【第39話】 丘へ届く冬支度
朝の風待ち小屋には、乾いた紙と木箱の匂いが満ちていた。
ミルネル丘行きの荷物は、仕分け棚の前へ順番に並べられている。毛糸の包み、麦菓子、保存用の豆、干し果物、手紙、それから同じ家へ届ける二つの贈り物。片方は薄い木箱に収められた小さな木製品で、もう片方は手紙を添えた干し果物だった。
バルドは季節便の一覧を片手に、荷物札と実物を一つずつ確かめていった。
「毛糸、一。食品、三。手紙、四」
「実物も合っています」
ユウトは返事をしながら、荷物の紐を指で押した。緩みはない。食品の包みも冷えており、底に湿りは見えなかった。
最後に、バルドの指が二枚の荷物札で止まった。
「届け先は同じだが、依頼は別だ」
「はい。まとめて説明はしません」
「送り主が何を考えたかも、お前が決めるな」
「預かった言葉だけ伝えます」
バルドは短く頷いた。
その横から、布包みが差し出された。セラの携帯食だった。硬焼きパンに豆と香草を挟み、冷めても食べやすいよう薄く包んである。
「昼まで我慢するんじゃないよ」
「ありがとうございます」
「礼より休憩。肩が痛むなら、予定より早く下ろしな」
ユウトが返事をする前に、リーネが季節便予定表の端を軽く叩いた。
「休憩地点は三か所。飛ばしたら記録に残すからね」
「飛ばしません」
「今、少し迷ったでしょう」
「……気のせいです」
セラが鼻で笑い、ポルカが作業机の上で「ぷい」と鳴いた。どうやら誰も信じていないらしい。
荷物は一度に背負わず、ユウトとリーネの鞄へ重さを分けた。ポルカには何も持たせない。手紙を運ぶ役目は、届け先が見えてからだった。
ルミナ村を出ると、朝の道には薄い霜が残っていた。麦畑の畝を抜ける風は冷たく、歩くたびに草の先が白く光った。
最初の休憩場所は、低い石垣の脇だった。
ユウトは背負い紐を外し、荷物を乾いた布の上へ置いた。食品の包みを確かめ、木箱の角に擦れがないか見る。
「異常なしです」
リーネは地図の余白へ到着時刻を書き込んだ。
「予定より少し早いね。ユウトさん、肩は?」
「まだ大丈夫です」
「まだ、は疲労一つ」
「そんな書き方なんですか」
「分かりやすいでしょう」
彼女は自分の足にも疲労一つの印をつけ、ポルカの欄には小さな丸を描いた。ポルカは石垣の上で木の実をかじっており、今のところ疲れより食欲の方が勝っている。
二つ目の休憩地点へ向かう坂は、地図で見るより長かった。道幅は十分にあったが、雨の跡が固まり、足裏へ細かな凹凸が続く。
ユウトは風の流れと土の色を見て、荷物が揺れにくい端を選んだ。それでも坂を登り切る頃には、肩の奥が鈍く重くなっていた。
「ここ、次の便では量を減らした方がいいね」
リーネが息を整えながら、地図へ斜線を入れる。
「道が危険というより、荷物を持って登ると消耗が大きいです」
「休憩場所も、坂の手前に一つ増やした方がよさそう」
「はい。戻ったら予定表を直しましょう」
携帯食を半分ずつ食べ、ポルカには硬焼きパンの端を少しだけ渡した。ポルカは胸の前で抱え、夢中でかじっている。
休憩を終える頃、風が丘の草を同じ方向へ伏せた。遠くに羊の群れが見え、その向こうに低い石壁と煙を上げる家があった。
「ミルネル丘です」
最後の小道へ入る前に、ユウトは鞄から一通の手紙と、ポルカの小型革鞄を取り出した。手紙は軽く、封も確かだ。
「ポルカ」
呼ばれたポルカが肩から腕へ降りる。
「ここから、あの家までだ。届けてくれるか」
「きゅ」
ユウトは手紙を小型革鞄へ収め、首と羽の付け根を避けるよう幅広の帯を掛けた。留め具と鞄の傾きを確かめると、ポルカは道脇の石へ飛び移った。羽が震え、次の瞬間、風に乗るように低く滑空する。
長い距離ではない。石垣を越え、家の前までの短い道だ。
庭先にいた子どもが最初に気づいた。
「来た!」
「羽のあるリスだ!」
声を聞いた子どもたちが家の陰から集まり、ポルカを囲む。ポルカは手紙を入れた鞄を背負ったまま着地したものの、伸びてくる手の多さに羽を膨らませた。
「触らないで。驚いてるから」
年長の子が止めたが、ポルカはすでに限界だったらしい。受取人の足元で鞄を下ろしてもらうと、一目散に戻ってきて、ユウトの外套をよじ登った。
「ぽるる……」
襟元へ潜り込み、白い首毛だけを覗かせる。
「よく届けた。もう大丈夫だ」
ユウトが背中を指で撫でると、ポルカの震えは少しずつ収まった。
羊飼いの家では、家族が荷物を受け取るために広い卓を空けてくれた。
ユウトはまず毛糸と食品を並べ、荷物札と照らし合わせた。
「こちらはルミナ村からの毛糸です。冬の繕い物に使ってほしいと預かっています」
「ちょうど厚手の靴下を直すところだったんだ」
家の女性が包みを開き、乾いた毛糸を確かめる。
次に麦菓子と保存用の豆を渡した。どれも包みの破れや湿りはない。家族が確認するのを待ってから、ユウトは薄い木箱を卓へ置いた。
「こちらは別の方からの依頼です。中身を確かめていただけますか」
箱の中には、小さな木の匙が二本入っていた。持ち手には簡素な葉の模様が刻まれている。
「これは……前に頼もうか迷っていた物だ」
「送り主からは、冬の食事に使ってほしいとだけ伺っています」
それ以上は言わなかった。相手も送り主の名を見て、静かに頷いただけだった。
木箱を閉じたあと、ユウトはもう一つの包みを取り出した。
「こちらも同じ家宛てですが、別の依頼です」
手紙を添えた干し果物だった。受取人は封を確かめ、包みを開く。甘い山葡萄の香りが、暖炉の熱に触れて広がった。
「こっちは、あの人からか」
「はい。お預かりしたのは、この手紙と干し果物です」
「何か言ってたかい?」
「冬前に届けてほしい、ということだけです」
推測を加えず、聞かれた範囲だけを答える。二つの贈り物は同じ家へ届いたが、そこへ至る約束は別々だった。
やがて卓の上には、毛糸、豆、麦菓子、干し果物、二本の木の匙が並んだ。
家の女性が豆を入れた鍋を覗き込み、新しい匙を手に取る。子どもたちは麦菓子の包みを気にしながら、干し果物の数を数えていた。
「今夜は少し賑やかな食卓になりそうだね」
その言葉に、家族の顔が柔らかくなる。
離れた場所で別々に包まれた物が、一つの冬支度の卓へ集まっていた。それぞれの送り主は互いの荷物を知らない。それでも、別々の気遣いが同じ暮らしを温めている。
「返事を書きたいんだが」
家の主が手紙を見ながら言った。
「今日すぐでなくても大丈夫です。あとの便でも預かれます」
「家族で話してからにしたい。誰に何を書くか、少し考えたいんだ」
「分かりました。急がなくて大丈夫です」
ユウトは記録用の紙を広げた。渡した品、包みの状態、受け取った相手、返事は家族で相談してから決めること。それぞれの依頼を一件ずつ分けて書く。
「確認をお願いします」
家の主は記録を読み、内容に間違いがないことを確かめた。
リーネも横から紙を見て、炭筆の先を止める。
「こういう受け渡し確認、季節便では毎回残した方がいいね」
「はい。受け取った物と状態が分かれば、戻ってからの照合もしやすいです」
「名前を決めようか。受け取ったことの記録だと、少し長いし」
ユウトは紙の上に並んだ項目を見た。
「受領記録、でどうでしょう」
「うん。短くて分かりやすい。これからは受領記録として予定表にも加えよう」
その場で紙の上部へ「受領記録」と書き足す。季節便に、また一つ正式な手順が加わった。
帰り支度を始めると、襟元に隠れていたポルカが鼻先を出した。
庭では子どもたちが少し離れて待っている。今度は誰も手を伸ばさなかった。
ポルカはユウトの腕を伝って地面へ降りた。慎重に一歩、二歩と進み、子どもたちの前で立ち止まる。
「さっきはごめんね」
年長の子が小さな声で言う。
ポルカは耳を動かし、それから胸を張った。薄い羽がふわりと広がる。
「ぷい」
子どもたちが笑う。ポルカは驚いて半歩下がったが、今度は逃げなかった。
ユウトはしゃがみ、腕を差し出した。
「戻ろう、ポルカ」
ポルカは迷わず腕へ乗り、そのまま肩まで登った。
「手紙を守って、届けて、ちゃんと戻ってきたな」
柔らかな重みが首元へ寄る。
「お前は、もう立派な配達相棒だ」
ポルカは一度だけ目を瞬き、機嫌よく喉を鳴らした。
夕方、風待ち小屋へ戻ると、三人は荷物を下ろすより先に記録を机へ広げた。
リーネの行程記録には、到着時刻、休憩場所、荷物の状態、疲労の印が並んでいる。坂道の区間には、次便の荷物量を減らす斜線が引かれていた。
「第一便と同じ量を、枝音の集落と水車小屋方面へ持っていくのは無理があるね」
「道の長さだけでは決められません。木箱もありますし、休憩を増やす必要があります」
「組み合わせを分けよう。壊れやすい物と食品を同じ日に詰めすぎないようにして」
ユウトは受領記録を季節便予定表の横へ置いた。
定期便も備蓄便も残っている。羊柵修理の返答に関する確認も、傷んだ板の運び込みも、旧道の清書と水溜まり周辺の確認も終わっていない。第一便が無事に届いたからといって、次も同じように運べるわけではなかった。
「一つずつですね」
「うん。今日の記録を使えば、次は今日より無理を減らせる」
ポルカが机へ飛び移り、受領記録の端へ前脚を置いた。
「そこは乾くまで押さえなくていいぞ」
「きゅ」
ポルカは素直に前脚を引き、今度はユウトの肩へ戻った。
暖炉の火が揺れる中、季節便予定表には新しい休憩地点と減らす荷物量が書き足されていく。棚の空いた区画には、無事に届け終えた第一便の札がまとめられていた。
その一番上に、短い距離を飛んだ一通の手紙の札がある。
ユウトは肩の温もりを確かめながら、次の便の行程へ線を引いた。




