【第25話】 蜂蜜菓子を守る道
集落市の日取りが決まってから、風待ち小屋を訪れる人は少しずつ増えていた。
仕分け棚には、布紐を添えた手紙や、交換する品の相談を書いた札が並んでいる。その一方で、ミルネル丘の羊柵に使われている傷んだ板については、修理の返答も運び込みもまだ終わっていない。ユウトは棚を見渡し、急ぐものと待つものを記録帳で分けていた。
昼前、扉を叩く音がした。
入ってきたのはバルドと、両手で小さな籠を抱えた老婦人だった。籠には白い布がかけられ、細い紐でしっかり留められている。
「集落市へ行けん者だ」
バルドが短く言った。
「ミルネル丘へ届けたい物があるらしい」
老婦人は籠を机へ置くと、布の上を一度撫でた。
「昔からの知り合いにね。今度の集落市で会えると思っていたんだけれど、足を痛めてしまって。代わりに、これだけでも届けてもらえないかと思って」
布を外すと、甘い香りが小屋の中へ広がった。
浅い皿の上に、蜂蜜を練り込んだ小さな焼き菓子が並んでいる。表面は薄く焼けていたが、縁は指で触れれば欠けそうなほど柔らかい。
棚の上にいたポルカが、ぴくりと耳を立てた。羽まで震わせ、机の端へ降りてくる。
「蜂蜜菓子ですか」
「そう。あの人が好きだった味でね。手紙も一緒に入れてあるよ」
老婦人は折り畳んだ紙を差し出した。ユウトは手紙を濡れや汚れのない布の上へ置き、菓子の状態を一つずつ確かめる。
「今日中の方がいいでしょうか」
「急がなくていいよ。ただ、あまり日を置くと固くなってしまうから、明日までに届けば」
「分かりました。崩れやすいので、普通の荷物とは分けて運びます」
ポルカが鼻先を近づけ、皿の縁へ前脚をかけた。
「ポルカ」
リーネが声をかける。
叱るような強さはなかったが、ポルカは動きを止めた。鼻先だけが忙しく動いている。
「これは食べるものじゃなくて、届けるものだよ」
「きゅ」
「菓子には触らないで、こっちの紐を見ていてくれる?」
リーネは籠を留めていた細紐を机の端へ置いた。ポルカは菓子と紐を交互に見たあと、しぶしぶ紐の横へ座る。
老婦人が小さく笑った。
「ずいぶん立派な助手だね」
その言葉に、ポルカの胸が少しだけ膨らんだ。
しかし、風待ち小屋には菓子を守るための十分な包み材がなかった。手紙用の防水布や予備紐はあるが、柔らかな焼き菓子をそのまま配達鞄へ入れるわけにはいかない。
「風見鶏亭へ行ってみましょう」
リーネが言った。
「セラさんなら、持ち運ぶ料理の包み方を知っているかもしれません」
老婦人には小屋で少し待ってもらい、ユウトたちは籠を持って風見鶏亭へ向かった。ポルカは配達鞄の肩紐に乗りながら、何度も籠の方を振り返っていた。
風見鶏亭では、セラが乾燥させた香草を束ねていた。事情を話すと、籠の中を覗き込み、すぐに首を横へ振る。
「このままじゃ、丘へ着く前に半分は欠けるね」
「やはり揺れますか」
「揺れもそうだけど、菓子同士がぶつかる。まず一つずつ薄布で包むんだよ」
セラは棚から洗って乾かした薄布を数枚取り出した。それを細く切り、菓子の周りへ軽く巻く。きつく包まず、表面を擦らない程度に形を支える。
次に、小さな木箱を持ってきた。
「これなら籠より底が固い。隙間には乾いた布を丸めて詰める。ただし押し込みすぎると、今度は菓子を潰すからね」
ユウトは一つずつ間隔を空けて菓子を入れ、隙間へ柔らかく丸めた布を置いた。箱をわずかに傾けても、中身はほとんど動かない。
「材料も手間も必要なんですね」
「壊れやすい物を壊さず運ぶなら、そこは省けないよ」
セラは箱の蓋を閉じ、紐を十字にかけた。結び目を締めたところで、近くから「ぷい」と声がした。
ポルカが箱の横に座り、結び目を見つめている。
「ポルカちゃん」
セラは硬焼きパンへ手を伸ばさず、紐の端を軽く指で弾いた。
「甘い匂いを追うより、こっちを見張っておくれ。緩んだら教えるんだよ」
ポルカは耳を動かし、結び目へ鼻先を寄せた。前脚で紐を一度押さえ、それから胸を張る。
「そう、それでいい。配達助手なら中身を守らないとね」
「ぽるる」
褒められたポルカは、箱の上へ乗ろうとしてリーネにそっと止められた。
「上じゃなくて、横だよ」
「きゅ」
「でも、菓子には触らなかったね。偉いよ」
風待ち小屋へ戻ると、ユウトは小箱を配達鞄の最上部へ収めた。下には手紙と薄布だけを置き、硬い道具や水筒とは仕切りを挟む。箱が傾かないよう、左右に丸めた布を入れ、鞄の内側へ短い紐で固定した。
リーネは老婦人から、贈り物の由来を聞き取っていた。
「昔、同じところで働いていたんですか?」
「羊毛を洗う仕事を一緒にしていたんだよ。忙しい時期が終わると、私がこの菓子を焼いてね。二人で分けて食べたものさ」
リーネはその言葉を手紙の内容とは分けて記録した。届け先、贈り物の種類、傷みやすさ、希望する時期。地図を広げると、ミルネル丘までの二つの道を見比べる。
「近いのはこっちです。でも、坂が急で石が多いですね」
「雨の後なら足元も固くない」
「遠回りでも、川沿いの道の方が揺れは少なそうです。橋を渡ってから緩やかに上がれます」
ユウトは地図上の線を指でたどり、以前歩いた時の地面を思い出した。川沿いは距離があるが、踏み固められた土が続いている。
「速さより中身を優先しましょう。明日までには十分届きます」
老婦人がほっと息をついた。
「よろしく頼むよ」
その日の午後、ユウトたちはミルネル丘へ向かった。
川沿いの道は風が弱く、配達鞄の揺れも少なかった。ユウトは歩幅を狭め、段差では鞄を手で支える。リーネは地図へ道の状態を書き加えながら、石の少ない側を選んだ。
ポルカはユウトの肩と鞄の上を行き来し、何度も箱の紐を鼻先で確かめていた。
浅い坂へ差しかかったところで、ポルカが急に羽を震わせた。
「ぽる、ぽるる」
箱の横へ身を乗り出し、前脚で紐を叩いている。
ユウトはすぐに立ち止まった。鞄を下ろして確かめると、固定用の紐がわずかに緩んでいた。箱そのものの結び目は無事だが、このまま坂を上れば中で傾いたかもしれない。
「教えてくれたのか」
「ぷい」
「助かったよ、ポルカ」
ユウトは結び直し、指が一本入る程度の締め具合に調整した。リーネが記録帳を開く。
「途中確認も残しておきましょうか」
「お願いします。坂の手前で固定紐を結び直した、と」
時間は少しかかったが、急ぐ理由はなかった。
ミルネル丘の受取人は、羊小屋の近くで二人を待っていた。ユウトはその場ですぐ渡さず、平らな台へ配達鞄を置いた。箱の傾き、紐の緩み、蓋の隙間を確かめる。蓋を開けると、蜂蜜菓子は一つも割れず、薄布の中に収まっていた。
「こちらが贈り物です。それと、手紙を預かっています」
受取人は箱より先に手紙を受け取った。ゆっくりと読み進め、途中で何度か目を細める。
「集落市で会えないのは残念だね」
それでも、箱の中を覗いたとき、その顔に静かな笑みが広がった。
「昔と変わらない。あの人は、今でも同じ形に焼くんだね」
薄布を一枚開き、小さな菓子を両手で持ち上げる。崩れていないことを確かめるように眺めてから、大切そうに箱へ戻した。
ユウトは受取確認の欄へ、手紙と小箱を渡した時刻、中身に割れがなかったことを書き込んだ。
「返事も預かりましょうか」
受取人は少し困ったように手紙を見た。
「書きたいことはあるんだけど、うまく文章にできなくてね。何から書けばいいのか」
「急がなくて大丈夫です」
ユウトは記録帳を閉じた。
「言葉がまとまるまで待ちます。書くのが難しければ、こちらで話を聞いて文章にする相談もできます」
「そんなことまで頼めるのかい」
「まだ道具も場所も十分ではありませんが、持ち帰って準備します」
受取人はしばらく考え、頷いた。
「それなら、お願いしたいよ。集落市までには返したい」
「分かりました。返事を書くところから、最後までお手伝いします」
風待ち小屋へ戻るころには、窓の外に夕方の光が差していた。
ユウトは使った小箱を拭き、薄布を乾かすために広げた。緩衝に使った布も汚れを確かめ、再び使えるものと洗うものに分ける。仕分け棚の一段を空け、小箱、薄布、乾いた布をまとめて置いた。
リーネが小さな札へ「壊れやすい小包用」と書き、棚の縁へ差し込む。
「これで次からは、最初から包み方を考えられますね」
「箱の大きさも何種類か必要になりそうです。ただ、増やすのは使い方を確かめてからにしましょう」
別の棚には、ミルネル丘へ届ける羊柵修理の返答がまだ残っている。ユウトはそれを動かさず、今日の受取確認を記録帳へ挟んだ。
ポルカは作業机の上で、余った紐の横に座っていた。甘い匂いの残る薄布へ鼻先を向けながらも、前脚は紐をしっかり押さえている。
「ポルカ」
リーネが呼ぶと、すぐに顔を上げた。
「今日は最後まで箱を守れたね。途中の緩みも見つけたし、菓子にも触らなかった」
「ぽるる」
「本当に助かったよ」
リーネが手を差し出すと、ポルカは少しだけ迷ってから、その手首を伝って地図鞄の上へ移った。いつものように地図の端へ座り、胸を張る。
そこへセラさんから借りた小箱を返すための札を置くと、ポルカは当然のように前脚で押さえた。
ユウトは新しい記録欄を開いた。
届けた菓子と手紙。その受取確認。そして、まだ形になっていない返事の相談。
風待ち小屋には、荷物を置く棚だけでなく、誰かの言葉がまとまるのを待つ場所も必要になり始めていた。




