戦後60年
待ちに待った土曜日がきた。
初めての授業だ。
今までは一人で毎日図書館で勉強を重ねてきたが、常に不安だった。
自分がやってることが合格につながるという確信が持てなかったからだ。
やはり受験を突破した人に教わるのが一番の近道だろう。
この授業料は自分で稼いだお金である。
無駄には出来ない。
仕事が始まるまで、職場の机と椅子を使うことをマスターに許可された。
昼過ぎに彼女は訪れた。
「改めましてこんにちは。甲式魔術学校三回生、ブレンダです」
「お願いします。これ宿題です」
「おっ。ちゃんとやってありますね。どれどれ」
エミリーが図書館で調べた帝国の歴史が書かれている。
赤ペンでところどころ線も引いてある。
「エミリーさんは帝国の歴史はどれくらい知っていましたか?」
「魔族と大きな戦いがあったくらいしか。60年前?」
「そうです。あの戦いが60年前です。レチタティーヴォの丘で勇者ラフラスと魔王が戦い、聖女が命を落としました」
「具体的には何があったんですか?」
「細かい戦闘の推移は理解が深まってからの方が覚えやすいので、ここでは丘の名前と年号を暗記してみてくださいね。具体的な内容は後日解説しますね」
「はい」
今年のテストにも出たのは覚えている。
「ここに書いてある犠牲者の数って覚えなくて大丈夫そうですか?」
「そんなに出ませんが一応覚えておきましょう。それよりも、帝国が拠出した兵と公爵領が出した兵の総数を押さえておきましょう。魔術学校の運営母体は帝国なので、帝国ネタはよく出題されますね」
「え、合計100万人って本当ですか?」
「盛ってるにしても、帝国の公式資料にそうだと載ってるので、そう覚えましょう。一般的に戦時には人口の3%くらい動員できると言われてますけど、異常事態ではあったようですね」
(人類存亡をかけた戦いだったって言われてるけど、あながち誇張でもなかったんだなあ。でもどっちも存続してるよね)
次はルーン文字の勉強だ。
一つ一つにこめられた意味をノートにまとめていく。ブレンダの補足解説がところどころ入る。
(改めて書いてみると、全然覚えてなかったことが分かる)
あっという間に時間が過ぎて行った。
「先生。そろそろ私、勤務時間なので」
「じゃあ宿題出して終わりにします。最後に何か質問はありますか?」
「図書館で見つけた本に書いてあった異世界について良いですか?」
「どうぞ」
「レガリアって異世界の武器なんですよね?異世界ではこれを使って戦争してたの?」
「使っていた時代もあるそうですが、主な武器は魔力が無くても数万人が死んでしまうような武器を使っていたみたいです」
(魔力なしで数万人が死ぬことがあるんだ。大きな自然災害を起こすとかかな?)
「なんか思ってたより歴史って面白いです」
「良かったです。じゃあ次の宿題の説明に入りますね」
苦手な歴史に少し興味が湧いただけでも、エミリーはお金を払って良かったと思った。
(優秀な人ならともかく、やっぱり独学じゃ無理だった)
帝国議会は、貴族、地方領主、民衆の代表から構成されているが、以前は騎士の代表も参加が許されていた。
今、その椅子には摂政のマインツが座っている。
貴族をまとめるコステラ卿は、問題を提起した。
「昨今の寒波の影響により財政は逼迫、庶民のレベルでは食料品の高騰が続いている。息をひそめているとはいえ、魔王軍の動きも気になる。今後も不測の事態に備えるべく、国庫に財を蓄えたい。いざとなれば放出することで国民の生活を守ることができるだろう」
地方領主の代表は、冷めた目でコステラの話を聞いている。
「そうおっしゃいますがね。帝国への朝貢は新年と夏に二度もしております」
「帝国への忠誠心を真っ先に示すべき皆さんがそれを言いますか。昔は四半期ごとに行っていたのですよ?」
「それが異常だったのですよ。忠誠心はありますとも。めったなことを口にせんで頂きたい。ギルド組の皆さんはどう思いますかね」
民衆の代表はギルドの代表が多い。
諸侯の代表達は昔から民衆の代表達をギルド組と呼んでいる。
「恐れながら申し上げます。民のための備蓄と言われるなら、減税をして地方の穀倉を満たしたほうがよろしいかと」
「なんだと!もう一度言ってみろ!」
コステラが色めき立つ。貴族たちは身を乗り出して野次を飛ばした。
だがギルド代表は怯まない。
「聞こえませんでしたかな?これは帝国を構成する大多数の民衆の総意ですよ」
帝国議会は身分制議会の体を取っているが、皆が忌憚なく意見を言える空気がある。
貴族だろうが民衆だろうが、議題は多数決でいつも決する。
そういう意味では民主的な議会である。
蓄財賛成派は貴族だけである。
一人の老婆が声をあげた。
「まあまあ。財政が逼迫してようが、多数決の結果なら、現状のままでいいのではないでしょうか」
先の大戦の功労者である聖職者ニコラの発言力は大きい。
言い返すなど不可能である。
立ち上がっていたコステラは不満顔ながら座った。
「ニコラ様がそうおっしゃるなら」
貴族たちも静まった。
ここで摂政マインツが手を挙げて意見を言った。
「みな、冷静に考えて欲しいのだが。諸侯の努力は私が一番良く分かっている。だが近隣諸国は努力しているだろうか。金品や穀物を安全に運べるのは誰のおかげか。戦後60年の平和を打ち立てた帝国が血を流して打ち立てたおかげだ」
議場はざわめいた。何かを言い出すつもりだ。
「朝貢はせずともよい。ただ、一国、不届きな国が魔族どもと戯れ、戦争をしている。彼らのせいで経済に多大な悪影響が出ている」
隣国のグリーデン王国のことだと皆分かった。最も歴史の長い国である。
「先だって、私的に外交を行い手を差し伸べようとしたのだが、断られてしまった。それなのに帝国には復興支援を要請してくる。自浄作用はないと見える」
マインツの話にギルド組は反応しなかったが、諸侯たちは不公平だと口々に賛同した。
矛先が隣国に向くならそれで良い。
「古いだけの国が足を引っ張る。そんな国は必要だろうか」
「独りよがりな国はいらない」
貴族議員達が声を上げる。
「これでは朝貢をされておられる諸侯に示しがつかぬ。私が自ら出向いて話を付けてこようと思うのだがいかがか?」
この摂政が向かうとなれば、単なる訪問ではすまない。
とはいえ、あの伝統ある国が帝国の摂政に頭を下げるわけもない。おそらく軍を率いる事となろう。
摂政が主導で軍事強化や騎士団の改革などをしているのは市井にも伝わっている。
皆は困惑しつつ顔を見合わせた。
「私はなにも誅罰を下そうというのではない。先人たちが血と汗で築き上げたものを帝国のいち臣下である私が護りたいと思うがゆえであり、決して戦を仕掛けるわけではない」
「示威行動というわけですか。では、先ほどの朝貢やらの話は?」
「もちろん、ここにおられる皆さんには新たな負担を強いることはしない。ここに帝国摂政として確約しよう。なんなら、迷惑をかけたグリーデンが諸侯の朝貢を一時的に肩代わりする可能性すらある」
そんな事があるだろうか。
だが摂政に反対することでとばっちりを喰らいたくない。
「幼い皇子が帝位に就くまでの間、我らは帝国の権威を守らねば。ついては臨時の軍事予算について議論をすすめたいが宜しいか」
ニコラは渋い顔で男たちのやり取りを聞いていた。
(相変わらず強引な男ねえ)
議場から出るとニコラは聖女広場に立ち寄った。日課のクリーニングと結界の貼り直しを行う。
懐から布を取り出して台座も拭く。
「あの……」
振り向くと腰にリボンを付けた少女が立っていた。ニコラは思わず息をとめた。
どこかの店の売り子だろうか。手には紙とペンを握っている。
「おばあさんっていつもこの像を掃除してる人?」
「ええ。そうよ」
「私、エミリーって言います。この像について教えてくれませんか?私は歴史の勉強をしてるの」
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「ううむ」
王座の繭の中で魔王はかつてないほどバツが悪そうだ。
「憎きニコラと出会ってしまいましたね。エミリー様が帝都にいる以上、少し予想はしていましたが」
アグラットは珍しく床に寝転がるのをやめて胡坐をかいて座っている。
「余は娘に普通の人間としての生活を謳歌してしてほしいだけなのだ」
よりによって、かつての戦友を磨く大戦の生き証人に歴史を聞くとは。
「エミリー様も引きが悪いですね」
「しかし余は知っている。ニコラは理屈なしに強引なことをするやつではない。危害は加えられないだろう」
敵意と同じ量の信頼もある。不思議な相手だ。




