【第35話】 冬を運ぶ荷車
朝の風待ち小屋には、いつもの紙の匂いに、乾いた豆と薬草の香りが混じっていた。
仕分け棚の前だけでは収まらず、壁際や作業机の下にも荷物が並んでいる。布袋に詰められた豆、毛糸の束、香りの強い薬草袋、革で包まれた小さな金具、木箱に収められた修理道具。どれも冬を越すために必要だと聞けば、軽く扱えるものではなかった。
ユウトは床へ膝をつき、札を受付順に並べ直した。
「先に預かったものから運ぶなら、これと、これですね」
豆袋へ手を掛けた瞬間、肩の奥に重い痛みが走った。持ち上げる前から、今の身体では無理があると分かる。
それでも袋の口を確かめようとすると、向かいで紙を広げていたリーネが顔を上げた。
「ユウトさん。それ、一つで終わらないよ」
床には同じ大きさの袋が三つある。その奥には木箱が二つ、毛糸の包みが四つ並んでいた。
「一度では運べませんね」
「うん。一度どころか、背負って全部運ぶつもりなら止める」
「そこまでは考えていません」
「今、豆袋を持ち上げようとしてたよね」
ユウトは黙って手を離した。
ポルカが棚の上から降り、豆袋の縁へ前脚を掛ける。袋は少しも動かず、ポルカは不思議そうに首を傾げた。
「ポルカにも無理だよ」
「きゅ」
リーネは笑いながら、荷物に付いた依頼札を一枚ずつ机へ集めた。
「預かった順だけじゃなくて、何に使うかで分けよう。いつ必要なのかも聞いてあるから」
新しい紙の上に、保存食、薬草、糸、修理道具と書き分ける。さらに、その横へ届け先と重さの目安が加えられた。
ミルネル丘には羊の腹の具合を整える乾燥薬草と、傷んだ羊柵を直すための金具。枝音の集落には冬の作業で使う毛糸。ルミナ村の外れには豆と乾燥きのこ。依頼主が話した用途まで並べると、同じ一袋でも意味が違って見えた。
「この薬草は、いつまでですか」
「次に羊を遠くへ出す前。遅れると、具合の悪い羊を丘へ連れていけないって」
「金具は?」
「羊柵の一部が緩んでる。今すぐ倒れるわけじゃないけど、霜が降りる前に直したいそうだよ」
ユウトは札の裏へ、届かなかった場合に何が困るのかを書き足した。毛糸は冬の内職に使うが、残りが少しある。豆も急ぎではない。ただし、雪の前に届かなければ保存食の分配が遅れる。
「薬草を先に。次に羊柵の修理道具ですね」
「保存食は全部じゃなくて、重さを見て一部だけにする?」
「はい。糸は後の便へ分けましょう」
受付順に並べていた札を、ユウトは用途と緊急性の順へ置き直した。待たせることへの後ろめたさは残ったが、全部を急ぎにすれば、本当に急ぐべきものが埋もれてしまう。
リーネは定期便予定表を壁から外し、机の紙と並べた。
「ミルネル丘へ向かう道は、今朝の霧だと白樺の小道より石橋側が安全。でも、荷車なら坂を避けたい」
「森際の旧道は使いません。まだ清書も整備も終わっていませんから」
「うん。今回は今まで使っている道だけ」
休憩地点、坂の角度、ぬかるみやすい場所を照らし合わせる。徒歩で運べる薬草袋や確認札は人が持ち、豆袋や修理道具は荷車へ載せる。それも一度に積まず、後続の便を前提に分ける。
紙の上へ引かれる線が増えるほど、荷物は減らないのに、進め方は見えやすくなった。
扉が開き、冷たい風と一緒にバルドが入ってきた。
「床まで荷物か」
「冬前の相談が増えました」
ユウトが一覧を見せると、バルドは黙って目を通した。薬草、修理道具、保存食、糸。届け先と重量、必要な時期まで確認したところで、ユウトの肩へ視線を移す。
「それを背負う気か」
「軽いものは持ちます。ただ、重いものは荷車が必要です」
「最初からそう言え」
低い声だったが、責める響きはなかった。
「村の荷車を一台出す。引く者も二人付ける。ミルネル丘では積み下ろしに一人出せるよう話を通す」
「そこまでお願いしてもいいでしょうか」
「お願いではない。冬を越すための荷だ。郵便屋一人の仕事にする方がおかしい」
ユウトは返事をしかけて、口を閉じた。
預かった以上、自分が運ばなければならない。そう考える癖はまだ残っている。だが、約束を守ることと、一人で背負うことは同じではない。
「分かりました。人手をお願いします」
バルドは短くうなずいた。
昼前には、荷車が風待ち小屋の前へ運ばれてきた。
セラは保存食の包みを一つずつ確かめ、布の隙間へ乾いた藁を詰めていた。豆袋の口は二重に縛り、乾燥きのこの包みは潰れないよう平たい籠へ移す。
「歩く人の分も忘れちゃ駄目だよ」
荷台の端には、硬焼きパンと干し林檎、小さな水筒が人数分まとめられていた。
「荷物を届けても、引く人が腹を空かせて倒れたら意味がないからね」
「ありがとうございます、セラさん」
「礼は帰ってから。まず無事に送ること」
荷車の反対側では、トマが車輪を持ち上げていた。軸へ油を差し、木栓の緩みを確かめ、荷台の板を拳で叩く。
「右の車輪は少し削れてる。今日は持つが、次も同じ量を載せるなら先に直す」
荷紐を強く引き、結び目を作り直す。
「荷台の端まで積むな。空いているから載せられる、とは考えるなよ」
「はい」
「返事だけはいいな」
トマは薬草袋と修理道具の木箱を見比べ、重い方を車軸の近くへ寄せた。
その足元へ、ポルカが小さな薬草袋をくわえて現れた。自分の役目を見つけたらしく、胸を張って荷車へ近づく。
だが、隣の木箱へ前脚を掛けようとしたところで、ユウトが手を差し出した。
「ポルカ、それは駄目だ。お前は軽い袋と札だけ」
「ぷい」
「重いものは持たない」
ポルカは耳を伏せたものの、ユウトが確認札を指すと、すぐにそちらへ向き直った。
「この札を、薬草袋へ」
くわえた札を運び、最初は豆袋の前で立ち止まる。リーネが薬草袋を指差すと、ポルカは耳と羽を一度震わせ、正しい荷物へ札を置いた。
「合ってるよ、ポルカ」
「よくできたな」
褒められたポルカは胸を張り、尻尾を大きく揺らした。
すべて積み終えると、荷台にはまだ空きが残っていた。
壁際には、後の便へ回す豆袋と毛糸の包みがある。見れば、もう一つくらい載せられそうだった。
ユウトは荷台と一覧を見比べた。
重量は上限より少ない。だが、道には坂があり、霧も出始めている。途中で荷崩れが起きれば、必要な薬草まで遅れる。
「残りは載せません」
口にすると、肩の力が少し抜けた。
バルドが確認する。
「後へ回す理由は」
「急ぎではないことと、荷車へ余裕を残すためです。道の状態が悪くなっても、予定している休憩地点まで無理なく進める量にします」
「それでいい」
リーネは一覧の上部へ新しい言葉を書き込む前に、皆の顔を見た。
「冬前の荷物を、用途と急ぎ方で分けて、何度かに分けて運ぶ。郵便屋だけじゃなくて、村の人や届け先にも手伝ってもらう。この形、名前があった方が予定表に書きやすいね」
ユウトは荷車へ積まれた薬草と修理道具、保存食を見た。
「備蓄便、ではどうでしょう」
「分かりやすい」
バルドが答え、セラも包みの紐を確かめながらうなずいた。
「冬支度の便だって、すぐ伝わるね」
リーネは紙へ丁寧に書き入れた。
備蓄便。
その下に、第一便の荷物、重量、届け先、休憩地点、引き手の人数が並んだ。
荷車が動き出すと、車輪が乾いた土をゆっくり踏んだ。バルドが手配した二人が前を引き、途中までユウトも軽い薬草袋を持って同行する。だが、荷車を押す役目までは引き受けない。
霧の向こうへ荷車が進むのを見送り、ユウトは風待ち小屋の前に残った荷物へ目を向けた。
運べなかったのではない。
運ばないと決めたのだ。
後の備蓄便へ回す札は、リーネの一覧にきちんと残っている。空いた荷台へ詰め込まなかった分だけ、最初の便は安全に進める。
谷を渡る風は、朝より冷たくなっていた。道の先では霧が低く溜まり、休憩地点の屋根も遠く霞んでいる。
「休憩所、風を防ぐものがもう少し必要かも」
リーネが外套の襟を寄せた。
「風待ち小屋もですね。荷物を置く場所だけでなく、濡れた人が温まれる準備が要ります」
「ぽるる」
ポルカがユウトの肩へよじ登り、首元の白い毛を膨らませる。
冬はまだ来ていない。
けれど、冷たい風はもう、次に整えるべきものを知らせ始めていた。




