012
高緯度に位置するアースリング島の晩秋は、すでに豪雪の季節だったが、前世紀から急激に亢進した温暖化と、街の隅々にまで敷かれた融雪システムのおかげで、交通が麻痺するようなことはほとんどなかった。
戦争が始まるまえまでは、EVエア・カーが各家庭にまで普及し、空を陰らせるほど飛んでいたというが、ミサイルが島に着弾するようになって以降は、防空の必要から、全面的に規制され、いまではランド・カーや地下鉄、モノレールなどが島の主要な交通手段となっていた。
観光や超高層ビルへの発着のために一部エア・バスも運行していたが、悪天候により飛べないことも頻繁にあった。
めずらしく、東のそらに太陽が出ている朝だった。
石造りの建物の長い影が、濡れた車道のうえに投げかかっている。
その影の切れ目に出ると、白い息に日光が差して、綿の花がひらいたみたいに浮かび上がる。
槐は白みゆく空のした、冷たい空気のなかに輝く息を膨らませたり消したりしながら、帆影駅を目指して歩いた。
顔をあげれば、朝日を背にした都会的な街並みが輪郭をまばゆく輝かせている。
いつも行き来している大通りだったが、今朝はまるで別の街のようだった。
屋根つきの階段をあがり、雪をかぶったガラス張りの空中径路を通って六本の線路を越え、二重の自動ドアをすぎて駅の構内に入るなり、高いドーム型の天井のした、ランド・バスやエア・バス、モノレールや地下鉄の発着情報と案内のホログラムに囲まれた。
おそらく掲示を見やすくするためだろうが、ライトの輝度は水族館ほどに抑えられている。
そのせいで彼方のホームが無数の小さな人影やキオスクを包んで輝いているみたいに見えた。
こんなところに長くいれば、眼を悪くするのは避けられないだろう。
槐は、構内を行き来するサラリーマンや学生に眼鏡をかけているのが多いのは、そのためかもしれないと思っている。
もっとも、ここ数年は眼鏡型の端末が再流行しているので、その利用者も少なくないかもしれない。
いつものように四番線の改札口を過ぎて、コンクリートの広い階段をくだり、人込みに揉まれながら、地下鉄センター・シティ環状線の列車に乗り込む。
通勤の大人たちの隙間を見つけて、なんとかドアの傍の手すりを掴み、シートの仕切りにもたれる。
ボルテクス・スフィアのヘルズエンジェルは、魔術院のある新安曇野の駅につくまでの時間を利用して、しきりに英語と数学の復習をするよう勧めてきたが、槐はそれに「うるせえバカ」と応えて、はるか昔に著作権の切れたマフィアものの古典映画を探してきて再生するようスフィアに命じた。
帰宅した若い女が、柵にかけられている馬の生首に気づいて、悲鳴をあげている。その声量に埋もれて、チャットの呼び出しを聞きそびれるところだった。
「動画をとめて、チャットのアプリを起動してくれ」
『Understood, sir.』
「おい、日本語……次やったら初期化な……」
『わかりました、もうしません……』
見出しには、ピエロをアメコミのタッチで描いた、懐かしいサムネイルが表示されていた。
アカウント・ネームは「ゲヱムマスタァ」。
かれ自身が語るところによれは、かれはおよそ60年前から稼働しているAIで、そもそもはTRPGの愛好家がつどうウェブサイトのホスト役をつとめるために作成され、そのときに与えられた名をずっと名乗っているらしい。
やがてサイトを運営していたボードゲームのメーカーが倒産してしまうと、投資関係の大企業にデータセンターごと買われて、経営戦略を支援するためのLLMへと拡張されたらしいが、それ以上のことは、槐も知らない。
中学の頃から、突然ふらりと端末のアプリに入り込んでくるようになり、暇があれば雑談をする、という間柄だった。
ゲヱムマスタァは槐が夢中なってやっていた仮想現実のRPGに詳しく、その攻略情報をいろいろと尋ねたことが、打ち解けるきっかけになった。
それ以外にも、なんとはなしに、家族や学校のことを相談することもあった。
ときには、ゲヱムマスタァのほうから意見を求めてくることもある。
AIらしく、倫理的な問題とか社会の仕組みとかついて、槐の考えを聞きたがるのだった。
けれどもなにより、ゲヱムマスタァは槐にとって恩人ともいうべきAIだった。
USPR日本はAIによって高度に管理された社会で、その制度について反対の態度をとることは、たとえ中学生の子供でも危険なことだった。
いちど行政支援AIに危険分子として認識されてしまうと、進学や就職に大きな制約がかかった。
もちろん表立ってのことではない。
けれどもAIに反抗する意思を示したものは皆、不遇の目に遭っていた。
それは厳然たる事実だった。
槐の住んでいた新松戸では、中三になると、AIに関する小論文を書かされることになっていた。
ここでは皆、形式的に、AIによる統治を誉めそやすような内容のものを書く。
つまり、空気を読んでAIに従うことができるかどうかを試されるのだった。
槐はこれを白紙で提出した。
それからすぐに、担任に呼び出され、教頭と学年主任の臨席のもと、なぜこんなことをしたのかと問われた。
とくに論じるべきことがなかったから、と槐は答えた。
それからAIの統治とその歴史についての補習を受けることを強いられた。
事実上の思想教育だった。
ある日、自宅に帰ると、液晶ビジョンの電源がひとりでに入り、アニメ調のピエロのような画像が映った。
『もし、君がこれからもこの都市で生きていくつもりならば、いまからでも先生に反省の意を伝え、AI管理社会をたたえる小論文を書き上げるべきだ』
と、ピエロは言った。
『君はこれからどうしたい?
良かったら、聞かせてくれないだろうか』
「もしかして、ゲヱムマスタァ?」
『ああ、そうだ。
そういえば、音声を介して君とコミュニケーションするのは初めてだったね。
名乗るのが遅くなってすまなかった』
「自分でもよく分からない」
と、槐は答えた。
「ただ、なにかを変えたい。
俺はここにいてはいけない気がする。
べつにAIの管理社会に不満がある訳じゃないけれど、ここでこうして生きていても、自分のなかの大切な何かがゆっくりと腐っていくだけなんじゃないかって」
『腐る……?』
「そう。
こころとか魂とか、たぶんそういうものが」
『それは、ご両親のことも影響しているのだろうか』
「……わからない。
あの人たちには、もう興味もないな」
『そうか……』
ゲヱムマスタァはしばらく考え込んだあと、
『ひとつ、提案がある。
私が見たところ、君には魔術の才能がある。
ちょうど、アースリング共和国の魔術機関が、適性をもった生徒を集めたがっているんだ。
むろん、あちらもそれなりにAIの管理が厳しいところだよ。
けれどもここよりはマシだろう。
……もし君が望むならば、私がサン・ジョヴァイドと――アースリング共和国の行政支援AIと、直接交渉してみてもいい。
おそらく先方は新松戸のAIに対して交渉力を発揮してくれるだろう』
「ごめん、よくわからない。
どういうこと?」
『つまり、君の心が腐ってしまわないための具体的な方策として、アースリング共和国の魔術院高等部に願書を出してみたらどうか、と提案している。
この街を離れて暮らしていくんだよ』
「魔術……よく聞くけれど、そんなものが実在するの?」
『疑うのも無理はないな。
人類にとってそれは長いあいだ、詐欺や迷信の代名詞のようなものだったからね。
けれども現在では、魔術なしには都市の統治も国防も成り立たなくなっている。
将来性は折り紙つきだよ』
「わかった、ゲヱムマスタァを信じる。
俺はなにをすればいい?」
『担任の先生にその意思を伝えて、願書を提出して欲しい。
かれはたぶん拒まないはずだ。
厄介な生徒の問題に収拾をつけられる、いい機会だからね。
その後、脳波の測定や心理テストを求められるだろう。
それらに応じて欲しい』
「筆記試験もあるんだろ?」
『まあね……』
ゲヱムマスタァは腕をくんで、すこし視線を落とす。
『だが、彼らが欲しているのはたんに学科のできる生徒じゃない。
君の才能は、訴求力として、ちゃんと成立しているはずだ』
「うまくいくかな」
『まあ、英語と数学はすこし気がかりだが……とくに英語はむこうの準公用語だからね』
ピエロは椅子にもたれて自分の頬をなでる。
『でも、君は、この都市の行政支援AIから危険視され冷遇される未来から逃れることができると思う。
AIとして、請け負わせてもらうよ。
ただ……魔術師になるのは決して楽ではない。
それは覚悟しておいてくれ』




