006
開発が進み、ゴミ捨て場が奪われ、水辺が奪われ、寝床が奪われた。
野犬たちにはもう行く場所がなかった。
追い立てられるように下水の横穴に逃げ込み、そこで仔犬を生んだ。
しかし飢えが酷くて乳が出ない。
仔犬たちは日に日にやせ細っていき、やがて鳴き声さえあげなくなった。
母犬の胸を覆う焦燥感が、槐にもはっきりと伝わってきた。
かといって、人間のいる盛り場をうろつけば、カーキ色の服を着た男たちに追い立てられ、ゲージに押し込まれて、どこかへ連れていかれてしまう。
路地裏のポリバケツから残飯をかすめ取ってくるのも楽ではなかった。
水路の淵から、きらびやかな夜の街の明かりを見上げる。
あのひかりを食べることができたら、きっと私たちは飢えずに済むだろう。
そんなことを考えながら、母犬は動かなくなった仔犬の身体をけんめいに舐め続けた。
槐は、やせ細った母犬が、目の前にいる片足をなくしたゾンビ犬とうり二つであることに気が付いた。
この犬の脚を吹っ飛ばしたのは、槐の魔力のつぶてだった。
途端に、切ないものが胸にこみあげてきた。
槐はキャメル色の鞄をひらき、昼休みに食べ損ねた焼きそばパンをとりだした。
幸い、冷たくはなっていなかった。
ラップを剥ぎ、犬を驚かせないよう、ゆっくりと静かに近づき、ラップをコンクリートの上に敷いて、そのうえにそっとパンを置いた。
ゾンビ犬はそれをちらりと見て、それからのっそりと立ち上がり、鼻先をくんくん鳴らして匂いを確かめたあと、パンにかじりついた。
犬が安らいでいるのが、槐にはわかった。
もしかすると、この犬は、飢えを満たすよりも、人間と仲良くやっていた頃の記憶をもういちど取り戻したかったのかもしれない。
残留思念を残留思念として留めている、ある種の枷が、それによって解かれ、「自然に還る」ことができると、本能的に気づいていたのかもしれない。
犬はパンを半分ほど食べて、その場にうずくまった。
眼が潤んでいる。
槐にむかって口をひらいて、なにかを伝えようと声をあげようとして、そのまま、首をおろして動かなくなり、やがて透き通っていき、完全に消えた。
気づくと、上のほうからしきりに落ちてきた物音が忽然となくなっていた。
見取り図で確かめると、光点がすべて消えている。
いろいろな思いが胸に去来して、槐はしばらく、その場を動くことができなかった。
また、ポーン、と注意喚起の効果音が響いた。
『マテリアル・オーブの存在を確認しました。
回収を強く推奨します』
「………」
見やると、食べかけの焼きそばパンの傍に、透明な氷の球のようなものが落ちていた。
うっすらと七色の光を帯びている。
それがマテリアル・オーブだとすれば、槐も目にするのは初めてだった。
これはボルテクス・スフィアの素材になるもので、現実世界と狭間の異世界にまたがる生命的・魔術的な結晶体だった。
授業で魔術の教師から聞いたところでは、アコヤ貝が真珠を生成するのとおなじ仕組みだという。
貝は侵入してきた異物に傷つけられないようにするため、分泌液を出してこれを包み、無害な真珠へと変える。
狭間の異世界にいるデーモンもおなじで、自らの内部に存在する精神的な「棘」によるダメージを和らげるために、霊的なものを分泌して、これを包み、宝珠のように育てていくらしい。
ボルテクス・スフィアは事実上の高度な魔術兵器であり、その素材となるマテリアル・オーブは、どのメーカーも喉から手が出るほど欲していた。
工業的に生産する技術はもう確立していたが、こういう「天然もの」は生産品に比べて遥かに性能が高く、専門のマーケットでは高値で取引されていた。
槐は、透明な球体をつまみあげて、手のひらに乗せてみた。
虹色の光が、指にあざやかな色彩をつけている。
これがあの犬たちの長年にわたる生きざまの結晶だと思うと、何とも言えない気持ちになった。
槐はそれを帆布のペンケースにおさめると、ゆっくりと白い息をはき、鞄を抱えて立ち上がった。――
第一章、おわり。おつかれさまでした。
そのうちまとめて文章に手を入れると思います。読み返さなくても支障のないレベルに止まると思うので、気にしないでください。




