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Monochrome―化物剣聖と始原の熾天使―  作者: 勝成芳樹
第三章―二人の異変―
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中と外

あらすじ

チコが拘束されて色々垂れ流した


前半チコ、後半エルです

 不思議な感覚だ。重力も何も無い空間の中をふわふわと漂っているような、夢の中にいるような、そんな感じ。それを確かに感じているのに、俺の体は全く動く気配がない。いや、体が本当にあるかどうかすらも定かではない。それほどまでに感覚が曖昧だ。


 ぐるりと周りを見渡してみた気になれば、様々な方向に色のような物が見えた。澄み切った青色に燃えるような赤色、元気そうな黄色に恥ずかしそうなピンク色。その他にも金色や白色といった様々な色が見える。


 その中でも特に目立つのが、俺が最初に向いていた方向を中心に全体の半分を覆い尽くす黒色だ。あらゆる光を捉えて逃さない絶対の黒。全ての色を飲み込んでしまうその色は、段々と俺の方へ近付いて来ているように思える。


 ……いや、色が近付いているのではない。俺が色の方へ引き寄せられているのだ。まるで糸を手繰り寄せるかのように少しずつ、しかし確実にあの深淵の中へと引きずり込まれている。


 振り向いてみれば、鮮やかな色達が霧のような黒色の中へと少しずつ消えて行くのが見える。このままだと、あと少しすれば周囲は黒一色で覆われてしまうだろう。普段から黒を愛用している俺が言う事では無いかもしれないが、あまり長くは居たくない空間である事は間違いない。


「ほほう。やけに悠長に物を考えるのだな、お前は」


 後ろ側――俺が引き寄せられている方から聞こえて来た声。何処か可憐な響きを含んだ、女性特有の柔らかく美しい声。しかし聞いているだけで酷く気分が悪くなる気持ち悪さを含んだ声に再び振り返れば、黒い霧の中に人影が見えた。


 どうやら俺を引き寄せているのはその人影らしい。段々と大きく見えやすくなって来た人影をぼんやりと見つめていると、距離数メートルの辺りからその姿が鮮明に見え始め――


 ――エル?


「おぉう、動揺しているな。まぁ存外あやつに惚れ込んでいるようだからな。無理もないか」


 そう言って妖艶に微笑むのは、黒いセミロングの髪を揺らし黒い瞳を妖しく光らせた、エルをそのまま黒くしたような美しい少女。そのあまりにもエルに似すぎている容姿に、俺は思考を停止させた。


「……おい、何時までトリップしている。早く帰って来い。話も出来んぞ」

「ハッ! 明日のおやつはアーモンドと小魚!」

「お前は何を言っている」


 このツッコミのキレ、エルに近い……そう考えた所で、俺は体を感じられていなかったのに声を出せた事に気付いた。視線を下に向けると、そこには十五年間慣れ親しんだ体がある。手をグッと握ってみれば、化物染みた力も健在だった。心なしか、思考もクリアになった気がする。


 その頭で何故こんな事になっているのかを思い出せば、イノセンシオさんから渡された薬を飲んだという記憶が鮮明に思い出せた。そこから更に遡れば、俺がエルの事を忘れていたという事実も、忘れていた時の行動も――俺がエルの事を忘れた切っ掛けとなる事も思い出せる。


 あの時、俺は破壊の精霊が俺の中にいると知り、同時に今までの吐血の原因や、おぞましい思考が脳裏を横切った理由を知った。そしてエルを前にしてそれに耐えられるか疑問に思い、その瞬間に声を聞いた事で錯乱。自己防衛機能的な何かがエルに関する記憶を削除した……こんな所だろうか。


「落ち着いたか」

「まぁ一応」


 考えが纏まったタイミングで掛けられた言葉に答え、意識を目の前の少女に移す。見れば見るほどエルに似ている少女だ。声も、顔立ちも、背格好もまな板な所もエルと同じ。色以外で違う点を上げるとすれば、顔や言葉の表情が豊かな事だろうか。


「ククク! まな板なのはお前にとって重要な事なのだろうな……クハッ!」

「思考を読まないで下さいよ」

「無理だ……クフッ!」


 学園長のような事をする少女を睨み付けると、彼女は一言そう言って再び笑いの中に落ちた。そうか、そんなに俺の考えは面白いかこんちくしょう。


「違うわ馬鹿め。勝手に流れ込んで来るだけだ……いや、面白いのは確かか」

「勝手に流れ込んで来るんですか? 俺の考えている事が?」

「うむ」


 俺の思考に目付きを鋭くした少女に問い掛ければ、大仰な肯首で返された。学園長の魔眼のような物で読み取っている訳では無いらしい。しかし、勝手に流れ込むとはどういう事なのか。テレパシーみたいな物なのか?


「近いかも知れんな。簡単に言えば、我の頭の中にもお前の思考が流れているという事だ」

「考えている事の共有って事ですね? 何でそんな事に?」

「それは此処がお前の精神世界だからだ」

「精神世界……?」


 精神世界というとあれか。狂気のパレード的なやつとか、裸になってその場にいない人間や死んだ人間と交信出来る新人類的なやつとか、トラウマを治療する為に潜り込んだり的なやつみたいな世界という事か。俺の精神世界はそんな世界達とは違って様々な色があるだけの世界だが、シンプルで十分良いと思う。


 しかし、此処が俺の精神世界だとするなら、俺以外の意識が存在するのはおかしい。二重人格とかそういう事情があれば違うのかもしれないが、俺は記憶を失っただけで特に精神に異常を来している訳では無い。多分。


 となると、このエルネスタそっくりのブラック少女は新人類的なアレで俺にコンタクトしているか、俺の精神世界の中に同居している事になる。そして俺は、後者の方に心当たりがある。


 周りを見回せば、目に映るのは黒、黒、黒。それもただの黒ではなく、禍々しい黒の霧。ブラスやレグロが循環系魔法を濃縮付加した時のような黒。恐らくは、破壊の精霊の影響が色濃く出た色。


「気付いたか」

「まぁ、一応」

「ククク、一応か。その認識は正しいがな。では改めて自己紹介をしよう」


 俺が警戒の色を強めるのを見て愉快そうに笑いながら、少女は芝居掛かった動作で膝を折って名乗った。


「我は調和の精霊。熾天使エルネスタと同じ時に創られし原初の精霊エルシエラ……の残滓だ」






---






「一体、何時になったら目覚めるんでしょうか……」


 チコの体に服を着せ終えた私は、傍らの椅子に座り込んで小さく溜息を吐きました。普段なら私の溜息が響きばすぐに目を覚ますチコは、それらしい反応を全く見せずに昏々と眠り続けています。チコに薬を飲ませてから六日。未だに意識の回復は見られません。


 眠り続けるチコの世話をするのは別に苦痛ではありません。チコの体は軽いので持ち上げるのが億劫なんて事もありませんし、寧ろ色々と弱みを握れるので楽しいです。ですが、流石に聞いていた時間の二倍も眠り続ければ心配にもなります。


 別に幾ら眠り続けようともお金には困りませんし、チコは一週間眠り続けても全く衰弱しない特異体質なので死ぬ心配もありません。その気になれば無理矢理栄養を補給させる事も出来ますし、その点は心配してはいないのですが……もしもこのまま植物状態が続いたらと思うと、気が気ではありません。


「ハァ……」


 もう一度深い溜息を吐いて椅子の背凭れに背中を預け、目を海中の光景が広がる窓の外へと向けます。美しい小魚が泳ぎ回る光景は、揺れに揺れる私の心をそれなりに落ち着けてくれました。あくまでもそれなりに、ですが。


 全く、私は何時から一人の為に思い悩むようになってしまったんでしょうか。はいはい、チコと出会ってからですよね。分かってますよ。それ以前は……私は一人でしたからね。


「ん……主?」


 久し振りに届いた、頭の天頂を突かれるような感覚。主が私に交信を求める時の合図です。以前は私から毎日連絡を取っていたのですが、チコに正体を明かした時から非常時以外は主から連絡を取るようになっていました。今日はその時から数えて九回目くらいでしょうか。


 それは兎も角として、今は主からの連絡の方が先です。目を閉じて意識を集中させ、細い魔力の糸を伸ばせば何時も通りに繋がりました。


『やっほーっ! 生きてる? 死んでる?』

「それは私の事ですか? それともチコの事ですか?」

『やっだなー、勿論チコ君の事に決まってるじゃぁないかー』

「私の事は心配してくれないんですね。私はチコより弱いのに」

『わ、わ、わ、ごめんよエルネスタ~!』


 何時も通り軽い調子から一転、情けない声を上げる主に「冗談です」と返します。それだけで再び元気を取り戻し、挙句調子に乗り始めた主に釘を刺してから、私は何故連絡を取ったのかを問いました。


『えーっとねー。何か最近リディアがコソコソしてるみたいでさー。エルネスタなら何か知ってるんじゃないかなーって思って』

「リディアが?」


 主の言葉に私は眉を顰め、半月ほど前に帰っていったリディアの事を思い出します。主はリディアが内緒で何か陰謀を巡らせているのではないかと疑っているようですが、特に何かを隠しているような素振りは見せていなかった筈です。チコにはやけに絡んでいたようですが……まぁ、何時も通り……何時も通り?


 ふと、ひとつの可能性が頭の中を過ぎりました。それはリディアがチコの中にいる破壊の精霊の事を知っていたという可能性。もしもそれが真実だとしたら、チコに絡んでいた理由も理解しやすくなります。


 破壊の精霊がどれほどの力を持っているのか、その辺りの記憶が封じられている私にはまだ分かりません。ですが、世界を破滅寸前まで追い込んだ存在です。少なくとも私と同等……或いはそれ以上の力を持っているでしょう。


 そして破壊の精霊は、チコの体と精神を徐々に侵食しています。恐らく、リディアの目的は破壊の精霊による侵食を抑える事、でしょうか。


 ……或いは、侵食をより進行させる事――


『エルネスター? どったの?』

「え? あ、あぁ、大丈夫です。リディアは……何かをしているかもしれませんが、主の不利益になるような事はしないと思います」

『それは分かってるけどさー。何と言うか、隠し事されると暴きたくなるんだよね……暴きたくならない?』

「……気持ちは分かりますけど、あまりそういう事はする物ではありませんよ」

『えー』


 楽しそうな主ですが、秘密を暴いた結果洒落にならない事になった経験を持つ私としては釘を刺さざるを得ません。今は不満の一言で済みますが、何かあったら酷く後悔をする破目になりますからね。


 リディアも主に対する忠誠心は本物ですし、放っておいても問題は無いでしょう。破壊の精霊に関しても私よりは詳しいでしょうし、主に害が無いように上手く扱ってくれる筈です。


『まーエルネスタがそう言うならそうなんだろうね。分かった、リディアはそのまま泳がせるよ』

「それで良いと思います」


 主も納得したようですし、これで交信は終わりでしょうか。最近は誰かとこうして会話をする事が殆ど無かったのでとても楽しかったのですが、もう終わりとは少し口惜しいですね。


 そう思っていると、主が普段よりも興奮した様子で語り掛けて来ました。


『で、で、で、チコ君とはどうなってるのっ? ん?』

「何ですか突然」

『いやー、だって気になるじゃん? エルネスタって今まで浮いた話無かったからさぁ。アタシは人間・天使間の恋愛推奨してるのに、高位天使達は全然やってくれないし』

「……皆、それだけ主を慕っているんですよ」


 少しだけ口元が緩むのを感じながらそう言うと、主は何時も通り「そう? アタシって愛されてるっ!」と調子に乗り始めました。こういう所が主の美点であり、欠点でもありますね。


『でもさ、やっぱり見たいじゃん? 自分の子供達の恋愛を見てさ、お前に娘はやれんっ! とか言ってみたい訳よ。分かる?』

「はぁ。そう言う物なんですか」

『うんうんそうそう! で、エルネスタはチコ君と仲良いみたいだし、期待出来るかなってっ!』

「……ッ」


 何の屈託も無い笑顔を幻視させる主の言葉に、私はチコが想いを吐露した日の事を思い出しました。チコが明確な好意を顕わにして私の心を求め、それは出来ないけどチコと共に歩むと決めた日の事を、です。


 きっと、主の望む事の実現は容易いでしょう。ですがその時、主は私達を見てどう思うのでしょう? 主が本当に望んでいる、互いが互いを心の底から愛し合う関係とは程遠い状況を見て、主はどう思うのでしょう?


 表面上は屈託の無い笑顔を見せてくれるかもしれません。しかし、裏では悲哀、幻滅、怒り……どんな感情を抱くのかは分かりませんが、心の底から喜んでくれる事は無いでしょう。本当の意味で主の望む事を実現させる事は出来ないのです。


 主の望みを叶えるのが私の使命。しかしそれを叶えるには、誓いを破ってチコに心を開かなければなりません。使命と誓約。存在意義のどちらかを、私は捨てなければならないのです。


『んー? エルネスタ、どうしたの?』

「……いえ、何でもありませんよ」

『そう? まーあんまり根を詰めすぎちゃ駄目だよ? 疲れたらアタシでもリディアでもいいから相談してね?』

「善処します」


 こんな事、相談出来る訳が……


「……誰か来たようです。今日は此処までで失礼します」

『あいよーっ』


 耳に届いた激しい足音と慌てた気配を感じた私は、挨拶もそこそこに交信を終えて椅子から立ち上がります。久し振りの主との会話は確かに楽しかったですが、あれ以上続けてもただただ苦しいだけでした。今この部屋に向かっている二人には感謝しなければなりません。


 桶と布を片付け、外からの客人が叩く前に間に部屋の扉を開けます。そこで荒い息を吐きながら驚いた表情で私を見上げたのは、普段の巫女服とは違う一般的な服装に身を包んだ巫女クルスと、同じく一般的な冒険者の格好をしたルフィノさんでした。どうやらお忍びで此処に来たようですが、慌てようが半端ではありません。


「そんなに慌ててどうしました?」


 内心で嫌な予感を感じながら問えば、クルスがハッとした後に泣きそうな顔をしながら、半ば叫ぶようにそれを口にしました。


「い、インバジオ帝国が……ほぼ全軍を動員して、マール王国との国境付近に来ているんです……!」

次回予告

「全軍を……いや、経験のある兵を幾らか残し、他は全て動員する。そのように通達し、何時でも行動出来るようにしておけ」

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