【第23話】 忘れ物を預かる箱
翌朝、風待ち小屋の作業机には、小さな布包みが置かれていた。
薄茶色の布には、端に沿って青い糸の刺繍が入っている。細い線が波のように続き、その間に小さな葉の形が縫い込まれていた。昨夕、簡易休憩所の荷物置き台で見つけたときと同じく、布は乾いており、二重の結び目にも乱れはない。
ユウトは包みを持ち上げ、外側からそっと指先を当てた。硬いものなのか、柔らかいものなのかさえ、はっきりとは分からない。
「開ければ手掛かりは増えるかもしれませんけど」
向かいで記録帳を開いていたリーネが、包みを見つめる。
「持ち主が、見られたくないものを包んでいるかもしれません」
「そうですね」
ユウトは結び目から手を離した。
配達物ではない。宛名も印もない。それでも、誰かが大切に包んだものだということは分かる。
「中身は確認しません。外から分かることだけ記録して、安全に預かります」
「それがいいと思います」
ポルカが机の端へ前脚をかけ、鼻先を伸ばした。包みの匂いを嗅ぐと、耳をぴくりと動かす。
「まだ駄目だぞ、ポルカ」
「ぷい」
触れようとした前脚を引っ込めたものの、今度は反対側から覗き込もうとする。ユウトは包みを乾いた布の上へ戻し、記録帳へ発見場所と時刻を書き込んだ。
簡易休憩所の荷物置き台。夕方。雨上がり。濡れ、傷みなし。薄茶色の布。青糸の刺繍。細紐を二重に結んである。
リーネは自分の聞き取り帳と地図を机へ広げた。
「昨日、あの道を通った可能性がある人を整理してみます。根菜の籠を下ろしていた村の人は、包みを見た覚えがないと言っていました」
「その人が立ち去ったあとに、誰かが休んだ可能性もありますね」
「はい。ミルネル丘からルミナ村へ下りる人と、風見鶏亭へ向かう人の両方が使えます」
リーネは地図の上で簡易休憩所から伸びる道を指でなぞった。それから布包みの刺繍へ目を戻し、少し首を傾げる。
「この葉の形、ミルネル丘で見た布に似ています」
「羊飼いの人たちが使っていたものですか?」
「同じだとは言えません。でも、羊毛袋の口を覆う布や、手袋の縁にこういう刺繍を入れている人がいました。風が強い場所だから、糸を密に縫うんです」
布柄だけで持ち主は決められない。だが、聞き込みを始める方角としては十分だった。
「まず風見鶏亭へ行きましょう。昨日、誰が通ったか分かるかもしれません」
布包みは防水布で包み直し、配達鞄の内側へ収めた。外から押されない位置を選び、予備紐で留める。
風見鶏亭では、セラが朝の仕込みを終えたところだった。煮込み鍋から豆と香草の匂いが漂い、窓際には行商人の置いていった空の籠が重ねてある。
「忘れ物かい?」
話を聞いたセラは、布包みには手を触れず、腕を組んだ。
「昨日、ミルネル丘から来た羊飼いが三人寄ったよ。全員一緒じゃなくて、昼前に二人、夕方近くに一人。簡易休憩所の方角を通ったとは言ってたね」
「何か持っていましたか?」
「羊毛袋がいくつか。あとは杖と水筒。細かい手荷物までは見てないよ」
セラは記憶を急いで決めつけることなく、一つずつ言葉を選んだ。
「夕方の一人は、店に入ったときに荷物を下ろして肩を気にしてた。だから途中で休んだかもしれない。でも、それだけでその人の物とは言えないね」
「十分です。ありがとうございます」
「ミルネル丘へ行くなら、昼すぎは風が強くなるよ。まず食べな」
差し出された硬焼きパンを受け取りながら、ユウトは店の隅に置かれた羊毛袋へ目を向けた。持ち主があとで受け取りに来る品らしく、口を布紐で閉じてある。
ポルカも同じものに気づいた。床を小走りに進み、羊毛袋の前で鼻を動かす。それからユウトの配達鞄へ戻り、また羊毛袋へ近づいた。
「似た匂いがするのかな」
リーネがしゃがみ込む。
ポルカは袋の脇で耳を立て、短く「きゅ」と鳴いた。
ユウトは布包みを鞄から出さず、ポルカの反応だけを見た。羊毛の匂いか、草の匂いか、それとも同じ道を通っただけなのかは分からない。
「手掛かりの一つですね。ただ、これだけでは決められません」
「うん。ミルネル丘で聞いてみましょう」
昼前に風見鶏亭を出ると、空は明るかったが、丘へ近づくほど風が強くなった。ポルカは肩の上で羽を伏せ、時折ユウトの襟元へ潜り込む。
簡易休憩所では、薪束も携帯食の木箱も無事だった。ユウトは蓋の湿りと板の緩みを確認し、リーネは利用記録用の小さな札に異常なしと書き足した。
そこから坂を上り、午後の早い時刻にミルネル丘へ着いた。
羊たちは風よけの石垣の近くへ集まり、白い背を寄せ合っている。数人の羊飼いが柵の補修をしていた。
ユウトは布包みそのものを見せる前に、発見場所と外見だけを伝えた。
「昨日、簡易休憩所の荷物置き台で、小さな布包みを預かりました。薄茶色の布で、青い糸の刺繍があります。心当たりのある方はいませんか」
一人の羊飼いが手を止めた。日に焼けた顔に、はっきりとした焦りが浮かぶ。
「細い紐で、二重に結んであったか?」
「はい」
「刺繍は布の端だけだ。角の一つに、葉が三枚並んでる」
ユウトはまだ鞄を開かなかった。
「どこで置き忘れたか、覚えていますか?」
「昨日の夕方、羊毛袋を下ろして休んだ。水筒を取り出したとき、上に載せていた包みを台の端へ置いたんだ。風が出てきたから急いで背負い直して、そのまま忘れた」
「結び方に特徴はありますか?」
「右の紐を先に輪にして、その上から左を回す。ほどけにくいが、引けば片方だけ緩む結び方だ」
記録した内容と一致していた。刺繍の位置、結び方、置き忘れた状況。どれも、外から見ただけでは偶然答えにくい。
ユウトは配達鞄から防水布に包んだ忘れ物を取り出した。
「確認できました。こちらで間違いありませんか」
羊飼いは包みを受け取り、青い刺繍と結び目を確かめた。強張っていた肩から力が抜ける。
「間違いない。助かった」
その指は結び目へかかったが、すぐにはほどかなかった。
「中は見てないのか?」
「はい。持ち主の確認に必要な手掛かりは、外側にありましたから」
羊飼いはしばらく包みを見つめ、それから静かに息を吐いた。
「そうか。……それが一番ありがたい」
中身が何であるか、ユウトは尋ねなかった。忘れ物が戻った。それで十分だった。
帰り道、ポルカはユウトの肩で胸を張っていた。
「ポルカの鼻も役に立ちましたね」
リーネが言うと、ポルカは「ぽるる」と喉を鳴らす。
「でも、匂いだけで決めなかったのも大事です」
「ぷい?」
「褒めてるんだよ」
ユウトが指先で首元を軽く撫でると、ポルカは満足したように尻尾を立てた。
風待ち小屋へ戻ると、バルドが作業机の前で待っていた。ユウトが返却までの経緯を説明すると、村長は短く頷いた。
「中を見なかったのは正しい」
「手掛かりが足りなければ、もう少し時間をかけるつもりでした」
「急いで間違えれば、預かった意味がない。場所、布柄、結び方、状況を合わせた。それでいい」
バルドの言葉は短かったが、評価していることは伝わった。
ユウトたちは仕分け棚の下に置かれていた古い木箱を机へ運んだ。蓋の蝶番はまだ使えたため、内側を乾いた布で拭き、底へ厚手の布を敷く。リーネは忘れ物ごとに発見場所と日付を書ける札を用意し、箱の横には預かった時刻と外見だけを記録する帳面を置いた。
「見つけた人が風待ち小屋へ届けて、ここで一時的に預かる。返すときは、持ち主しか知らない特徴をいくつか確認する」
「中身は、必要がない限り開けないようにしましょう」
「期限が長くなった場合は、バルドさんにも相談ですね」
ポルカが木札をくわえて運んできたが、途中で箱の中へ飛び込み、そのまま布の上へ丸くなった。
「ポルカ、そこは寝床じゃないぞ」
「ぷい」
「毛玉を預かる箱じゃない」
バルドが低く言うと、ポルカは耳を伏せた。リーネに木の実を一つ見せられ、ようやく箱から出てくる。
ユウトは木札を蓋の正面へ取り付けた。
忘れ物預かり箱。
小さな文字だったが、風待ち小屋の新しい役目を示すには十分だった。
道で見つかったものを、誰かが困る前に預かる。手紙や小包と同じように、持ち主の事情を軽く扱わない。
片づけを終えたころ、バルドが懐から二枚の紙を取り出した。
「もう一つある」
一枚には月の半ば、もう一枚にはその翌日の日付が書かれている。
「集落市の日だ。人によって違う日を聞いている」
リーネが二枚を並べ、眉を寄せた。
「どちらかが書き間違いでしょうか」
「伝言の途中で変わった可能性もある。出店する者が困っている」
ユウトは作業机の記録帳へ目を向けた。情報を置く場所があっても、元になる日付が違えば、正しく伝えることはできない。
「誰が最初に決めた日程なのか、確認する必要がありますね」
「掲示する前の手順も整理したいです」
リーネは二枚の紙を記録帳へ挟んだ。
忘れ物預かり箱の蓋の上では、ポルカが木札を押さえながら、得意げに胸を張っていた。




