第57話:……
「未来の欠片……使えるな」
凪の身体が強張る。
張り詰めた沈黙。
小さく震える全身で凪が口を開く。
「りこに……何をした」
心は動かない。
だが、身体が表現しようと震えは大きくなる。
「りこというのは、あれの名前か」
「……答えろ」
凪の周囲から赤い風が吹き出す。
「そうか、この記憶はあれの断片なのか」
思い出しているのか、目は虚ろ。
「記憶の断片は、能力の反動」
ネームドは静かに言った。
「だから“未来の欠片”は扱いが難しい。特に、それが誰かにとって“重要な存在”であればあるほど」
凪の指先がわずかに軋む。
地面に落ちた影が、赤く滲んでいく。
「……りこに、何した」
声は低い。
だが、そこには温度がなかった。
代わりに、圧があった。
空気そのものを押し潰すような、静かな圧力。
「私は何もしていない」
男はわずかに首を傾げる。
「ただ、未来の欠片を注入されただけ」
その瞬間。
凪の中で、何かが“切り替わる音”がした。
赤い風が、形を持ち始める。
「……注入」
凪は一歩、前に出る。
その一歩で、地面がひび割れた。
「だったら――返してもらう」
その言葉が落ちた瞬間、空気の密度が一段階変わった。
ネームドの男は、ほんのわずかに目を細める。
「返す? それは成立しない要求だ」
淡々とした声だった。
まるで会話ではなく、既に終わった計算式の確認のように。
「未来の欠片は、既に私と“適合”している。外すことはできない」
「……」
凪の声が低く沈む。
その反響に呼応するように、赤い風がさらに濃くなる。
風ではない。
それはもはや、輪郭を持った“現象”だった。
男は一歩も動かない。
だが、周囲の空間がわずかに歪む。
「私は、未来の欠片に触れたことで“可能性”を得た。だが同時に、それを固定された」
「固定……?」
凪の指が微かに震える。
その震えは怒りではない。
もっと深いところから浮かび上がる、理解への拒絶だった。
「予知だ。私の予知は、お前の未来を見る」
ネームドの視線が、凪の奥を覗くように動く。
「あれはもう、“未来”を持てない」
一瞬、静寂。
そして――
凪の中で何かが弾けた。
地面が爆ぜる。
赤い線が蜘蛛の巣のように広がり、空間そのものにひびが入る。
「……――」
声は出なかった。
静かすぎて、逆に現実味がない。
「それで“救い”のつもりか」
次の瞬間。
凪の姿が消えた。
いや、違う。
“移動”ではない。
空間ごと、押し潰されていた。
ネームドの目の前に、凪が現れる。
拳が振り上げられる。
ただの殴打ではない。
それは赤い風そのものが収束した一点だった。
「返せ」
短い言葉。
それだけで、空間が悲鳴を上げるように歪んだ。
拳が振り下ろされる。
地面が割れて、陥没した。
だが、ネームドの身体は青い水となり、崩れる。
「未来が見えると言っただろ」
声がしたのは後ろから。
そこには何事もなかったようにネームドが立っていた。




