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『……作戦目標を確認。
現実世界で変電設備にあたる領域に複数のデーモンの反応あり。
ただし槐の戦闘力を上回る固体は存在しません』
ヘルズエンジェルの解析により、治安当局の管制官の話が裏付けられた形になった。
ひとまず安堵の息をつく。
次いで、意識内に、簡単な見取り図が提示された。
すこし先にゆくと左側にドアがあり、そこを入って通路をしばらくゆき、つきあたりの地下貯水池を左手に見ながら50Mほど進むと変電施設の扉がある。
扉はいずれもロックされているだろうが、狭間の異世界の扉は抽象化されており、そこに「解錠」の概念を埋め込むことで、ひらくことが可能だった。
むろんこれは魔術師の能力に基づくものであり、扉によってセキュリティの抵抗係数が異なっており、なんでも開けられるという訳ではない。
ただ、魔術院高等部一年の槐の力量でも、インフラ設備の簡単な錠がかかったドアくらいなら開けることはできた。
狭間の異世界を支配するのは物理の法則ではなく、情報や理念といった要素だった。
裏返せば、魔術師は、そのつもりになれば犯罪をやりたい放題だった。
狭間の異世界に侵入して大銀行の金庫のなかや政府の重要施設に入り込み、そこから現実世界に出て、金の延べ棒や機密データを奪い、また狭間の異世界を経由して脱出するくらいは、魔術的なセキュリティの邪魔さえなければ雑作もないことだった。
そのため、国は、スフィアの所有者に必ず登録をさせる必要があった。
狭間の異世界へ侵入した事実はスフィアによって記録され、そのデータは政府や魔術院に逐一転送される。
魔術師がその技能を使って犯罪行為を行えば、すぐに発覚する仕組みになっていた。
魔術師は現実世界ではあくまで非力な一個人に過ぎなかったが、狭間の異世界に侵入することで、その異世界に深く干渉することができた。
そして、狭間の異世界は現実世界と対応しており、狭間の異世界で起こったことは現実世界にも大きな影響を与える。
たとえば、デジタル的に合成した伝染病をもたらす無数のデーモンを狭間の異世界に送り込み、暴れさせることで、その都市にペストやデング熱の伝染病を大流行させることが可能だった。
これはすでに幾つかの戦争のなかですでに行われたことでもあった。
狭間の異世界で起こったことと、現実世界は対応する。
その都市では人々の免疫力が低下し、重篤化しやすくなる。
しかし、魔術師がデーモンを討伐・駆逐することで、感染者数や死者数を激減させることができた。
いま、地下鉄の車両をとめている電気系統のトラブルも、狭間の異世界でデーモンが暴れていることで発生していた。
むろん整備の人間を呼んで修理をさせれば、一時は状況が回復するかもしれない。
しかしデーモンを取り除かないかぎり、ふたたびトラブルが発生し、いずれは修復の難しいレベルの深刻な故障が発生してしまうだろうし、整備の人間も不慮の事故に巻き込まれることになりかねなかった。
要するに、狭間の異世界は運勢や運命といったものを支配している魔術的な領域なのだった。
その領域に深く関与できるのが、魔術師なのである。
そのような次第であったから、どの国も、どの都市も、魔術師を育成して囲い込むことが急務だった。
槐の通う魔術院の教育課程も、その目的のために設立されたものだった。
見取り図の、変電施設の扉のむこうには、赤い光点がひとつだけ灯っていた。
光点は魔力を帯びた存在、この場合はおそらくデーモンを表す。
管制官もスフィアも、デーモンは複数いると言っていたが、それと矛盾する情報だった。
「どういうことだ」
『位置的に重なっている、ということかと……』
仮にそうだとしても、これほどきれいに重なるものだろうか。
縮尺と精度を考えるならば、複数いるというデーモンは、50センチ四方ていどの範囲に密集していることになる。
「……それ以外になにか考えられることは?」
『より精度の高い情報を取得するためには、対象に接近する必要があります』
「………」
現実世界から狭間の異世界へ移行する準備が整ったことを知らせるテキストが、意識内に投影される。
槐が思考で実行の命令を与えると、空間ごと透明なゼリーのように震え、列車内の薄闇のなかでざわめいていた青白い人込みが、忽然と消えた。
かわりに液晶ディスプレイに光が灯り、文字化けしたテキストや蠢く顔、子供の落書きのようなものを映し出しはじめた。
貫通扉のすぐ傍に、スーツの男が、ひとり消えずに残っていた。
焦点のあわない眼で床を見つめ、ぶつぶつとなにか呟いている。
耳を傾けてみると、会社の上司の愚痴らしかった。
アイツのせいで……俺はもう終わりだ……どうせ終わるなら……巻き添えに……。
男の強烈な思念が狭間の異世界に焼き付けられたものらしい。
よくあることだった。
槐にはどうすることもできない。
とにかく、胸くその悪くなるような事件が起きなければいいけれど。
槐はこの男をしばらく眺めたあと、鞄から革ひもを引きだして背負い、立ち上がった。
乗降扉に「開」の思念を送る。
胸のスフィアが一瞬輝きを増し、ガチャリと音をたてて、スゥ……と扉がひらいた。
線路の上に降りるなり、吐く息が白くなった。
首や頬にぞっとするほど冷たい空気があたる。
窓から零れてくる明かりを頼りにしばらく歩く。
見取り図のとおりの場所にドアがあった。
コンクリートの階段をあがり、おなじように解錠して、闇に埋もれた通路へと入った。
『照度が極めて低い環境です。
光球を発生させることを推奨します』
立ち止まって、すこし考える。魔術戦闘の訓練中のことだが、いちど、闇のなかを光球を灯して歩いていて、デーモンどもの標的になってしまったことがあった。
見通しがよくなる代わりに、仮に曲がり角の先に敵がいた場合、こちらの位置を教えることにもなってしまう。
「光球は必要ない。
暗視エフェクトを頼む」
『了解』
視界にノイズが走ったかと思うと、輝度調節と赤外線のエフェクトがあたりを覆った。
まだ薄暗いが、歩くには支障のないレベルである。
それにしても、この氷点下の気温では、じかに金属のドアノブを握ったら、張り付いてしまいかねない。
クソ、軍手を持ってくるんだったな、と呟きながら、コートの袖をひいて、肌が触れないようにする。
そうしてドアを押しひらく。
すぐに、湿気を含んだ生暖かい空気に包まれた。
手すりのむこうに、地下貯水池の黒い水面が広がっている。
等間隔の支柱に設置されたライトが反射して揺れていた。
貯水池は、都市に積もる雪を溶かして貯蔵しておくためのもので、凍結防止のために水温を二度以上に保つ仕組みになっていた。
空気が生暖かく感じられたのはそのせいかもしれない。
外が寒すぎるのだ。
エンジニア・ブーツの靴音がやけに反響した。
格好のことだけ考え、懐事情と相談しながらめいっぱいのカネを払って買ったものだったが、足音のこともよく考えて選ぶんだったと、後悔の念がこみあげてくる。
裏に繊維でも貼ってある消音の靴があるなら、すぐにも履き替えたかった。
『提案があります』
と、ヘルズエンジェルが言う。
「なんだ」
『敵デーモンは盗電をしていることが疑われており、電撃攻撃は推奨できません』
そんなことは分かっている。
こいつは俺をバカだと思っているのだろうか。
そんなふうに考えると軽く腹が立ってきた。
「……で、おまえの『オススメ』はなんだ」
『衝撃波の使用を推奨します』
槐はかるく鼻を鳴らした。
敵は恐らく、盗電をするからには電気を動力とする何らかのものをモチーフとしたデーモンであり、電気を動力とするからには電子部品やそれに類する構造をもっている可能性が高く、そういうものに不具合を起こさせるなら衝撃波がいちばん手っ取り早い、という発想なのだろう。
しかし、衝撃波はエネルギーの変換効率が悪い。
魔術師の力の源泉は魔力であり、魔力を尋常のつぶてにして撃ち出すのがいちばん効率がいい。
その魔力を衝撃波や熱、電撃に変換すれば、それだけロスが発生する。
槐に言わせれば、わざわざ自分にデバフをかけるようなものだ。
魔力で敵を圧倒している優れた魔術師なら、好きなように戦えばいい。
力任せに派手に敵を蹴散らしたらいい。
けれども、槐は自分の程度をよく弁えているつもりだった。




