表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風待ち小屋の新米郵便屋――地図職人見習いと臆病な風羽リスがいれば、今日も手紙は届きます  作者: カイト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/42

【第28話】 歩いて確かめる地図

 朝の風待ち小屋で、ユウトは配達を待つ段から一通の手紙を取り出した。


 ミルネル丘で預かった、老婦人宛ての封済みの返事だ。封蝋に欠けがないことを確かめ、防水布へ包んで配達鞄の内側へ収める。


 机の向かいでは、リーネが地図を広げていた。白樺の小道へ入る曲がり角には、昨夜つけた小さな点が残っている。


「今日は、ここも確かめるんですよね」


「うん。古い地図だと、石垣の手前から入ることになってる。でも、前に歩いた時の記憶だと、もう少し先だった気がするんだ」


 リーネは明るく言ったものの、指先は点の周りを何度もなぞっていた。


 暖炉の横で硬焼きパンをかじっていたポルカが、鞄の留め具の音に反応して顔を上げる。


「ポルカ、今日は軽い荷物だけだぞ」


「きゅ」


 胸を張ったポルカは、ユウトの肩へよじ登った。首元に柔らかな重みが乗る。


 三人は朝霧の残る道をミルネル丘へ向かった。


 白樺の小道までは、何度も歩いた道だった。土には荷車の細い轍が残り、道端の草も人の足で低く踏まれている。


 やがて、腰ほどの高さの石垣が見えてきた。


「古い地図だと、この手前です」


 リーネが立ち止まり、石垣の脇を指した。


 確かに、草の間に細い隙間がある。白樺の根元を縫うように、浅くくぼんだ土が奥へ続いていた。


「道の跡には見えますね」


「でしょ? 完全に間違いってわけじゃなさそう」


 ユウトはすぐには進まず、地面へしゃがんだ。


 土は柔らかいが、近頃踏まれた靴跡はない。草の倒れ方もばらばらで、人が繰り返し通った形には見えなかった。


 それでも道そのものは途中まで残っている。


「行けるところまで確かめましょう。ただ、戻る時間も見ておきます」


「うん。無理そうなら引き返そう」


 三人は細い跡へ入った。


 最初のうちは歩きやすかった。白樺の間を抜ける風も穏やかで、地面には古い敷石らしい平らな石がところどころ顔を出している。


 リーネは歩幅を測りながら、地図の余白へ印を書き足した。


「昔は本当に使われてた道だと思う。石も並べてあるし」


「今も通れるかは別ですね」


「そこが問題だよね」


 ポルカがユウトの肩で耳を震わせた。少し先を見つめ、短く「ぷい」と鳴く。


 道は急に草深くなった。


 膝まで伸びた草の向こうで、敷石は途切れている。さらに進むと、低木が道を塞ぎ、足元には倒れた木片が半ば土へ埋まっていた。


 ユウトは木片の周囲の草を払った。


 先端が尖り、片側にかすかな刻みがある。古い道標の一部にも見えるが、腐食が進み、どちらを向いて立っていたのかは分からない。


「これが道標なら、地図を描いた人は、この向きを見て曲がり角を決めたのかも」


 リーネが木片を覗き込む。


「でも、倒れたあとに動いた可能性もあります」


 ユウトは周囲へ目を凝らした。


 風路読みで、木々の隙間を抜ける風と湿った草の向きを追う。右手には低い斜面、左手には水のたまりやすい窪地がある。人が通るなら斜面沿いに続きそうだったが、そこにも足跡はない。


 獣の細い跡が一筋あるだけで、靴底の痕跡も、刈られた枝も、踏み固められた土も見つからなかった。


 少し先へ回り込んでも、道の続きは現れない。


「どうですか?」


「風だけなら、斜面沿いに抜けられそうです。でも、人が通った跡がありません。地面も崩れやすい」


 能力だけを頼りに進めば、どこかへ出るかもしれない。だが、手紙を預かった配達中に試す道ではなかった。


 ユウトは立ち上がった。


「引き返しましょう。大丈夫、まだ間に合う。石垣の先の道から回ります」


 リーネは木片と途切れた道を見つめたあと、地図を閉じた。


「うん。戻ろう」


 元の道へ戻り、石垣の先から白樺の小道へ入る。こちらには新しい足跡があり、枝も人の肩に当たらない高さまで払われていた。


 ただし、引き返した分だけ時間は過ぎている。


 ミルネル丘へ着いた頃には、予定より日が高くなっていた。羊の鳴き声が風に流れ、受取人は柵のそばで干し草を束ねていた。


 ユウトは息を整えてから頭を下げた。


「遅くなってすみません。途中で、古い地図にだけある道を確かめたのですが、先が途切れていました。引き返して別の道を回りました」


 言い訳に聞こえないよう、見たことだけを伝える。


「手紙は濡れていません。封も預かった時のままです」


 防水布を開き、封済みの返事を差し出すと、受取人は封蝋を確かめて受け取った。


「昼を越えたわけでもない。羊を追う予定にも響いてないよ」


「ありがとうございます」


「道が消えてるなら、次から使わなければいい。分かっただけでもましだろう」


 大きな支障はなかった。その言葉にユウトは安堵したが、隣のリーネは地図鞄の紐を握っていた。


「ごめんなさい。私の地図を使わなければ、もっと早く着けたんですけど」


 笑顔を作っている。いつもの明るい声だったが、少しだけ高い。


「昔の道まで載せておこうなんて欲張ったのが悪かったかな。次は、消えた道をきれいに消しておきます」


 帰路でも、リーネは何度か同じように笑った。


 石垣が見えるところまで戻った時、ユウトは足を止めた。


「リーネさん」


「何?」


「地図を信じて入ると決めたのは、俺も同じです」


「でも、描いたのは私だよ」


「だからこそ、今日確かめられました。間違っていたなら、実際に歩いて直せばいいと思います」


 リーネは返事をせず、白樺の幹へ視線を向けた。


 ポルカが彼女の地図鞄へ飛び移り、蓋の隙間へ鼻先を押し込む。やがて身体まで潜り込み、羽と尻尾だけを外へ出した。


「ポルカ、そこに入ると地図が曲がるよ」


「ぽるる」


 注意する声にも、いつもの勢いがなかった。


 しばらくして、リーネは鞄を抱え直した。


「悔しいんだ」


 笑みが消えていた。


「古い地図に線が残ってたから、道があるって思い込んだ。自分では確かめてないのに、確かな道みたいに描いてた。ユウトさんの仕事にも影響した」


「少し遅れました。でも、届けられました。それに、次に同じ道へ入らずに済みます」


「うん。だから、消して終わりにはしたくない。どこまで歩いて確かめたのか、分かる地図にしたい」


「風待ち小屋へ戻ったら、一緒に考えましょう」


 枝音の集落へ寄り、二人は工房にいたトマへ腐った木片の話をした。


 トマは鉋を置き、刻みの形や倒れていた向きを細かく尋ねた。


「道標だったとしても、倒れたあとに風や獣で向きが変わることはある」


「それで、古い地図に違う曲がり方が残った可能性はありますか?」


「ある。だが、見てもいない物を決めつけるな」


 トマはぶっきらぼうに答えた。


「根元が残ってるか、杭穴がどこにあるかで話は変わる。現物を見てからだ」


「分かりました。原因はまだ決めません」


「その方がいい。地図も道標も、古いから正しいとは限らん」


 風待ち小屋へ戻ると、リーネは作業机いっぱいに地図を広げた。


 完成した部分だけでなく、薄い線や書きかけの注記が残る、未完成の地図だった。


「実際に歩いた道と、まだ確かめていない道を、同じ線で描いていたのがよくなかった」


「線の形を分けますか」


「うん。確かめた道は一本の線。まだ確かめていない道は、途切れた線にする」


 ユウトは記録帳を開いた。


「呼び方も決めておいた方が、配達前に確認しやすいですね」


「実際に歩いた方を……確認済みの道」


「まだ確かめていない方は、未確認の道でどうですか」


 リーネは一度口の中で繰り返し、頷いた。


「分かりやすい。確認済みの道と、未確認の道。地図の隅に印の意味も書いておくよ」


 ポルカが鞄から這い出し、広げた紙の上へ乗ろうとした。


「ポルカ、真ん中はだめだぞ」


「きゅ」


 ユウトが端を指すと、ポルカはそこへ移動し、前脚で紙を押さえた。役目を任されたと思ったらしく、胸を張って動かない。


「そこなら助かるよ」


 リーネが言うと、ポルカは喉を小さく鳴らした。


 リーネは現在の道として描いていた石垣手前の線を消し、石垣の先へ正しい線を引き直した。途中で途切れた古道は途切れた線で描き直し、未確認の道を示す印を付ける。


 夕方、風待ち小屋を訪れたバルドへ、ユウトは遅れた経緯を報告した。


「古い地図に残る道へ入りましたが、途中で途切れていました。引き返したため、到着が少し遅れました。手紙は無事に届けています」


 リーネも地図を差し出した。


「私が、確かめていない道を普通の道と同じように描いていました。今後は確認済みの道と未確認の道を分けます」


 バルドは修正された箇所をしばらく見ていた。


「失敗は軽くない」


 低い声に、リーネの肩がわずかに固くなる。


「だが、隠せば次も誰かが迷う。報告して、分け方まで決めたなら、同じ失敗を減らせる」


 バルドは地図を返した。


「約束は軽くない。だから、道も確かめたものと、そうでないものを混ぜるな」


「はい」


「分かりました」


 窓の外が暮れ始めても、机の上には地図が広がったままだった。


 正しい線へ直したのは、白樺の小道の一か所だけだ。見渡せば、細い線の中には、いつ誰が歩いたのか分からない道がまだ残っている。


 ユウトは次の配達予定と地図を見比べた。


「これからは、出る前に確認済みの道か、未確認の道かを必ず見ましょう」


「うん。未確認の道を通る時は、配達に余裕がある日だけにしよう」


 ポルカが紙の端で「ぷい」と鳴いた。


 リーネは新しい印をもう一つ描き加えた。失敗した線は消えたが、歩いた事実まで消えたわけではない。途切れた道も、引き返した時間も、次に迷わないための記録へ変わっていく。


 ユウトは地図全体を見渡した。


 道は、紙の上だけでは完成しない。


 実際に歩き、確かめ、間違いを直すたびに、少しずつ暮らしに近い形へ育っていくのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ