狸襲来
「お馬鹿」
「あ、の……ごめ、んなさい」
二日連続の医務室入りとなったディオニシオさんは、まともに言葉も発せられないほど酷い状態だった。俺は自分でも滅多に出さない厳しい声で叱りながら、ディオニシオさんの容態を確認する。
まず、全身の筋肉が断裂していて体が動かせなくなっている。その所為で、今のディオニシオさんは慢性的な激痛に悩まされている筈だ。此処まで酷い筋繊維の断裂は、並みの活性魔法では治療に長大な時間が掛かる。
そして、鎌鼬を放とうとして強大な負荷を掛けた右腕の骨と神経がイカれていた。この世界には活性魔法があるから直す事は出来るが、無ければ確実に武の道は閉ざされていただろう。
「馬鹿野郎」
「う……」
もう一度ディオニシオさんを叱り付け、傍らに屈んで右腕に手を当てる。そのまま慎重に活性魔法を濃縮し、細胞が自己崩壊を起こさない程度で治療を開始した。苦しそうだったディオニシオさんの表情が、見る見るうちに和らいでいく。
「あっ……ん……くすぐったいです……」
「我慢して下さい。これ以上ではヤバイですし、これ以下では治療に時間が掛かり過ぎるんですから」
筋肉が修復されていくむず痒さにもぞもぞと動くディオニシオさんを諌めつつ、右腕から順に魔力を浸透させていく。こういう細かい事は苦手なのだが、可愛い……うん、可愛い弟子の為なら致し方無し。
「失礼します」
……だから二日連続での巫女様の襲来は勘弁して欲しい。集中力が殺がれる。
幸い俺の真剣さが伝わったのか、誰かを伴って入室して来たクルス様は何も口を挟む事無く待っていてくれた。俺は出来る限り早く治療を終わらせると、ディオニシオさんの頭を一発引っ叩いてから後ろを振り返った。
「で、何のよ……う?」
振り返った先にいたのはクルス様と神殿騎士の誰かだと思っていたのだが、実際にいたのは神殿騎士ではなく老齢の女性だった。一般の神官服に装飾を足したような装いの女性は、柔らかく微笑みながら俺に手を振って来る。
何よりも目を引くのは、その首に掛けられている斜め十字をあしらったネックレスだ。金と銀の合金である琥珀金と白金、そしてミスリルで作られたそれを持つ人物はこの世で一人しかいない。
創神教の教皇アヌンシアシオン。創神教に於いて最も地位の高い人物だ。
「どうも、お邪魔させてもらっています」
「……はぁ」
穏やかな笑みを湛えたまま頭を下げる教皇様は、ガッチガチに緊張しているクルス様とは対照的に落ち着いている。気配にも特に乱れは無い為、創神教に喧嘩を売っている状態の俺を前にしても恐れやその他の感情を抱いていないらしい。
「あ、座っても宜しいですか?この年になると腰が弱くてねぇ……」
「あ、はい、どうぞ」
トントンと腰を叩く教皇様に椅子を差し出すと、教皇様は「ごめんなさいねぇ」と笑ってから腰掛けた。相変わらず微笑んでいる為、何を考えているのかサッパリ分からない。何も考えていない可能性も考えたが、一組織の天辺に立つ者としてそんな事は無いだろうと思い直した。
動きの固いクルス様にも同じように椅子を勧め、俺はディオニシオさんの横たわるベッドに腰掛ける。治療の甲斐あって動けるようになったディオニシオさんも、緊張に身を固めながら上半身を起こした。
「えぇっと、次の第十一戦は誰と誰の戦いでしたっけ?」
「崩山のアベルと魔法士ルイスです」
「あぁそうそう、二人とも中々の実力者でしたねぇ」
ぽやぽやっとしている教皇様とクルス様の会話を聞いていても、二人が何をしに来たのかサッパリ分からない。暇だから来ましたと言われても信じられるレベルだ。実際はそんな事は無いのだろうが……無いと信じたい。
「あの……」
「うん、静かにしていましょうか。十一戦始まりますし」
「あ、はい」
同じく困惑しているディオニシオさんと小声で会話を交わし、俺達は視線を闘技場の方へ向ける。既にアベルさんとルイスさんは入場し終えており、目を向けた時には互いに魔法を撃てる体勢で構えていた。
アベルさんは放出系魔法で攻める為無手、ルイスさんは鈍器にも魔術を行使する際の魔法陣を描く道具にもなる杖を構えている。共に放出系魔法主体でありながら、片や放出系魔法の技術と長年の経験を元にした遠距離戦、片や設置したり遅延発動させたりする事が出来る魔術での中距離戦と、戦法が全く異なっている。ルイスさんが如何にアベルさんを騙すか、そこが今回の見所になるだろう。
そして試合が開始される。合図と同時にアベルさんは後方へ跳び、ルイスさんは杖を振って魔力を操りだした。滑らかに描かれたオレンジ色の魔法陣から魔力と引き換えに放出された青い炎が、アベルさんの結界に殺到する。
放出系魔法の光と、それが結界に衝突した時に生じる閃光。二つの光が二人の顔を照らす光景を見て、教皇様は無邪気に手を叩いた。
「凄いですねぇ、あんな事が出来るのは神殿騎士団に何人いるかしら?」
「……四、五人といった所でしょうね」
「そんなにもいるのですかぁ」
本当にこの人は何をしに来たんだろう。
俺が教皇様を眺めている間に事態は進んでいたらしく、アベルさんがルイスさんの持つ杖を魔法で破壊した。杖が無くても魔術の魔法陣は描けるが、触媒が無い為に素早く描けなくなった。実質的に、ルイスさんは魔術を封じられた形になる。
ルイスさんは魔術の代わりに魔法を乱射するが、アベルさんはその全てを軽々と相殺する。暫くその撃ち合いが続いていたが、やがてルイスさんの魔法乱射ペースが鈍り始めた。
そして、生じた隙間にアベルさんの魔法が捻じ込まれ、ルイスさんの腹に炎の弾が吸い込まれる。弾けた炎弾に吹き飛ばされたルイスさんはすぐに立ち上がるが、魔力枯渇とダメージでまともに立てていない。
そんな状態になってもアベルさんの追撃は緩む事を知らず、次々とルイスさんに魔法が吸い込まれて行く。既に砂埃に覆い隠されて見えなくなっているルイスさんに淡々と魔法を打ち込むアベルさんを見て、俺は彼に対する印象を改めた。
――アベルさんは、SM両方行けちゃう天才。
「うーん、凄いですねぇ。何が起きていたのかさっぱりだわぁ」
教皇様は相変わらずのほほんとしているように見えるが、その実、アベルさんとルイスさんのかなりハイレベルな攻防を完全に見切っていた。大方、神殿騎士団か何処かの出身なのだろう。創神教では神殿騎士も神官の一員として数えられる為、別段珍しくも無い。
別段珍しくも無い実力者である事は分かったのだが、戦いを見て無邪気に喜んでいる姿を見ていると何をしに来たのかと聞き辛い。苦肉の策として、俺は教皇様の隣に座っているクルス様に小声で尋ねる事にした。
「……クルス様、特に俺達に用は無いという認識で良いですか?」
「うぇっ!?ぅあう、えっと……どうなんでしょう?」
予備動作無しに椅子から飛び上がるという常人離れした動きで驚いて見せたクルス様は、視線を泳がせて俺と目を合わせないようにしつつ首を傾げた。彼女も教皇様の真意を聞いていないという事なのだろうが、俺はそれよりも彼女の怯えっぷりに驚いた。どうやら昨日は脅しすぎたらしい。謝らないけど。
謝らないけど。
「あらクルス、どうしたの?そんなカエルみたいな動きをして」
「ななな、何でもないです!」
「嘘が下手なのは昔からですねぇ? 大方、昨日散々言われた剣聖様に話し掛けられて驚いたのでしょう?」
「ふぇぁあっ!?」
老人らしからぬ悪戯っぽい笑みを浮かべる教皇様と、慌てるあまり言葉が支離滅裂になっているクルス様。傍に俺がいる上にあそこまで大胆な反応をしたのだから簡単にバレるのは至極当然なのだが、クルス様は慌てていた所為でそこまで頭が回らなかったらしい。
昨日俺を捕縛するように命じた事もそうだが、クルス様は慌てると冷静な判断が出来なくなるらしい。実力が掛け離れている上に仲間がいた俺を捕縛するように命じたり、バレバレの嘘を貫こうとしたりとポンコツさが浮き出ている。
此方が素なのだろうが、これでは普段の聡明な仮面を被り続けるのも大変だろう。フォロー役だったルフィノさんの苦労が偲ばれる。
「うんうん、分かります分かります。私が何をしに来たか聞かれたのでしょう?」
「ななな、何の事ですか!?」
「そのくらいの状況判断が出来なければ教皇など務まりませんからねぇ。さて、剣聖チコ殿でしたね」
頭から湯気を出して熱暴走しているクルス様を一頻り弄り終えた教皇様が、漸く俺の方を向いた。表情こそ穏やかなままだが、その眼光は鉄板を貫き通さんばかりの鋭さで俺を品定めしている。政治が絡む組織の頂点に立っているからか、ポーカーフェイスも得意なようだ。舐めて掛かれば、たちまち喰われてしまうだろう。
俺は気を引き締めると、足と腕を組んで軽く前屈みになる。傲慢不遜な態度を取る事で、自分が上だと誇示する為だ。此処で下手に出ていては、ほいほいと向こうのペースに乗せられてしまうかも知れない。元より交渉事は苦手なのだから、最も無難な道を行くべきだろう。
「えぇ。それで、俺に何用ですか?」
「まぁ、分かっているのでしょう? チコ殿が創神教の組織を破壊しないように頼みに来たのですよ。ついでにクルスを虐めようかと」
「そんなどうでもいい要件で来ないで下さい」
「私達にはどうでも良くないのですよ。クルスを虐めるのは大切な事ですから」
「そっちなのかよ」
この教皇、最初から俺のペースを乱しに来やがった。
「可愛いでしょう?」
「世間一般で見れば可愛らしい部類に入るでしょうね」
「私にとっても孫のような子ですから。可愛いと思われているのにチコ殿に睨まれ続けていては可哀想だと思いましてねぇ」
しまった、言質取られた。ついでにクルス様が顔を赤くした。
此処で可愛いと怒りの感情は別だと騒いでも良いのだが、そんな事をしたら血も涙も無い冷血漢だと誇張して吹聴されかねない。以前の俺なら他との関わりも薄かった為それでも良いのだが、今の俺は王国から正式に剣聖の称号を賜った身だ。俺のイメージダウンが王国のイメージダウンに繋がってしまう為、クルス様の事を許すしか無くなってしまった。
「別に怒ってなどいませんよ。少々行き過ぎた真似を諌めただけです」
「あらあらそうですか、なら安心ですねぇ」
ニコニコと上機嫌に微笑む教皇様に舌打ちしたくなるのを堪えつつ、表面上は平静を装って上機嫌な空気を出しておく。内心は厄介な人を連れて来たクルス様にイラついているのだが、今それを表に出せば面倒な事になる為我慢した。
当のクルス様は、相変わらずの茹蛸状態で完全にフリーズしてしまっている。あの状態から元に戻るには相当長い時間が必要だろう。少なくとも、この話し合いの最中に復活してくる事は無さそうだ。
そんな事を考えていると、ふと教皇様の雰囲気が変わった事に気付いた。表情こそ変わりは無いが、目や気配がスッと引き締まったのだ。どうやら此処からが本題らしい。
「それはそうとしてですね、チコ殿、天の使徒をご存知ですか?」
「いえ。何ですか、それ?」
教皇様の質問にとぼけ、俺は内心の警戒度を少し上げた。何も知らぬ筈の俺に天の使徒――天使の存在を匂わせたという事は、厄介事が舞い込んで来ているか、それとも俺に近しい人が天使と疑っているかだ。どちらかと言えば、後者の方が可能性は高いだろうか。
今の段階で俺が天使の事を知っていると露見すれば、レグロの事もあって要らぬ誤解を抱かせる事になりかねない。エルと違って、俺は説明するという行動が苦手なのだ。
「そうですか。最近になって物騒な事件が増えて来ましたからねぇ。チコ殿も天の使徒に目を付けられないよう、お気を付け下さい」
「それは脅しですか?」
「いいえ、純然な忠告ですよ。私達には組織という柵がありますが、天の使徒には恐らくありませんから」
なるほど、教皇様の本当の目的は俺達の使う濃縮負荷に釘を刺す事と、交渉下手なクルス様に今の会話を見せる事か。警告と教育を同時に行うとは、流石は教皇様とでも行ったほうが良いだろうか。
天の使徒には既に目を付けられているのだが、それは黙っておいても良いだろう。アベルさんが天使が人間の傍に来ている理由を誤魔化したと言っていた為、分からないのに下手な事を言って神様の不興を買う必要は無い。
「忠告は受け取りましょう。用件は以上で?」
「えぇ、それだけですよ。クルスも虐め終わりましたし、私はそろそろ退散しましょうかねぇ」
「そうですか。それでは」
「はい、またの時を楽しみにしていますよ」
「……あ、教皇様! ち、チコ様! 失礼します!!」
「あぁ、はい」
話が終わるとサッサと退室して行く教皇様と、一拍置いてそれに追随するクルス様を見送り、俺は深く溜息を吐きながらベッドに倒れ込んだ。肉体的疲労とは違い、活性魔法でも癒せない精神的疲労が重く圧し掛かる感覚が久し振りに俺を襲って来る。あの狸BBAを相手にするのは是きりにしたい所だ。
「あの、チコさん?大丈夫ですか?」
「あぁ、うん……ごめん、少し膝を貸して下さい」
「あ、はい、どうぞ」
倒れ掛かった先が盛り上がっていると思ったら、ディオニシオさんの太ももがある位置だったらしい。動くのも億劫な為、俺はそのまま頭を膝に預けた。掛け布団がある為、問題は無いだろう。同性同士だが、ディオニシオさんは女にしか見えない為、多分問題は無い。一部は危ないかも知れないが。
「あの、交渉って大変なんですね……」
「まぁ、ね。体は大丈夫ですか?」
「はい、特に痛みとかは残ってないです」
「そうですか。それは良かったです」
ひょっこりと俺の顔を覗き込んで来るディオニシオさんの元気な姿に、俺は安堵の溜息を吐いた。この後はエル対魔法軽戦士ミレイアさんの戦いだが、きっとすぐに終わるだろう。少しだけ寝ても良いかな。




