シスコン妹と大会への誘い
物凄く気まずい。
現在、俺はエルの隣に座って美味しい親子丼を食べている。鰹節の出汁が効いて美味いのは確かなのだが、その感動を無碍に帰すような、嫉妬と憎悪が込められた眼差しが常に俺を射抜いている。
「やっぱりチコが捌くと肉の味が違いますね。美味しいです」
「(キッ!)」
そしてエルが俺の名前を口に出す度に、その眼差しは一層厳しくなる。攻撃されたという事実がある以上、敵意を向けられては気を抜くことすらも出来ない。しかも相手は熾天使という強大な存在なのだ。
「どうですかリディア。美味しいですか?私の作った親子丼は」
「勿論よ!」
「それは良かった。チコと一緒に作ったんですよ」
「(キッ!)」
絶対に楽しんでいるエルがちょくちょく火種を放り込んで来る中で俺に出来る事と言えば、黙ったまま親子丼を食べ続ける事。そして無表情のまま楽しんでいるエルに嘆願の視線を送る事だけだ。ちなみに無視され続けている。
「御馳走様でした」
「御馳走様」
「……御馳走様?でした」
「食器は私が預かりますから」
恒例となった食後の挨拶をすると、エルは全員の食器を持って洗い場へと出て行った。その間に、俺は布を使って食事をした机を拭くのだが……エルの目が無くなったからか、リディアさんの目が更にキツくなった。
極力それを意識しないように、且つ不測の事態に備えながら掃除をする。それが終わったら、クラウディオさんからもらった急須と茶葉を用意する。食事の後は緑茶を飲んでほっこりするのがエルネスタ流らしい。
煎茶の作法など殆ど知らないが、沸騰したお湯を使ってはいけなかったり急須を回してはいけなかったりという事は知っている。エルお気に入りの玉露は六十度程度の湯が適温の為、適当に温度を調節して急須に湯を注ぐ。緑茶の落ち着く香りが、ほわっと周辺に漂った。
湯呑みを三つ用意して机の上に並べ、それぞれに緑茶を注ぐ。リディアさんの視線が緑茶に逸れ、憎悪の視線から開放された俺はホッと溜息を吐きながら椅子に座った。
「あ、チコ。お茶淹れてくれたんですね」
「あぁ。食器しまうか?」
「大丈夫です。そのまま待ってて下さい。すぐにお茶菓子を出しますから」
綺麗になった食器を持って戻って来たエルが俺に声を掛けると、再びリディアさんの視線が俺に注がれる。しかし、今度の視線は憎悪だけでは無く、不思議そうな困惑しているような、そんな感情も混ざっていた。恐らく、夫婦にしか見えないやりとりをしているからだろう。これも全部エルの所為だ。
リディアさんの動向に気を配っている内に、エルが饅頭を皿に乗せて戻って来た。机の真ん中に置かれた見慣れぬお菓子に、再びリディアさんの視線が注がれる。目がキラキラと輝いている所を見れば、興味深々だという事が丸分かりだ。
「遠慮せずに食べて下さいね、二人とも」
「ありがとう、エル」
「あ、あ、あ、ありがとう!」
内心はほくそ笑んでいるであろうエルに礼を言うと、リディアさんも対抗するように慌てて礼を言い、優越感に浸ったドヤ顔で俺を見て来る。だが、エルのハートへのダイレクトアタックに慣れている俺がその程度で心を乱す訳が無い。平然と茶を飲むと、リディアさんの顔が僅かに驚愕の色を浮かべた。
「どうしました、リディア?」
「あ、いや、何でも無いよお姉ちゃん……」
気勢を殺がれたリディアさんは、おずおずと饅頭に手を伸ばす。そしてそれを口にした瞬間、目をカッと見開いて表情を蕩けさせた。どうやら、エルに続いて和菓子ファンが新たに生まれたようだ。
「美味しい!」
「でしょう?チコ発案のお菓子なんですよ」
それを聞いて、リディアさんは複雑そうな表情になった。大好きな姉に甲斐甲斐しく世話を焼かれている大嫌いな男の発案だが、それでも美味しくて好き。あぁでも……という顔だ。
そう、リディアさんはほぼ確実に重度のシスコンだ。そこに男嫌いが加わって、姉に付いている悪い虫である俺を完全に敵視している。どちらかと言うと、付かれているのは俺だが。
「……クッ!」
リディアさんは悔しそうに呻くと、もうひとつ饅頭を手に取った。プライドよりも食欲が勝ったらしい。堕ちたな、とでも言っておくべきだろうか。
「ふふ、リディアも饅頭の前に堕ちましたか」
「エルは俺の分も食べてたからな」
「あの時は演技を忘れそうになりました。本当に美味しかったんですよ」
「俺もこの世界で始めて食べた時は感動したな」
ゆっくりと茶を嗜みながら、エルとのんびりとした会話を交わす。緑茶と茶菓子が出ると、どうしてもこんな一時を過ごしたくなるのだ。その場面をイラーナさんに目撃されて、熟年夫婦みたいと言われた事は記憶に新しい。
そんな俺達の熟年夫婦っぷりに、リディアさんがギリギリと歯噛みしている。だが、手が休み無く饅頭に伸びていては恐ろしさの欠片も無い。寧ろ微笑ましいとすら思ってしまう。
「何見てるのよ。殺すわよ」
「勘弁して下さい」
リディアさんが魔力を放出し始めた為、速攻で誤って許してもらう。さっき攻撃された時のリディアさんの魔法の出の早さはエルにも匹敵していた。機嫌を損ねる度に攻撃されていては、命こそ落とさないだろうが魔力が持たないかも知れない。
「ふん!ただの腰抜けじゃないの。わざわざ姉さんが監視する意味があるのかしら」
それは俺も思った事があるが、その時と同じようにエルが否定した。
「リディアだって本当は分かっているでしょう?チコを抑えるには私でも足りないのかも知れないんですよ?」
「分かってるわよ」
エルの言葉に、リディアさんは拗ねたように唇を尖らせて俺を睨み付ける。俺としては勝手に監視されて勝手に嫉妬と憎しみを向けられているという状況に文句を言いたいのだが、下の話をばら撒かれては困る為、グッと飲み込む。代わりに、以前から気になっていた点について質問してみた。
「抑えるのが厳しい時は二人以上の天使を付けちゃ駄目なのか?」
確かに俺は強い自信があるが、流石にエルとリディアさんの両名を相手にして勝てるとは思っていない。ならば、二名以上を監視に付けて確実性を高めれば良いと思うのだ。
純粋に疑問に思っての質問だったが、それに対する返答は、エルとリディアさん両名の呆れたような目だった。
「チコ、私達も暇では無いのですよ。上位天使にもなると仕事は沢山あります」
「上位天使を二人も監視に割ける訳無いでしょうが。鈍い頭使って考えたらどうなの?」
「……なんかごめんなさい」
天使も忙しいらしい。そりゃ全天使の頂点とも言える熾天使クラスの天使を多く割ける筈が無いですよね、はい。
「構いませんよ。リディア、先にお風呂に入って来たらどうですか?そろそろ沸く頃ですけど」
「良いの?でも……」
エルの優しさに内心で感激していると、風呂に行く事を勧められたリディアさんが何か言いたげに此方を見て来る。大方、覗いて来そうとか思っているのだろう。
俺は改めてリディアさんを見る。見れば見るほど美しい人だとは思う。青み掛かった白銀のツインテールも、碧い瞳も、気が強そうな釣り目も、整った顔立ちも、抜群のプロポーションも、何もかもが美の結晶と言えるほどに美しい。道行く男が全員振り向いても違和感を感じさせないだろう。
しかし、だ。しかし彼女の一部分は、俺の好みから大きく逸脱している。故に綺麗だと思う事はあっても、覗こうと思ったりは全くしない。何故なら好みでは無いからだ。
「大丈夫、覗きなんかしませんよ」
「そうですよね、チコは小さい方が好みですもんね」
「あ、馬鹿――」
折角ぼかした所を台無しにしつつ、エルがこれ見よがしに胸を押し当てて来る。俺は突然の不意打ち顔を赤くする間も無く、膨れ上がる殺気に血の気が引くのを感じた。
「死ねボケナス――お姉ちゃん結界解除して!そいつ殺せない!!」
「オイタは行けませんよ」
エルが張った結界の中で、大きな胸を揺らしながら魔法を乱射するリディアさんを見て、俺は明日の太陽が拝めるように祈った。
お風呂をうっかり覗いてしまうなどというハプニングも無く、俺達三人は無事に風呂を浴び終わり、リビングでのんびりとしていた。
エルは食事を取っていた時と同じ椅子に座り、髪を纏めて水滴が残るうなじを露出させている。上気した顔と相まって普段の三倍艶やかな姿になった彼女は、お気に入りの蜂蜜酒をちびちびとやっている最中だ。
エルとは反対に長い髪を下ろしているリディアさんは、台所の方に立って果実酒を呷っている。エルから借りたらしい寝巻きに着替えた彼女は、実際豊満なバストを強調するように腕を組んでいる。
そして俺は、エルの横の椅子でエルにくっつかれながら蜂蜜酒を飲んでいる。後ろから突き刺さる視線やら殺気やらが怖いです。
「ふぅ~、サッパリした後のお酒は最高ですね」
「同感」
「まぁ……悪くは無いわ」
リディアさんの不意打ちに備え、俺は常にエルの近くにいるようにしている。エル自身も密着してくる為に安全は確保されているのだが、代わりにリディアさんから漂う殺気が濃くなって行く。表面でこそ平静を保って酒を飲んでいる俺だが、内心は冷や汗を滝のように流していた。
「っていうか、男のあんたは酒を自重しなさいよ。襲って来たら殺すわよ」
「大丈夫だ、酒には強いから飲み過ぎなければ問題無い」
「その台詞、フラグじゃないですか?」
ネタを知っているエルに突っ込まれるが、実際この程度の酒では瓶サイズで飲まなければ酔う事は無い。以前に泥酔したのは度数の高い酒を飲んでいたからだ。今日は安全……の筈だ。
それに、泥酔して記憶を失っている内に更に弱みを握られたりしたら――
「チコ、どうしました?」
「いえ、何でもないで……何でもない」
エル相手に隙は見せられない。俺は酒を飲む速度を緩めた。
「リディア、明日からどうしますか?暫く休暇をもらって来たのでしょう?」
「まぁね。暫くは此処に泊まって、適当に街を見てるわ。お姉ちゃんも一緒に来る?」
「私は学園がありますから」
「……そっか」
デートの誘いを無念にも断られたリディアさんが、殺意入りの視線の槍を投げ付けてくる。俺はそれを甘んじて受けながら、空になったカップを呷って現実逃避した。俺は悪くねぇ。
「そうそうチコ、今日こんな物をもらって来たんですよ」
「ん?」
意識を俺の方に向けたエルが、傍らに置いてあるバッグの中から一枚の号外新聞を取り出す。それを受け取って見ると、タイトルの部分に『グランテーサ・ボスケー・マール三王国共同魔闘大会 グランテーサ王国王都にて一ヵ月後に開催決定!!』と書かれていた。
「学園生でも参加出来るらしいですよ。優勝賞金は黒貨五十枚。どうですか?強い人が来るかも知れませんよ、滅竜剣聖様?」
「……良いね」
三王国は紛う事無き大国だ。その領土は広大で、多くの人々がそこで生きている。その中には腕に覚えがある者もいるだろう。冒険者達もこぞって参加するだろう。俺が求めて止まない強者が、賞金に釣られて一堂に会するのだ。
自然と口角が吊り上る。右の手が強く握られる。戦いを求めて止まない血が、体の中で膨れ上がらんばかりに滾る。頭が、理性が、本能が、激しい戦いを夢想して昂ぶった。
「うっわ……戦闘狂じゃん……」
「外道相手の時は不愉快そうなんですけどね。純粋な力比べの時は本当に楽しそうなんですよ」
「ふーん……」
後ろで二人が何か言っているが、今の俺は魔闘大会のスケジュールを確認するので精一杯だ。決して戦闘狂という単語に頷いてなんかいない。
「ま、チコが出る限り優勝は確実です。それではつまらないので、私も出ます」
「へー……えっ!?お姉ちゃん出るの!?」
「当然です。震天の魔導師と滅竜剣聖、話題の夫婦が本気で闘うんです。盛り上がりますよ」
「ほ、本気なの!?駄目よお姉ちゃん!絶対!!」
やる気満々の声で参戦を表明するエルを、リディアさんが酷く焦りながら止めた。俺としてはエルの参戦は大歓迎なのだが、リディアさんの焦り様は尋常では無い。何か特殊な事情があったりするのだろうか?
「良いじゃないですか。主から許可は得ていますし、問題は無い筈です」
「だめダメ駄目!絶対駄目!主様が許しても私が許さないわ!」
「いーえ、私は出ますよ。勝ってチコにひとつ言う事を聞かせます」
「そんな事しなくったって良いじゃない!お姉ちゃんはアイツに何でも言う事聞かせられるんでしょ!!」
何だか酷い事を言われている気がするが、事実だから仕方が無い。下の話題を出されては、俺は従う以外に道が残されないのだから。
しかし、エルが断固として参加する意思を見せてもリディアさんは一歩も譲らなかった。しかし言い争いがヒートアップしてきた為、そろそろ止めに入ろうかと立ち上がった所でリディアさんが聞き捨てならない事を叫んだ。
「たかがそんな事の為に翼を見せるなんて、絶対駄目だよ!」
俺は椅子から立ち上がった所で固まった。ガタリと音が鳴ったからか、二人も言い争いを止めて俺の方を見る。無言のリビングで、俺とエルとリディアさんの視線が重なった。
「エル、翼は信頼した相手にしか見せないんじゃなかったのか?」
「そうですよ。ですが、翼を出さなければ本気は出せません。チコは本気を出した私と戦いたくは無かったのですか?」
無表情のまま、不思議そうに首を傾げるエル。隣のリディアさんは相変わらず俺を睨みつけているが、さっきまでの敵意の籠もった物とは違い、説得に協力しろと囁き掛けて来ている。
そして、俺はその問いに――
「……―――」
――答えられなかった。




