第45話:ネームド
荒れ果てた別荘の中、鉄臭い匂いが残っていた。
建て付けが悪くなった扉が力尽くで開けられる。
「あらかた、片付けたぞ」
黒崎の声には、戦闘後とは違う疲れた色が声に混じっていた。
その後ろを同じように疲れた顔の紗夜が入ってくる。
彼女は無言で部屋に入るなり、凪とりこが眠るソファーの傍に行く。
「お疲れ様」
社長が労う言葉は黒崎にしか、届いていなかった。
黒崎は眠る凪とりこ、そして紗夜を一瞥すると空いているソファーに座る。
見据えるのは、この中で唯一話が出来そうな社長。
「それで、これからどうするんだ?」
黒崎は何ひとつとして、決まっていない予定を聞いていた。
社長は話に入ってこない紗夜を見て、ため息をつくとゆっくりと喋り出す。
「今回、襲撃してきた連中は第三研究所の子飼いの連中だったね」
「そうだな」
子飼いの連中と聞いて、黒崎は襲撃者の装備を思い出す。
お揃いの装備品に、訓練された動き。
間違いなく組織の裏の人間だったと確信し、頷く。
「なら」
社長は、わずかに口角を上げた。
「次は“ネームド”が来る」
噂として、囁かれる第三研究所のネームドハンター。
「噂は聞いたことがあるが、実在するのか?」
黒崎は怪訝な表情で問う。
「実在する。間違いなくね」
社長は静かに頷いた。
「――逃げる時間は、もうないよ」
その言葉に、部屋の温度がわずかに下がった気がした。
紗夜の指先が、凪の毛布を握る。
だが彼女は顔を上げない。
ただ、静かに呼吸だけを整えていた。
「ネームドってのは……要するに“処理専門”か」
黒崎が低く呟く。
社長は否定も肯定もせず、ただ視線を窓の外へ向けた。
「第三研究所が本気を出すときにだけ動く。現場の“後始末”を任される連中だよ」
「……今までの雑魚とは違うってことだな」
「ああ。むしろ逆だね。雑魚じゃないから来る。嘘か本当か、街を消したなんて噂もある」
社長の声は淡々としていたが、その中に確かな警戒が滲んでいた。
そのとき、それまで沈黙していた紗夜が小さく言った。
「逃げる、という選択肢は?」
黒崎が一瞬だけ紗夜を見る。
社長は短く笑った。
「逃げられるなら、そもそも“ネームド”なんて呼ばない」
「……でも、そいつらの狙いが凪なら……せめて」
「嬢ちゃんだけでも……か」
黒崎の言葉を最後にそれ以上、誰も喋らなかった。
別荘の外で、風が軋むような音を立てた。
まるで何かが近づいてくる前触れのように。
別荘から離れた位置に怪しい大型バスが停まっていた。
「対象のお迎えに行ったAチームの反応が無くなりました」
オペレーターから告げられる言葉に感情的になる者はここにはいない。
「そう、本部に連絡しておいて」
その指示に従い、オペレーターはメッセージを打ち込むが途中で指が止まる。
「今後の対応はどうしますか」
責任者と思われる女は送られてくるデータに、目を通しながら指示を出す。
「試験を兼ねて、例の"兄妹"を要請して」
Aチームが全滅と引き換えにもたらしたデータ。
そこには異常な数値が記されていた。
間違いなく、このシェイプシフターは覚醒している。
「無駄死には嫌いなの。意味があるなら別だけど」
データの数値に興奮する女の頭の中にはすでに、Aチームが失われたことなど、微塵も残っていなかった。
……天然者か。
果たして、我々が作り上げた人工シェイプシフターと、どちらが強いのか。
その結果だけが楽しみで仕方なかった。
バスの車内は静まり返っていた。
エンジンの低い振動だけが、金属の箱をかすかに揺らしている。
責任者の女はタブレットから目を離さないまま、淡々と続けた。
「“兄妹”には、余計な情報は渡さなくていい」
「了解しました」
オペレーターは即答する。
女はようやくタブレットから視線を上げ、設置されたカメラから送られてくる映像に目を向けた。
別荘の方向。
森の奥に沈む、崩れかけた建物。
「天然のシェイプシフター……」
口の端が、わずかに吊り上がる。
「進化の速度が速すぎる。いい個体だ」
その言葉には、同情も恐れもなかった。
あるのはただ、純粋な興味だけだった。
「Aチームは?」
誰かが尋ねると、女は一瞬だけ間を置く。
「処理済みとして扱う。報告書は“想定内の損耗”でいい」
誰も異議を唱えない。
この組織では、それが当然だった。
「では、兄妹の投入準備を」
「すでに起動フェーズに入っています」
オペレーターの返答に、女は満足げに頷いた。
そして、静かに息を吐く。
「楽しみね」
その一言だけが、やけに軽く車内に落ちた。
――同時刻。
別荘の中では、まだ誰もその“カウントダウン”がいつ、ゼロになるのかを知らない。
鉄の匂いの残る静寂の中で。
次の戦いだけが、確実に近づいていた。




