第3話 自由に傲慢に
僕は『セレスティア・クロニクル』に登場する辺境伯家の次男、悪役貴族ヴィンセント・ヴァン・ヴァンデルシュタインに転生した……とされている。
まだ僕の中では認めてはいないが、寝ても覚めてもこの夢の中から出られないのだから、そろそろ現実を受け止めるべきなのかもしれない。
前世での名前は本藤創介――19歳の誕生日を迎えた直後に意識を失い、目を覚ましたときにはヴィンセントになっていた。
本当なら、今頃充実したキャンパスライフを謳歌していたはずだ。
なのに、なんでこんなことに……!
「……あれ、大学は落ちたんだっけ?……いけない、意識が朦朧としてきた……」
都合の悪いことは忘れたままにしておこう。僕の精神衛生を保つためにも……。
「ヴィンセント坊ちゃま……おいたわしや……」
机の前でブツブツと言っていると、そそっかしそうなメイドの彼女が、憐れむような目を向けてくる。
僕が自身の名前を尋ねてから数日経った現在でも、ずっとしおれた顔をしているのだから、こっちまで気分が落ち込んでくる。
ともかく当面の問題としては、ヴィンセントはセレスティア・クロニクルの全ルートにおいて、死亡することが決まっているということだ。
これが、本当に夢ではないとするのなら、僕の未来はお先真っ暗だ。
「せっかくの第二の人生なんだ。簡単に死んでたまるか!」
「あわわ……坊ちゃま早まってはいけません……!」
メイドの彼女に肩を掴まれブンブンと前後に揺らされながらも、思考の海にズブズブと沈んでいく。
幸いにもセレクロについては、前世でフルコンプしているので、全てのルートは制覇している。
正直、記憶力にはあまり自信はないし、ストーリーよりもアクションロールプレイング部分を中心に楽しんでいたこともあり、細かいところは覚えていないというのが不安ではある。
ともあれ、更生して地道に善行を積み、死を回避するというのがベターなパターンだろうか。
だが、このヴィンセントはゲームの主人公が成長するきっかけとなる意外と重要なキャラだ。
僕が更生してしまえば、主人公が成長する機会を失い、世界を救うという大役を務めることができない。
だったら僕が最強になり、世界を救うというのはどうだろう。
……まあ、それもありかなと思うが、さすがに荷が勝ちすぎている。
僕は前世では、小市民の中でも、さらに小市民だったのだから。
確かにヴィンセントの能力値は高かったと記憶しているが、主人公はいずれ勇者として覚醒する。悪役貴族の僕とはまるで格が違うのだ。
であれば、悪行を重ねて主人公の成長を促しつつ、善行を重ねるというのはどうだろう。
悪逆の限りを尽くしながらも、質素で清貧な生活を送る。
あれ、なんだか混乱してきた……。
……これを実現するには、僕がもう一人必要になる、か……。
なるほど、それもありかもしれないな。影武者として用意した僕の身代わりに悪の道を進ませ、主人公に討伐させる。
身代わりになった者には申し訳ないが、これも僕が生き残るためには必要なことなのだ。
倫理を問うというのならば、転生後から数年の短いスパンであっけなく死を遂げなければならない、僕の人権を尊重するところからまず始めてもらおう。
……いや、現実逃避している場合じゃないッ!
「ちくしょう! なんでだ! 死にたくないっ……!」
「坊ちゃま……! 大丈夫です、坊ちゃまは死にません!」
前世では、他人の顔色を窺って生きてきた。
簡単に言うとモブキャラだったのだ。
主張をすることもなく、怒ったり、泣いたりすることもない。
注目されないように、波風立てないように。
嫌なことでも、へらへらと笑って受け入れる。
それでも――ゲームの中でだけは自由だった。
ゲームをやっているときだけは、誰にも文句を言われないし、誰にも迷惑をかけない。
好きなようにキャラクターを動かして、好きなように育てる。
それが、たとえ創られた箱庭であっても、僕にとっては自分を表現できる唯一の世界だった。
だからといって――ゲーム世界に転生するなんてあり得ないだろッ!
しかも、死亡ルートしかない極悪貴族だなんて……一体、僕が何をしたというんだ!
許せない……許せないッッ!!
やりどころのない怒りが胸中を支配する。
それなら、僕にだって考えがある。
どうあがこうと死の道を辿るのだとするのならば、全部ぶっ壊してやる……。
もう二度と、他人に遠慮して、自分を押し殺す人生なんて、御免被るぞ。
そんなの、生きながらに死んでいるのと一緒だ。
たとえ、他人に迷惑をかけようが、誰にどう思われようが――全部、全部ぶっ壊して、どこまでも自由に、どこまでも傲慢に、悪役貴族らしく生きてやる……!
まあでも……。
「とりあえず、僕が死ぬことについては保留にしとこう」
楽観的なところが、僕の美点であると思っている。
短所とも言えるかもしれないが。
まずはこの世界を知っていくことが、僕が生き残るための鍵になることは間違いない。
ここが、僕のよく知るゲームの世界だとしても、ゲームで描かれていないことまでは知らないし、必ず何かしらの差異があるはずだ。
その差異こそが、生き残るための糸口になるかもしれない。
「……ヴィンセント坊ちゃま、思い直していただけたのですね!」
メイドの彼女がホッと胸をなでおろしている。
なんだか、話が噛み合っていない気がするが、放っておこう。
今は忙しいのだ。
死ぬまでには、まだ猶予がある。現在の年齢は十二歳。
セレクロのシナリオが始まるのは三年後の王立魔道騎士学園の入学式からだ。
なので、それまでに考えておけば良いと思うのだが、どうだろう。
この世界を満喫したいし、魔法だって使ってみたい。
「君、ちょっと良いかな?」
「は、はい!何でしょうかヴィンセント坊ちゃま!」
声が上擦り、わずかに頬が紅潮しているように見える。
もしかしたら、緊張しているのかもしれない。
悪役貴族の使用人だったのだ。きっとその扱いも悪かったに違いない。
「あー、えーっと、僕は君をなんと呼んでいたんだっけ?」
「……ぶ、豚とお呼びいただいておりました!」
「ぶっ……!?」
……ふふふ、なるほどね……。
まあ、この程度では驚かないさ。驚いているように見えるのは、ブラフだッ!騙されたかね、子豚の彼女。
しかし女性を豚と呼ぶとは、さすが僕こと悪役貴族だ……。自分で自分に感心してしまうよ。これからは僕もその精神を馴染ませていく必要があるな。
前世では友人と呼べるような者もいなかった。
他人を豚呼ばわりすることにも慣れていないのだ。
だがいくらなんでも、人間を畜生と同列に呼称するのは良くないことではなかろうか。
とりあえずは、彼女の真の名を聞くことから始めようか。
これから関係性を築いていくにあたって、名前は重要だと思うんだ。
「……では豚、名前を教えてもらえるかな?」
「……め、メルと申します」
メル――ヴィンセントの使用人で、いつもかわいそうな扱いをされていた少女だ。
ストーリーが進むと、いつの間にか出てくることがなくなったから、どんなキャラだったかは印象に残ってない。
僕こと悪役貴族に殺されたか、使用人を首にされたか、そういった事情があったのだろうか。本編では描かれていない部分だったから、真相はわからない。
彼女の末路はわからないが、僕はバッドエンドというものが心底嫌いだ。
僕が不幸になるのも、僕が関わった人間が不幸になるのも、あまり良い気はしない。
僕の信用する人が困っているのなら、その手の届く範囲で助けたいと思う。
これから悪役貴族になるうえで、それは不要な考えなのかもしれない。
でも決して、そんな殊勝な考えではない。僕は現実をちゃんと見据えているつもりだ。
あくまで、僕の裁量次第――切り捨てる命も、救う命も僕が決める……!
「どうしました、坊ちゃま?」
こてんと小首を傾げてこちらを不思議そうに眺めるメイド。
メイドのメルよ、お前は僕の信用に値する人間か……?
傲慢だと吐き捨てる奴がいるのなら、そいつが全てを救えばいい。
僕は悪役貴族らしく、身の丈に合った生き方をするよ。
差し当たっては……運命の死亡イベントを乗り切るために力を蓄える!
「メイドのメル、僕は魔法が使ってみたい。外に行くぞ! ついてこい!」
「あ……坊ちゃまが私の名前を……」
呆気に取られている様子のメイドのメルを置いて、ふんぞり返りながら部屋から出る。
自由に、傲慢に、生き延びるのだ!死の運命なんか糞食らえ!
……しかし、偉そうにするのはこんなに気持ちが良いものだとは……。
ちょっと癖になりそう。
前世で抑圧されていた欲望が目覚めてしまったのかもしれない。
「……ま、待ってください! 坊ちゃま!」
メルの叫び声を聞きながら、屋敷を闊歩するのだった。




