第48話:兄妹
夜の山道を疾走する影。
街灯はない。
月明かりだけが、細いアスファルトをかろうじて照らしている。
エンジン音が、静寂を切り裂いた。
――バイクが二台。
僅かに前を走るのは紗夜の運転するバイク。
その後ろに、凪が体を預けている。
「しっかり掴まって!」
風に掻き消されそうな声。
凪は答えない。
ただ、視線だけが後方に向いている。
――来る。
次の瞬間。
後方の闇が、歪んだ。
ヘッドライト。
一直線に迫る、もう一台。
速い。
明らかに、加速の能力を使ってる自分と同等の反応速度。
明らかに人間の反射神経を超えた存在。
「チッ……!」
紗夜が舌打ちをして、さらにアクセルを開く。
エンジンが唸りを上げる。
だが、距離は縮まる。
じわじわと。
確実に。
「……来るよ」
凪が、ぽつりと呟いた。
その声には、もう温度がない。
次の瞬間。
――横。
並んだ。
「なっ――!?」
あり得ない速度で、隣に滑り込んでくる。
兄のバイク。
その後ろ。
妹が、こちらを見ていた。
暗闇の中でも分かる。
――笑っている。
「ねえ」
風を裂く声。
なのに、やけにクリアに届く。
「まだ残ってるの?」
その声は凪にだけ向けられていた。
凪の目が、わずかに細くなる。
妹は、首を傾けた。
「それ」
「怖い、とか、痛い、とか」
「そういうの」
距離、数十センチ。
並走。
速度も紗夜の意識も、すでに限界。
なのに相手には余力が感じられる。
「全部、邪魔でしょ?」
兄は無言だ。
ただ、完璧なライン取りで山道を切り裂いていく。
無駄がない。
迷いがない。
機械みたいに正確。
「……違う」
凪が、短く返す。
妹は、ほんの少しだけ目を細めた。
「違わないよ」
その瞬間、兄のバイクがわずかに前に出る。
カーブ。
紗夜が身体を傾ける。
ギリギリのライン。
タイヤが鳴く。
だが――
「遅い」
妹の声。
同時に兄のバイクが、内側に滑り込む。
あり得ない角度。
あり得ない加速。
――抜かれる。
「っ……!」
紗夜が歯を食いしばる。
だが、凪は動かない。
ただ、見ている。
観察するように。
「さっきも止まったでしょ?」
前に出たバイク。
その背中から、妹の声が落ちてくる。
「一瞬」
「ほんの一瞬」
「でも、その一瞬で――死ぬよ?」
兄のバイクが、急減速。
目の前。
「危ない!」
紗夜が叫ぶが“雑音に聞こえる”
ブレーキ。
だが間に合わない。
衝突――
その瞬間。
凪の指が、わずかに動いた。
――ドンッ!!
空気が、歪む。
見えない衝撃が、前方へ叩きつけられる。
兄のバイクが、弾かれるように横へ流れる。
だが、転ばない。
完璧な制御。
「……へえ」
妹が、少しだけ楽しそうに呟く。
「使えるじゃん」
再び並走。
さっきより近い。
手を伸ばせば、触れられる距離。
「でもさ」
妹が、凪を見る。
真っ直ぐに。
「それ、使うたびに減ってるよね?」
凪の瞳が、わずかに揺れる。
紗夜の心に雑念が入る。
「分かるよ」
「同じだから」
兄が、無言で加速する。
妹の身体が、わずかに前に傾く。
――仕掛けてくる。
「ねえ」
その声は、優しかった。
だからこそ、歪んでいる。
「なんでまだ守ろうとしてるの?」
紗夜の背中が、強張る。
凪の手が、わずかに動く。
「守るならさ」
妹は、笑った。
「壊れた方が強いよ?」
狂気の笑顔。
風が呼応するように、強くなる。
「だって――」
妹の視線が、ほんの一瞬だけ、凪の背後へ流れる。
そこに“いないはずのもの”を見るみたいに。
「その子」
「いずれ、殺す対象になるのに」
「……っ」
紗夜の呼吸が乱れる。
ハンドルが、わずかにブレる。
その隙を、見逃さない。
兄のバイクが、急接近。
横から、体当たり。
「くっ……!」
バランスが崩れる。
ガードレールが迫る。
落ちれば、終わり。
その瞬間。
凪の中で、何かが切り替わる。
「――うるさい」
低い声。
次の瞬間。
重力が、歪んだ。
赤い風が起こり、兄のバイクが強制的に外へ押し出される。
タイヤが浮く。
だが、それでも制御する。
――化け物同士。
「ほら」
妹が、嬉しそうに笑う。
「今の、良かったよ」
「迷ってなかった」
凪の呼吸が、乱れる。
視界が、赤く染まる。
「そのまま、全部捨てなよ」
「楽になるよ?」
「凪!耳を傾けちゃ駄目!」
紗夜の叫び。
並走。
速度、限界。
月明かりの下。
四人の影が、交錯する。
「――遊んであげる」
紗夜の叫びは虚しく、届かない。
初めて、凪から言葉が出た。
感情は、ほとんどない。
でも、わずかに残った“何か”が、滲む。
妹は、満足そうに頷いた。
「うん」
「そういう顔」
「嫌いじゃない」
次の瞬間。
二台のバイクが、同時に加速する。
山道の奥へ。
闇の中へ。
――追いかける側と、追われる側。
その境界は、もう曖昧だった。




