【第36話】 帰る場所の冬支度
朝、暖炉の火が細くなると、風待ち小屋の中へ冷気が忍び込んできた。
ユウトは薪を一本足し、火掻き棒で熾火を寄せた。炎はすぐに立ち上がったが、窓際へ近づくと、頬を撫でる空気はまだ冷たい。窓枠の下へ指を当てると、細い隙間から風が吹き込んでいた。
扉の脇にも同じような隙間がある。壁際の道具置き場では、革袋の表面がわずかに湿り、予備の紐にも冷たい匂いが移り始めていた。
薪棚に残っているのは、乾いた薪が十数本ほどだった。数日なら持つ。だが、冷え込みが強まれば足りない。
「思っていたより、早いな」
呟いて振り返ると、ポルカは暖炉のすぐ横で身体を丸めていた。
いつもなら朝になると寝床から飛び出し、仕分け棚や机の上を歩き回る。ところが今日は、火から離れようとしない。ユウトが木の実を一つ見せても、耳を動かしただけだった。
寝床を覗くと、敷いた布は乾いていたが、床板から冷えが上がっている。壁際の隙間風も、ちょうど寝床の高さを通っていた。
「寒かったのか、ポルカ」
「きゅ」
返事のような鳴き声は、いつもより小さかった。
机の上には、後続の備蓄便へ回した札と、まだ返していない依頼の控えがある。空いている時間に一つでも進めたいという気持ちは残っていた。
だが、窓の隙間も、減った薪も、湿りかけた道具も、先延ばしにすれば配達そのものへ響く。
ユウトは外套へ伸ばしかけた手を止めた。
「今日は、ここを先にしよう」
間もなく風待ち小屋へ来たリーネは、定期便予定表と机の上の札を見比べた。
「枝音の集落へ行くつもりだった?」
「トマさんへ返すものがあります。残りの備蓄品も確認したくて」
「今日は定期便の余白の日だよ。そこへ別の仕事を入れたら、余白じゃなくなる」
明るい声だったが、言い方ははっきりしていた。
リーネは窓辺へ行き、差し込む冷気へ手をかざした。次に薪棚を見て、道具置き場の革袋へ触れる。
「こっちを放って出かけたら、帰ってきたときに困るね」
「はい。ポルカの寝床も冷えています」
「じゃあ、今日は冬支度。配達予定には入れないけど、仕事として書いておこう」
新しい紙へ、窓、扉、薪棚、道具置き場、寝床、簡易休憩所と項目が並ぶ。
二人で窓枠の幅と高さを測り、布を当てる場所を決めた。薪棚は濡れた薪と乾いた薪を分けられるよう空間を作り、道具置き場は床から少し離す。簡易休憩所へ持っていくものは、乾いた薪と風よけ用の布だけに絞った。
「全部を今日直すのは無理ですね」
「うん。窓と寝床、それから最低限の薪。まずはそこまで」
作業の順番を書き終える頃、トマが板材と道具袋を抱えて現れた。
窓枠を見るなり、指先で木を押し、顔をしかめる。
「布を張るだけじゃ駄目だ。ここが痩せてる」
窓枠の一部は雨を吸って傷み、釘を打っても抜けやすくなっていた。トマは傷んだ表面を削り、小さな木片を寸法に合わせて切り出した。
「すぐ終わりますか」
「終わらせたいなら、乾くまで待て」
木片へ薄く接着材を塗り、枠へ押し込む。固定する間、別の隙間へ細い詰め木を入れた。
ユウトはその横で薪棚を空にし、床へ溜まった木屑と湿った藁を掃き出した。肩を動かすと、まだ鈍い痛みが残っている。重い束へ手を伸ばす前に、一本ずつ運び直した。
「まとめて持たないの?」
布を測っていたリーネが尋ねる。
「持てますが、今日は持ちません」
「それならよし」
トマが鼻を鳴らした。
「やっと覚えたか」
道具置き場には、余っていた短い板を二本渡し、床から少し浮かせた棚を作った。革袋と予備紐を並べると、湿った床へ直接触れなくなった。
窓枠の補修が落ち着くまでの間、リーネは厚手の布を切り分けた。端を折り返し、固定用の穴の位置を印で揃える。
「少し長めにしておくね。縮んでも隙間が出ないように」
「助かります」
「細かいところは地図と同じだよ。足りないより、直せる余白がある方がいいから」
布を張ると、窓際の風は目に見えて弱まった。完全に消えたわけではないが、炎が揺れるほどの吹き込みはなくなった。
次にトマが手を付けたのは、ポルカの寝床だった。
手持ちの小さな木箱は、角が割れ、底板にも隙間がある。トマは割れた部分へ薄板を当て、短い釘を一本ずつ打ち込んだ。
「これは荷物用じゃない。寝床に使うだけだ」
「分かっています」
「なら、重い物を入れるな」
修理が終わった木箱を暖炉から少し離れた壁際へ置き、下へ厚い板を一枚敷く。ユウトとリーネは乾いた布を重ね、入口だけ低く開けた。
ポルカは暖炉のそばから動かず、箱をじっと見ていた。
「ポルカ。見ていいぞ」
「ぽるる」
すぐには近づかない。床へ降り、箱の周りを一周してから、鼻先だけを中へ入れる。布を前脚で何度か掻き、最後に身体ごと潜り込んだ。
しばらくして顔だけを出す。
「気に入った?」
リーネが聞くと、ポルカは短く鳴いた。
それから机の木の実を一つくわえ、寝床へ運んだ。もう一つ、さらにもう一つ。三つ目を入れたところで、箱の入口に立ち、胸を張る。
「冬籠りには、まだ早いぞ」
「でも、準備は完璧みたい」
褒められたポルカは尻尾を大きく揺らした。
昼頃になると、セラが蓋付きの鍋と布包みを抱えてやってきた。
「手を止めな。冷える日に腹まで空かせる気?」
鍋の中には、豆と根菜を煮込んだ濃いスープが入っていた。香草の匂いと湯気が小屋へ広がる。布包みには硬焼きパンと、乾燥きのこを練り込んだ保存用の平たいパンが入っていた。
「まず食べな。続きはその後」
トマまで椅子へ座らされ、全員で湯気の立つ椀を囲んだ。
遅れて入ってきたバルドは、減った薪棚を見ると眉を寄せた。
「残りはそれだけか」
「数日分です。追加を頼むつもりでした」
「村の薪置き場を使え。共同で使う薪の保管場所だが、風待ち小屋の分も出していい」
バルドは、持ち出した本数を札へ記し、湿った薪は取らず、奥の乾いた束から使うこと、減りが目立つ前に知らせることを説明した。
「今日から風待ち小屋も共同利用に入れる。共同薪置き場の札に名前を足しておく」
「ありがとうございます、バルドさん」
「礼より記録だ。使った分を曖昧にするな」
「はい」
食事のあと、共同薪置き場から乾いた薪を必要な分だけ運び、薪棚へ積んだ。風待ち小屋へ残す分とは別に、簡易休憩所へ置く薪を小さな束にする。
風よけ布と薪を背負い、ユウトたちは午後の道を歩いた。
霧は薄かったが、風は冷たい。ポルカはユウトの肩で耳と羽を震わせ、ときどき襟元へ身体を寄せた。
簡易休憩所へ着くと、リーネはすぐに地図を広げた。
「この先の低い道、冬は水が溜まりやすそう。ここも風が横から入るね」
周囲を歩き、冬に使いにくくなる道へ印を付ける。簡易休憩所の位置には、風向きと薪を置く場所を書き足した。
ユウトは地面の湿りと風の通り方を確かめた。壁際でも床へ直接置けば、薪は湿る。石を二つ並べ、その上へ束を載せ、布で覆った。
「これで少しは持ちます。ただ、長く置ける量ではありません」
「うん。使ったら補充する前提で書いておく」
風よけ布も入口の片側だけへ固定した。すべてを塞げば煙や湿気がこもるため、風が強く当たる方向だけを遮る。
最低限の備えだった。冬の寒さを消せるわけではない。それでも、急な霧や雨で立ち寄った者が、乾いた薪へ火を移し、風を避ける時間は作れる。
夕方、風待ち小屋へ戻ると、朝とは空気が違っていた。
補修した窓の布は静かで、暖炉の火も大きく揺れない。薪棚には乾いた薪が並び、道具は床から上げられている。セラの保存食は棚の一角へ収まり、ポルカは新しい寝床の中で木の実に囲まれていた。
ユウトは机の上の依頼札へ目を向けた。
未完了の仕事は残っている。後続の備蓄便も、羊柵の修理も、森際の旧道の課題も進んではいない。
それでも、今から一つ始めようとは思わなかった。
「今日は、ここまでにします」
リーネがうなずく。
「それがいいよ。帰ってくる場所が冷え切ってたら、次の配達に出られないから」
ユウトは整った小屋を見回した。
手紙を守る棚も、身体を休める火も、乾いた道具も、戻って眠る場所も、すべて配達の外にあるものだと思っていた。
だが、届け続けるためには、帰る場所を守らなければならない。
その時間もまた、約束を守る仕事の一部だった。
扉が叩かれたのは、片づけを終えかけた頃だった。
バルドが数枚の札と、小さな布包みを持って立っていた。
「相談がある」
札には、季節の便りを遠くの知人へ送りたいという希望や、干し果物、毛糸の飾り、小さな木細工を一緒に届けたいという内容が書かれていた。
「同じ時期にまとめて運べないか、と何人かから話が出ている」
ユウトはすぐには答えず、札の数と包みの大きさを確かめた。
リーネも定期便予定表を壁から外す。
「届け先と時期、それから全部でどれくらいの量になるかを見ないと決められないね」
「人手も必要です。今ある便へそのまま足すことはできません」
バルドは短くうなずいた。
「だから持ってきた。まず確認しろ」
「預かります」
ユウトは札と包みを、受付中の棚へ分けて置いた。
暖炉のそばでは、ポルカが新しい寝床から顔を出し、見慣れない包みへ耳を向けている。
外では冷たい風が谷を渡っていた。
けれど風待ち小屋の中には、乾いた薪の匂いと、温め直したスープの香りが残っていた。




