016
「だからいいって」
と、槐は笑って言った。
話題を変えるいいタイミングだと思い、
「そういえば、副業のほうは順調なの?」
アリスは彼氏ができたこともないくせに、週に一二度、夜の繁華街にキャンプ用の小さな椅子とテーブルを運んでいって、学園祭の出しものみたいな安物のヴェールをかぶり、占いの看板を出して、男と女の酸いも甘いも知り尽くした水商売のお姉さま方の恋愛相談に乗り、荒稼ぎしていた。
ボルテクス・スフィアを利用して狭間の異世界を覗き、そこで見て取ったことをもったい付けて言うと、
「どうして分かるんですか!?」
と、ひどく驚かれるらしい。
すぐにアリスの助言どおりにすると恋愛でも仕事でもなんでもうまくいくという口コミがひろまり、いまでは平坂区六番街のサラスヴァティなどという大層な二つ名で呼ばれ、行列ができる晩もあるという。
そのうち地場の同業者たちから眼をつけられ、任侠の筋の人に事務所に連れていかれたこともあるそうだが、若頭という人を占って地元に残してきたお母さんが苦しんでると教えてやったら、若頭は思い当たることがあったらしく、すぐにその場で電話をかけ、さんざん苦労をかけた母親がまさにステージ二の肝臓がんを患っていて(幸い、手術の二か月後に主治医から緩解が宣言されたが、これもアリスの占断のとおりだった)、けれども息子に負担をかけたがらず、黙っていたことが明らかになり、眼をまっかにして感謝され、以来、その筋のひとたちからも「先生」などと呼ばれて下にも置かない扱いをされるようになってしまったという。
魔術院高等部は、生徒のアルバイトや副業を認めていたが、直近の定期テストで赤点を取っていないことと、科目ごとの出席状況が規定を超えていることが条件だった。
アリスはなんとかその条件を満たしていたが、槐はあいにく、英語で赤を食らっていたため、アルバイトの許可が得られなかった。
そういう槐の眼から見ると、アリスの旺盛な生活力はある意味、尊敬の的だった。
「なにアンタ、相変わらずカツカツの生活してんの?」
と、アリスは同情とも嘲笑ともつかない、なんともいえない目つきで槐を見つめ、
「槐って地頭はよさそうだしなんでも器用にこなすけどさ、生き方の要領とかめっちゃ悪いタイプだもんね。
財運のないヤツの典型だから、それ」
「言うことが板についてきたな」
処女のくせにキャバ嬢やクラブのママを相手に恋愛指南するお子ちゃま占い師が偉そうに、と脳内で口汚くやりかえして、
「なあ、俺の学業運と金運を見てくれよ。
どうすりゃ生活が上向くんだ」
「つぎの期末で英語の赤点を回避すること!」
アリスはびしっと指をたてる。
「そんなの占うまでもないでしょ。
頑張りなよ、勉強」
「英語は嫌いなんだよ」
と、槐は言った。
「単語帳とか持ち歩くようになったら負けだと思ってる」
「また始まった。
損にしかならない、こじらせ男子の意味わかんないこだわり。
でもそれがアンタだもんね。
諦めて貧乏学生してれば?」
「冷てえな……」
槐は、言葉とは裏腹に、さすが、小娘の分際で平坂に行列をつくるだけのことはある、と感心した。
カネがあればいいのに、とは考えるけれど、カネを儲けたいとはこれっぽっちも思っていない。
それを見透かされたような気がした。
「でもさぁ」
と、アリスは鞄の紐を肩にかけなおして、
「あたし、正直言うとね、もう占い師やめたいと思ってるんだよね。
だって、精神的にキツいんだもん。
常連さんが待っててくれてるからと思ってがんばって行くんだけどさ、幸せな人はあたしが占わなくてもぜんぜん幸せで、ツイてない人はどうしてもツイてないわけ。
楽しく生きている人に幸せな未来を告げてお金をもらうのはすごく楽しいんだけど、DVされてるとか、メンタルを病んでるとか、重い病気にかかってるとか、ホストとかクスリとかですごい借金を作っちゃったとか、現在進行形でキツい思いをしてる人もいて、でね、そういう人にかぎって、キツい未来が待っていたりするの。
それで、そういう人からお金を貰うのって、すごく申し訳ない、っていうかさ。
だって……なにもしてあげられないんだもん」
槐はなんとなく、その不幸な女たちのことを想像した。
ひどく動揺した顔をして、当たると評判の占い師からなんとか希望になる言葉を引きだそうとして、すがるようにアリスを見つめている。
アリスはお調子者だが、嘘がさらりと吐けるタイプではない。
テーブルのカードの並びから、なんとか希望の欠片を拾い上げようとして、けれど、なかなかできないでいる。
この同級生の途方に暮れた顔が、眼に浮かぶようだった。
「そりゃ、つらいな」
アリスはすこし微笑んで首をかしげ、
「アンタってわりと人の話をちゃんと聞いてくれるよね」
そりゃ本読みの作家志望だから、と内心で呟き、
「まあな」
とだけ言った。
「それにね、たまにだけど……すっごいヤバいのが出ちゃうときがあるの。
あたし、もうどうしたらいいか分かんなくなっちゃって」
「ヤバいのって」
「タロットカードだよ」
槐は占いのことはよく分からなかったけれど、
「たとえば、死神とか悪魔とか?」
「あと、塔とか剣の10とか、ね」
と、アリスは目もとを曇らせながら言った。
「もちろん死神が出たから死ぬとか、悪魔が出たから不幸がやってくるとか、タロットってそんな単純なものじゃないんだけど、いろいろな前振りがあって、そういう不吉なカードがあらわれて寒気を感じたりするときって、ほんとうにヤバかったりするの。
……お金なんかいらないから、いますぐうちに帰って、数日は外出しないで、なにかあったらすぐに警察に電話できるようにしておいて、ってアドバイスしても、そういうのが出ちゃう人にかぎってぜんぜん聞いてくれない。
仕事が休めないから、用事があるから、って。
それで……音信不通になっちゃって、二週間とか三週間とか経ってから、風の噂で聞いたりするの。
あの子、犯罪組織に売られて内臓を取られちゃった、とか、へんなショーに出演させられて殺されちゃった、とか」
「マジかよ……」
もちろん懐疑的に考えれば、話がいくらか大きくなっている気がしない訳ではない。このAI管理社会で、なんにせよ組織的な犯罪をやり通すことは難しかった。
行政支援AIが行政に恣意的に介入をすることはあっても、明らかに悪質性のたかい犯罪を放置するとは考えにくく、また、そういう噂をときおり耳にすることはあるにしても、新聞やTVなどのある程度信頼できるメディアによって報じられたことはほとんどなかったので、噂をそのまま受け止めるのは、ちょっと行き過ぎている、という他なかった。
ただ、行政支援AIが都市のさまざまな問題に介入しているのは槐も身をもって経験してきた事実であり、そこに埋めることのできない疑惑の空白地帯が広がっているのも確かだった。
つまり、裏でなにをしているか分からない。
もちろん、行政AIがそんなことを容認しているとして、納得のいく動機を提示することは難しかったけれども、AIの黙認や隠蔽のもと、弱った夜の蝶が貪り食われるような、なんらかの凶事が起こっている可能性は、ゼロではなかった。
そして、槐の魔術師としての直感も、
(この話は根も葉もないただの噂ではない……)
と、告げていた。
噂の真偽について思慮をめぐらせていたせいで、アリスが脚をとめたことに気づいたのは、数歩の差がついてからだった。
「どうした、靴紐でも解けたか?」
振りかえると、アリスが横顔を凍り付かせていた。
視線を追うと、洒落た商業ビルのカーブを占める大きな街頭ビジョンにあたった。
『……昨日昼ごろ、平坂区の青葉公園で、一斗缶に詰められた女性のバラバラ死体が発見された事件について、速報が入りましたので、番組を中断してお知らせしています』
スーツの男が、原稿を読み上げている。
『繰り返しお伝えしておりますように、昨夜遅く、現場ちかくで、おとり捜査中の女性捜査官に襲い掛かって現行犯逮捕された男が、犯行を自供した模様です。
男は職業不詳、渋谷健二、23歳で、警察は余罪があるとみて追及を続けています。……』
画面が切りかわり、渋谷という容疑者の近影が映る。
髪の長い、目の落ちくぼんだ、痩せた男だった。
首に青黒く見えているのはタトゥーかもしれない。
「へえ、そんな事件があったのか」
「あたし、コイツ知ってるかも……名前も一緒だ……」




