015
地下鉄を降りて改札口を過ぎ、新安曇野駅の駅前広場に出ると、勤めの大人や学生たちでごった返していた。
葉を落とした街路樹の枝を透かして朝日が差し、それが人込みのうえに縞模様を描いていた。
高等部の槐とおなじコートと制服をまとい、ランドセルを背負った、小学生の五六人のグループが、その人込みを縫うように走っていく。
男の子が石畳に派手に転げるが、めげずに立ち上がって友達をおいかけていく。尻が派手に濡れている。
かれは今日いちにち、それをネタに散々弄られるだろう。
いや、槐の聞いている限り、魔術院の初等部には勉強のできる子供しかいないというから、そんなくだらないことで盛り上がったりはしないのかもしれない。
新安曇野区のメインストリートである灯篭通りは通称・魔術街とも呼ばれ、魔術関係の官公庁や学校、企業の社屋ビルや研究施設、リラクゼーションや精神鍛錬のためのフィットネス・クラブが並び、勤め人や学生むけの大型書店や洒落たカフェも多い。
裏通りに入れば、ファーストフードやファミレス、蕎麦屋や食堂の店舗に交じって、古いサイバーパンクの映画に出てきそうな、怪しげなジャンク・ショップや魔術用端末の修理とカスタマイズを請け負う店などが軒をつらねる。
加えて、錆びた配管やごみごみした室外機、オイルの浮いた水溜まり、統一感のない多国籍のネオンサインなどがあれば雰囲気的に言うことはないが、そういうものははるか昔に現実世界から駆逐されてしまっていた。
槐はこの独特の活気をもった街並みを文章に起こすことを考えるたびに、それを惜しく思った。
サッチェル・バッグを脇をはさんで手をロング・コートのポケットに突っ込み、そうだ、手袋を買わなきゃな、やっぱ高校生にもなったら革だよな、まてよ革だと冷え切った金属とか触ったら張り付くんじゃねーか、などと考えていると、突然、
「おっはよぉおお!」
と、呼びかけられた。
振りかえるより先に、そのうるさい声でわかった。
おなじクラスの小栗アリスに違いない。
アリスは仲のいい相手なら誰彼かまわずすぐに肩によりかかる。
槐は身の危険を感じて、とっさに右肩をひいた。
案の定、後ろからもたれかろうとしたアリスはのめって派手に転びかける。
「あっぶないじゃん。
なにすんの」
「こっちの台詞だよ」
と、槐は言い、肩を指さして、
「怪我してんだ、今日は勘弁してくれ」
「マジ? だいじょぶ?」
「いや、大したことはねえけどな」
アリスはピンク・ゴールドに近い色の金髪をたいていストレートにしているが、今日は真珠の耳飾りの少女みたいに水色のヘア・バンドで留めていた。
たぶん寝癖をごまかしているのだろう。
この少女は、お洒落なのかズボラなのか、イマイチよくわからないところがある。
槐とおなじ高等部からの編入組で、実技の班分けでも一緒だった。
中学まではバスケに打ち込んでいたらしく、女子にしては背が高かった。
スタイルもよく、学校指定のロング・コートをまとった後ろ姿はなかなか様になっていた。
アクセサリーやキーホルダーなどの小物は完全にギャル趣味で、この気候にめげずブラウスの第二ボタンまでひらいてクロスのネックレスをかけていたが、その割に、短く切った爪にはほとんど色をいれていない。
かわりに薬指にボルテクス・スフィアの赤い指輪をしている。
目鼻立ちははっきりしていて唇も赤々とした洋風の美人だったけれど、白い頬にはそばかすが散り、どことなく部活女子の名残があった。
冷え込みが厳しくてもブラウスのボタンはけっして妥協しない一方、吹雪く日にはこっそり毛糸のショートパンツを穿いてくることを、槐はひそかに知っていた。
スパッツやレギンスより毛糸のパンツを選ぶこの独特の感覚をもった少女が、槐はどうも嫌いになれなかった。
そのかわり、女として見る気にもなれなかったが。
けれども、それはお互いさまだろう。
「そうそう!」
と、アリスはやけに明るい声で言った。
並んで歩きだす。
「あたし、めちゃくちゃ面白いものを見つけちゃったんだけど。
ね、なんだと思う?」
「知らねえよ。
なに?」
「アンタの小学校んときの写真。
ほら、地元が新松戸のレジデンシャル・コンプレックスだって言ってたでしょ。
スフィアに検索させたらアンタの出身校があっさり見つかってさ」
槐は顔をしかめた。
「で、学校のサーバーに侵入したのか」
「侵入もなにも、あのセキュリティじゃそもそも情報を守る気なんてないでしょ」
そりゃおまえの解釈であって法的にはどうか知らんけど、と槐は思ったけれど、指摘したところで毛の先ほどの意味もないだろう。
かるく首を振るだけにして、黙っていた。
「学校が内輪むけに公開してる動画や画像をちょっと覗いただけだって」
と、アリスは軽い調子で言い、空間に並べた画像ファイルをスワイプするように手を動かし、目当ての画像を拡大させて、
「っていうかさ、なにコレ!」
と、けらけら笑いだす。
「ほっぺたとかあごとかポヨポヨしすぎて、顔が真ん中に集まっちゃってるじゃん」
アリスのスフィア「コパ・カバーナ」から共有を求める知らせが入った。
槐はそれに黙許を与える。
すると目のまえにウィンドウがひらき、四年生ごろのものと思われる自分の写真があらわれた。
半ズボンのぽっちゃり系男児が、黒い畑に突っ立って、不機嫌そうにこっちを見ている。
手には小ぶりのスコップを持っていた。
「ああ、たぶん芋ほり大会のときの、だな」
「集合写真で名前を確かめて、ビックリしちゃった。
アンタ小学校のころは太ってたんだね」
「だからなんだよ」
槐はその面白くもなんともない画像をスワイプして消し、
「というかおまえ、男子小学生の容姿イジリとか、人として最低だな」
「これ、何度見ても、ちょーウケるんだけど!
ヤダ、かわいすぎる!
アンタ、ほんと、痩せて良かったね」
アリスは手をたたいて笑っている。
「うるせえ、大きなお世話だ」
けれども、ここまで露骨に大笑いされると、かえって腹も立たない。
むしろ、小学生の頃は邪険にしてきたクラスの女子たちが、中学にあがって背が伸びた途端に手のひらを返して親しくしてきたことのほうが、イヤな思い出として残っていた。
あの女子たちは、槐の容姿について、目のまえでは一言も触れなかったけれど、また肥満体になったら、てのひらを返すに決まっていた。
しかし、アリスはたぶんこの人を小ばかにした態度を、表でも裏でも、ずっと変えないだろう。
真珠の耳飾りの少女もどきは楽しくてしょうがないというように、
「槐ってさ、いつもキリッとした顔して、カッコつけてポケットに手とか突っ込んでるけど、小学生のときはこんなだったなんてね」
槐はサッと制服のポケットから手を出して、
「べ、べつに普通だろ?」
と、言った。
「もうやめようぜ、その話は」
「ねえ、こっちの人はお母さん?」
と、アリスはふたたびスフィア経由でファイルの共有を求めてきた。
開くと、ベージュのエプロンをかけた生物学上の母と、当時の槐が、ならんで畑にしゃがみ、さつまいもを掘っている動画だった。
「ああ……」
「美人すぎてマジびびった。
よそのお母さんとは全然オーラが違うし」
槐は面倒くさくなり、
「それ、隣のクラスの先生だよ」
と、嘘をついてやった。
「あたしがそれくらいチェックしてないと思う?
あ、でもお母さんがこれだけキレイだと息子としてはちょっと照れくさいかも。
……ねえ、この人、ほぼすっぴんでしょ」
「いまはもう赤の他人だけどな」
槐は×印をタップして動画を消した。
「あっ……そうだったんだ」
アリスはすぐに事情を察したらしい。
そいつ、親父と俺を捨てて、いまはよその男と暮らしてるよ、と喉まで出かかったけれど、言ったところで気が晴れる訳でもない。
軽く息をついてから、隣でアリスが地雷を踏んじゃったという顔をしているのに気づいて、
「知らなかったんだろ、気にするなよ」
「ゴメン、ちょっと調子に乗りすぎた……」




