003
「そういうのは俺みたいな底辺の劣等生じゃなく、有能な優等生どもに提案してやれ。
俺はいつものスタイルでいくよ」
いつものスタイルとは、徹底的な引き撃ちだ。
日本にいた頃――仮想現実のゲームに没頭していた頃に徹底的に練習してきた戦闘方法だ。
後退しながら、中距離の攻撃で敵をじわじわと削っていく。
そこには多くの工夫と駆け引きがある。
まずなにより、囲まれないため、事前に周囲の地形をよく把握しておく必要がある。
敵の攻撃範囲を把握して、可能な限りその外から攻撃を仕掛けるようにする。
後退しながらうまく敵を誘導し、一方向に集め、こっちの攻撃が効率よく当たるようにもっていく。
非力なものが自分より強いものを倒すには、あるいは単独や少数で多くの敵を相手にするには、地味だけれども、これが一番いいのだ。
どのゲームでも変わらない鉄則だった。
むろん、魔術戦でも有効であることはこれまでに確認してきた。
しかし、その作戦を取るということを考えたとき、いまの状況はあまり好ましいとは言えなかった。
引き撃ちは広いスペースと適度な遮蔽物がある場所で行うのが理想的で、いま歩いている通路のような一本道では、敵が中・長距離の攻撃手段を持っていた場合、角を挟んで互いを牽制するばかりになって、膠着状態に陥りやすい。
こっちの火力が劣っていれば、敵が数に任せて押し出してきたりされると、かんたんに押し切られてしまう。
挟み撃ちに遭おうものなら、もうお手上げだ。
敵の脚が遅く、愚鈍であれば、いくらでも翻弄できる。
しかし敵が狡猾でスピードがある場合には、途端にこっちが苦境に陥ってしまう。
幸い、治安当局の管制官の話では、敵はそれほど強力ではないという話であったので、なんとかなるだろうと楽観している。
ただし、リアルの戦闘に不測の事態はつきものだ。
あとで話が違うと苦情を言ったところで、管制官が槐を生き返らせてくれる訳ではない。
行政支援AIがシステムを駆使して地下鉄の電気トラブルの原因を精査し、槐に対処を指示してきたことは、AIがそれで問題は解決できると判断した証であったが、AIの判断にもミスや間違いはある。
実際、こういう形で対処を指示された魔術院の学生や民間の魔術師が、対処に失敗して大けがを負ったり、ときには死ぬことも、あるにはある。
死んだら、どうなるのだろう。
ふと、立ち止まって考える。
魔術師といっても、死後の世界や生まれ変わりについての知識がある訳ではない。
現代魔術学はもっぱら狭間の異世界についての研究に照準を合わせており、あの世だとか信仰だとかといったものにはあえて背をむけていた。
学問の範囲外のことであったし、なにより宗教界のほうが首を突っ込んでくるのをひどく嫌った。
現代魔術学の見地から天地創造などの神話や神の言葉を否定されたり、再解釈されてしまったら、宗教の権威が揺らいでしまいかねない。
だから魔術学は無用の摩擦を避けるために、そういうスピリチュアルな方面にはあえて関わろうとしなかった。
魔術院の生徒であれば、その辺りは言われなくとも、皆、察していた。
なにしろ、年に何度かは、カトリックだのプロテスタントだの神道だの新興宗教だのの信者が群衆となって学院のまえに押し寄せ、魔術は神への冒涜である、ただちに研究と教育をやめろ、と怒号をあげた。
宗教にはとにかく口を出さない、というのが、先生や生徒たちの暗黙の鉄則だった。
ただ、死後の世界が存在するかもしれないことは、もろもろの魔術の基礎研究によってほぼ証明されていた。
槐も詳しくは知らないが、すでに、肉体を喪失して人間以上の存在となった魔術師が実際に存在するとも言われていた。
ともあれ、実際の戦闘を目前にして、あの世のことだの死後のことだの考えても気が滅入るだけだった。
もうやめよう、と小さく呟き、ゆっくりと歩きだす。
ただ、分かっているのは、ここで死ねば日本にいる飲んだくれて身体の弱った父親のもとにその連絡がいき、学期末には魔術院の合同葬儀が行われて、講堂に集められた生徒たちが、もっともらしい顔をしつつ、魔術院のほかの死亡者とひとまとめにして形ばかりの黙とうを捧げてくれるだろうということだ。
そのように考えると、俄然、眉間に力が入った。
死んでたまるか、クソが。
暗視エフェクトの薄闇のなかから、塗装のはげた鉄の扉がうっすらと浮かび上がった。
蜘蛛の巣をはらってプレートに眼を近づける。
「Electric Equipment Room」とある。
まったく、アースリングはどこもかしこも英語だ。
準公用語なのだから仕方ないが、なぜ普通に日本語で表記しないのだ、と槐などは思う。
ドアノブに手を近づけたとき、バチっと激しい音が立って、紫の閃光が起こった。
静電気だ。
『警告。
扉のむこうに、デーモンがいます』
「盗電しているっていう、アレか」
『はい、Sir』
槐は、清掃係が放置していったと思われるバケツをとり、中に濁った水が残っているのを見て、唇の端をかすかに歪めた。
それからドアノブをひくなり、中の水を思いっきりぶちまけた。
激しく火花が散り、電気設備室が真っ白にかがやいた。
配電盤に引っ付いていたのは、宙に浮かぶ、直径2メートルほどの球形のデーモンだった。
犬だか狼だかの生首のようなものが無数についている。
眼はひどく充血し、剥き出しの黄ばんだ牙から唾液が滴っている。
水をぶっかけられたことで一気に漏電が起こり、デーモンは凄まじいうめき声をあげた。
球形の身体がはじけて、たくさんのゾンビ犬のような姿に分裂する。
恐らく、ヘルズエンジェルがデーモンは無数にいると判断したのは、このためだろう。
これらが融合してひとつになっていたために、見取り図のレーダーには一個の光点のみが映っていたのだ。
槐はてのひらのうえに、魔力のつぶてを念じた。
青白い光が凝縮して球形をなし、あたりに冷たい色彩をなげかける。
そのつぶてを、狙いすまして先頭のゾンビ犬に当てていく。
キャンッ!
痛々しい悲鳴をあげて、ゾンビ犬は弾かれ、辺りに赤黒い腐肉のかたまりをまきちらした。
多数の犬のデーモンが唸りながら寄せてくる。
槐は扉のそとへ出て、モップを倒してつっかえ棒のようにひっかけ、ゾンビ犬がまとめて外に出られないように出口を狭くしたうえで、狙いすまして青白く輝く魔力のつぶてを撃ち込み続けた。
面白いようにゾンビ犬が弾かれて、コンクリートの壁と床を赤黒く汚していく。
ぐちゃ、ぐちゃ、と身の毛もよだつような音が続いた。
「パターンに入ったな……」
数匹が勢いあまって手すりを飛び越え、貯水池に落ちて放電の閃光を起こす。
すぐに白い煙がどっと湧いて、あたりを靄のように覆った。
そこそこ、撃ち減らせているはずだ。
ヘルズエンジェルに見取り図を要求し、確認する。
赤い光点はまだ電気設備室にたくさん蠢いていた。
しかしそれらが目に見えて減少していくのも時間の問題だろう。
犬の化け物の潰れるひどい有様さえ気にしなければ、状況はおおむね良好と言えた。
案外、すぐに片付くかもしれない。
放電に特有の、バチバチという音が、コンクリートの巨大な空間に反響している。
それが地下貯水池の照明器具と干渉するらしく、狂ったように点滅をくりかえしていた。
白い靄と、なんともいえない焦げ臭い匂いが辺りにたちこめる。
こんなところに長くいたら精神を病みそうだった。
とっとと始末をつけて地下鉄に戻ろう。
どれだけ敵を減らせたかを確認するために、もういちど見取り図を要求する。
そうして、槐は目を細めた。
たしかに、光点の数は減っている。
しかし、その数があっていない気がする。
さっき見たときには明らかに20以上あったのが、いまはもう数えるほどしかない。
他方、その間に魔力のつぶてで撃ち抜いたのは、4から5、といったところではないか。
どうも計算が合わない。




