫌麗しゅうと皮肉を言われた事に気付けないほど、妾は激しく動揺していたようだ。
……国主とは、単身敵国の王国の王城の議場に乗り込むような者だったか? いやいや、そんな馬鹿な事が出来る奴などいないだろう。目の前のこの女以外には。
「……して、その帝王はどんな言い訳をしてくれるのだ?」
「うむ。今回の件、事前の連絡も無しに大軍を動かし、貴国へ侵攻するという誤解を与えた事は詫びよう」
何とか冷静さを取り戻した妾が問うと、帝王は意外にあっさりと自らの非を認めた。国主が非を認めるという事は、何らかの代償を支払うと認めた事と同義。故に外交ではそうならないようにするのが鉄則で、妾もそれに従って話を進めるつもりだった。
しかしその思惑を外された結果、次の手を考える為の一瞬の間が生まれる。国主である帝王がその隙を見逃す事は無く、妾が口を開く前に先手を打って来た。
「だが、我々にもそれ相応の理由があって軍勢を動かしているのだ。勿論貴国にも関係のある事でな」
そう前置きした上で、この帝王はとんでもない事を話し出した。仮に本当であるとしたならば、我が王国の存亡にも関わる。しかし突拍子も無さ過ぎて、罠であるようにしか思えない。
だが、国の中枢まで侵入するという危険を冒した帝王の目的が、わざわざこんな与太話をする事なのだろうか? 寧ろこの話が本当の事で、その信憑性を高める為に此処に来た考える方がしっくりと来る。
しかし、そんな考えに至る者は殆どいないだろう。事実、バーモンデ公は真っ赤な顔に青筋を浮かべながら、机を蹴り飛ばすほどの勢いで立ち上がっている。あれもこういった事に関しては賢い類の貴族ではあるが、頭に血が昇って冷静さを失っているな。
「ふざけるなッ! ただの王国を内側から食い破る為の嘘であろうがッ!!」
「嘘では無い。全て事実だ」
「そのような余迷言を誰が信じる物かッ!!」
「バーモンデ公、静かにしないか」
「貴様……ッ、失礼致しました」
一瞬妾にも噛み付こうとして来たバーモンデ公だが、帝王の前で妾に逆らう姿を見せる訳にはいかないと思い直したようだ。既に遅いような気がしないでもないが、黙ってくれた事には感謝しよう。
一度深呼吸をして精神を落ち着かせ、改めて帝王を正面から見据える。仮に帝王が言った事が真実だとしても、王としてはそれを無条件に信じる訳にはいかない。
「それが本当だと言うのなら、それ相応の証拠を示して見せよ、帝王」
証拠が無いのなら、動かせる軍は小規模な物になり、インバジオ帝国軍も受け入れる事は出来ない。その上で帝王の言う通りの事が起きれば、マール王国は間違い無く終わる。だが、理由があればそれを回避出来るかもしれない。
――だから頼む。何か納得出来る証拠を捻り出してくれ。
「……ふむ、やはり明かさざるを得んか」
妾の問いを受けた帝王はそう一言呟くと、静かに瞑目する。何をする気なのかと目を細めれば、その直後に凄まじい量の白い魔力が帝王の体から溢れ出した。
「ク……ッ!」
物理的な圧力を伴う魔力の奔流に、妾は思わず目を閉じて腕で顔を庇う。貴族共や侍女達の悲鳴に近い声や何かが転がる鈍い音が耳に届くが、身動きも取れない状態では周りがどうなっているのかを知る事も出来なかった。
そして暫くの時が過ぎて魔力の奔流が納まった瞬間、消耗した妾はその場に崩れ落ちる。何とか顔を上へと向ければ、そこには変わらず帝王ファルソの姿があった。ただし、その背中から六枚の漆黒の翼を生やした状態で。
「余が天使であっても信じられぬか? マール王国の女王、カタリーナ・ガラナドス・マールよ……」
間違いない。翼の色こそ違うが、帝王は……この御方はエルネスタ様と同じ。それも魔力の量や質、圧力から見てかなり高位の……いや、まだ決め付けるのは早い。天使を騙る別種の輩かもしれない。
「天使様である証拠が何処にある。よもや翼のみとでも言うのでは……ッ」
何とか余裕を作り出した妾の前に帝王が無言で突き出したのは、彼女の首に掛けられていた小さなロケットペンダント。開かれた中身に入っていたのは色褪せた絵。それに移っているのは、見知らぬ少女を囲む六枚の翼を持つ少女達。その内一人は帝王と同じ顔を、他の二人も妾も知っている人物と同じ顔をしている。
……なるほど、最早文句の付けようがないほど完璧な証拠だ。
「……いえ、信じましょう。帝国軍の越境は何時頃になりますでしょうか?」
「まだ暫く掛かる。三日後にもう一度此処を訪れよう。その時に細かい打ち合わせをしよう」
「御意に」
頭を垂れて膝を付けば、ファルソ様は大仰に頷いた後に姿を消した。発動の気配すらも感じさせない転移、これが誰にも気付かれずに議場に入り込めた理由か。全く、魔道具でも再現出来ないぞ、あんなの。
それは兎も角として、すぐに関係各所に指令を出さなければならない。立ち上がって背後を振り返れば、意気消沈した様子で椅子に沈み込むバーモンデ公を筆頭とした貴族共が、不安そうな表情で妾に注目していた。
「全軍を……いや、経験のある兵を幾らか残し、他は全て動員する。そのように通達し、何時でも行動出来るようにしておけ」
「ハッ!」
命を下せば、全ての貴族共が応える。元より逆らっていない下級貴族は勿論、妾に逆らっていたバーモンデ公を筆頭とする上級貴族共は、異常事態を告げる天使様の降臨で逆らう気力を失った。最早妾の命に逆らう者はいない。
助けられた形となった事に内心で苦笑しつつ、更に命を下す。帝国軍がほぼ全軍を繰り出すほどの敵が王都の傍に現れるのだ。備えは幾らあっても足りない。念の為にアルトゥロとアルベルトにも連絡を入れる事を考えながら、妾は慌しく議場を飛び出して行く者達を見送った。
次回予告
「あまり私を怒らせないで下さい……幾ら妹とはいえ、限度という物があります」
※追記
ちょっと期限がやばいので次の投稿はかなりおくれます。具体的には二週間くらいかかるかも




