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サイレントダーク:ダンジョンは壊れた夜に舞い降りる――壊れたのは、世界か、私か  作者: くろのわーる


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第52話:記憶の欠片



「うるさい」


 膝をついていた凪がゆらりと、立ち上がる。


 その表情は一段と抜け落ちていた。


 妹は笑う。


「あは、何を捨てたの」


 かつて、自分もそうだったから気付ける変化。


「ねえ、教えてよ」


 失った感情、欠落した記憶。


「……何を、捨てた?」


 呼び方すら忘れた感情で問う。


 でも、凪は何も答えない。


「そう……誰も教えてくれない」


 自分が何者なのかさえ、もう曖昧だ。


 目の前にアスファルトを抉りながら、赤い風が迫る。


 だが、避けなかった。


 全身に走る"痛み"。


 ――それを、知っている。


 久しぶりに感じた感情だった。


 呼び起こされる記憶の残骸。


 白い部屋。


 どこ?


 19番。


 名前?


 誰かの泣き声。


 誰?


 隣にいるのは……。


 お兄ちゃん?


「俺の妹を、傷つけるな!」


 割れた記憶の奥で、声が響く。


 アスファルトに倒れながら、誰かが叫んでいるのが聞こえる。


 “妹”――その単語だけが、やけに重い。


 さっきまでの機械的な動きではなく、直情的な動き。


「うるさい」


 凪が兄に向けて、力を放つ。


 ――音が、消える。


 理由も、感情も、そこにはなかった。


 吹き飛ばされる兄。


 とどめを刺そうと、凪の腕が再び上げられる。


「――凪」


 紗夜の静止。


 だが、呼んだはずの名前に、妹が反応する。


 横に倒れる兄に目を向ける。


 頭の奥で、何かが軋む。


 白い部屋。


 番号。


 19番。


 泣き声。


 泣いているのは――私。


 何?この記憶……。


「凪、お兄ちゃんがついてるからな」


 顔だけがぼやけてる。


 蘇る残骸。


悠兄ゆうにい……」


 勝手に口から溢れた言葉。


 伸びかけた手が、止まる。


 目の前にいるのは――誰。


 “お兄ちゃん”?


 違う。


 違う、はずだ。


 頭の奥で、さっきの声がまだ残っている。


「俺が……守るから、"凪"」


 隣から聞こえた。


 守る?


 凪って、誰。


 何から。


 私に伸ばされる手。


 分からない。


 分からないから――


 私の伸ばしかけた腕が、振り下ろされる。


 何かが潰れる音。


 視界の端で、血が跳ねた。


 伸ばされた手が力なく落ちる。


 手と手が重なった。


 ――近い。


 近すぎる距離に、顔があった。


 見覚えのある、顔。


「……ゆう、にい」


 名前を呼んだ瞬間、それが誰なのか、理解した。


 だが、次の瞬間には、もう分からなくなっていた。


 手の温もりが消えていく。


 頭の中でカチリと、何かが嵌った。


「――――」


 ゆらりと立ち上がる。


「兄妹、だったんじゃ……」


 息を呑むような音。


「――――」


「……」


 動くものが二つ、視界にいる。


 一つは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


 もう一つは、動かないまま、呼吸だけが残っている。


「――――」


「…………」


 惹かれるように青い水と赤い風がぶつかり合った。

 


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