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森崎は槐とおなじ年度の生まれだったが、初等部と中等部のときに学業と実技がともに優秀だったために飛び級が認められ、槐より二年先に高等部に進学した。
けれども一年目でれいの致命傷を負って、治療と養生のためにまる一年休学し、翌年復学したが、あいにく進級できなかった。
そうして槐と同級生になった。
戦闘スコアも最大で300を超えるところまで伸ばしたらしいが、現在では槐とほとんど変わらないところまで数字をおとし、高等部編入組や、あまり優秀とはいえない生徒ばかりを集めたD組に分けられていた。
この少女には親がいなかった。
10年ほどまえ、魔法省の調査部が各国の孤児の素質を検査して、めぼしいものをつれてきては魔術院に入学させる、ということをしていて、森崎は、そのときに、日本から連れて来られた。
いぜんは成績優秀者として魔法省から手厚い保障とサポートを受けていたが、訓練中に大けがをして後遺症を抱えてからは、それが打ち切られ、一般の生徒とおなじ扱いになった。
その結果、デーモンに精神を破壊されて自分をネコと自認するようになった、靴下さえちゃんと穿けない元孤児の少女が、大人のまともな庇護もなしに大都会でひとりで生活している、という訳だった。
アースリングの行政支援AIであるサン・ジョヴァイドがなにを考えているのか、槐には分からない。
大きな視点から大都市をこまごま管理しているAIから見れば、大して関心の持てない案件に過ぎなかった、というだけのことかもしれない。
森崎が、槐に連れていかれることを心配していたのは、彼女が槐とおなじ実技のグループに分けられていたからだった。
一般的に、理論科・戦闘科にかかわらず、実技の班は気の合った者どうしで集まって、だいたい5人から10人で編成されることになっていたが、槐の班は槐のほかに小栗アリスとこの森崎ミーシャ、それに淡河雅矩という高等部編入組の男子の四人で構成されていた。
少数の編成になったのはむろんクラスの余りものだったからで、入学してすぐ、担任からなるべく早く班を編成するようクラスに通告があったおり、槐たちはみな単独行動を好むようなところがあって、自分から班に加わろうとしなかった。
ほかから積極的に声をかけられなかった、というのもある。
いずれにせよ、六月ごろになって、担任で魔術理論を教える雨宮幾多郎からそろって職員室に呼び出され、
「戦闘スコア二けたの雑魚どもが、いつまでも一匹狼を気取ってんじゃねえよ。
その四人で班を組め。
いいな」
と一喝され、以後、実技の課題はこのメンバーで取り組むことになった。
雅矩とアリスはいちど組むと決まればまとまって行動することに吝かではなかったが、森崎のほうはそれでも集団行動をいやがった。
なにか人間というものにぬぐいがたい不信感があるのか、それともグループに馴染みたくなくなるようなトラウマでも抱えているのか、槐には分からなかったけれども、森崎がチームに加わらないことで、槐たち三人にとっても、森崎にとっても、有利になるような点は、ひとつもなかった。
実践訓練の教官は、五人から十人のチームで取り組むことを想定して課題を出してくる。
槐たちはそれを三人でこなす訳だから、苦労はあっても、楽なことはなにもなかった。
森崎も元は飛び級のエリートとはいえ、単独でこなすのは決して容易ではないはずだった。
それで、なんとか森崎と親しくなり、チームに迎え入れたい、というのが、槐とアリス、雅矩の共通認識となっていた。
森崎のほうもそれは分かっている。
だから槐を見て、咄嗟に警戒したのだろう。
首のうしろを掴まれて、学校まで引きずって行かれるとでも思ったのかもしれない。
アリスが森崎に上等の煮干しを食べさせたり、槐が折をみて話しかけるなどの努力の甲斐があって、近ごろはようやく普通に会話できるようになったが、森崎はまだ、実践訓練の課題には、ひとりで取り組みたいと思っているようだった。
槐は、その森崎が本棚にまったく関心を示さずすたすた歩いているのを見て、
「本を探しにきたんじゃないのか。
それとも日なたぼっこか。
たしかにここはよく陽が射すからな。
雪の降りだしそうな放課後とか陰気で居れたもんじゃねえけど、晴れた日の朝は悪くねえ」
この少女は、よく学校をさぼって、ビルの低い階に入っている喫茶店や書店の窓から、ほんとうのネコみたいに通りを眺めていた。
まるで、通りをせわしなく行き来する人込みやランド・カーの連なりを見守ることでしか得られない滋味がある、とでも言うように。
「みんなはネコのことをネコとおもってない」
と、森崎はまっすぐに前を見たまま、言った。
「へんな女の子とおもってる。
だからネコはみんなのちかくにいたくない」
「ああ……」
槐は言葉に詰まった。
森崎が人間であることは動かしようのない事実であり、それを前提として、森崎をヘンとは言わないまでも、すこし興味ぶかい、けれどもいくらか可哀そうな女の子と考えていたのは確かだった。
そうして自問した。
俺はこいつが自分をネコだと思っていることについて、ちゃんと尊重してきただろうか。
「ここはひとがいっぱいいる」
と、森崎は言った。
「そうだな」
平日の午前中だけに、人でごった返すというほどではなかったけれども、閑散とした静かなところを好むネコ少女から見れば、これでも十分に「いっぱい」なのだろう。
「ネコがほんだなのうえにあがって丸くなっていると、みんなじろじろみる」
「そりゃ猫だろうと人間だろうと関係ねえって」
と、槐は笑って言った。
「ししょのひとが、こまりますおりてください、と言うから、ネコはほんをよむことにした」
「そういえば、こないだ、喫茶店の窓際で、『吾輩は猫である』を読んでたな。
もう読み終えたのか」
森崎はふるふると首を振る。
「面白くなかった?」
「あれはねこのおはなしじゃなくて、明治のおじさんが自虐を言うためにつくりだした、なぞのいきもののおはなしだ……」
「ようするに、期待していたものとは違ったわけだな……」
森崎は、突然、立ち止まって、
「明治のおじさんが、どうしてあんなものを書いたのか、ずっとかんがえてた」
それから、糠雨の雨粒ていどの、小さな声で、この下に稲妻起こる宵あらん、と、まるで秘密でも打ち明けるように囁いた。
おまえにわかるか、ぶんがくおとこ――試されたような気がした。
「『永日小品』に収録されてる掌編の……」
槐はすぐにピンときて、言った。
「あれ、いいよな。
俺は正直、有名な『夢十夜』よりも好きだわ。
猫の墓、だっけ。
漱石の飼い猫が亡くなって、猫が生前、雷に怯えていたことを思い出し、そういう哀悼の句を詠んで木片に書きつけ、猫を埋めたところに立てた……」
森崎は、そのとおり、というように頷いた。
「へえ、気に入ったのか?
俺はあまり面白い句とは思わないけどな。
わざとなのか照れ隠しなのか知らねえけど、ぶっきらぼうなつくりだし。
そのわりに『あらん』なんて、無駄に仰々しく〆てる。
まあ、『吾輩は猫である』の筆者が、飼い猫の墓碑に、体裁のととのったみごとな句を立てたら、それはそれで面白くないけど……」
森崎は、はたと立ち止まって、槐を見上げた。
「ネコはあれをよんで、かいぬしがほしくなった」
槐はいろを失って、少女の白い顔をじっと見つめた。
クソ、くだらない批評をやった。
森崎にはものごころがついた時から親がいなかった。
アースリングと魔法省の利益のためにこの街へ連れて来られ、後遺症を抱えてだめになった瞬間に、事実上、見捨てられた。
そうして自分をネコと自認するようになった。
その森崎が、「かいぬし」を欲しがっている。
怖かったり寂しかったりする気持ちを推し量ってくれて、死んだあとも思い出してくれるような存在が欲しい。
森崎はそういうことを言っているのだろう。
「……戻ってこいよ、森崎」
と、槐は言った。
「人間として生きるのだって、そんなに捨てたもんじゃねえぞ」
それから忽然と後悔の気持ちがこみあげてきた。
本当にそうだろうか。
明治・大正の文学者たちが描く人間とその社会は「真実」を強調するためにややデフォルメされている。
そもそも小説とはそういうものだ。
けれども、現実はそんなに分かりやすいものじゃない。
おまえは新松戸とアースリングでなにを見てきた。
ひどく青臭くて、無責任なことを言ってしまったという、猛烈な羞恥心に胸を覆われた。
森崎は、なにも言わなかった。
それからネコを自認する少女は、本棚から長くつ下のピッピをとった。
槐はその近くにあったかいけつゾロリを、なにかみじめな失敗でもとりつくろうような気持でひっぱりだした。
日当たりのいいテーブル席に、間をふたつあけて座り、ふたりは本を読み始めた。
そうして十数ページほど読んで、ふと顔をあげると、森崎のすがたは消えていた。
かわりに、ノートのきれはしが置いてあった。
取ってみると、
「こないだの、いぶきいりこ、おいしかった。
ありがとうって、アリスにつたえてね」
すこし考えて、ああ、高級品の煮干しのことか、と思い至り、槐はすこしホッとしながら、その紙をたたんで内ポケットに仕舞った。
第四章ここまで。おつかれさまでした。
以下は本編とはまったく無関係の話で、お読みになるには及びません。
そろそろ風呂敷を畳んでいくことを考えて書かねばならず、つぎに書くことが決まるまで少々時間がかかる状況になってきました。これに伴い、どうしても更新間隔がひらかざるを得ず、(もし更新を待ってくれている人がいるとすればですが)心苦しく思っています。
自分もこのつぎいつ更新できるとお約束できる状況にないので、思い出したころにまた覗いていただけるとありがたいです。なんとか収拾がついたと言えるところまでは書きたいと考えています。
次でようやく学校です・・・!
学園モノを自称しているのに学校につくまで六万文字超もかけてしまった・・・!




