【第27話】 返事を待つ棚
朝の風待ち小屋では、代筆用の机の上に、まだ封じられていない手紙と小さな木札が並んでいた。
ユウトは一枚ずつ宛先を確かめ、預かった日と相手の話を記録帳へ書き写していく。けれど、三通目を手に取ったところで指が止まった。
枝音の集落へ出す返事は、送り主が「数日考えたい」と言っていた。ルミナ村の家族宛ての便りは、返事を書く日を決めていない。行商人の訪問日を尋ねる手紙だけは、次の市までに答えが必要だった。
送り先、返事が必要な時期、次に訪ねる日。それぞれが別の紙や札に書かれ、机の上で混ざっている。
「今日、ルミナ村を回って、明日は枝音の集落へ行けば……」
ユウトは配達順を頭の中で組み立てた。
「そのあと風見鶏亭で行商人の予定を確かめて、戻りにもう一度ルミナ村へ寄れば、返事はだいたい集められると思います」
地図を広げていたリーネが顔を上げた。
「全部、返事ができているか聞きに行くんですか?」
「はい。早く集めれば、その分早く届けられますから」
「でも、返事を書く人は、早く来てもらった方が助かるとは限らないよ」
ユウトは手にしていた木札を見た。
「確認するだけでも、急かすことになりますか」
「なることもあると思う。『まだです』って言わせるために、何度も戸口まで来られたら、落ち着いて考えられない人もいるから」
責める口調ではなかった。リーネは一通の手紙を指先で示した。
「この人は、暖炉の修理が終わってから書くって言っていたよね。だったら、修理の予定を基準にした方がいい。こっちは、市の前に返事が必要だから、早めに確かめる意味があるけど」
ユウトは記録を読み返した。
返事を待つ期間を、自分の配達予定だけで決めようとしていた。届ける側にとっては空いている一日でも、書く側には仕事や家族の都合がある。
「先に、急ぐ理由があるものを分けましょう」
「うん。それから、相手がいつなら考えられそうかも書こう」
二人は机の上の手紙を並べ直した。
市の日程や生活上の都合から早い確認が必要なもの。急がず、相手が言葉を選ぶ時間を取れるもの。期限が曖昧なものは、預けに来た時の話を思い出しながら、次に訪ねてもよい日を決めていく。
リーネは新しい紙へ、宛先、預かった日、返事を待つ相手、次に確かめる日を書き込んだ。
「これを返事待ちの一覧にしよう。地図にも印をつければ、配達のついでに確認できるよ」
「確認だけのために何度も歩かなくて済みますね」
「その方が、相手も落ち着けると思う」
ユウトは手紙ごとに小さな札を添えた。札には、次に確認する日を書く。何のための札か分かるよう、上の端へ同じ印も入れた。
「確認する日を書いた札だと、少し長いですね」
「じゃあ、確認日札でどう?」
「分かりやすいです」
ユウトは記録帳にも、その名前を書き込んだ。
続いて、早く届ける必要のある便の欄を作る。
「こちらは急ぎ便。急ぎではないものは通常便にしましょう」
「同じ棚でも、札の形を変えた方がいいかも。急ぎ便は角を一つ切っておけば、触っただけでも分かるよ」
「それ、地図に残したい……じゃなくて、記録に残したい工夫ですね」
リーネは一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「私だって何でも地図に描くわけじゃないよ」
机の端で紐を抱えていたポルカが、「ぷい」と鳴いた。話に加わるつもりらしく、胸を張っている。
「ポルカには、札を動かさないように見ていてもらおうか」
「きゅ」
返事を待つ手紙を預かり棚へ移し始めると、ポルカも勢いよく棚板へ飛び乗った。薄い羽を震わせ、一段上へ滑るように跳ねる。
「ポルカ、そこは入らなくていいよ」
リーネが声をかけたが、ポルカは棚の奥にある紐へ鼻先を寄せた。その尻尾が手前の札に触れる。
一枚が落ち、続いて二枚、三枚と床へ滑った。
「ぽるる?」
ポルカは振り返ろうとして、さらに一枚を前脚で押した。
ユウトは慌てて手紙を押さえた。封は破れていない。札だけが床へ散らばっている。
「大丈夫。手紙は無事だ」
ポルカは耳を伏せ、棚の奥で小さくなった。
ユウトは手を伸ばさず、床の札を拾った。日付と一覧を照らし合わせれば、元の手紙へ戻せる。だが、毎回こうして確かめ直すのでは、せっかく整えた意味が薄い。
「中身は見えるけど、ポルカが入り込めないようにしたいですね」
「小さな扉があればいいかも。手紙を出す時だけ開けられるような」
ポルカは自分の名を聞いて、棚の奥からそっと顔を出した。
「叱ってないよ。ただ、ここは手紙を守る場所だから」
「きゅ……」
その日の昼過ぎ、トマが風待ち小屋を訪れた。
ユウトが棚の使い方を説明すると、トマは扉を付ける予定の枠を指で押し、板の厚みを確かめた。
「今ある端材だけじゃ足りん」
「すぐには無理ですか」
「蝶番代わりの留め具も要る。雑に付ければ、開けるたびに棚が歪む」
トマは棚の寸法を測り、持ってきた板を床へ並べた。
「今日は枠を削る。扉を付けるのは、そのあとだ」
すぐに完成すると思っていたわけではない。それでも、削り、合わせ、留め具の穴を開ける作業を見ていると、小さな扉一枚にも時間が必要なのだと分かる。
ユウトは板を押さえ、リーネは棚から手紙を退避させた。ポルカは何度か木屑へ近づこうとしたが、そのたびにトマの低い声が飛んだ。
「ポルカ。木屑に近づくな」
ポルカは耳を伏せ、リーネの地図鞄の陰へ逃げ込んだ。
「紐なら運んでいいよ」
リーネが短い紐束を差し出すと、ポルカは慎重にくわえ、棚から離れた道具箱まで運んだ。置き終えると、褒められるのを待つように胸を張る。
「そっちは助かる」
ユウトが言うと、ポルカはすぐに機嫌を直した。
夕方近くになって、小さな木の扉が棚へ収まった。木の留め具を横へずらせば開き、戻せば勝手には開かない。扉には細い隙間があり、札の印だけは外から見える。
「これなら、確認日札を添えたまま管理できます」
「重い物は入れるな。留め具が緩んだら無理に引くな」
「分かりました」
ポルカが扉の下へ鼻先を押し込もうとした。
「入れんぞ」
トマに言われ、ポルカは隙間を見つめたまま耳を伏せた。
扉が付き、用途がはっきりした棚を、ユウトは返事待ち棚として記録帳へ書き加えた。
作業を終えたあと、ユウトたちは風見鶏亭へ向かった。
セラは話を聞きながら、深い皿へ豆と根菜の煮込みをよそった。
「返事を待つ日まで決めたのかい」
「はい。ただ、待っている間も、仕事が止まっているように感じてしまって」
「煮込みと同じだね」
セラは鍋を木匙でゆっくり混ぜた。
「火を強くしたって、豆が柔らかくなる前に汁が焦げるだけさ。縮められない時間ってのがある」
ユウトは湯気の立つ皿を見た。
「手紙も、ですか」
「言葉なんて、なおさらだよ。早く書けと言われて出てくるなら、誰も苦労しないだろう?」
セラはポルカ用の小皿へ、味を付ける前の柔らかい豆を一粒置いた。
「待つのも、預かるうちに入るんじゃないかい。なくさず、混ぜず、急かさずにね」
ポルカが豆へ前脚を伸ばし、熱くないか確かめるように鼻を近づけた。
ユウトは返事待ち一覧を思い出した。確認日札は、返事を取り立てるための札ではない。次に訪ねる日まで、こちらから相手の時間へ踏み込まないための約束でもある。
「待っている間も、手紙を守っているんですね」
「そういうことだと思うよ、ユウト君」
風待ち小屋へ戻る頃には、窓の外が薄い藍色に変わっていた。
ユウトとリーネは返事待ち棚の扉を開け、手紙を一通ずつ収めた。急ぎ便と通常便を分け、確認日札と一覧の日付を照合する。
封済みの老婦人宛ての返事は、配達を待つ段へ別に置いた。羊柵修理の返答と、傷んだ板の運び込みについての記録も、未完了のまま札を残す。整理したからといって、まだ終わっていない仕事まで消えるわけではない。
最後の留め具を閉じると、棚の中で紙が静かに並んだ。
「これなら、急いで全部回らなくても大丈夫ですね」
「うん。相手が決めた日まで、ちゃんと待てる」
リーネは返事待ち一覧を閉じ、地図へ視線を移した。次に確認する集落を結んだ線を、指先でなぞっていく。
途中で、その指が止まった。
「ユウトさん。この曲がり角、少し変かもしれない」
「どこですか」
「白樺の小道へ入る位置。記録では石垣の手前だけど、前に歩いた時は、もう少し先だった気がする」
ユウトも地図を覗いた。今ここで正しいと決められるほどの材料はない。
「次の配達で確かめましょう。地図だけで直すより、歩いて見た方がいいです」
「そうだね。印だけ付けておく」
リーネは小さな点を描き、その横へ確認と書いた。
暖炉のそばでは、ポルカが運び終えた紐を抱えて丸くなっている。返事待ち棚の扉は閉じられ、確認日札はそれぞれの手紙のそばに収まっていた。
すぐに届けられない手紙もある。まだ言葉にならない返事もある。
それでも、待つ日を決め、混ざらないよう守り、相手が言葉を選び終えるまで預かることはできる。
ユウトは記録帳を閉じた。
届けるために歩く時間だけではない。立ち止まって待つ時間もまた、郵便の仕事の中にあるのだ。




