007
この街を訪れたことがない人に、概観をざっと説明するとすれば、どういう表現が適しているだろう。
墨色に淀んだ空のした、ヨーロッパの古都を模した石造りの重苦しい街並みを思い浮かべ、そこに、大量の雪と、ホログラム映像の色とりどりの光彩をまぶしてみる。
なんともいえない間抜けな情緒を感じたならば、あなたは恐らく、この街をうまく想像できている――とでもなるのだろうか。
槐はそんなことを考えながら、その表現通りの捏造されたおとぎの国みたいな街並みを歩いた。
そうだ、忘れないうちにこの表現をメモに書き殴って、スクラップ・ブックに挟んでおこう。
そうしていつか、書き溜めたものをまとめて、暗然とした大都市の片隅にうずくまるようにして生きている、塵芥のような奴らを、なにより自分自身を、淡々と、けれども執拗に、書き綴ってやろう。
文学にありがちな、作家的な視点などは必要ない。
ただありのままを書けばいい。
それだけできっと、最高に滑稽で悲しい物語になる。掛値なしに笑えて泣けるなら、読み物としては十分だろう。
後味などはどうでもいい。
もし希望が叶うならば、槐は、魔術ではなく文筆で身を立てたいと考えている。
誇張も嘘も筋書きもない事実の羅列というものに、かれは強く惹かれていた。
たとえそんなものは誰からも求められていないとしても、人の筆によって紡がれるべきはそういうものでなければならないという、強い信念があった。
どんなに巧妙で美しい物語も、冷めた精神の持ち主にとっては、嘘が鼻について仕方ないものだ。
どんな英雄にも卑劣な一面がある。
魂をあげて純愛に生きる女にも狡猾な横顔がある。
優しいおばあさんにもときには心のなかで額をはげしく歪めてだれかを口汚く罵りたくなるときがある。
しかし物語はそんな人間の複雑さや多面性を嫌う。
話を盛り上げるために、必要でないものはすべて切り捨てられる。
そうして温室で育てられた感動が完成する。
そんな模造品を手に取って眺めてどこが楽しい?
持論を正当化するために適合する実験だけを抜き出してならべたてるエセ科学者となにがちがう?
そうだ、俺は売れない作家になりたい。
ピントのぼけた物語を綴った原稿を腐るほど書き溜めて、自費出版の小さな出版社に持ち込み、編集とは名ばかりの営業の接待にいちいち重々しくうなづいた挙句に、バイトで稼いだなけなしの金を払って、わずか数十冊の書籍を刷ってもらう。
それをもったいつけて、知り合った人たちに押し付けるようにして配るのだ。
誰にも読まれず、長い時間をかけてゆっくりと朽ちていく、紙質だけは上等な書物。
そういう書物の作者に、俺はなりたい。
雪の降り込める、月も星もない闇色の空を仰いで、うおおお、と叫んでみたくなる。
そうして、ふと我に返る。
アホらしいことを考えるのはこれくらいにして、さっさと帰ろう。
しかし、これも多分、また違う形での、中二病の発露ではあるのだろう。
けれども、他にどうしようもない。
中二病を癒すことができるのは時間だけと昔から相場が決まっている。
だったらいまは中二病を満喫したらいい。
大人になってしまったら、もう楽しめないのだから。
「そうだ、俺は売れない作家だ……」
と、槐はためしに深刻をよそおって呟いてみる。
「だれにも耳を傾けてもらえない、自分だけにしか価値のない物語を綴る、売れない作家……」
だんだん、そんな気がしてくる。
少なくとも、自分を魔術師の卵だとか、エリート学校の劣等生だとか、AI管理社会の日本で行き場を失ったはみだし者だとか考えるよりは、ずっと胸に迫ってくるものがあった。
はやく硬い髭が生えてくるようになればいいのに。
そうしたらすぐにも無精ひげを散らし、眉間にけわしい皺をきざんで、大昔の私立探偵みたいなポーズをつくり、写真を撮るのに。
画像ではなく写真を、だ。
それをスクラップ・ブックに挟み、古びてしっかり黄ばんでくるまで机の引き出しのなかで寝かせておく。
写真の裏には、青みを帯びたインクで、こう書いてある。
「生涯、彼は評価されることがなかった。
画家のゴッホのように」。
こめられた静かな、けれども深い恨みを暗示するかのように、筆圧は強い。
――そんなシチュエーションを思い浮かべると、自分でもいやになるくらい心がときめいた。
ふと、苦笑いがこぼれる。
「どんだけ拗らせてるんだよ、俺は……」
痛む肩をさすりながら、風に揺れるフラッグを模したホログラムの、ぼんやりした光のしたを、都会の人間らしくサッサと歩く。
スーパーの軒先テントの脇に雪だるまが三つ、並んでいた。
それぞれ、腕のかわりに小枝を挿し、黒い小石やボタンで眼がいれてある。
大きなのがひとつと、小さなのがふたつ。
この白々しい街にも、ごくたまに、作りものではないおとぎの国の顔をのぞかせる瞬間がある。
槐は立ち止まって、しばらくその雪だるまを眺めたあと、ふと思い立ってワイシャツの胸元に指をさしいれ、ボルテクス・スフィアに触れて、狭間の異世界への侵入を指示した。
街灯だの、店舗の明かりだの、広告のホログラムのひかりだのが忽然と消えて、かわりに、北国の淡い日差しのなか、雪だるまを作ったと思われる子供たちが次々とすがたを現した。
槐は石壁に背をあずけて、子供たちの楽しげな様子を見守る。
ふと悪戯を思いついて、かるく指先を振るい、雪だるまに(……少しおどけてやれ)と魔法をかける。
すると雪だるまたちは小枝の腕をハロウィンのお化けみたいにあげさげしはじめ、ぴょんぴょん撥ねながら子供たちの後をついてまわった。
子供たちはいっせいに歓声をあげ、路地につもった雪をきしませて走り回る。
現実世界の子供たちは、いまごろ雪だるまを作って遊んだことを思い出して、家族にしきりにその話をしていることだろう。
槐は微笑み、それから現実世界に戻って、ふたたび帰路を急いだ。
車がなんとか通れるほどの狭い路地へと折れると、下宿先の雑居ビルが見えてきた。
武骨なコンクリートの肌に苔の跡が残っているせいで、どことなく打ち捨てられたインフラストラクチャーの趣がある。
一階はパブと車を二、三台止められるほどのビルドイン・ガレージになっており、客たちの騒ぐ声が店内のひかりとともに外まで溢れていた。
普段は閑散としたレストランだが、地元の帆影FCの試合がある日には、スポーツ・バーに早変わりする。
試合模様は店のホログラム・ビジョンと液晶モニターにおおきく映し出され、クラブのユニホームにそでを通したサポーターたちが、ビールや焼酎を手に、試合経過に一喜一憂して過ごすのだった。
帆影FCが負けた日はともかく、勝った日にはのんだくれどもはなかなか帰ってくれず、夜中まで大騒ぎが続くこともあった。
槐はおなじ魔術院の理論科に通う女子と三階の倉庫をふたつに仕切って分け合い、一方を借りていたが、防音の設備などロクについていなかったから、そんな晩は勉強どころではなかった。
今日はカップ戦の決勝があって、ふだんのリーグ戦の日をはるかに超える盛り上がりが予想され、槐は、こんな日にかぎって魔術的な負傷をして帰ってきた自分の運のなさを呪わざるを得なかった。
倉庫を仕切っただけの住まいは、お世辞にも快適とは言えなかった。
打ちっぱなしのコンクリートは底冷えがしたし、トイレもシャワーも店舗の従業員用のを借りるほかなかったし、食事も、なにか作ろうと思えば、店の厨房を借りるほかなかった。
ベッドは挽き肌のあらい木製のパレットのうえに古ぼけたマットと洗いざらしのシーツを敷いただけのものだったし、勉強机も手垢の染みた傷だらけの作業机を使わざるを得なかった。
二階がオーナーの住居になっており、その裏手の通路に旧式の洗濯機が出してあって、好きに使うことができたけれども、そうして洗ったものを部屋にもって帰ってきて干すと、気候が気候なだけに、冷え込む日などはガチガチに凍ってしまうし、それ以前に、なかなか乾かない。
部屋にはいつも、たくさんの洗濯物が、運動会の万国旗みたいにぶらさがっていた。
できるものなら魔術院の学生寮に移りたかったが、高等部はここ数年のあいだに定員を大幅に増やしたせいで、部屋の数が足りなくなり、魔術院が近郊のアパートやマンションを借り入れて寮生に割り当てていたが、それも人口のひどく密集した大都市の常で、絶対数が到底足りなかった。
それで槐は行政支援AIの斡旋により、帆影区のパブのオーナーの家に下宿させてもらうという体裁で、倉庫を借り、そこに住まわせてもらっているのだった。
しかも繁忙期には店を手伝うという付帯条件まで飲まざるを得なかった。
帆影FCのカップ戦の決勝が行われる今日などは、まさにその繁忙期にあたるという訳だった。




