体の限界
暫く不定期になると思います
「何なのよ何なのよ何なのよ……!」
魔闘大会が開催されている会場にある一室で、巫女服と称される紅白の衣に身を包んだ黒髪黒目の女性が爪を噛んでいた。顔色は悪く、額には玉のような汗が浮かんでいる。誰が見ても、今の彼女は酷く憔悴していると分かるだろう。
彼女の名はクルス・ディオス。この世界で最も巨大な宗教である創神教に於いて、主神たる創造神の声を聞く役目を持つ巫女である。神の声を聞く事が多いからか、人によっては狂信的と称されるほどの信仰心を持つ人物だ。
そんな彼女の心を乱しているのは、先程行われた魔闘大会第九戦で戦っていた二人の男の存在だ。十五歳という年若き少年二人が、敬虔な信徒であり、創神教のトップである教皇と同程度の発言力を持つ巫女を悩ませているのだ。
その二人の内の片方は、経歴不明の大剣使いのレグロ。圧倒的なパワーとスピードを有する戦士で、一時は剣聖をも圧倒して見せた長身の豪傑だ。その力の源は禁忌である循環系魔法の濃縮であり、現在進行形で教会の刺客が拘束に動いている。
そしてもう一人が、三大国に数えられるグランテーサ王国から剣聖の称号を授けられているSSランク冒険者、チコ。史上初となる魔王討伐を成し遂げ、人々から英雄扱いされている小さな十五歳の少年だ。だが、見た目に反して持っている力や剣の熟練度は凄まじい。先程の第九戦も、本気で戦えばレグロはすぐに負けていたと武に通じる者は口を揃えていた。
そして、チコの危険度はレグロと比べて圧倒的に高い。第九戦の最後に見せた、まるで破壊の権化が暴れ回ったかのような惨状を巻き起こす禁忌の熟練度や剣の技量に加え、周囲にいる人間もまた化物揃いなのだ。特に、魔王殺しである震天の魔導師エルネスタと、教会で最も強い元神殿騎士団長ルフィノを一蹴したリディアの実力は、他の人間と比べて一線を隔している。
その二人だけではない。SAランク冒険者である剣帝アメリアや、その弟子であり師匠越えを果たした剣士のディオニシオも脅威だ。前者三人には及ばないものの、この二人もそんじょそこらの戦士では太刀打ち出来ないほどの実力を秘めている。
これだけの実力者と良好な関係を築いているチコを、強引に排除するのは非常に困難だ。いや、関係を悪化させる事すらも危険だ。もし彼等に敵視され、実力に訴えられるような事があれば、教会上層部はあっという間に壊滅するだろう。
そんな事はクルスも望んではいない。教義を纏めて各地の教会を統率しているのは上層部であり、それを潰されては末端から順に腐ってしまう。身内を疑いたくないのはクルスの本心だが、世の中は例え聖職者であっても何処かが汚れているのだ。
「何なのよあの化物共は……どうしろって言うのよ!」
自らの信仰を取れば、教会は腐敗し廃れていく。しかし見逃せば背教となる。貫き通したいが矛盾する信念が、普段は温厚なクルスが壁にグラスを叩き付けるという直情的な行動を取らせるまでに苛立たせていた。
「荒れていますね、クルス」
「えふぇっ!?教皇様……」
グラスが砕け散るのと同時に部屋のドアを開けて入って来た老齢の女性を見て、クルスは動揺すると共に先までの勢いを失う。彼女に教皇と呼ばれた女性は、ガラスの破片を拾いながらクルスへ向けて妖艶に微笑んだ。
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レグロの強さの秘訣は、俺をも超える圧倒的な膂力と、相手の体に干渉する事が出来る瘴気だった。そのどれもが凶悪な力を秘めており、確かに並みの人間では相手にならないほどの力を持っていた。
だが、技術は多少修行を積んだ剣士と同程度でしかなく、自分を圧倒する人間相手に怖気づいてしまう程度の精神しか持ち合わせていなかった。心技体の体だけが突出しているだけの未熟な相手だったのだ。
正直、超越付加を使わなくても本気で剣技を使って戦っていれば、俺はレグロを圧倒する事が出来た。それをしなかったのは、レグロの力を底まで引き出して実力を正確に計る為だ。真面目にやるなら自分よりも力と速度が勝る相手に正面から打ち合う訳が無いでしょう、常識的に考えて。
「言い訳はそれだけですか?」
「ごめんなさいゆるしてください」
目の前の椅子に足を組んで座っているエルの冷たい声に、俺は地面に頭を擦り付けて許しを乞うた。エルから放たれているのはマジの殺気だ。返答を間違えれば殺されなくてもボコボコにされるという確信がある。もう剣聖とか天使とか関係ない。ヤバい。
「チコ、私が何に怒っているか分かっていますか?」
「……本気を出さなかった事?」
「違います」
「……エルの魔力を消耗させた事?」
「違います」
「……闘技場をボロボロにした事?」
「それもありますけど違います」
頭を擦り付けたまま幾つか思い当たる事を挙げて行くが、全部バッサリと斬り捨てられた。更に斬り捨てられる毎にエルから発される圧力が増し、声もどんどん冷たくなって行く。俺の股間がキュッと体内に避難した。
底冷えのする感情が感じられない声に怯えていると、エルが席を立って俺の前に膝を付いた音がした。俺の顔に温かい両手が添えられ、かなりの力でグッと持ち上げられる。持ち上げられた視線の席には、眉根の寄ったエルの顔があった。
「私が怒っているのは、あなたが体の限界を超えた循環系魔法を使ったからです……体、まだ治っていないのでしょう?」
「…………」
図星を指され、俺は視線を落として沈黙した。エルの言う通り、今の俺の体は常に痛みと不快感を訴えている。原因は間違い無く身体強化の超越付加だ。一応活性魔法で何度か治療を試みたが、細胞を更新する濃縮付加でも効果が無かった。
肉体を入れ替えても治らないという事は、肉体的な所ではなく魔力的な所に問題があるという事だ。そこにエルの言う『体の限界』が関わっているのだろう。
「幾らチコの体が人外の領域に到達していても、所詮人の体です。限界を超えれば体を浸食して崩壊へと至ります……あなたの人生ですから強制はしませんが、出来る限り使用は控えて下さい」
「分かった」
俺としても体の崩壊は本意では無い為、素直に頷く。まだ十五歳、前世と合わせても三十三年しか生きていないのに死ぬのは勘弁してちょっと頂けない。
「……小言は此処までにします。お疲れ様でした、チコ」
「ありがとう。エルのお蔭で助かった」
主に会場が。
「あのくらいならお安い御用です。さ、そろそろ観客席に戻って下さい。弟子の出番ですよ」
「そうだな。それじゃ」
得意げな表情という名の無表情のエルに別れを告げ、エルに割り当てられた控え室を出た。他の人は俺達に遠慮したのか周辺にはおらず、廊下には静寂が広がっている。俺は後ろ手にドアを閉めると、手を口に当てて軽く咳き込んだ。
「…………」
手を布で軽く拭い、それをしまって観客席の方へ足を向ける。この後に行われる第十戦はディオニシオさんとリディアさんの戦いだ。師を名乗った者として、この戦いを見届けない訳には行かないだろう。そう考えると、自然と足が速くなった。
VIP席に戻って座る頃には、既に闘技場は元の滑らかさを取り戻していた。表面を覆う土がまだ新しい等の違いはあるが、あの大地震の後のボロボロの地面は何処かへ消えている。運営が頑張ってくれたのだろう。一応小声で謝っておいた。
「チコ、此方であります~」
座る場所を探していると、最前列にいるアメリアさんが手を振って俺を呼んでいるのが見えた。あの場所は競争率が高い場所なのだが、恋人になったディオニシオさんを一番良い場所で応援しようという執念で二席ももぎ取ったのだろうか。
アメリアさんの能力に内心で驚きつつ、隣の席に腰を下ろす。最前列だけあって、闘技場全体が良く見える。この位置で見る戦いはさぞかし壮観だろう。特に放出系魔法が飛び交う戦いは迫力があるに違いない。
「ディオニシオが何処まで持つか、見物でありますな」
「確かにそうですけど……もう少し応援しません?」
「勝てると思うでありますか?」
「全然」
アメリアさんの質問に即答する。ディオニシオさんとリディアさんでは実力差が開き過ぎていて勝負にもならない。アメリアさんどころか周りの観客まで意見は同じらしく、うんうんと頷いていた。
「どちらかと言えば、どれだけディオニシオさんが耐えるかの戦いになるでしょうね」
「良い経験なのであります」
傍から見れば弟子の成長に期待しているような会話をしている俺達だが、内心はピリピリしている。周囲を囲んでいる教会関係者らしき観客から、常に敵意が飛んで来ているのだ。勝ったとはいえ、結構な量の魔力を使って疲れているのだから勘弁して欲しい。
一度殺気をぶつけてやろうかとも考えたが、教会関係者が多すぎて把握しきれない上に、一歩間違えれば賓客を怯えさせてしまう為、残念だが諦めた。効果は高いと思うが、出来ないのなら仕方が無い。
教会関係者を極力意識からシャットアウトしつつ、早く第十戦が始まるように祈る。その祈りが通じたのかは定かではないが、すぐにイラーナさんのアナウンスが会場中に響いた。
『さァァァ! 間も無く第十戦が始まるわよォォォッ!! ド派手だけど良く分からなかった第九戦の次はどんな戦いが待ってるのかしらァァァッ!? 多分派手で良く分からないと思うわッ!!』
ユーモア溢れるイラーナさんのアナウンスに、会場中の観客がドッと沸く。確かに第九戦も大概だったが、リディアさんが再び魔法の嵐を巻き起こせばそれ以上に良く分からない戦いとなるだろう。多分そんな事はせずに盛り上げてくれると思うが。
『それでは選手入場ッ! 最初に入ってくるのは師を打ち倒した剣帝の弟子! あの……多分次で負けるので、せめて精一杯頑張りたいと思います。女っぽい剣士、ディオニシオッ!!』
入場口から現れた赤毛の剣士に、会場中から黄色い声援が飛ぶ。野太い声や甲高い声が入り混じる中で、俺の隣の剣帝も黄色い声を張り上げていた。いくら何でもベタ惚れ過ぎだと思う。
……さてはコイツ、前々からディオニシオさんが大好きだったな?
『続いては、シード権を持つ神殿騎士団長を瞬殺した魔法士! チコ殺す……って物騒ね!? 嵐を呼ぶ魔法士、リディア!!』
「!?」
リディアさんの自己紹介文に寒気を感じると同時に、ディオニシオさんとは反対の入場口からリディアさんが入場して来る。彼女の視線と殺気が全て俺に向いているのはきっと間違いでは無い。その意気は俺じゃなくて本選の方に向けて下さい。
既に闘技場の中央に到着しているディオニシオさんに歩み寄ったリディアさんは、俺には決して向けない穏やかな微笑みを浮かべながら話し掛けた。すると、話し掛けらる前は硬かったディオニシオさんの表情が、徐々に余裕のあるものへと変わって行く。どうやら緊張を解してもらったらしい。
ディオニシオさんから肩の力が抜けた所で二人は距離を取り、ディオニシオさんは刀を構え、リディアさんは足を開いて戦闘態勢に移る。見麗しい二人の対戦の始まりの予感に観客達は興奮し、イラーナさんのアナウンスを今か今かと待った。
そしていよいよ、その時は訪れる。
『選手も観客も準備完了! 第十戦、開始ィィィッ!!』
高らかと響く宣言と反響する狂乱の叫び。混沌しか感じられない環境の中、先に動いたのはリディアさんだった。
ディオニシオさんの速さを遥かに超える速度のバックステップで距離を取り、数発の魔法を打ち込む。無論それは簡単に切り伏せられるが、その時には既に二人の距離は大きく開いていた。
そうなればディオニシオさんに成す術は無い。遠距離から次々と魔法を打ち込まれ、攻勢に出る事が叶わなくなっていた。それに加え、打ち込まれる魔法の量も質もディオニシオさんがギリギリ対処出来るレベルになっている。
この状況を脱するには、何か奇策を使うか、刀士として次の段階に進んで押し切るしかない。それを察しているのか、ディオニシオさんは苦渋の表情を浮かべながら様々な事を試しては傷付いている。
「うーん、リディアは何だかんだ言ってディオニシオに甘いでありますな」
「確かにそうですね」
「剣帝アメリアに剣聖チコ、ついでに強すぎる魔法士。ディオニシオが羨ましいであります」
「超豪華な師匠陣ですね」
刀の最高峰に技術を教え込まれ、剣の最高峰に体捌きと気配云々を叩き込まれ、最強に近しい魔法士に遠距離対策を実戦で植え付けられる。上を目指す人間にとってはこれほど嬉しい事は無いだろう。本人の辛さは別として。
「お、あの構えは鎌鼬であります」
接近出来ないディオニシオさんが、刀を一度鞘に納めて抜刀術の構えを取った。アメリアさんにやられたように、遠距離から攻撃を加えようとしているらしい。
「あの馬鹿……」
俺は頭を抱えた。アメリアさん達が使う鎌鼬は、空気を物理的に押し出して刃と成す技だ。繰り出す為には空気を掴む圧倒的な技量に加え、爆発的な力を生み出す身体強化の濃縮付加を使う必要がある。
ディオニシオさんは、鎌鼬を繰り出すのに必要な技量を既に備えている。だが、濃縮付加に対する慣れや熟練度が、同じ技を使うアメリアさんに比べて圧倒的に不足している。掛かる負荷に体が慣れていないのだ。そんな状態で無理矢理鎌鼬を使おうとすればどうなるか。
『ディオニシオ選手、突然動きを止めたぞォォォッ!? 一体どうしたァァァッ!?』
刀を抜き放とうとした瞬間に動きを止め、苦痛に耐えるように表情を歪めるディオニシオさん。恐らく筋肉が千切れる激しい痛みで抜刀が遅れ、その間に完全に筋肉が破壊されて動けなくなったのだろう。
昨日濃縮負荷を使っても動けたのは、単に強い精神力で痛みを押さえ込んでいたからだ。今日とは違う。
「あぁぁぁっ! そこで躊躇しちゃダメなのであります! そこは無理矢理振り抜くのであります!!」
アメリアさんが叫ぶと同時に、筋肉が死んだ事で大きな隙を見せたディオニシオさんが魔法の嵐に巻き込まれて消える。試合終了の声が響く中、俺は禁止した筈の濃縮負荷を使ったディオニシオさんを叱るべく席を立った。




