011
パブの前に、車高のひくいリムジンが停まっていた。
今時めずらしいガソリン車で、マフラーから特有の匂いのする白い煙を吐き出していた。
テールランプの赤みがやけに毒々しい。
窓はフル・スモークになっていて中は見えない。
どのみち、こんな狭い路地にビンテージのリムジンを乗り入れてくるようなのはロクなヤツではないだろう。
オーナーは元退役軍人だけあって友人にはヤンチャなオヤジが多かったが、槐の知るかぎり、近所に迷惑をかけるタイプのバカはいなかった。
身体を横にして、脇をすりぬけながら、小声で、
「狭ぇンだよ、クソが……」
と呟く。
それを聞き取った訳でもないだろうが、突如としてパワーウィンドウがおりて、入れ墨と金のブレスレッドをつけた手がのび、火のついたままのたばこを雪のうえにぽとりと落とした。
ちょうど、それが槐のブーツのすぐ傍だった。
コイツを狭間の異世界に引きずり込んで、なぶり殺しにしてやろうか。
これでも魔術院の戦闘科の生徒だ。
やろうと思えばできなくはなかった。
そのかわり、自分の人生も終わってしまうが。
槐は運転席を鋭く一瞥し、それから黙って裏口のそばの階段をあがった。
上からカンカンと甲高い音がする。
顔をあげると、ヒールの高い黒革のブーツが眼に入り、それから光沢のあるピンクの小さな布地が見えた。
いくらか混乱したあと、それは、濃紺のワンピースの丈が短すぎるせいでわずかに露出したものだとわかった。
毛皮のロング・コートをまとい、派手な化粧をした、スタイルのいい美少女が、そこに立っていた。
それが希だと気づくのに、すこし時間がかかった。
希の顔は、寒さのためか、いくらかこわばっていた。
長いつけまつげと、青みを帯びたカラコンの瞳が、揺れている。
厚めに塗った口紅は血のように赤かった。
彼女は鏡台にむかって、「君の瞳に恋してる」を口ずさみながら、こんな化粧をしていた、ということなのだろう。
槐の胸に、なんとも表現しようのない冷めた失望が広がった。
「めっちゃ、似合ってますね」
気持ちとは裏腹に微笑がこぼれた。
「下のリムジンはおむかえですか?」
「あ……うん」
希はとっさの言い訳が思いつかない、というように、視線を彷徨わせていた。
「今日は、すごく大切な用事があって。
……あのね。
わたし、普段からこういう恰好をしてる訳じゃないんだよ」
「はいはい。
下のカレ、待たせちゃ悪いですよ」
「違う違う!
そういうんじゃなくて……」
強めの風が吹いた。
希の黒髪がながれて、耳元が露わになり、イヤリング式のボルテクス・スフィアが水色の淡い光を放った。
槐はかるく、首をかしげる。
普段は青い光を放つヘッジホッグを付けていたはずだ。
もし別のスフィアに変えたのだとすれば、希は複数のスフィアを所持していることになる。
実用に耐えるスフィアはいずれも高価なもので、魔術院の生徒にはめずらしいことだった。
けれども、わざわざ足止めをして尋ねるほどのことでもない。
「すいません、ストーブを付けっぱなしにして来てるモンで……」
と、袋をもちあげて三階の方を指さす。
「じゃ、また」
「………」
槐は部屋に戻ると、冷凍食品を冷凍庫にしまいながら、
「俺にはオンナとか必要ねえから……だいいち、ガラじゃねえし」
と、おどけた声で呟いた。
けれどもホテル街で用もなくぶらぶらしてる女みたいな姿に豹変した希が、父親を見捨てて出ていった生物学上の母と重なろうとするのは、どうしようもなかった。
その一方で、槐は、なにか悪い夢から覚めたような気分でもあった。
仮想現実のゲームでも、魔術の戦闘でも、ありのままを見ることが、自分の身を守るために必要だった。
希は魔術院の優等生で、にぎわうパブの厨房で眼鏡をくもらせながら手際よく料理をつくる一方、夜中になると派手な化粧をしてパンツの見えるワンピースをまとい、入れ墨をした男の運転するリムジンに乗る。
それだけの話だった。
その晩、槐はぐっすりと眠った。
第二章、おわりです。おつかれさまでした。




