【第24話】 三つの集落の同じ日
風待ち小屋の作業机には、二枚の日付札が並んでいた。
一枚には月の半ば、もう一枚にはその翌日。どちらも同じ市について書かれたものだが、筆跡も、紙の切り方も違っている。
「ルミナ村では前の日だと思っている者が多い」
バルドは腕を組み、低い声で言った。
「だが、ミルネル丘から来た羊飼いは翌日だと聞いていた。枝音の集落にも、どちらの日が伝わったか分からん」
ユウトは二枚の紙を見比べた。掲示板へ貼るだけなら簡単だ。しかし、誤った日を大きく書けば、間違いまで広く伝わってしまう。
「その、三つの集落が物を持ち寄る日は、決まった呼び方があるんですか?」
「集落市だ」
バルドは短く答えた。
「作物、羊毛、木工品、保存食。持ち寄る物はその時々で違う。毎月あるわけではないが、谷では大事な日だ」
集落市。
名前を知ると、二枚の日付札がただの書き間違いには見えなくなった。収穫を止める者もいれば、羊の世話を早める者もいる。遠い道を荷物と一緒に歩く者もいるのだ。
「村としては、どちらを希望していますか?」
「前の日だ。だが、押しつけるつもりはない。向こうの都合を確かめろ」
「分かりました。返事をもらう期限を決めて、三つの集落で無理のない日を探します」
隣で記録帳を開いていたリーネが、すぐに新しい紙を取り出した。
「希望日だけじゃなくて、その日に外せない仕事があるかも書けるようにしましょう。ミルネル丘なら羊の移動、枝音の集落なら作業の納期があるかもしれません」
彼女は紙を三つの欄に分け、集落名、第一希望、もう一方の日が難しい理由、返事を受け取った時刻を書き込める表を作った。さらに地図を広げ、風待ち小屋から各地までの道に、普段の徒歩時間を小さく添えていく。
「枝音の集落が一番遠回りになりますね。先に返事をもらえば、帰りに風見鶏亭へ寄れます」
「そのあとミルネル丘へ回ると、返事を急かすことになりませんか」
「今日は希望を聞くだけにして、返事の期限は明日の夕方まで。集めた返事を明後日の朝に照合するのはどうですか?」
ユウトは地図上の道を指でたどった。移動時間に加え、相手が相談する時間も必要になる。
「それなら、遠い枝音の集落から先に伝えましょう。ミルネル丘には帰り道で依頼書を渡して、明日もう一度返事を受け取る。ルミナ村はバルドさんに村内で確認してもらえますか」
「やる」
バルドが頷く。
ポルカは机の端で、三つ折りにした小さな札を前脚で押さえていた。自分にも仕事があると思っているらしく、耳を立てている。
「ポルカには、札を運ぶのを手伝ってもらおうか」
「ぽるる」
胸を張った拍子に札が一枚滑り、忘れ物預かり箱の後ろへ落ちた。
「まずは近いところからだな」
風見鶏亭では、セラが空いた籠を拭いていた。集落市の候補日を伝えると、手を止めて少し考える。
「行商人なら、谷へ入ると決まってるのは翌日の朝だよ。本人から預かった札があるから、そこは確か」
セラは棚から紐で束ねた連絡札を取り出し、その中の一枚を見せた。
「ただ、前の日の夕方に着くかもしれないって話も聞いた。でも、それは道の具合が良ければってだけ。確定じゃないね」
ユウトは記録帳に、確定した到着予定と、未確定の情報を分けて書いた。
「前の日に着くことを当てにして日程を決めるのは危ないですね」
「そういうこと。聞いた話と決まった話は、同じ棚に置いちゃ駄目だよ」
「ありがとうございます、セラさん」
「礼は食べてからにしな。まず食べな」
渡された具入りパンを鞄へ収め、ユウトたちは枝音の集落へ向かった。
トマは工房の前で板を削っていた。集落市について尋ねると、手を止めずに答える。
「こっちは翌日がいい。前の日は注文分を仕上げる」
「集落の皆さんにも確認していただけますか。返事は明日の夕方までで大丈夫です」
「分かった」
ユウトが掲示用の木枠について話すと、今度は手が止まった。
「日付を差し替えられる枠が欲しいんです。毎回、板へ直接書かなくて済むような」
「今すぐ立派な物は作れん。板も乾かす時間がいる」
「簡単なもので構いません」
トマは工房の隅から細い端材を選び、寸法を確かめた。二本の細板に浅い溝を削り、横から日付札を差し込める形にする。派手さはないが、札が風で抜けにくく、傷めば一枚だけ交換できる。
「雑に押し込むな。角が潰れる」
「気をつけます」
削り屑の中で、ポルカは短い札をくわえ、作業台から木枠まで運んだ。二度目は足元へ置き、得意げに鳴く。
「もう一枚、頼めるか」
「ぷい」
ポルカは札をくわえ、工房の入口へ向かった。だが外から風が吹き込み、薄い札が口元から抜けた。札は道の脇へ転がり、枯れ草の間へ消える。
ポルカは固まったあと、耳を伏せてリーネの地図鞄の陰へ潜り込んだ。
「大丈夫。探せばまだ見つかるよ」
リーネは責めずにしゃがみ、地面を見た。
ユウトも来た道を戻った。踏まれた土の端に、紙が擦れた細い跡がある。風の流れは工房から道沿いへ抜け、石垣の手前で弱まっていた。
「こっちです」
枯れ草を分けると、裏返った札が見つかった。端に土がついていたが、文字は読める。
ポルカは鞄の陰から顔だけを出している。
「見つかったぞ。次は一緒に確認しよう」
「きゅ……」
ユウトが札を木枠へ差し込むと、リーネが記録帳へ目を落とした。
「運ぶ前に枚数を書いて、渡した先でも枚数を確かめた方がよさそうですね」
「届けたつもりでも、途中で落としたら伝わりませんからね。札の枚数、届け先、受け取った人、確認した時刻を残しましょう」
「掲示板に入れたものも、貼った日を記録すれば照合できます」
トマは出来上がった木枠を布で拭き、ユウトへ差し出した。
「記録は勝手に残らん。面倒でも書け」
「はい」
翌日の夕方までに、三つの集落から返事がそろった。
風待ち小屋の机で、リーネが予定表と地図を並べる。ルミナ村は前の日を希望。枝音の集落は翌日。ミルネル丘はどちらでもよいが、前の日は羊を遠い放牧地から戻すため、出発が遅くなると書かれていた。
「前の日だと、ミルネル丘の人たちは荷物を持って暗くなる前に帰るのが難しいです」
リーネが地図上の時間を指す。
「翌日なら朝から出られます。枝音の集落も作業を終えられるし、行商人も確実に谷へ入っています」
「ルミナ村は収穫の手を半日止める必要がありますけど、バルドさんの返事には、翌日でも昼までなら調整できるとあります」
全員の第一希望は通らない。けれど、誰か一つの都合だけを優先するより、移動と仕事を無理なく両立できる日を選ぶ方がいい。
「翌日の朝から昼までを候補にします。ミルネル丘は暗くなる前に帰れて、枝音の集落は前日の仕事を終えられる。行商人の到着も確定しています」
バルドは報告を聞き、予定表を最後まで確かめた。
「反対はなかったか」
「第一希望が通らない理由も説明しました。三集落とも、この条件なら受けられると返事をもらっています」
「受け取った記録は」
リーネが三枚の確認欄を見せる。届け先、受取人、時刻。札の枚数も合っている。
バルドはしばらく黙ってから、翌日の日付札を木枠へ差し込んだ。
「なら、この日で決める」
ルミナ村掲示板には、集落市の日付と時間を記した札が収まった。
翌朝、同じ内容の手紙と連絡札を、ミルネル丘と枝音の集落へ届けた。渡すたびに相手と文面を読み合わせ、記録帳へ受取確認を残した。
風待ち小屋へ戻ったころには、窓の外が薄い橙色に染まっていた。
バルドは机の上の配達記録と、空になった札入れを見た。ポルカはその横で、今度は一枚も落とさず持ち帰った紐を前脚で押さえている。
「勝手に日を決めず、返事を待った。掲示して終わりにもせず、届いたところまで確かめた」
低い声が、小屋の中へ静かに落ちる。
「ユウト。リーネ。ポルカ。村の連絡を任せられる働きだ」
ポルカが耳を立てた。
「ぽるる」
バルドは小さく息を吐き、懐から木の実を一つ取り出して机へ置いた。
「落とすなよ、小さいの」
ポルカは木の実を抱え、胸を張った。
その日のうちに、ルミナ村掲示板を見た人が風待ち小屋を訪れた。集落市へ持っていく蜂蜜漬けに添える短い手紙。枝音の集落へ渡したい布紐。羊毛と交換する予定の小さな木箱についての相談。
仕分け棚には、新しい依頼が少しずつ並び始めた。
羊柵修理の返答は、まだ別の棚に残っている。片づける仕事は増えたが、どれも行き先と待つ人の顔が見えるものだった。
ユウトは新しい依頼札を一枚ずつ確かめ、記録帳を開いた。
「一つずつ片づけよう」
リーネが隣で予定表を整え、ポルカがその端を前脚で押さえる。
風待ち小屋の棚には、同じ日へ向かう手紙と小さな荷物が、静かに集まり始めていた。




