【第22話】 風よけの石垣の休憩所
修理を終えた道標が見えるころ、空の色が急に暗くなった。
ユウトはミルネル丘へ続く配達路を見上げた。少し前まで雲の切れ間に薄日が差していたはずなのに、谷を渡る風は湿った冷たさを帯びている。
肩に乗っていたポルカが耳と羽を同時に震わせた。
「雨が来ますね」
隣を歩くリーネが地図鞄の蓋を確かめる。ユウトも配達鞄の留め具を締め直した。
「道標の先まで進めば、少し林があります。そこで――」
言い終える前に、大粒の雨が頬へ当たった。
乾いた土へ黒い点が広がり、すぐに道全体を濡らし始める。ユウトは歩調を上げたが、濡れた下り坂へ踏み出した足がわずかに流れた。
「ユウトさん」
「大丈夫です。まだ進めます」
そう答えたものの、腿には朝からの配達と作業の重さが残っていた。配達鞄をかばって身体を傾けるたび、歩幅も乱れていく。
このまま先を急げば、自分だけでなく、預かった荷物まで危うい。
ユウトは足を止めた。
「……戻りましょう。風よけの石垣まで」
「はい。そのほうがいいです」
リーネは何も茶化さず、すぐに踵を返した。
ポルカはユウトの襟元へ潜り込み、雨を避けながら小さく鳴いた。
風よけの石垣は、道標から少し離れた斜面の脇にあった。低い石を積んだだけの古い造りだが、谷を抜ける横風を弱めてくれる。
ユウトたちが石垣の陰へ入ると、ポルカは襟元から飛び降りた。濡れた地面を嫌がるように前脚を上げながら進み、石垣の端にある浅い窪みへ滑り込む。
そこは雨の吹き込みが少なく、地面にも枯れ草が残っていた。
「ぽるる……」
ポルカは羽をたたみ、そこで身を丸めた。
「そこだけ、風が弱いんですね」
リーネがしゃがみ込み、頬へ当たる風の向きを確かめる。
ユウトは配達鞄を地面へ下ろそうとして、手を止めた。土はすでに水を含み、鞄の底を置けば泥が染みつく。仕方なく膝の上へ抱えたまま、石垣へ背を預けた。
雨は石垣の上を越えて細かく吹き込み、袖を濡らしていく。休めはするが、荷物を守りながら身体を休めるには狭すぎた。
「鞄を置ける高さが欲しいですね」
「腰掛けも。地面は少し傾いてるから、板を直接置くだけだと滑りそうです」
リーネは濡れないよう地図を小さく開き、石垣の向きと窪みの位置を書き込んだ。
ユウトは雨水の流れを目で追った。斜面から落ちた水は石垣の端を回り込み、道側へ流れている。ポルカが選んだ窪みだけは、わずかに高く乾いていた。
「ここなら通行も邪魔しません。けれど、石垣へ直接何かを取り付けるのは避けたほうがよさそうです」
「土地の境も、もう一度確認したいですね」
雨脚が弱まるまで、二人はその場で休んだ。短い時間だったが、立ち上がったときには乱れていた呼吸が落ち着いていた。
足取りも、来たときより確かだった。
風見鶏亭へ戻ると、セラは濡れた三人を見て眉を上げた。
「まず食べな。話はそれから」
差し出された温かい豆のスープを飲みながら、ユウトは石垣で確認したことを説明した。
トマは壁際の席で腕を組み、リーネの簡単な見取り図を眺めている。
「荷物を置ける台と、腰を休める板が欲しいです。雨が横から入るので、小さな覆いもあれば助かります」
「現地を見ずに寸法は決められん」
トマは図を指で叩いた。
「地面の傾きも、水の流れも分からん。石垣に固定するのも駄目だ。崩れたら誰が直す」
「独立した形ならどうでしょう」
「材料次第だな。脚を沈まないようにする必要がある」
セラは空になった器を引き取りながら口を挟んだ。
「置くなら乾いた薪も少し欲しいね。濡れた人が火を起こせる場所じゃなくても、次の休憩亭まで持っていけるだけで助かるだろ」
「湿気ませんか?」
「地面から離して、油紙を巻いて、上から布で包む。食べ物も同じだよ。硬焼きパンに干し果物を挟んで、油紙と布を重ねれば、少しくらいの雨なら耐える」
トマが鼻を鳴らした。
「食い物を置けば、獣に荒らされるぞ」
「だから一日分だけ。ユウト君たちが通るたびに入れ替えればいい」
「管理する人が必要ですね」
「そういうこと。置けば終わりじゃないよ」
翌朝、ユウトたちは材料と道具を持って風よけの石垣へ向かった。
バルドにも土地の境を確認し、石垣の内側にある細長い空き地なら、道を塞がない範囲で使ってよいと許可を得ていた。
現地へ着くと、トマはまず地面へ棒を立て、傾きを確かめた。ユウトは昨日の雨水が通った跡を示し、リーネは石垣の影が伸びる向きを記録する。
「晴れた日は、この辺りまで日陰になります。雨のときは、風が南寄りだとここまで吹き込んでます」
「なら覆いはこの向きだ」
トマは石垣から少し離れた場所へ四つの平石を置いた。その上に短い脚を立て、横木を渡して荷物置き台を組み上げる。
石垣には触れず、地面へ深く杭も打たない。必要なら解体して場所を直せる造りだった。
ユウトは配達鞄を置く動作を何度か試した。
「もう少し道側へ寄せると、鞄を背負ったまま下ろしやすいです。ただ、通る人の肩が当たるかもしれません」
「半歩だけ内側だな」
トマが脚の位置を直す。
腰掛け板は荷物置き台より低く、少し間を空けて置かれた。覆いは二本の支柱で支え、雨が後ろへ流れるよう緩く傾ける。
ポルカは細い紐をくわえ、ユウトとトマの間を何度も往復した。次にリーネから軽い木札を預かると、なぜか完成前の荷物置き台の下へ潜り込んだ。
「ポルカ、その札はこちらです」
「ぷい」
呼ばれても出てこない。
白い首毛だけが、板の隙間から見えていた。
「気に入ったんでしょうか」
「作業が止まる」
トマが低く言うと、ポルカは耳を伏せた。それでもすぐには動かず、木札を抱え込んでいる。
ユウトは台の脇へしゃがんだ。
「ポルカ。届けてくれたら、あとで入っていいから」
しばらくして、ポルカは渋々といった様子で這い出した。木札をリーネの足元へ置き、褒められると胸を張る。
「ありがとう。これで目印が描けます」
リーネは木札へ、石垣と屋根の形を組み合わせた簡単な印を描いた。そして地図の余白へ、雨天時の吹き込み範囲と、晴天時の日陰の位置を書き足す。
「休む場所と荷物を置ける場所、どちらの役目もありますね」
炭筆の先を止め、リーネは記録欄へ文字を書いた。
「地図では『簡易休憩所』としておきます。大きな建物じゃないけど、利用条件も一緒に残せますから」
「それなら分かりやすいです」
木札が支柱へ結ばれたことで、簡易休憩所の形が整った。
荷物置き台の下には、油紙と布で包んだ乾いた薪束を入れる小さな棚が作られた。セラが用意した携帯食も、蓋付きの木箱へ一日分だけ収める。
最後にユウトは配達鞄を台へ置き、腰掛けへ座った。
肩から重みが消える。
立ったまま休んだ昨日とは違い、脚の力を抜いて呼吸を整えられた。濡らさないよう抱えていた鞄も、手の届く高さにある。
「五分でも、ずいぶん違いますね」
「顔色も戻りましたよ」
リーネは地図を閉じ、自分も腰掛けの端へ座った。
ポルカは完成した棚へ入り込み、乾いた薪束の上を確かめるように回った。やがてユウトの足元へ出てくると、靴へ身体を寄せ、白い首毛へ鼻先を埋める。
耳も羽も動かない。
完全に眠っていた。
「安心したみたいですね」
「昨日、この場所を見つけたのもポルカでした」
ユウトは声を落とした。
疲れていることを隠して歩き続ければ、荷物も、自分も、隣を歩く二人も危険に巻き込む。
休むことは仕事を止めることではない。
約束を最後まで守るために、必要な判断だった。
「次からは、ポルカが丸くなる前に休みましょう」
リーネの言葉に、ユウトは苦笑した。
「はい。自分の足もちゃんと確認します」
その日の午後、配達路を通った村人が簡易休憩所を見つけた。背負っていた根菜の籠を荷物置き台へ下ろし、腰掛けへ座る。
「これは助かるな。坂を上ったあと、籠を地面へ置かずに済む」
短く休んだ村人は、軽くなった足取りで道を進んでいった。
夕方、ユウトたちは薪束と木箱の状態を確認し、散らばった木屑を拾った。
ミルネル丘へ届ける羊柵修理の返答も、傷んだ板の運び込みも、まだ残っている。明日以降の配達順も考えなければならない。
それでも、今日からこの道には荷物を下ろして息を整えられる場所がある。
「ユウトさん、これ」
リーネが荷物置き台の端を指した。
木の隅に、小さな布包みが残されていた。手のひらに収まるほどの大きさで、細い紐が二重に結ばれている。
宛名も、持ち主の印もない。
ユウトは包みを持ち上げ、濡れや傷みがないことを確かめた。
「さっきの人のものでしょうか」
「分かりません。ほかにも誰か使ったかもしれないです」
眠りから覚めたポルカが、包みの匂いを嗅いで首を傾げる。
ユウトは布包みを配達鞄の内側へ丁寧に収めた。
「一つずつ確かめましょう。持ち主が困る前に」
風よけの石垣の陰で、簡易休憩所の木札が夕風に小さく揺れた。




