第13話 第一のしもべ
それから数日。途中の村や街で宿を取りつつ進んできた。
日数から逆算して、王都まであと半分をきったぐらいのところだろうか。
その日以来、二人は僕が乗る馬車とは別の、使用人たちが乗る馬車で移動するようになった。
当然だが、武器となるようなものはすべて取り上げている。
僕としては広く使えて、その分のんびり過ごさせてもらっているので、全然寂しいとかは思ってはいない。
メイドのメルが、休憩のたびに甲斐甲斐しく世話を焼いていた効果か、なんとか落ち着いて会話ができる状態にまで回復した。
警戒しすぎて、疲労の方が強いというだけなのかもしれないが。
僕の一挙手一投足にいちいち反応して、疲れないというほうが無理があるだろう。
なので、彼女たちのところに定期的に顔を見せては、反応を楽しんで……もとい心配で様子を見に行っていたんだが、メイドのメルの奴が、プリっと頬を膨らませて僕のほうを見てきたので、せっかくの気分も興ざめだ。
僕の召使い一号のくせに、なんだか生意気である。
彼女がミスをするたびに、苛烈に叱りつけているのだが、どうやらまったく懲りていないようなのだ。手懐けるのが難しい。
敬愛するヴィンセントパイセンなら、僕の抱えるちっぽけな悩みなど一瞬で解決してしまうはずだ。さすがはパイセンと言うほかないだろう。
とはいえ、僕のほうも疲れていないわけではない。
馬車での長距離移動など、前世では経験がないうえに、舗装されているとはいえ、サスペンションなどついているはずもなく、振動が直に尻に伝わるのである。疲れるのは当然のことであった。
もう少し進めば、本日宿泊する予定の町が見えてくるとのことだ。
当然、都合よく宿が点在しているわけもないので、野営をすることも少なからずあったが、馬車の中で比較的快適に過ごせていた。
そして、今は休憩中。
道中、騎士の一人が見晴らしの良い丘を見つけ、そこで一息つくことにしたのだ。
使用人たちがせっせとティーセットを広げている。
それでは休憩にならないのではないかと思うが、彼らにとっては主人が不便なく休憩することが何よりも大事なのだろう。
だとするのならば、彼らを心配するのではなく、貴族らしい振る舞いをしておくのが、彼らに対しての礼儀ともいえる。
用意された椅子に堂々と腰かけ、足を組み、お茶を啜りながら、二人の様子をじっと眺める。
「フランお嬢様、シルヴィア先輩。温かい紅茶ですよ、どうぞ」
メイドのメルが、二人にティーカップを差し出す。
「いえ、私はもう大丈夫です。迷惑をかけました、メル。私が腑抜けている間お嬢様を守ってくれて感謝します。……ヴァンデルシュタイン家の悪鬼め……くそっ……」
「いえいえ、悪鬼だなんてそんな……」
いやいや、なんか反応間違えているぞっ!メイドのメル!
しかも、最後にボソッと言ってたやつ、それ多分僕のことだから!
そういえば、セバスにも言われたなぁ悪鬼。
使用人の間でそう恐れられていたのだろうか。
すごい!さすがです!パイセン!
すると、フランチェスカがゆっくりと口を開く。
「…………あなたはヴィンセントに酷い目に遭わされていないの?」
遭わされてます。
首輪をつけて公然の場をお散歩するような関係です。
僕も次お仕置きするときはやってみるべきか?
そうすれば、メルだけでなく周囲にも僕の恐ろしさが伝わるだろう。
というか、僕も聞いてますよ、妹ちゃん。
「……私は……ヴィンス坊ちゃまが酷い方……だとは思いません」
「……! ……でもヴィンセントは、まるで道具のようにあなたを扱って……!」
メルの言葉に納得できないのか、声を荒げる我が妹フランチェスカ。
そんなに声を上げたら僕に聞こえちゃうよー……。
昔のイギリスでは、使用人とは家具のように、自身の存在を主張せず、主の邪魔をしないことが美徳と考えられていたらしいからな。
家具のように振る舞うことが理想なのだとしたら、家具や道具のように扱われるのは、その振る舞いが成功しているということだろう。
だとしたら、むしろ使用人として優秀だということではなかろうか。
メルは使用人の鑑だな。主として誇らしいよ僕は。
メルは静かに首を振り、口を開く。
「私がここで働けていることは、私にとっては奇跡みたいなことなんです……」
「どういうことかしら……?」
「……昔の私は……今日を生きるのもやっとでした」
メルは少し視線を伏せ、微笑む。
「そんなとき、拾ってくれたのがヴィンス坊ちゃまだったんです」
「……ヴィンセントがそんな殊勝なことをするわけがありませんわ!」
そんな全否定することないじゃないか。
ヴィンセントパイセンだって心が奇麗だった頃もあったはずだ。
しかし、メイドのメルとの間に、そんな過去があったことなんて知らなかった。
ゲームではそんなシーンはなかったから。
「早くに親を亡くして、独り身だったんです。生活は過酷で、生きるためには周りに気を配っている余裕もありませんでした」
◆
五年前――。
当時九歳だった私は、片親だった父親を亡くし、身寄りもなく、幼くして路頭に迷っておりました。
でも、生きるためには、どうしても食わなければなりません。
必死に働き口を探しましたが、子どもの私の言葉など取り合ってもらえるはずもありませんでした。
それからは路地裏でごみを漁り、食いつないでおりましたが、日に日に衰弱していく身体。
それすらも、もう限界となったときに、ふと目に入ってしまったのです。
屋台に並ぶ果物が。
お店の人は他のお客さんの対応をして気を取られている。
盗るなら今しかない。
ほんの出来心でした。極限状態ということもあり、なりふり構ってはいられなかったのです。
いえ、それは言い訳ですね……。
どのような事情があろうと、他人様から物を奪うなんてことはしてはいけなかったのです。
私はリンゴを抱えて走りますが、お店の方にすぐに見つかってしまいました。
……やっぱり、悪いことはできません。きっと神様が見ておられたのでしょう。
背後に響く怒鳴り声に、私の心臓は痛いほどに強く打っていました。
罪悪感からか、追われる恐怖からか、あるいは走っているからか、それはわかりません。
そのときの私は、その日を生き抜くことしか頭にはありませんでした。
あの路地の向こうに抜ければ――
そんな希望も神様を裏切ってしまった私には与えられることはありませんでした。
突然目の前に現れた騎士様に、取り押さえられてしまいます。
「…………っ」
「盗んだものを返せ」
騎士様の声は酷く冷たいものでした。
それは当然です。他人様の物を盗んだのですから。
鎧に刻まれる辺境伯様の紋章が目に入りました。
「はぁはぁ……あ、ありがとうございます、騎士様。この坊主がうちの大事な商品を……」
追いついてきたお店の方が騎士様を見て言います。
騎士様は、私からリンゴを取り上げようとします。
ですが、私は救いようのない悪い子だったのでした。
「……だめ……!」
「離せ、でなければ斬り捨てる」
騎士様は腰の剣を抜き放ちます。
私はやってはいけないことをしました。
ここで殺されてしまっても文句は言えません。
理不尽だとは思いません。
――なんて理不尽なことだ。
そうです。飢えた子どもが食べ物を盗み、斬り捨てられる。
これは、ただそれだけの話なのです。
――人は生まれながらに平等じゃない。
私という人間がこの世界からいなくなるだけのこと。
誰も気にも留めないし、気にもかけません。
――私だってもっと生きたいよ。
だって……私は悪い子だから。
――ただ生きようとすることが悪いことなの?
だけど、心の奥では最初から分かっていた。こんな生活長くは続かないって。
仕方ない。人は生まれながらにして、運命が定められているもの。
それは神様が決めた絶対。
これで楽になれる。辛く、苦しい生活から解放される。
私は思う。だったら、こんな命。
――最初からなかったのと同じじゃない、と。
「死にだくなぁい……! 死にたくないよぉ……! おいしいごはんいっぱい食べたかった……! 暖かい布団で眠りたかった……! もっと……もっと生きたかった!!」
突きつけられた死を受け入れられず、涙が流れて止まりませんでした。
きっと悔しかったんでしょう。
暗い路地裏で、みじめに、孤独に、ごみ同然に終わっていく人生が。
私の想いを無視して、無慈悲に、振り下ろされる鉄の刃。
――理想を打ち砕くのは、いつだって冷たい現実なんだから。
「――待て!!」
幼い声でした。
恐る恐る目を開くと、眼前で止まる刃。
次いで、目に入ったのは一人の男の子。
「ヴィンセント坊ちゃま。あなたが買おうとしていたリンゴを不敬にも持ち去った子供です。罪を償わせるべきかと具申します」
「こいつにちょっと興味を持った」
リンゴを抱えるようにうずくまる私に近づく男の子。
「お前……やっぱり女だな……ククク」
私の近くまで顔を寄せると、ニヤリと酷薄な笑みを浮かべます。
「……おい、それは僕が買おうとしていたリンゴだぞ?」
あの時、店主と話していたのはこの騎士様と男の子であったことに気付きます。
「…………」
「お前は僕のモノを盗った」
「……死にたくありませんッ!!」
「貴様ッ……! ヴァンデルシュタイン家の子息に向かって……」
「下がっていろ! 僕が話しているだろうが!」
「……申し訳ございません」
「罪には罰が必要だな?」
――お前、僕のものになれ。
男の子は言いました。
◆
「だから、ヴィンス坊ちゃまは私の恩人なんです。……その……首輪を付けられて歩かされたり……恥ずかしいこともありますが……」
メイドのメルは顔を赤らめて、僕のほうをチラリと向く。
メルが現在十四歳という事実に驚きではあるが……ふむ。そんなことがあったとはなぁ。
「で、でも……!ヴィンセントはあなたを助けようとしたわけではないと思いますわ!」
僕もそう思うなー。
というかリンゴを盗っただけで殺されるのかこの世界は。
貴族の子弟に楯突いたと見なされたのか。あるいはヴァンデルシュタイン家の頭がおかしいのか。
どちらにしたって野蛮にもほどがあるだろう。
「それでも良いんです。……それでも――私はヴィンス坊ちゃまに救われたんです」
セレクロでのヴィンセントパイセンは、他人を自分の快楽を得るための道具ぐらいにしか考えていなかった。
あえて希望をちらつかせて、絶望に染まっていく様を見たいとか、そんな感じだったのだろうか。
さすがは悪役貴族……!僕も見習う必要がある。
悪役貴族心得一つ!
絶望を見せたいのならまず希望を与えろ!
極上の蜜にどっぷりと漬けて、吸えなくなるまで肥え太らせるのだ。
絶望と希望は表裏一体。どちらが欠けても成立しない。
真理に到達せしとき、人の心などいかようにも掌握できよう。
……ヴィンセント様!いかがでしょうか!
これから、たくさんの人心を掌握していかないといけないわけだし、練習しておかないといけないかもしれない。
「だ、だけど……」
フランチェスカは納得がいかないとばかりに言い募ろうとするが、それ以上言葉は出てこないようだった。
シルヴィアについては何か思うところがあるのか、メルを静かに見つめている。
いや、睨んでる?目付きが鋭いからどっちかわからない。
というか、格好つけてるようだけど、そのキャラに戻るのはもう無理だからな。
「ヴィンス坊ちゃまは、本当は優しい人です」
なにぃ……?失礼なっ!
僕は優しい人を目指しているわけじゃない!
というか、その根拠はどこから来るのだろうか。
メイドのメルは、どうにも自分の思い出を美化しすぎている気がする。
いや、あるけどね。そういうこと。
昔面白かったゲームを改めてプレイしてみるとあんまり面白くなかったりすること。思い出補正ってやつだよ。
「……ヴィンセントが……? ……やっぱり信じられないわ」
フランチェスカはその後、口を開くことはなかった。
僕もこれ以上は、盗み聞きをやめ、優雅にお茶を楽しむ。
空を見上げると、青かった空が橙色に変わりはじめていた。
気のせいだろうか――なんとなく静かだ。
周囲の騎士たちが少ないような気が……。
突然悲鳴が聞こえる。
「お、お前ら! 何者だッ! 見張りの騎士は何をやっていたッ!」
「坊ちゃま! 賊です!」
騎士の一人が叫びだしたかと思うと、セバスが血相を変えて僕のほうに来る。
周りを見ると、賊のような者たちに囲まれていた。
「……どうなっているッ!!」
突然の状況に手に持ったカップを放り投げ、立ち上がる。
そして、賊たちをかき分けて、当家の騎士が現れる。
兜を脱ぎ、いやらしい笑みを浮かべてこう言った――。
「ヴィンセント様……あなたには死んでもらいます」




