第49話:続、兄妹
山道のカーブが、急激に深くなる。
ガードレールの向こうは――崖だ。
「……っ!」
紗夜がラインを読む。
だが、その一瞬。
兄のバイクが、わずかに“外側”へ寄った。
あり得ない選択。
速度は落ちていない。
それなのに――
「来る!」
凪の声。
直後。
兄のバイクが、空中を“踏んだ”。
前輪が浮き上がり、タイヤから迸る水飛沫。
妹がその能力で水の道を作り出していた。
「私たちこそ!完成形!」
そのまま――跳んだ。
「は……!?」
空中。
崖の外側へ。
だが落ちない。
バイクごと、空中を“走る”。
重力を無視した軌道。
そのまま、前方へ。
そして――
「上……!」
紗夜が見上げる。
月を背に兄の影が、降ってくる。
一直線に。
「――邪魔」
初めて、兄が口を開いた。
感情のない声。
同時に。
拳が振り下ろされる。
バイクごと、潰すように。
「っ!!」
衝突の瞬間。
凪の視界が、完全に切り替わる。
――遅い。
世界が、引き延ばされる。
空気の流れ。
タイヤの回転。
紗夜の呼吸。
全部、見える。
全部、分かる。
だから――
“邪魔だ”。
ドンッ!!!
不可視の圧が、上へ弾ける。
空中で兄のバイクが、軌道を逸らされる。
そのまま――
地面へ叩きつけられる。
轟音。
アスファルトが砕ける。
「紗夜、止めて」
凪の声。
冷たい。
完全に温度が消えている。
「……分かった」
紗夜は迷った。
でも、急ブレーキ。
タイヤが悲鳴を上げる。
バイクは、滑るように停止した。
数十メートル後方。
煙の中から――
立ち上がる影。
バイクは、原型を留めていない。
だが、兄は無傷。
「……やるじゃん」
その隣から声が届く。
当然、無事な妹が立っている。
転倒していない。
“最初から降りていた”みたいに。
「やっと降りてくれた」
妹が、嬉しそうに言う。
「狭いんだよね、あれ」
兄は何も言わない。
ただ、一歩前へ出る。
その動きに、無駄はない。
「ここからは――」
妹が、指を鳴らす。
パキン、と乾いた音。
その瞬間、兄妹の周りを水が漂う。
空気が、変わる。
「ちゃんと壊そうか」
殺気が、形を持つ。
紗夜の喉が、わずかに鳴る。
重い。
さっきまでとは、別物。
膝が震える。
「……凪」
一緒に、逃げようと言いたい。
でも、言えない。伝わらない。
動けない。情けない。
「分かってる」
凪は、一歩前に出る。
ふらつかない。
それでも呼吸だけが、少しだけ荒い。
「ねえ」
妹が、覗き込むように近づく。
「どこまで削れた?」
凪は答えない。
代わりに――
一歩、踏み込む。
地面が、沈む。
「いいね」
妹が笑う。
「その顔」
「壊れる直前」
兄が、視界から消える。
次の瞬間、凪の背後にいた。
――速い。
私の加速能力よりも速い。
反応の外。
だが、凪は。
「見えてる」
凪の腕が、後ろへ振られる。
空間ごと、掴む仕草。
兄の身体が、強制的に引きずり出される。
「……」
初めて兄の目が、わずかに細くなる。
そのまま、地面に叩きつける。
だが――途中で止まる。
妹の“水”が滑り込むように、兄を固定するように。
「それ」
妹が、楽しそうに言う。
「やっぱり減ってるね」
凪の呼吸が、乱れる。
一瞬だけ。
本当に、一瞬だけ。
力が緩む。
その隙を見逃さなかった。
兄の拳が、凪の腹にめり込む。
「が……っ!」
空気が抜ける。
身体が浮く。
吹き飛ぶ。
地面を転がる。
「凪!」
紗夜が叫ぶ。
だが、動けない。
圧倒的な何かで……。
足が、前に出ない。
「ほら」
妹が、ゆっくり近づく。
「やっぱり無理だよ」
「中途半端」
「守るのも、壊れるのも」
凪が、立ち上がる。
ふらつきながら。
口の端から、血。
だが――
赤い目は、まだ死んでいない。
「……黙れ」
低い声。
その瞬間、空気が軋む。
今までよりも強い圧。
制御が、荒い。
周囲の木々が、ミシミシと悲鳴を上げる。
「あはは!」
妹が、少しだけ距離を取る。
「それ以上やると――」
言いかけて。
止まる。
視線が、横へ流れる。
兄も、同時に動きを止める。
凪も。
紗夜も。
――気づく。
遅れて。
そこに、“いた”。
音はなかった。
気配もなかった。
ただ、“最初からそこにいた”みたいに。
ガードレールの上。
月明かりの中に、一人。
「……あーあ」
軽い声。
場違いなほどに。
「もう壊れ始めちゃってる」
誰も、動けない。
さっきまでの殺気とは、違う。
質が違う。
深さが違う。
理解できない。
なのに――分かる。
“これはダメなやつだ”と。
紗夜は指先ひとつ動かすことも、呼吸もまともに出来なくなる。
妹が、初めて眉をひそめた。
「……来るの、早くない?」
兄は、何も言わない。
だが、わずかに構えを変える。
初めての“警戒”。
ガードレールの上の影は、軽く肩をすくめた。
「予定が変わったから、知らせにきた」
月に照らされた、そのシルエット。
ゆっくりと、顔が上がる。
「――今回の“対象”を変更した」
妹が怪訝な顔になる。
「そこの二人はもう用済みだ」
空気が、凍る。
ネームド。
それが、“そこにいた”。




