VSレグロ
破壊し尽くされた闘技場の中心で、直剣使いと大剣使いは向かい合う。片や襤褸切れのようにズタズタで血塗れの状態で。片や傷ひとつ負わぬ綺麗な状態で。そして片や不敵な笑みを浮かべて。片や気圧されたような畏怖の表情を浮かべて。
闘技場のあまりの惨状とそこに立つ二人の異様な雰囲気に当てられ、観客は歓声を上げるのも忘れて静まり返っている。闘技場と観客席を隔てる熾天使の球状の結界だけが、揺らされた水盆の表面のように波打っていた。
「な、に……おま、え……」
「何かって?」
大剣を構えたまま後ずさりし、まるで少年のような高く掠れた震え声で戸惑いの声を出す綺麗な大剣使いに、ズタボロの直剣使いは剣を担ぎながら答える。
「化物、かな」
直剣使いは既に癒えた体を軽く動かしつつ、浮かべていた笑みを深くした。
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アベルさんがアルビナさんを打ち破った第五戦から、エルがあっという間に決めてしまった第八戦が行われた午前から昼を挟んだ午後。その時間で行われる第九戦から第十二戦の初戦、第九戦の出場者である俺とレグロは互いの得物を構えて闘技場で向かい合っていた。
近くで見たレグロは意外と若かった。髪こそ真っ白になっているが、顔はどこかあどけない雰囲気を残しているし、肌がやけに瑞々しい。活性魔法のアンチエイジング効果も相まって、百九十を超える身長を除けば俺と同じ年齢にしか見えない。
そして、体付きは以外にもしっかりしている。それでも大剣を振り回せるとは到底思えないが、子供の柔腕にしか見えない俺とは雲泥の差がある。身体が固定される前に訓練を積んでいたのだろうか?そうだとしたら羨ましい限りだ。
……筋肉があるように見えないから舐めらるんだよな……。
『圧倒的な近接戦闘能力を持つ者同士の戦い! 一体どんな結末が待ち受けているのかァッ!? 第九戦、始めェッ!!』
イラーナさんの気合の籠もった開戦宣言とは正反対に、戦いの始まりは実に静かなものだった。互いに行き成り攻撃を仕掛けるような事はせず、隙を探るようにジリジリと円を描くように回る。
大剣を正面に持つレグロの構えは、一見隙だらけのように見える。右下にだらりと腕を垂らしている俺と違い、咄嗟に出せる攻撃は体重の乗らない突きのみ。膂力で体重はカバー出来るが、斬り上げる事が出来る俺と違って攻撃範囲が狭すぎるからだ。普通の相手には良くても、爆発的な加速力を持つ俺には相性が悪い。
だが、俺の勘は此方から攻撃を仕掛けてはいけないと叫び続けている。もし迂闊に攻撃すればあの大剣に弾き飛ばされてしまうと、半ば確信に近い物を抱いているのだ。
恐らく、レグロが得意としているのはカウンター。それも強靭な体と人間離れした回復力に任せて『肉を斬らせて骨を断つ』タイプだ。普段は一撃離脱を基本とする俺とは相性が悪い。
しかしこのままクルクルと回り続けていても埒が明かない。俺は足に身体強化を付加すると、地面を思い切り蹴り上げた。
決して無視出来ない大きさの土の塊が放たれ、眉尻をピクリと動かしたレグロはそれを難無く避けた。だが、僅かな動作でもそれがあれば十分。
飛び出した俺の剣は大剣に受け止められはしたものの、カウンターを受けて弾き飛ばされる事は無かった。しかし、此処で別の問題が頭を擡げて来る。
「なんっつぅ馬鹿力だよ!」
そう叫ばずにはいられないほど、レグロの膂力は凄まじかった。互いに魔法を使っていないにも関わらず、俺の剣があっさりと押し返されたのだ。
一気に押し切ったレグロは逆襲に転じ、凄まじい勢いで連撃を繰り出してくる。力に任せ、アメリアさんが使って見せたような鎌鼬を発させるような斬撃が、何度も何度も放たれた。
俺も剣をぶつけ、体を捻って斬撃を避けようとしたが、レグロの剣速は俺の認識出来る速度を大きく上回っていた。そんな物を勘と経験で避け続けるのも限界がある。
「クォ……ッ!」
暫しの抵抗の後、レグロの一撃が俺の胸から腹に掛けてを深く抉った。素人が見ても致命傷と分かるそれは、俺を退場させるには十分な傷だった。
魔法具が取り付けられた右腕が発光を始める。そのまま放置すれば、俺は医務室に転移して敗北していただろう。だから俺は右腕に魔力破戒を濃縮付加した。
魔法具が破壊され、発光が止まる。一瞬の事だった為、殆どの観客は気付かないか、気付いても無視してくれるだろう。それは勝負の続行が可能になった代わりに、俺が即死する傷を負えば助からずに死ぬ事を意味する。
流石に目の前にいれば気付いたのか、レグロが訝しげに俺を睨みながら退場口の方へ顎をしゃくる。このまま戦えば死ぬぞと警告しているのだろう。
ま、知らんが。
隙だらけのレグロの懐に入り込み、足を狙って斬り付ける。素早く反応したレグロは跳んでそれを避けると、一度距離を取って正面から向かって来た。
再び斬り合いになるが、剣速で劣っている俺が馬鹿正直に斬り合っても意味が無い。だが、レグロは俺を上回る身体スペックを生かして正面以外の選択肢を潰してくる。ならば此方は身体スペックを上げるしかない。
身体強化を濃縮付加し、一気に剣速を上げて斬り掛かる。行き成り凌駕されて途惑ったような表情を見せたレグロだったが、しかしすぐに瘴気のような魔力を展開し、濃縮付加で対抗して来た。
常人の目には決して留まらぬほどの速度で俺達は斬り合う。身体強化で加速された思考速度や感覚はレグロの斬撃を捉えられているが、剣速では惨敗だ。身体強化を付加する前と同じように、俺は徐々に徐々に追い詰められて行く。
「ぬ……グァ、ァ……」
そして訪れる限界。一度体勢を崩した俺は次々と切り刻まれ、鮮血と肉片を撒き散らしながら地面に叩き付けられる。口から大量の血が溢れ、辺りの地面を真っ赤に染めた。
明らかな致命傷を受けながらも、俺が発光して消える様子は一切無い。この異常事態に観客達はざわめき始め、何人かが戦いを止めようと動き出した。
俺は倒れたまま活性魔法の濃縮付加で体を癒しつつ、目の前に立つレグロを見上げる。油断無く俺を見据えて来るのは、さっき見せた治癒力故だろう。この程度では殺せないとハッキリ分かっているのだろう。それはレグロも同じだが。
動くのに必要な体の組織の再生を終えると、俺は立ち上がって埃を軽く払う。既に痛みは無く、体に残っている障害も無い。戦闘に支障は無さそうだ。
『ち、チコ選手? 試合続行は可能ですか?』
イラーナさんの途惑ったような声に片手を挙げて答え、無事である事をアピールする。それによって観客席が更に騒がしくなり、止めようと動いていた者達が動きを止めた。
剣を担ぎ、再びレグロと相対する。パワー・スピードに於いて、レグロは俺を軽く凌駕している。何時ものような力押しでは勝つ事は出来ないだろう。
だからこそ面白い。簡単に勝てない戦いほど楽しい。そしてその経験は、全てが俺の糧となる。
地面が爆発したと見紛うほどの爆音と地響きと共に接近して来たレグロの斬撃を、重心を横にズラす事で避ける。そのまま近接戦闘を挑んで来るが、俺はその場から動かずにそれを避け続けた。
斬り合うから対応出来なくなる。ならば攻撃を捨て、回避に専念しながら相手を分析してしまえば良い。
レグロは確かに強い。俺すらも凌駕する膂力やスピードも然る事ながら、大剣の技術も並みのそれを凌駕している。圧倒的な破壊力とそれを操る技術を兼ね備えた剣士は厄介に過ぎる。
だが、それ以外の部分があまりにも稚拙だ。本人は抑えているつもりでも殺気が漏れているし、視線の動きで何処を狙っているのかは簡単に予測できる。要するに、剣の振り方しか知っていないのだ。
何処に何時どんな攻撃が来るかを読める以上、剣閃が見えなくても避ける事は容易。相手の実力を把握しきれていなかった序盤と違い、戦況はワンサイドゲームへと移りつつあった。
その現状を理解しているのか、レグロの表情に段々と焦りが生まれて来る。攻撃も雑になり、段々と大剣に体を振り回されるようになって来た。それはつまり、徐々に隙が生まれて来るという事だ。
そしてレグロが見せた隙に、俺は剣を突き刺す。心臓を狙って突き出された切先は大剣を掻い潜り、レグロの反応速度を超えて胸に沈み込む……筈だった。
「グゥアァァァッ!!!」
始めて聞くレグロの絶叫と共に濃度を増した瘴気が俺を包み込む。それと同時に俺の体に活性魔法の濃縮付加を超えるほどの痛みが奔り、体中のあらゆる場所が裂けて血が噴き出した。
「ゴボッ……! ゲボッゲボッ……」
喉の途中から湧き上がって来る鉄の味に咽つつ、活性魔法を濃縮付加して治療する。後から後から傷は増えて行くが、治療しないよりはマシだ。
恐らく、この傷の原因は俺の周りを覆っている瘴気だろう。周辺の視界や気配までをも遮断するほど濃密に満ちた魔力が、俺の体に浸食して内部から破壊しに来ている。だが、そのペースは活性魔法で何とかなる程度だ。
兎も角、この状況を脱しなければ拙い。視界を封じられて気配も読めない以上、不利になるのは地力で劣る俺だ。この瘴気の放出が長い間続くとは思えないが、レグロはその間に勝負を決めに来る筈。そうなれば負けは必死、早く脱出しなければならない。
身体強化された足で地を蹴って後ろへと跳んで見たが、闘技場の端までこの瘴気の海は続いていた。そうなれば、脱出口は自ずと限られて来る。俺は再び地を蹴ると、真上へ剣を突き出しながら跳んだ。
瘴気の海を突き抜け、新鮮な空気と魔力が満ちる空間へと俺は跳び出す。瘴気の海は観客席の高さにまで達していたが、それは闘技場を覆う球状の巨大な結界によって隔離されていた。ちらりと観客席に目を向けて見れば、控え室に繋がる扉の影からエルが小さく手を振っていた。どうやら彼女がやってくれたらしい。
エルに感謝しつつ魔力破戒を濃縮付加し、生じた空間の裂目に足を掛けて滞空する。レグロの姿は俺と同じ高度にあり、大剣を構えて俺の方に突撃して来ていた。俺も体勢を整え、レグロを迎撃する姿勢に移る。
「グオォァァアアァァァッ!!!」
そして俺達が激突する瞬間、レグロは再び絶叫を上げて体内から瘴気を噴出させた。
塞がれる視界、奪われる感覚、浸食される体、止められない激突。そんな中でレグロの攻撃を予想する事しか出来ない俺は、剣を防御に回してそのまま体当たりを敢行した。
「ゴブェッ!?」
「グ……!」
音速を超えた超高速の質量と質量の衝突で生じた衝撃波が瘴気を霧散させ、互いの衣服や皮膚を焼き尽くす。その傷を治療しつつ体勢を立て直して魔力破戒を濃縮付加し、俺は渾身の蹴りをレグロに見舞った。
「ッ!」
俺の足は確かにレグロを捉えてその顔面を強く打ち据えたが、レグロはそれに吹き飛ばされる事無く俺の足を掴み取った。即座に振り払おうと空を蹴ったが、レグロは凄まじい握力で俺の足を握りつぶして嗤う。それに嫌な予感を感じた瞬間、俺の体に活性魔法の濃縮付加を軽く超えるほどの痛みが奔った。
初めて活性魔法の濃縮付加を受けた時よりも辛く、耐え難い痛み。目の前が真っ白になった俺は、自分がどんな状態か理解出来ぬまま痛みに悶えた。
それにしても凄まじいという言葉が温いと思えるほど凄まじい痛みだ。もし活性魔法の濃縮付加による痛みがこのレベルだったら、あの時の俺は間違い無く壊れていただろう。その痛みに慣れたからこそ、痛みによって引き伸ばされた感覚の中で此処まで冷静でいられるのだが。
体感で数十分、痛みが引いた俺は即座に立ち上がって剣を構える。痛みに悶えていたから戦闘続行不可と見做されるかと思ったが、周辺には瘴気が充満していて視界は遮られていた。少し顔を見せてやれば問題無いだろう。
だが、此処で単純に跳び出すというのも味が無い。此処はド派手に登場してこそ盛り上がるって物だ。それに、此処で少し試しておきたい事もある。
体中の魔力を筋肉の表面に纏わせる。溢れ出る筋力と同時に周辺がゆらゆらと陽炎のように揺らいだ。此処までなら濃縮付加だ。此処から更に、溢れている魔力を押さえ込んで全て身体強化に回した。
まるで無重力空間にいると錯覚させるような体の軽さと、ほんの僅かに力を込めるだけで千切れる筋繊維。それを僅かに残った魔力で無理矢理治療しつつ、俺は足を振り上げて地を踏んだ。
まるで小隕石が衝突したかのように地面が捲れ上がり、大地震のような大振動が闘技場を揺らす。超越付加によって強化された鼓膜が破れるほどの衝撃波が、辺りの瘴気を全て消し飛して礫の嵐に変える。帝国の地下練兵場を超える地獄が、闘技場内を蹂躙した。
少々やり過ぎた気もするが、エルの結界ならば持ち堪えてくれるだろう。俺は身体強化を超越付加から濃縮付加まで落とすと、危険な礫のみを避けながら無傷であろうレグロが顔を出すのを待った。
「……漸く御出ましか」
宙を踊っていた礫が全て地に墜ちる頃になって、服にすら傷が無い綺麗な状態のままレグロは姿を現した。しかしその表情は驚愕と恐怖に彩られており、魔力欠乏の為か息は荒い。凄まじい濃度の瘴気を放出し続けていたのだから、当然と言えば当然か。
地に足を付けて大剣を構えたレグロは、体中を震わせながら数歩後ずさりする。そして小さく口を開くと、ガタイに見合わぬ掠れた高い声を出した。
「な、に……おま、え……」
「何かって?」
俺が何か?そんな物は決まっている。町民、知り合い、冒険者、貴族、王族、敵、盗賊。あらゆる身分の人間が俺をそう揶揄した、圧倒的な力を持った人の形をした戦闘狂。最上位の熾天使をも警戒させる魔王殺し。
「化物、かな」
俺は軽く肩を回すと、何時の間にか吊り上がっていた頬を更に上る。その言葉と笑顔に心を完全に折られたのか、レグロは剣を捨てて降伏の意を示した。
『……しゅ、終ゥゥゥ了ォォォッ!! レグロ選手、チコ選手の前に屈したァァァッ!!』
イラーナさんの宣言と共に、第九戦は俺の勝利で幕を閉じた。
戦闘描写ァ……。
更新速度、落ちると思います……すみません。




